暑中お見舞い申し上げます。
先月下旬の各地(お隣山形の酒田、新庄。秋田の由利本荘、横手。)の梅雨末期の大雨の被害、心よりお見舞申しあげます。一日も早い復旧・復興をお祈りいたします。
一方、「仙台七夕まつり」の飾りがととのいました。今年は何処もかしこもアツイ。子どもたちにとって、篤い夏少年団参(~造立60周年ご本尊参拝・発祥の地ご供養参加・お楽しみ)。そして、スポーツ各種大会、各種全国大会が目白押しです。そして連夜の寝不足MaxのParisオリッピック。新時代の夢や希望の灯火、十代の大活躍(「後生おそるべし」)、を応援したいと思います。私たち仙台教会サンガの中からも世界に羽ばたく若者がいるようです。ガンバレ、ニッポン。
7月号の『佼成』ご法話にて、私たちの生命は、死を境に過去から未来へとつづく大河のような「故郷」に帰り、大自然に還って、「永遠のいのち」を生きつづけるといった壮大なイメージと仰っていただきました。(8月号では、私たちの生命は、過去から未来へと大河のように滔々と流れつづける「大いなるいのち」という「ふるさと」帰っていく)そして、釈尊も「経集」(スッタニパータ)のなかで、「退くことなく進み、そこに至って憂えることがない。耕作はこのようになされ、不死の実りをもたらす。この耕作によって、あらゆる苦悩から解き放たれる」、と。
この度、会長先生がはじめて紡いでくださった開祖さまの最期のご様子。理想的にも思えるそのありようは、死への恐れを乗り越えるという意味の「不死の実り」を与えてくれたのです、と。「不死」とは、いつまでも生きていたいといった、けっしてかなうことのない儚い望みがもたらす苦から解き放たれて心が楽になること。それは、(「開近顕遠」)無常の教えを心に刻み、死を乗り越えるという、私たちも身近な人たちとの別れを通し、生滅変化する自然の営みの一つと得心することができるのではないでしょうか。
法華経において、仏の「大いなるいのち」と一つに成って永遠に生きつづけるという感じは、亡くなられた方の生き方に想いを馳せたり、目の前に居なくともその方の存在を大切にして生きることが喜んでもらえることであり、共に生きること実感します。
そして、「つとめ励むのは不死の境地」とは、目の前の人に精一杯尽くすこと。いい縁になること、喜んでもらえるよう努力する私たちの日々の行い・行動が、生前の生き方や人柄が人々の胸中で生き続けることも、まさに「不死」に一つの形だと教えていただきました。
とても心つよく、温かく、いきるエネルギーがわいてまいります。人生は、メドレーリレーであり、確かに私たちは滔々と流れ続ける「大いなるいのち」の一つに繋がっている。このことを皆さまと共に味わい、感じたいと思います、この夏休みに。
先日、「秋保大滝」を見に行ってまいりました。勢いよく流れ落ちる大滝。まさに天からの雨が集められ滔々流れる大河へと繋がる源流。涼しさと共に癒しとエネルギーをいただいてきました。
合 掌
令和六年八月一日
立正佼成会仙台教会
教会長 岩間由記子