気が付いたら、九月となりました。日中は、まだまだ暑い日が続いておりますが、そろそろ新米の声が聞こえてまいりました。やっぱり、○○の秋です。教会の駐車場のぶどう棚を覗いてみると、ブドウの実が房へと変容してました。🌱👀実るまでに、手をかけ・手間をかけてくださるお陰さまに感謝を申し上げます。
『佼成』9月号の会長法話 人生の秋から冬への備え
・去るものは去り、また充ちて
人生は、しばしば四季にたとえられます。「人生百年時代」といわれる現在の考え方からすると、命の芽が吹いて伸びる成長期の春は、二十五歳くらいまで、エネルギーにあふれ社会で活躍する活動期の夏は、五十歳まで。人として成熟し、実りの秋を迎えて冬に備える収穫期の秋は、七十五歳までをさして、それ以降は、人生の実りを得ておだやかにすごし、自身から零(こぼ)れ落ちた種が新たな春の芽吹きを待つ冬――
「去るものは去りまた充ちて秋の空」 飯田龍太(いいだりゅうた)
古代インドの四つの区分で人生を分けると、春にあたる「学生期(がくしょうき)」、社会に貢献し家族を養う、夏にあたる「家住期(かじゅうき)」。秋にあたる「林住期(りんじゅうき)」こそ人生の黄金期(おうごんき)であり、さまざまなしがらみに煩わされることなく、人生の最終ステージ「遊行期(ゆぎょうき)」を心豊かに楽しく生きるための準備ができる時期を教えていますと、お示しくださいました。
人生の秋はそれまで煩わしいと感じていたことから少しずつ解放されて、心に充ちるものや期することを胸に、晴れやかな気持ちで冬へと向かう季節なのです。
苦い思いも「収穫」して心の糧に変え、冬に向かうエネルギーにすることも、その時期にしか得られない大きな実りといえるでしょう。
会長先生のご法話を頂戴し、晩秋の最中の私は人生の黄金期です。同時に、渋やイガもた~くさん「収穫」しています。そろそろ、冬を前にひと手間をかけましょう。そんな心持になりました。そのエネルギーが湧いてきました。
・冬は学びのとき
孔子『論語』
十五の志学から、三十の而立(じりつ)。四十にして不惑(ふわく)。
五十にして天命を知る(知天命)。六十にして耳順(したが)う〈耳順(じじゅん)〉。七十にして心の欲するところに従(したが)えども〈従心(じゅうしん)〉矩(のり)を踰(こ)えず。
私はもうすでに冬の時代のまっただ中にいるわけですが、~八十代の私などまだまだ修養がたりなくて、知らないこと、わからないことがたくさんあって、その意味ではもっともっと学びたいと素直に思います。
希求(ききゅう)~得たいと願って求める。熱望・渇望・切望・希望・願望・念願。
学ぶ気持ちがあればいくつになっても新しいことに出会え、その喜びや感動は、生きる活力とともに人生の冬をすごす楽しみをも与えてくれるのです。(フムフム)じわ~と、沁みます。
『開祖さまと北村西望(きたむらせいぼう)氏の対談』
健康長寿の秘訣「腹を立てないこと。物事に対してクヨクヨ気にかけないこと」それに加え「嘘をつかないこと」~嘘をつかなければ心が洗われて健康によろしい「洗心長寿(せんしんちょうじゅ)」。
お手どり(お導き)修行・法座修行は、「心の洗濯」「心磨き」「雑草取り」に譬えられます。「人生は苦なり」、生老病死を「四苦」と考えず、四喜とみる。一年に四季があるように、人生が「四季」であるように。
一日、一日を大事にしてまいりたいと思います。気づかぬうちに季節が変わっては、大変、たいへんです(笑)。今月も宜しくお願いいたします。
令和七年九月
立正佼成会仙台教会
教会長 岩間由記子