💎 庭野日敬開祖「一日一言」~毎日のことば~(令和5年3月)

開祖さま 創立 決定

昭和13年3月5日、本会創立の日、庭野開祖の自宅二階にて

3月は本会の「創立記念日」(5日)を迎えます。今月も庭野開祖の珠玉のおことばを、「一日一言」と題して1つずつご紹介していきます。今月も先月に引き続き「法華経を生きる」がテーマです。

【3月31日 仏さまにお会いする】
 仏さまにお会いできるかどうかは、まず、自分が信伏(しんぶく)し、質直(しちじき)にして心が柔軟(にゅうなん)であること。そして、一心に仏さまにお会いしたいと念じて身命を惜しまないこと、仏さまにあこがれ恋い慕う心を起こすこと、なのです。この心が宗教というものであり、信仰というものです。(『三霊山瞑想』より)

【3月30日 仏様に護念されるには】
 何時でも何処でも、自分は仏様に護念されているという喜びと自信は、自分自身、まさしく仏様に護られるような行いをしているからこそ、持つことができるのです。(『佼成』昭和41年3月号より)

【3月29日 仏さまを受けとめる】
 私は、仏さまを自分の心の中にしっかりと受けとめておりますから、どのようなことがあっても、動揺しません。(『庭野日敬法話選集』より)

【3月28日 真の教育とは】
 教育は、押し込むことではありません。引き出すことです。それぞれの人間にふさわしい特性を、引き出し、育てることです。また、すべての人間に、人間らしい心を「起こさしめる」ことです。(『佼成』昭和52年4月号より)

【3月27日 仏になれる】
 人のために尽くせば、その間だけでも自己を忘れ、仏になれるのです。(『庭野日敬法話選集』より)

【3月26日 希望と光明を人さまに】
 上手に法を説くよりも、人様に希望を持たせ、光明(こうみょう)を与えるような話し方をするべきであると思います。人々に生き甲斐を感じさせるような言葉を吐くように常に心がくべきであると思います。(『交成』昭和33年8月号より)

【3月25日 「志願」に立つ】
「志願」に立つと、同じ苦しみがまるで違ったものになってきます。
 日蓮聖人が佐渡に流されたとき、住居として与えられたのは死人を捨てる塚原の中のあばら屋のお堂でした。わずか畳二枚の広さで、衣食にも事欠き、吹き込む風雪を蓑(みの)を着てしのぐという毎日の中で、ご聖人は「私は日本第一の富める者」とおっしゃっておられます。仏さまが授けてくださったこの苦難によって私は必ず成仏できるのだ、と確信できた喜びの表白にほかなりません。
 そうした「志願」に立つと、励まし、助けてくれる仏さまの分身が必ず現れてくださるのです。(『開祖随感』より)

【3月24日 平和をつくる者】
『聖書』に「平和を実現する人々は幸いである」という言葉があります。平和をつくりだす人とは、どういう人なのでしょうか。(中略)
 私たちは互いに、つい言い争ったり、相手を疑ったりしがちで、しかし、だからこそ平和をつくるのにはどれだけの努力が必要か痛感させられて、そのために話し合い、行動するなかで平和のあり方を身につけていくのだと思うのです。そうした平和のための努力を忘れない人、そういう人が平和をつくる人、神の子と呼ばれる人だといっていいでしょう。(『開祖随感』より)

【3月23日 本当の信仰の功徳】
「仏さまが示されるお手本どおりに、私も人さまをお救いさせていただけるようになりたい」という願いをもつようになり、それを仏さまにお誓いする。そうなってこそ、本当の信仰の功徳が頂戴できるのです。(『開祖随感』より)

【3月22日 行の出発点】
 仏さまはいつも私たちのすぐ近くにおられて法を説き続けてくださっているのですが、その仏さまの教えを本当に求める気持ちにならないと、そのお姿は見えず、お言葉も聞こえてきません。ですから私たちの行の出発点は、まず法華経をしっかりと読誦(どくじゅ)することなのです。(『開祖随感』より)

【3月21日 人の誇りを拝む礼拝行】
 相手が内心いちばん誇りにしているものを、心から尊重してあげる。それが礼拝行だといってもいいのではないでしょうか。それだけで人は見違えるにように変わってしまうのです。(『開祖随感』より)

【3月20日 きれいな心がほとばしる】
 手を合わせて形は相手を拝んでいても、心の中で、「この人は、人の言うことにいちいち反発する困った人だ」などと思っていたのでしゃ、相手は心を開いてくれません。
 法華経には、常不軽菩薩の礼拝行が説かれています。常不軽菩薩は、どんな人であろうが「この人は仏性を具えていて、必ず仏になる人だ」と、もう、ぜったいに信じきって拝み続けるのです。(中略)
 そういう人に出会うと、人は降参するしかないのですね。心の奥の奥に眠っている、けがれのないきれいな心がほとばしってくるのです。(『開祖随感』より)

【3月19日 仏性を拝む】
 〈ひとの仏性を拝むもとが、仏道修行の根本であり、すべてに先行するものでなければならぬ〉ということなのです。(『新釈法華三部経』第8巻より)

【3月18日 合掌で迎える】
 人さまがみえたとき合掌で迎えるということは、その人を信じ、その人の本性に仏心がある、仏性があると考え、その人格を最高に尊敬することです。(『ほっしん』昭和61年6月号より)

【3月17日 但(ただ)礼拝を行ず】
 一切衆生悉有仏性 ― 生きとし生ける者にはみんな仏性があるんだと、お釈迦さまがハッキリおっしゃっているんですから、このことをしっかりと腹の中に入れておけば、常不軽菩薩品にあるように出会う人ごとに“但礼拝を行ず”で、心から拝めるんです。(『ほっしん』平成4年3月号より)

【3月16日 本仏の慈悲】
〈信〉が確立すれば、われわれのまわりをとりまいている迷い・煩悩の影は、そのまま壁とsてありながら、なきにひとしい素通しのものとなってしまいます。したがって閉じこめられていた仏性は、本仏の慈悲に直接ふれ、本仏と溶けあい、一体となってしまうのです。したがって、本仏の慈悲はわれわれのなかでフルにはたらくようになるのです。(『新釈法華三部経』第6巻より)

【3月15日 仏さまの光をまっ直(す)ぐに】
 仏さまの光をいつまでもまっ直(す)ぐ人びとの旨にもって行くことを考えているべきであります。仏教経典に忠実に、経典の邪魔をしないように、経典そのものの光を、どなたにでも正しく示してその手に持たしてあげることです。(『庭野日敬法話選集』より)

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【3月14日 認めて、ほめて】
 人の美点を認め、ほめたたえ、「それが仏性をもっている証拠ですよ」と指摘してあげれば、心の素直な人なら、ある場合はパッと悟り、ある場合はしだいしだいに迷いの壁を溶かしていくことができるわけです。(『庭野日敬法話選集』より)

【3月13日 仏性の自覚】
 法華経が教える仏性の自覚は、「自分の本質は宇宙の永遠のいのちと一体である」ことをみつめることです。(『庭野日敬法話選集』より)

【3月12日 人さまの明かり窓を讃歎(さんたん)する】
 人を見たら、その一点の明かり窓を見つける。そしてその明かり窓を讃歎(さんたん)する。讃歎することによって、その人を自分の明かり窓に気づかせる。明かり窓に気づいた人は、もっと光を入れたい、もっと光をいれたいと、ひとりでに明かり窓をおしひろげていくでしょう。これが「仏性を拝む出す」ことであり、「自らの仏性を発見する」ことです。(『法華経の新しい解釈』より)

【3月11日 仏性を拝み出す】
 人の「仏性を拝み出す」ことこそ、菩薩行の大眼目なのです。そこに生きた仏教があるのです。(『法華経の新しい解釈』より)

【3月10日 仏性を認める】
 菩薩行の根本は、人間を礼拝することである。人間を礼拝するとは、あらゆる人間の中にある仏性を認めることである。(『法華経の新しい解釈』より)

【3月9日 みんな仏性がある】
 一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)― 生きとし生ける者にはみんな仏性があるんだと、お釈迦さまがハッキリとおっしゃっているんですから、このことをしっかりと腹の中に入れておけば、常不軽菩薩品にあるように出会う人ごとに“但礼拝を行ず”で、心から拝めるんです。(『ほっしん』平成4年3月号より)

【3月8日 真の意味の救い】
 菩薩とは、人を救い世を救うことを念願とする人ですから、迷ったり苦しんだりしている衆生を、その場その場で救ってくださることはまちがいはありません。しかし、根本的な救い、真の救いは、「本仏に生かされているのだ」ということを自覚すること以外には起こりえないのです。(『法華経の新しい解釈』より)

【3月7日 信仰の原点】
 私たちは、さまざまな人や物のお陰で暮らしていながら、ふだん、それが自分にとってどれほど大切な存在であるかが、まるで見えていないのです。相手のありがたさ、相手の尊さを思い知って、心から合掌するのが供養です。その真心の供養ができると、まわりのすべてに感謝せずにいられなくなってきます。これが信仰の原点です。(『開祖随感』より)

【3月6日 大道無門】
 これからは、かならずしも〈入会〉ということを前提とせず、できるだけ広く世間の人を導かねばならぬ時代であると信じている。
 ただ、仏教の信仰上欠くことのできない要素である〈三宝〉すなわち〈仏・法・僧〉の〈僧〉のために、会の存在はどうしても必要なのである。(中略)
 できるだけ多くの人が会員になってもらいたい。しかし、むやみやたらと入会をすすめることはしたくない。はいってくる人は双手を挙げて歓迎する。出てゆく人があっても、その人のために惜しみはするものの、無理におしとどめはしない。この点でも、立正佼成会は〈大道無門〉なのである。(『無限への旅』より)

【3月5日 創立記念日 信じきる迫力】
 
会の草創期は、道場も教学も足りないずくめでしたが、法を説く迫力はずばらしいものでした。法を説く迫力は、なんといっても「信じきる力」です。信じきれば、教えられるとおり実行しないではいられない。すると必ず結果が出て、法が生きてはたらく妙の世界をありありと体験できます。(『開祖随感』より)

【3月4日 自分が信じる】
 信仰も自分が信じていないで人に信じなさい信じなさいと言っても、人は信じるものではないのです。自分が信じきっていると、その人のすることなすことが法門にぴたりとかなってきて、その姿を見て人が安心してついてきてくれるようになるのです。(『開祖随感」より)

【3月3日 絶対に軽視しない】
 私どもが「おはようごうざいます」「ご苦労さまです」「日々有り難うございます」と言葉をかわすときお互いに合掌し合っておりますのも、だれもが内心に持っている仏性を完全に磨き出すためであります。法華経二十番の「常不軽菩薩品」にもそのことが書かれています。このお経は、お釈迦さまの前世を説かれたものでありますが、常不軽菩薩と呼ばれた前世に、何をされたかと言うと、合掌して人さまを皆拝んだとあります。相手がどんな人であろうと、どんな場合であろうとも、絶対に軽視しない、立派な心を持ち、それを行動に現わされたのであります。(『庭野日敬法話選集』より)

【3月2日 礼拝する心】
 相手の人格を礼拝する心になったときはじめて、あなたの法を説く言葉がそのまま仏さまの言葉として相手の心に染み込んでいくのです。(『庭野日敬法話選集』より)

【3月1日 法華経の感動】
 三十年の間、一日として《法華経》の読誦を休んだことはなかった。それでも、胸にひびき、心に沁(し)み入るその微妙(みみょう)さには、すこしも衰えもない。いや、深く読めば読むほど、それはますます大きくなりまさるのだ。
 いったい、こういう教えがほかにもあるものだろうか。かりに一冊の本だと考えて、その本を三十年も読みつづけて、しかも日々驚きを新たにし、刻々に感動を深めるというような本があるものだろうか。(中略)
 あなたが、もしほんとうの幸福を得たいと思うならば、もしほんとうの人間らしい生き方をしようと思うならば、もし世界の成り立ちと人間の本質をほんとうに知りたいと思うならば、ぜひ一度《法華経》を読んでみることを、心からおすすめする。
 かならずあなたも、大きな驚きを抱かれるだろう。(『無限への旅』昭和38年刊より)

開祖さま、ご揮毫の大曼荼羅さま

庭野開祖の揮毫による「大曼荼羅」

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