「認め、讃えるものは、いのちの本質である“仏性”」教会長 近藤雅則(平成29年7月)

7月号 挿入

 機関誌『佼成』7月号の庭野日鑛会長の法話は「相手を認め、讃える」というテーマでした。この中で、深く心に響いたのは次の言葉です。

☆仏法を学ぶ私たちにとって、人を認め、讃えるとは、相手の「いのち」を讃歎することではないでしょうか。

☆相手をほめるというのは、自分の心を開くことです。・・・人を認めて讃えることも、じつは人のためではなく、自分を磨く実践の一つといえるかもしれません。

 今月のご法話は、法華経の核心ともいえるものだと思います。その人の能力や特技、地位や功績なども大切ですが、本当に認め讃えるものは、いのちの本質である“仏性”なのです。

 お釈迦さまが悟りを開かれた際、「奇なるかな。奇なるかな。一切衆生ことごとくみな、如来の智慧・徳相を具有す。ただ妄想・執着あるをもっての故に証得せず」と発せられました。すなわち、仏の眼によって世界をご覧になると、何もかもが一変してしまったのです。人間はもとより、あらゆる動物も、植物も、みな仏と同じように尊い、光り輝く存在に見えてきたのです。すべての存在の実相を見極められた大いなる喜びに満ちた気持ちになられたと、伝えられています。

「仏の眼によれば」とありますので、「凡夫の眼で見れば」、逆にすべてが思い通りにならないことばかりで、どんな人を見ても、その人の欠点ばかりが眼につき、不足不満ばかりが生じてくるのかもしれません。しかし、法華経には「すべての人が、平等に尊い仏のいのち(仏性)を持っている」と教えられています。いったいどのようにしたら、その仏性が見えるようになるのでしょうか。開祖さまは、次のように述べておられます。

仏教のほんとうの生命というのは何かといえば、「一切衆生悉有仏性(すベての衆生に、仏性がある)」ということを、しん底から悟ることにほかなりません。すべては、そこから出発するのです(中略)

どんな人にも、必ず一片の人間らしさがある・・・・それが仏性の芽です。罪業の塵あくたに深くおおいかくされ、汚れはてたその心の中から、ほんの一点だけ仏性がのぞいているのです。暗い牢獄の壁にある小さな明り窓です。そういう明り窓を持たない人間というものはないはずです。

人を見たら、その一点の明り窓を見つける。そしてその明り窓を讃歎する。讃歎することによって、その人を自分の明り窓に気づかせる。明り窓に気づいた人は、もっと光を入れたい、もっと光を入れたいと、ひとりでに明り窓をおしひろげていくでしょう。これが「仏性を拝み出す」ことであり、「自らの仏性を自覚する」ことです。そして、人の「仏性を祥み出す」ことこそ、菩薩行の大眼目なのです。そこに生きた仏教があるのです。(法華経の新しい解釈529頁)

 私たちは、日々の生活の中で(家庭で、職場で、地域で、病院などで)、自他の仏性を認め、一点の明かり窓を見つけ出し、讃えるよう努めていきましょう。

合 掌
平成29年7月1日
立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則

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