「人生二度なし・・これは絶対の真理です」教会長 近藤雅則(平成29年4月)
- 2017/4/1
- 心を創る
機関誌『佼成』4月号の庭野日鑛会長の法話は「時間の浪費」というテーマでした。この中で、深く心に響いたのは次のような言葉です。
☆人を傷つけるような言葉や態度、自分さえよければいいといった身勝手な行いは、何よりもむだな時間の使い方といえないでしょうか。
☆人生の無上を痛感すると、いま生きている有り難さがはっきりとわかる。
☆日本はいま、ちょうど草花の萌え出づる春を迎えています。その草花を愛で楽しむことは、命の不思議や無常を観じる感性にも通じます。それはまた、いまを精いっぱい生きることの大事さを知る機会でもあるのです。
“時は金なり”という言葉がありますが、時間はとても大事なものです。そして、私たちは年齢を増すごとに、月日の経つことがはやく感じられるようになり、時間の大切さをよりいっそう切実に感じるようになります。
また、「人生二度なし」という言葉がありますが、人生は二度とくりかえすことができないことは、誰にも当てはまる絶対の真理であります。この「人生二度なし」ということが、心底自覚できてこそ、本当に有意義な充実した人生をおくることができるのだと思います。
大病をしたり、事故に遭遇したりして、一度は死を覚悟しながらも、奇跡的に命の増益をいただいた人がいます。その方たちの多くは、生まれ変わったような心境になり、それまでの自分中心の生き方から他の人のために役立つ生き方に180度転換することがありますが、まさに人生の尊さや目的を心底自覚されたのだと思います。
人間として生まれてきたことの尊さや目的を知ることなく、一生を終えることになったとしたら、最大の「時間の浪費」と言えるのではないでしょうか。
法華経の法師品第十に、“願生”ということが説かれています。私たちは、みな人間に生まれてくるとき、数多くの仏さまを供養し、そして「どうか人間に生まれさせてください。人間として生まれさせていただいたならば、必ず仏さまのお手伝いをさせていただき、多くの人々を救わせていただきます」という尊い誓願をして生まれさせていただいたというのです。
しかし、そのことをすっかり忘れてしまって、ただ、自分のことだけに追われ、その日暮らしのような人生を過ごしてしまったら、こんなもったいないことはありません。ましてや人を傷つけるような言葉や態度、自分さえよければいいといった身勝手な行いをしていたのでは愚かな人生であり、何よりも「時間の浪費」となるのです。
大切な時間(二度とない人生)の尊さと目的をしっかり自覚し、少しでも他の人や社会に喜ばれ、役立つような有意義な人生をおくりましょう。
喜ばれる合掌
平成29年4月1日
立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則