“人生の究極の目的を知らずして、厳粛に生きることはできない!” 教会長 近藤雅則(平成30年2月)

HP2月号(挿入写真)『佼成』2号の会長法話は、涅槃会の月ということで、「人生を厳粛なものに」がテーマ。中でも、印象深いのは次の言葉です。

☆「厳粛とは、無常観に立って、いまを大切に生きること」といわれています。一日を、一時間を、そしていま目の前の一分一秒をおろそかにしないで、ていねいに暮らすことが大切なのです。

☆入滅される前、釈尊は「すべては移ろいゆく。怠ることなく精進しなさい」といい残されました。涅槃会には、ご自身の死に際して、あらためて無常の法を説き、精進を促された釈尊のお心に思いを寄せてまいりたいと思います。

 親しい人が亡くなったとき、“いのちの尊さ”とともに、“人生の厳粛さ”感じる人が多いのではないでしょうか。その意味で、親しい人の死は、私たちに人生の厳粛さを教えてくれる大切な機縁だと思います。

 “人生二度なし”は、誰にも当てはまる真理です。一人の例外もなく、誰の人生も一度限りです。この厳粛な真理を心底認識できている人は、どれほどいるでしょうか?毎日の生活に追われ、余裕もなく生きている人。自分の目先の利益や損得に心を奪われ、毎日を恐々と生きている人。刹那的な楽しみに埋没して、スマホゲームやパチンコに興じている人など・・・。これらの人々は、人生の厳粛さをあまり考えることなく生きている人たちかもしれません。人間としての精神活動が止まってしまっているかもしれません。それでは、他の動物と変わりありません。
 一度限りの人生をどう有意義にありがたく生きていくか。それを教えているのが信仰です。信仰は、単に自分の願い事をかなえてもらうために神仏にお願いしたり、すがったりすることではありません。釈尊が説かれた教え、それは、有意義で充実した人生を、ありがたく幸福な人生を私たちに示し、約束してくれるものです。
 そのために、佼成会員の私たちは次の3つことを日々実践しているわけです。

①仏法(釈尊の教え)をしっかり学ぶ。
②学んだ教えを家庭や職場で実践していく。
③実践の中で気づいたこと、悩んだこと、失敗したことについて指導やアドバイスをいただき、再度教えを確認することで、教えを身につける。

 “まず臨終のことを習うて後に他事を習うべし”という日蓮聖人の言葉があります。「さまざまな学問は、自分の死を認識した後に、学ぶべきである」という意味だと思いますが、何事も人生の究極の目的を知った上で学ぶことが大切であるということだと思います。これは信仰も同じです。何のために教えを学ぶのか、何のために教えを実践するのか、人生の究極の目的を知らずして行っていたのでは、もったいないと思います。その“人生の究極の目的”を皆さんは知りたいと思いませんか。

合 掌

        平成30年2月1日

立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則

ふきのとう

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