💎 庭野日敬開祖「一日一言」~毎日のことば~(令和5年9月)

2022.04.01 使用写真

 9月は『法華経』を所依(しょえ)の経典とする立正佼成会の本尊である「久遠の本仏さま(本仏釈尊)」について、庭野開祖のおことばを「一日一言」の形式でご紹介します。

【9月30日 恋慕渇仰(れんぼかつごう)】
 法華経の如来寿量品に「恋慕渇仰」という言葉があります。
 仏さまが「一切衆生はわが子である」とまでおっしゃってくださり、いつも見守ってくださっていることは教義的によく理解できますし、仏さまが相(すがた)のない存在であることもわかっています。けれども心の片隅には、生きている人に対するように仏さまを恋い慕う気持ちがあって、それは抑えようとしても抑えきれないものです。ですから、「一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命(しんみょう)を惜しまず」というひたむきさをもわいてくるのです。(『人生の杖』より)

【9月29日 『法華経』はすべて仏性発見のため】
 釈迦牟尼如来の本体だけが、宇宙の大いなるいのちなのではありません。一切衆生の本体が、やはりその大いなるいのちなのです。とすれば、われわれの本質は仏と一体であるということになります。そのような人間の本性を、仏性というのです。法華経は、終始その仏性を人間に発見させるために説かれたお経なのです。(『仏教のいのち 法華経』より)

【9月28日 心からの合掌】
 私たちは、さまざまな人や物のお陰で暮らしていながら、ふだん、それが自分にとってどれほど大切な存在であるかが、まるで見えていないのです。相手のありがたさ、相手の尊さを思い知って、心から合掌するのが供養です。その真心の供養ができると、まわりのすべてに感謝せずにいられなくなってきます。これが信仰の原点です。(「開祖随感」より)

【9月27日 真の生きがい】
 今日の自分は、長い長い過去の集積です。そこで今日はまた力いっぱいの働きをし、精いっぱいの努力をして、過去の集積に、さらに善きものを新しく積み重ねるのです。それが今日の生きがいです。そして、それが悠遠な生きがいにつながるのです。(中略)
 今日一日を、りっぱに生きればよいのです。ありったけの力をきょうにぶっつければよいのです。
 そして、「今日も自分の永遠の生命の上に善きものを集積したのだ」ということをハッキリ自覚することです。それが真の生きがいというものだと思います。(「人間の生きがい」より)

【9月26日 生かされている悦び】
 生かされているという自覚は、私たちに大きな希望と勇気を与えてくれます。日々の暮らしに、職業に、そして他を救い、世のためにつくす菩薩行に、勇躍してつき進んでいく力が、そこからこんこんと湧き出してくるのです。(「庭野日敬法話選集」より)

【9月25日 いよいよおもしろくなってきたぞ】
 お釈迦さまは自分の命をねらう提婆達多のことをお師匠さんと拝める人でした。だから仏さまになれたのです。立正佼成会の歴史をふり返ってみても、教団全体にかかわるような難題をのり越えたあとは、必ず会が大きく飛躍しました。
 そういうことを何度も体験してきているので、私はどんな難題がふりかかってきても悲観しません。「これも仏さまの大慈大悲だ。いよいよおもしろくなってきたぞ」と自分に言い聞かせる。すると力がたぎってくるのです。(「法を説く勇気」より)

【9月24日 自分は仏さまの子】
 この世界はやはり、助け合って生きていく世界なのです。そのなかで、まず自分が「仏さまの子」であることを胸に刻んで、同じ「仏さまの子」であるまわりの人たちを大切にして、幸せになってもらえるような実践をしていくことが大事なのです。
 すると、自分もまた多くの人に助けられていたことが見えてきて、感謝の気持ちが湧いてきます。そういう感謝の気持ちがまた、まわりの人に「慈悲心」をそそぐ力になっていくのです。(「我汝を軽しめず」より)

【9月23日 功徳抜群の読経供養】
 私たちは、永遠の生命を悟ることによって、ものに執われた自己中心のものの見方から抜け出し、人さまのために、ご先祖さまのために、仏さまのためにと拝めるような、明るい人生を歩むことができるんですよ。そのために、仏さまはこの真理をお説きくださったんです。
 そうした深いお慈悲をじっくりと味わいながら毎日のご供養をしてごらんなさい。もう有り難くて有り難くて、お経の中にスーッと吸い込まれるような功徳抜群の読経ができますよ。(「ほっしん」より)

【9月22日 自分に託された「お役」】
 私たちが果たしていく「お役」のなかで、いちばん大きな「お役」は何かといえば、仏さまから託された「お役」でしょう。
 私たちが自らの「仏性」を自覚し、毎日の暮らしのなかでふれあう方の「仏性」を開いてさしあげる。「まず人さま」と、相手の方の幸せを願うふれあい方をさせていただく。それが自分に託された「お役」だと気づくと、毎日が大歓喜(だいかんぎ)の世界になっていくのです。(「我汝を軽しめず」より)

【9月21日 本仏釈尊を拝して】
 本仏釈尊本尊のお姿を拝する時、「今こそ法華経広宣流布の時がきたのです。私がしっかり守護しているから、迷うことなく、法華経の教えを実践し、信念と勇気をもって、普く社会に法華経を広宣流布するのですよ。あなたが〈わたし〉に帰依し、修行精進にはげむことを、〈わたし〉とともにすべての仏さまも喜んでいるのですよ。その功德は甚大です。人間として、もっとも価値ある行為です」と、おはげましくださっているお声が聞こえるようです。(「本尊観の確立のために」より)

【9月20日 仏さまは親、私たちはその子供】
「私はみんなの父であり、みんなは私の子供である」
と、仏さまのほうから名乗ってくださっているのは法華経だけだと私は聞いています。そう言われてみると、法華経ほど親と子の関係について説かれている経典はほかにないように思うのです。長者と窮子の譬え、火宅の譬え、良医とその子供たちの譬えなど、みなさんも、すぐに思いつかれることでしょう。そして、これらの物語の底を一貫して流れているのは、子を思う親心です。子供たちは、その親の心に少しも気づかずに、親に背を向けているのですが、その子供たちを仏さまは、「いつかは帰ってきてくれる」「いつかはわかってくれる」「いつかは仏性に目覚めてくれる」と信じて、待っておられるのです。(「瀉瓶無遺」より)

【9月19日 幸福とは】
 仏陀とは「目覚めた人」という意味です。逆に言えば、凡夫とは「いまだ目覚めない仏」ということになります。ですから仏教という言葉も「仏の教え」であると同時に「仏になる教え」をも意味します。
 人それぞれが「仏になる可能性」、すなわち仏性をそなえているのです。それを少しでも発揮しようとする場が、この人生でありましょう。そして、その人生は一日一日の積み重ねにほかなりません。日々の心がけ、それが人生の幸不幸を決定するのです。(「人生、心がけ」より)

【9月18日 祈り】
 法華経にふれ法華経を行じて五十年になるけれど、これまでに、私は自分のために祈ったことはないんだよ。自分の使命を果たさせていただきたい、というのが私の祈りでね。世界の平和に貢献させていただくこと、そして信者のみなさんにうしろ姿でお導きのできる人になってもらうことが私の使命だからね。
 だいたい神さまや仏さまに何かをかなえてもらおうという祈りは本当じゃない。神さま仏さまの願いにそって生きるということ、そのために祈りが大事なんですよ。(「ただひたすらに」より)

【9月17日 ほんとうの下がる心と謙虚さ】
 心の底の底には仏の分身だという大自信を持ちながらも、いや、そういう大自信があればあるほど、その本性を顕現できぬ現実の自分の至らなさを歎(なげ)かざるをえません。その反省が、その歎きが、ほんとうの下がる心なのです。(「佼成」より)

【9月16日 人類を幸せに導く教え】
 山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)という教えのとおり、法華経はすべてを認め生かしていく教えであり、人間ばかりか、山も川も草や木など、ありとあらゆるものに仏性があり同じいのちを与えられているのだという教えです。対立ではなく、それぞれの持ち味を生かしつつ共に生きる、それが法華経の教えです。
 この思想こそ現代を救うものです。対立や抗争の世界を協調と寛容を基にした平和な世界に変えるのは法華経の教えであり、人類を幸せに導くのも法華経の教えです。(「三霊山瞑想」より)

2016年「復興親子団参」より(縮小版)

2016年 仙台教会「復興親子団参」より

【9月15日 全人類総菩薩化運動(ぜんじんるいそうぼさつかうんどう)】
 私たちには、〈本仏釈尊〉のおことばを実行すべき大使命があると確信いたします。この大使命は、まず足元の第一歩である〈おのれの自身の改造〉から始まり、やがて、家庭・社会・国家・世界の救済へと拡大されるべきものです。
 すなわち、〈国民皆信仰(こくみんかいしんこう)〉は〈人類皆信仰(じんるいかいしんこう)〉となり、〈全会員菩薩道実践運動〉はさらに拡大されて〈全人類総菩薩化運動〉となるべきものです。(「本尊観の確立のために」より) 

【9月14日 人生の二本柱】
 どんな仕事でも、ふだん自信にあふれていても、その自信が土台から突きくずされるといった場面に、人生では幾度もぶつかります。そういうときに、自分で自分を信じる、いわば一本柱の土台がいかに心もとないものか、思い知らされます。
「自分にできる精いっぱいの努力をしたのだから、あとはおまかせしていれば、必ずお守りいただけるのだ」という、もう一つの支えができると、二本の柱でしっかりと立った土台ができてきます。そうなると、ちょっとやそっとのことで大きくくずれる心配はまずありません。(「開祖随感」より)

【9月13日 生きがいと功徳】
 毎日毎日、ささいなことでありますけれども、自分のできる範囲において、人さまに対して、社会に対して貢献させてもらう。そういうところに生きがいを感じていく。そういう功徳を積み上げていくところに、仏さまの終極の願望であるところの寂光土、すなわち平和な世界というものができるんです。(「一乗-大らかに、夢、堂々」より)

【9月12日 仏さまは信じきっている】
 お釈迦さまは、一切衆生悉有仏性と、もう私たちを信じきっていなさる。疑わない。そして、私たちが気づくまで辛抱づよく待っていてくださる。だから、それをありがたいと素直に受けとめればいい。(「ただひたすらに」より)

【9月11日 絶対的な信】
 絶対的な信の対象となるべきものは、絶対的な真理であり、絶対的な実在です。宇宙のすべてのものを存在させ、生かし、はたらかせている根源の真理、根源の実在です。宗教的なことばでいえば、宇宙の大生命であり、真如であり、久遠実成の本仏です。このほかには、絶対の信をもちうるものはありません。ありえないのです。(「躍進」より)

【9月10日 仏教の目的】
 われわれが信奉し、布教している仏教の目的は、個人的にいえば、身の上にどんな事態が生じようと、取り巻く環境が変わろうと、あわてふためくことなく、ドッシリと落ち着いた気持ちで自分自身の生き方(宇宙が自分に与えた存在価値)をつらぬいていけるような人間になってもらうことにあります。
 法華経の教えの神髄を悟れば、事実そういう人間になれるのです。なぜならば、自分は宇宙の永遠のいのち(久遠実成の本仏)の分身であり、現象のうえでどう変化しようと、真実の自分は永遠不滅の生命である…という大自信を持つことができるからです。(「躍進」より) 

【9月9日 仏さまのご本願】
 如来寿量品はつぎのお言葉で結ばれています。
「毎(つね)に自ら是(こ)の念を作(な)す 何を以てか衆生をして 無上道に入り 速(すみや)かに仏身を成就することを得(え)せしめんと」
 仏さまが娑婆世界に姿を現わされるのは、どうしたらみんなを仏の道に導き入れることができるか、どうしたら早く仏と同じ心境にさせることができるか―その願いをかなえるためなのです。仏さまのご本願がここにあるのです。
 私たちのまわりには、いつも仏さまがいらっしゃることを自覚し、そのお慈悲を素直に受け、仏さまのみ心にそって実践できる自分にならなければなりません。(「三霊山瞑想」より)

【9月8日 お題目のこころ】
 われわれが〈南無妙法蓮華経〉と唱える一念の中には、妙法蓮華経に教えられた真理の尊(たっと)さ、それを説かれた釈迦牟尼世尊の尊さ、そして当の妙法蓮華経の尊さに、帰依し、帰命する心が、すべてこもっているのです。この三つの帰依の心が揃っていないお題目は、完全なお題目とはいえません。(「新釈法華三部経」より)

【9月7日 一切衆生はわが子】
 法華経という経典ではお釈迦さまは、「一切衆生はわが子である」とおっしゃっています。生きとし生けるものが仏の子であるということは、現代風に言えば、すべての人が仏さまの遺伝子を受け継いでいる、ということになりましょう。多くの人がそれに気づかぬままに一生を終わってしまうのですが、こんな勿体ないことはありません。(「人生、心がけ」より)

【9月6日 「生かされている」という真実】
 この大宇宙のあらゆるものを生かし、働かせている究極を“久遠実成の本仏”とわたしたちは申し上げます。人類すべては久遠実成の本仏によって生かされていると考えることができます。
 この「生かされている」という真実を悟り、それを喜びとし、それに感謝し、「生かされているからには生かされているように素直に生きよう」というのが、あらゆる宗教の本義だとわたしは信じます。(「佼成」より)

【9月5日 本仏の姿を見る】
 本仏を信じてその教えを実践しようとする人は、見聞きすること経験することのすべての中に、本仏の姿を見、その説法を聞くことができるのです。(『庭野日敬法話選集』別巻)

【9月4日 つねに存在しておられる】
 仏こそは絶対の存在です。われわれの内にも、外にも、ありとあらゆるところに存在し、無限の過去から無限の未来まで、つねに存在しておられるのです。(『庭野日敬法話選集』別巻)

【9月3日 大本の力・大本の生命】
 われわれが離れようとしても離れられないもの、われわれを生かしてくださる大本の力・大本の生命が、仏さまなのです。(『庭野日敬法話選集』別巻より)

【9月2日 人間はすべてに生かされている】
 人間は天地の万物に生かされている。太陽に生かされ、空気に生かされ、大地に生かされ、水に生かされ、森林に生かされ、農作物に生かされ、魚たちに生かされている。お互いに生かされ合っているんです。人間も動物も、草木も、そのほかあらゆるものは、万物の根底にある仏のいのちに生かされているのです。(「躍進」より)

【9月1日 本仏釈尊とは】
 本仏釈尊は、五百塵点劫(ごひゃくじんでんごう)という久遠の昔から成仏されている無量の寿命をもった常住不滅の仏であって、宇宙に存在するすべてのものの中にあって、すべてのものを生かしている宇宙の大生命・大真理にほかなりません。
 現実の娑婆世界(しゃばせかい)に人間としてお生まれになり、出家成道されて一切衆生に真理の教えを説き、やがて涅槃(ねはん)におはいりになられたお釈迦さまは、この本仏釈尊が人間のお姿をとって応現(おうげん)された仏です。(「本尊観の確立のために」より)

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