💎 庭野日敬開祖「一日一言」~毎日のことば~(令和7年7月)
- 2025/7/1
- 心を創る
今月も庭野日敬開祖の珠玉のおことばを、「一日一言」と題して、毎日1つずつご紹介していきます。
【7月22日 功徳の塊(かたまり)】
法華経は功徳の塊です。どこを読んでも功徳ばかりです。だから、しっかり読んで、素直に行ずれば、功徳が頂けないはずがないのです。(『庭野日敬法話選集』別巻より)
【7月21日 「観る」とは】
いちばん大切なのは、”観る眼”なのですね。この現代の世界、日本という国に、極楽となりうる可能性も、地獄と化してしまう可能性も具わっているのです。そのどちらを見、どちらを発現させていくか、それが、その”観方(みかた)”にかかっていると言っていいでしょう。観世音菩薩は、この世のすべての”音を観られる力”を具えているといわれますが、この「観る」とは、心を観ること、本質を見とおすことなのです。この世界の本当の姿を観ようと努力するその努力の中に、この世界を極楽浄土とするカギがひそんでいると言っていいのです。(『躍進』昭和53年1月号より)
【7月20日 〈仏限(ぶつげん)〉とは】
〈仏限〉というのは、あらゆるものの見かたを総合した見かたです。宇宙間のすべてのものごとの実相を、ただたんに明らかに見とおすというだけでなく、慈悲の心をもってそれを見るのです。(『新釈法華三部経』第4巻より)
【7月19日 このままで寂光土(じゃっこうど)】
もしあらゆる人間が仏さまのような完全な智慧の眼でものごとをありのままに見ることができれば、この世はこのままで寂光土となるわけです。(『新釈法華三部経』第5巻より)
【7月18日 諸法実相(しょほうじっそう)とは】
すべてあるが儘(まま)の姿で、現在の力を最大限に発揮することが諸法実相であると存じます。(『交成』昭和28年8月号より)
【7月17日 すべての中に本仏が】
本仏を信じてその教えを実践しようとする人は、見聞きすること経験することのすべての中に、本仏の姿を見、その説法を聞くことができるのです。(『庭野日敬法話選集』別巻より)
【7月16日 煩悩(ぼんのう)を活用する】
煩悩を去るということにとらわれず、かえってその煩悩を活用してよい方向へ向けることによって、世の中をいきいきと活動させ、その活動のなかに調和をつくろうというのが、仏の智慧であります。(『庭野日敬法話選集』別巻より)
【7月15日 ものの見かた考えかたを変える】
仏さまの目から見れば寂光土でないところはないのです。それなのに、われわれは無明(むみょう=根本的な無智)によって見るために、迷いと汚れに満ちた国土に見えるわけです。ですから、この世を寂光土化するというのは、つまるところ、人間のものの見かた考えかたを変えればよいわけです。(『新釈法華三部経』第5巻より)
【7月14日 ありのままに見る】
仏さまの智慧とは、ものごとをありのままに見る智慧といってもいいでしょう。ありのままとは、そのものの本質を見るということ、変化し移り変わるものごとにとらわれず、そのものの本質、すなわち実相を見ることです。全体を正しく見る目、一方に片寄らない目ということでもあります。(『三霊山瞑想』より)
【7月13日 ほんとうの救い】
救いというのは、われわれと、いついかなるときでも共にいてくださる久遠実成(くおんじつじょう)の本仏を、われわれが確固として自覚するところに生まれます。自分はその仏さまに生かされているのだということを、心の底から悟るところに、ほんとうの救いがあるのです。なぜならば、そうした確固たる自覚があってこそ、はじめて深い心の安らぎが得られるからです。と同時に、いうことなすことがひとりでに仏さまのみ心すなわち真理と一致してくるからです。(『新釈法華三部経』第9巻より)
【7月12日 ただ一事に帰する】
諸法実相を悟った立場から人間の本質をみますと、それはとりもなおさず仏性でありますから、すべての教えは、自分のなかの仏性に目ざめ、他のすべての人のなかに仏性を見いだし自覚させ、それを開発してゆくというただ一事に帰するわけです。(『新釈法華三部経』第5巻より)
【7月11日 一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)】
仏教の本当の悟りは「一切衆生悉有仏性」を真底から信ずることにほかなりません。すべてはそこから出発します。(『庭野日敬法話選集』別巻より)
【7月10日 平等大慧(びょうどうだいえ)】
〈平等大慧〉というのは、諸法実相(しょほうじっそう)を悟る智慧であり、すべての衆生はひとしく仏となることができると見とおす智慧であります。法華経は、その平等大慧にもとづく教えであり、その平等大慧を教える法門にほかならないのです。(『新釈法華三部経』第5巻)
【7月9日 声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)】
声聞と縁覚は、自分自身の人格の完成もしくは人生苦からの解脱(げだつ)を求める人びとでした。それを望み、そのために努力することは、人間としてまことにりっぱなことです。しかし、地球上のすべての人間がそのような境地を完成できるかどうか……、実際問題として、不可能に近いといわなければなりません。(『新釈法華三部経』第8巻より)
【7月8日 無量義とは一法より生ず】
新井先生から「一つの義(真理とか正しい道理)から百千万の義が生じ、また、それを凝縮すると一に帰する」という解説をうかがって、私は初めて気づいたのだった。それまでバラバラに勉強してきたことが、「無量義とは一法より生ず」(無量義経説法品)とあるように一つにまとまり、すべては仏性開顕のための手だてとなることを知ったのであった。そのときの悦びは、まさに筆舌に尽くしがたいものだった。(『この道』より)
【7月7日 百パーセント救われる】
《法華経》は、こんな病気にはこの薬、こんな症状にはこの療法といった個々の対症療法ではなく、あらゆる病気を根こそぎ治し、あらゆる人間を完全な健康体にする根本療法ともいうべきものなのであります。(『新釈法華三部経』第5巻より)
【7月6日 生まれさせてもらった】
「生まれさせてもらった」「生かされてもらってる」ーこのことが本当にわかれば、自らしゃんとした仏性の開顕ができるんです。ごまかしのない、責任ある人生を歩めるんです。(『ほっしん』平成2年7月号より)
【7月5日 自分の心の色を変える】
「善因善果、悪因悪果」といわれるように、人間は、自分が行なったことに左右されるものであります。ところが仏さまのほうから見ると、「善因善果、悪因悪果」というのは、自分の心の色がそこに現れているのです。その心の色さえ直せば、お釈迦さまが「我と等しくして異なることなかれ」と言われるように、仏さまと同じように後光が差すようになって、何の心配もない、安らぎを得られる、そういう境地になるのです。(昭和48年9月 普門館にて)
【7月4日 変化に従う】
とらわれのない目でものごとを見れば、変化がよく見える。その変化に素直にしたがうのが、正しい生きかたである。(『新釈法華三部経』第7巻より)
【7月3日 因果の道理を悟る】
因果の道理を「なるほど」と胸の底から悟るところまでいかなくてはなりません。そこにある真理を悟らなければほんとうに救われたとは言えないのです。(『庭野日敬法話選集』第3巻より)
【7月2日 この世界は金色に輝く美しい世界】
本質においては金色に光り輝くような美しい世界なのに、心のレンズにいっぱい汚れがついているために、それを通してみる世界が汚れてみえるだけのことです。ですから、心の汚れをすっかり拭(ぬぐ)いさってしまえば、この世はこのままで寂光土にかわるのであって、法華経の教えの神髄はこのところにあるといってもいいでしょう。(『新釈法華三部経』第2巻より)
【7月1日 この現実の世界が】
仏の教えによって、心がつねに法悦に満たされておれば、この現実の世界が、楽しくて楽しくてならないところに一変するのです。どこを見ても美しく、だれを見ても菩薩に見えるのです。(『庭野日敬法話選集』別巻より)