いよいよ四月です。入社式や新年度の挨拶などお忙しいことでしょう。そして、間もなく 入学式や新学期を迎える皆さんは、ワクワク、ドキドキしながら待ち遠しく思ってるのではないでしょうか。
今月の『佼成』会長先生ご法話の冒頭の『万葉集』の一首
「石(いわ)ばしる垂水(たるみ)の上のさ蕨(わらび)の 萌(も)え出(い)づる春になりにけるかも」 ――岩間を激しく流れ落ちる滝の水際に、蕨の芽を見て私が思うのは、大好きな山菜を食するよろこび(食欲)が一番でしょうか… 。
万葉人のように澄んだ目に自然を愛でたり、ものごとのあるがままを感謝と喜びで受けとめたりすることが、いまの私たちにはなかなかできません。こうした歌は、私たちに自ら の心の曇りや至らなさを教えてくれています、と会長先生に仰っていただき、本当にその通りです。(笑)
ところで、「真実」とは何か・・・「真実」と聞いて、「真理」(絶対真実の教え)思いつきますね。
釈尊とバラモンとの会話のなかに、「真実を守ることは私の草刈りである」というお言葉があるそうです。
・ものごとのありのままのすがたを好き嫌いの感情をまじえずに見て 、
・そのあるがままを受け入れること
それが、「真実を守る」こと。そして、
・それを妨げる煩悩という雑草が心にはびこることがないようつとめた。
自分の心の曇りや至らなさは、私の心なかにはびこる雑草かしら?煩悩という雑草?
しかし、雑草という名の草はない~煩悩は進歩や向上の原動力にもなり、「煩悩即菩提」とは、煩悩を菩提とが究極は一つであること。大煩悩の持ち主の人間ほど、大きな心の転換に至るかもしれない。わー凄いぞ。
草刈り!!
油断をすると心に生い茂る煩悩という雑草も、伸びすぎないように適宜刈りとり、そのつど心の土壌に鋤きこめば、それが心の幅を広げて智慧を生む栄養となり 、いっそう地味豊かで柔らかい心田になるからでありましょう。 心が柔らぎ、そしてその雑草を鋤きこみ受け入れることで智慧を生む栄養となると教えて頂きました。
避けられない自然災害、様々な縁によって起こさしめられる多様な感情を時をかけて「あるがまま」受け入れることが大きな気づきとなり、人生が善き方へと展開したという語りが法座で花開いています。そこには、雑草が栄養へと転化するプロセスがあります。
待ち望んでいた春の到来です。新たな出会い、新たな私での出会いなおしてを通しての味わいを楽しみたいと思います。さぁ、出かけましょう。出会いましょう。
合 掌
令和六年四月一日
立正佼成会仙台教会
教会長 岩間由記子