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立正佼成会の平和観
一仏乗の世界をめざして
「人は本来、皆一つの乗物の同乗者なのだから、心をおおらかに、互いに認め合い、協力し合おう」という“一仏乗”の世界の実現は、釈尊の願いであるとともに、立正佼成会すべての会員の願いでもあります。
UNESCO憲章前文には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」と記されています。
ここでいう「平和的な心」は、仏教では「慈悲の心」と呼びます。人に喜びや幸せを与え、人の悲しみや苦しみを取り除こうとする心です。
貪り、怒り、目の前しか見えぬおろかさ。苦しみや争いの原因は自らの心にあります。人と人の間に生じた摩擦は、お互いの不信を増大させていくことでしょう。
釈尊は『法句経』の中で、
「まことに、怨みは怨みによっては消ゆることなし。怨みは怨みなきによってのみ消ゆるものなり」
と教えています。慈悲の実践は、怨みを捨て、不信の連鎖を断つことにとどまらず、互いに理解や信頼を生み出すものです。
本会の会員一人ひとりが慈悲の心を深めて、すべてのいのちの幸せを願い行動することこそ、今を生きる私たちに託された使命であると考えます。
そして、宗教界をはじめ各界の人びとと手をたずさえ、国内外でさまざまな平和活動に取り組んでまいります。
共に生きる
宮澤賢治が『世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない』との言葉を残したように、生きとし生けるものすべてが「大いなるひとつのいのち」に生かされていることを自覚すれば、誰もが大調和の世界を願わずにはいられないでしょう。
しかし、ただ願うだけでは平和な世界を実現することはできません。本当に平和を願うならば、まず自らの心に平和を打ち立て、一人ひとりがおかれている環境・生活の中で行動を起こし、輪を広げていくことが大切であると考えます。「平和は一人ではできない。しかし、一人がはじめなければ何もできない。」のです。
本会では、平和・社会活動の取り組みとして、「一食を捧げる運動」や「宗教対話・協力」活動を推進するほか、環境や政治、人権など、国内外でさまざまな取り組みを展開しています。「一切の生きとし生けるものが救われるように、幸せになるように」という一乗の精神のもと、世界中の人々と共に痛みを分かち合い、共に生きる喜びを分かち合う努力を続けています。
生かされて、生きる
分かっているつもりでも、本当はわかっていない。そうしたことが人間には沢山あります。表面的には理解しているようでも、心の底からしっかりと受けとめていない。その最たるものが、「人生二度なし」とうことでありましょう。
普段、人は、この厳粛な事実を深く見つめることなく、周囲の人々や環境など、自分の外ばかりに目を向け、不平不満の毎日を過ごしているのが現実といえそうです。
人間は、誰もが老い、そして必ず死を迎えます。
私たちにとって、「死」ということほど確実なことはありません。それを認識することによって、自らのいのちがよく見えてきます。不平不満などいっていられないことに気づかされます。また人は、「生きる」ということの意味も、本当のことはあまりはっきり分かっていません。
自分一人で、自らの力だけで「生きている」と思い込んでいる人もあります。しかし人間は、太陽をはじめ、月や星、山や川、数えきれないほど多くの人々、動植物や虫、微生物や細菌まで含め、一切の恩恵なしに生きていくことはできません。太陽が東から出て、西に沈む。その単純な繰り返しのお陰さまで、米や野菜が育ち、動物や魚のいのちが育まれます。それらを頂いて、人間は姓をつないでいます。大きくみれば、太陽も空気も、雨も風も、私たち一人ひとりを生かそうとして働き、存在していると受け取ることもできます。
いわば宇宙の一切合切が、瞬時も休みなく働いているお陰さまで、私たちは、いま、こここにいる。「生きている」というより「生かされている」のです。