“今をどう生きる?” 教会長 近藤雅則(平成31年4月)
- 2019/4/1
- 心を創る
『佼成』二月号で紹介され、また本ホームページでも昨年12月「青年が創る」にてご紹介した藤原英理花さんが、先月亡くなられたということです。彼女は、自ら癌と闘いながら、同じ病気を患う人たちを支えたいと発心し、写真撮影サービス会社を立ち上げました。プロのカメラマン、ヘアメイク、スタイリストの力を借りて、絶望の中から最高の今を見つけ出し、希望と可能性を届ける活動を続けたのです。彼女の冥福を祈るとともに、彼女が私たちに伝えてくれたものを大切にしていきましょう。
さて、今月の会長法話は、「香る風のような人に」がテーマ。
「栴檀(せんだん)の香風(こうふう) 衆(しゅう)の心を悦可(えっか)す」という「妙法蓮華経・序品第一」の一節が紹介されています。「栴檀のよい香りが人々の心を悦ばせるように、仏さまの偉大な徳から醸し出される尊い雰囲気が人々の心を感化する」という意味だと思います。
その人が入ってくると、なぜか不思議と場の雰囲気が和やかになったり、明るくなったりする人がいます。それも“徳”というものなのでしょうか。私はそのような人に少しでも近づきたいと願っています。そのためには、「与えられた環境の中で運命を呪わず、不平不満をいわず、最高最善の努力をすること」だと心に刻んでいます。
よく、徳があるとかないとか言いますが、庭野会長は、『私たちがいま、この世に一つの命を授かって生きているというのは、大自然の徳はもちろん、先祖や親の徳をいただいているからです。一人ひとりが、すでに豊かな徳を具えているということです。ですから私たちは自らの「徳分」に気づけばいいだけです。気づいて、それを成長させれば、だれもが香風を運ぶ「徳のある人」になれるのです』と言われています。
「すでに豊かな徳を具えている」ということばに、大きな勇気が湧いてきます。私たちは、「私は徳がない」と自分を卑下し、落ち込むことがよくあります。しかし、今こうして生かされて生きているかぎり、すでに徳が具わっているというわけです。そして、生きている意味や役割もあるように思います。
“与えられている命をどう使うのか”。これは、すべての人が命ある間に見つけ出すべき「人生の重要なテーマ」と言えましょう。藤原英理花さんが私たちに伝えてくれたものとは、この「人生の重要なテーマ」に対する彼女なりの回答ではないでしょうか。
宗教の目的は、一人ひとりがその回答を見出すことだと思います。その意味で、私は今、宗教しています。
平成31年4月1日
立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則