“すべての現象は仏の説法!” 教会長 近藤雅則(令和元年6月)
- 2019/5/31
- 心を創る
今月の会長法話は、「仏の教えを習い、学ぶ」がテーマ。
「諸仏(しょぶつ)の法(ほう)是(かく)の如(ごと)く 万億(まんのく)の方便(ほうべん)を以(もっ)て 宜(よろ)しきに随(したが)って法を説きたもう 其(そ)の習学(しゅうがく)せざる者は 此(こ)れを暁了(ぎょうりょう)すること能(あた)わじ」という「妙法蓮華経・方便品第二」の一節が紹介されています。意味は「仏の教説というものは、無数の方便を用い、それぞれの人にふさわしい適切な方法で法を説かれるものです。それを学ばない人は、なかなかその真意を悟ることができない」ということです。
また、「習学」は知識を得るものというよりも、実践を繰り返すなかで「仏の教えにそった生き方を身につけていく」ものという箇所が大切だと思います。
信仰は理論理屈ではありません。実践です。どんなに小さなことでも実践することで功徳が得られるのです。しかも、その実践が身にくまで習慣づけることが大切です。意識しなくても、自然と真理にかなった、調和のとれた正しい言動ができるようになれば、人間関係がうまくいくようになります。そして、あらゆる面で楽々と生きていけるようになるのです。
それには、実践を繰り返すこと、続けること、途中で止めないことが大切です。頭で理解しただけで、中途半端な実践では、本当の功徳を得るには至らないのです。
私たちの周囲に起こる出来事や出会う人とのご縁は、すべて自分にふさわしく生じているものです。極端に表現するならば、目にするもの、耳に聞こえてくるもの、すべてが自分にピッタリふさわしく現れている。そして、自分が成長するために必要なものです。仏教的に言えば、「すべての現象は、仏さまの説法」と言うことです。
たとえば、出会う相手が素晴らしい人だと感じたならば、お手本として、自分も同じようにまねようと受けとめる。逆に嫌な人だと感じたならば、反面教師として、自分も同じだと謙虚に反省することです。
『常住此説法(じょうじゅうしせっぽう)』というお経の言葉があります。「仏さまは常に私たちのそばにいてくださり、私たちに必要な説法をしてくださっている」ということですが、私たちの心が、欲や怒り、自分本位な心でいるときは、その仏のさまの声は聞こえてきません。周囲に起こる出来事や出会う人とのご縁のすべてが“仏さまの説法”として感受できるよう、常に素直で、謙虚な心をたもっていきましょう。
2019年6月1日
立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則