自分の“いのち”の中にある仏を自覚しましょう! 教会長 近藤雅則(平成29年11月)
- 2017/11/1
- 心を創る
『佼成』11号の会長法話は、「親孝行と菩薩行」というテーマでした。印象深いのは次の言葉です。
☆(親や先祖に安心してもらえるには、)①暮らしの一つ一つに、ていねいにとりくむ。②日々明るく、楽しく過ごす。③人に喜ばれるようなことを誠実に行う。
☆親孝行も先祖供養も菩薩行も、根本においては一つ・・・これらすべてに共通するのは、いま命あることへの「感謝」です。
立正佼成会の皆さんの中には、「何のために信仰しているのですか?」と問われて、しっかり答えられない人がいるかもしれません。立正佼成会の信仰の目的は何ですかとの質問に対し、開祖さまは、「仏になること」と、間髪入れず答えられたそうです。
「仏になること」とは、簡単に言うと、人格を高めることです。具体的に言えば、四無量心といって、「慈心」(人の幸せを願う心)、「悲心」(人の悩み苦しみを取り除いてあげたい心)、「喜心」(人の喜びを共に喜ぶ心)、「捨心」(とらわれを捨てる心。自分の施した恩に対して報いを求めず、自分の受けたあだを忘れる心)を高めることです。
そして、もっと大事なことは、自分の“いのち”の中にある仏を自覚することです。それは、自分が“仏の子”であり、仏と同じ永遠の“いのち”に生かされているという実相を知ることです。私たちは、仏の子である自分(=本当の自分)というより、欲深く、愚かで、無力で、未熟な自分(=仮の自分)である方により強く意識しがちです。その意識を捨て去り、無限の“いのち”と力をもった尊い存在である本当の自分を自覚することです。その自覚を深め、仏の子としての“いのち”を浄めていくことが、私たちの生まれてきた目的・生きる目的であり、信仰の目的であると言えるでしょう。
しかし、突然そのように言われても、私たちは即座に理解することができません。そこで、仏という存在を理解しやすいように、まずは親孝行と先祖供養の実践を教えられました。親・先祖の“いのち”をずうっと無限に遡っていくと、最後に“いのち”の大本にたどりつくはずです。それを「仏」とか「本仏」と呼んでいるわけです。自分の“いのち”の本である親・先祖を尊び、大事にすることから始め、最終的に仏の“いのち”に思いを至らすことができるように教えられているのです。
菩薩行も、決して特別な行いではありません。本会会員の中には、「立正佼成会に入会したために、この忙しいのに、よけいな菩薩行をさせられている」と感じている方もいるかもしれません。私たちは、私以外のすべての存在に生かされ生きているというのが真実です。すべて、おかげさまの世界なのです。生かされている以上は、自分も何か精一杯、自分以外のために役に立つ生き方をすることが自然であり、人間本来の生き方です。本来の生き方がしっかり定まってくると、生活が順調に定まり、人生も順調に定まり、健康や財産にも恵まれてくるのです。
合 掌
平成29年11月1日
立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則