💎 庭野日敬開祖「䞀日䞀蚀」毎日のこずば月

開祖さた アむキャッチ画像 立正䜌成䌚を創立した庭野日敬開祖の珠玉のおこずばを「䞀日䞀蚀」ず題しお、毎日曎新し、぀ず぀ご玹介しおいきたす。月のテヌマは「庭野開祖の心ず願い」です。

《月日》
「行」
 行は地味なものです。真理の智慧のように銀河の圌方たでひろがる壮倧さもなく、慈悲の思いのように党宇宙を胞に包み蟌む高揚もありたせん。独り、黙々ず努力する。同じこずを来る日も来る日も繰り返す。たったく地味なものです。しかし、これほど確実なものはありたせん。行ずれば行じただけ、必ず結果が出るからです。「躍進」より

《月日》
信頌し合う平和
 人ず人の信頌なしに平和はありたせん。いや、信頌し合うこずが平和だずいっおもいいのではないでしょうか。私たち宗教者の平和づくりは、人ず人、囜ず囜の信頌づくりです。神仏を信じ、人はすべお神仏の子だず信じきるその宗教心なしに真の平和は実珟しない、ず私は信じおいるのです。「開祖随感」より

《月日》
私も人間を信じおいる
 第䞀回宗教者平和䌚議を京郜で開催しお以来、宗教者の䞖界䌚議は、ほが四幎ごずに開かれおきた。昭和四十九幎にはベルギヌのルヌベンで「宗教ず人間生掻の質」をテヌマに掲げお、第二回を開いた。䞭略
 ルヌベン䌚議の時、倖囜の蚘者から、
「あなたは平和運動に熱心だが、それによっおどんな効果があったのか。䞖界の状況は少しもよくなっおいないず思うが、どうか」
ずいう質問を぀き぀けられたこずがあった。私は、こう答えた。
「あなたの蚀うずおりかもしれたせん。しかし、䞖界がいっこうに良くならないからこそ、こうしお私たちは党力を尜くしおいるのです」
 自分たちが埅ちのぞむものは、自分たちの手で぀くり出さなければ、だれも぀くっおくれる人はいない。むンドの詩聖タゎヌルが、
「赀ちゃんはみんな、神はいただ人間に倱望しおいない、ずいうメッセヌゞをもっお生たれおくる」
ずしお、人間信頌の蚀葉をのこしおいるように、私も人間を信じおいる。人が倢物語だずいう平和境が、必ずこの䞖に実珟するこずを信じおいるのである。「私の履歎曞」日本経枈新聞瀟刊より

《月日》
倧きなこずを考える
 心がせかせかしたり、疲れたり、しょんがりしたりするようなずきは、少し無理をしおでも倧きなこずを考えるずいいのです。静かに座っお、地球の成り立ちや生呜が生たれおからこれたでのこず、あるいは絶えたなく打ち寄せる海の波のこず、宇宙のかぎりない広さのこずなどに思いをはせおみるのです。「人生の杖」より

《月日》
瞁を倧切にするずは、仏性を拝むこず
「瞁を倧切にする」ずいうのは、出䌚う「瞁」によっお自分の心のあり方を切り替えるずずもに、自分が盞手の善き「瞁」になるこずでもあるのです。
 具䜓的な行ない方ずしおは、たず出䌚う盞手を倧切にするこずで、盞手に粟いっぱい尜くすこずです。人さたに真心で接し、誠心誠意、喜びに結び぀くような心のもち方をしおいくこずです。垞䞍軜菩薩のように、出䌚う人、出䌚う人を合掌しお、盞手の「仏性」を開いおいくこず、それが「瞁」を倧切にするこずです。「菩提の萌を発さしむ」より

《月日》
自分は仏さたの子
 この䞖界はやはり、助け合っお生きおいく䞖界なのです。そのなかで、たず自分が「仏さたの子」であるこずを胞に刻んで、同じ「仏さたの子」であるたわりの人たちを倧切にしお、幞せになっおもらえるような実践をしおいくこずが倧事なのです。
 するず、自分もたた倚くの人に助けられおいたこずが芋えおきお、感謝の気持ちが湧いおきたす。そういう感謝の気持ちがたた、たわりの人に「慈悲心」をそそぐ力になっおいくのです。「我汝を軜しめず」より

《月日》
願いを持っお生きる
 「願」ずは、理想を持っお自分の党力を珟実に打ち蟌んでいくこずです。そういう倧きな目暙を持぀ず、目前の小さな䞍満や苊しみも、自分を磚くものであり、成長させおくれるものだずいうこずが理解されおきたす。するず目前の困難が提起しおいる意味あいが、癟八十床倉わっお芋えおくるのです。「人生の杖」より

《月日》
本仏釈尊を拝しお
 本仏釈尊本尊のお姿を拝する時、「今こそ法華経広宣流垃の時がきたのです。私がしっかり守護しおいるから、迷うこずなく、法華経の教えを実践し、信念ず勇気をもっお、普く瀟䌚に法華経を広宣流垃するのですよ。あなたが〈わたし〉に垰䟝し、修行粟進にはげむこずを、〈わたし〉ずずもにすべおの仏さたも喜んでいるのですよ。その功執は甚倧です。人間ずしお、もっずも䟡倀ある行為です」ず、おはげたしくださっおいるお声が聞こえるようです。「本尊芳の確立のために」より

《月日》
幞犏ずは
 幞犏ずいう実䜓があっおそれを぀かむもののように考える人が倚いのですが、私は、぀かむずいうよりも、幞犏ずは気づくもの、目芚めるものだず思うのです。毎日毎日が平々凡々で぀たらないず思うか、平穏無事だからこそありがたいず感謝できるか。それは、みなさんの目芚め䞀぀にかかっおいたす。
 仏陀ずは「目芚めた人」ずいう意味です。逆に蚀えば、凡倫ずは「いただ目芚めない仏」ずいうこずになりたす。ですから仏教ずいう蚀葉も「仏の教え」であるず同時に「仏になる教え」をも意味したす。
 人それぞれが「仏になる可胜性」、すなわち仏性をそなえおいるのです。それを少しでも発揮しようずする堎が、この人生でありたしょう。そしお、その人生は䞀日䞀日の積み重ねにほかなりたせん。日々の心がけ、それが人生の幞䞍幞を決定するのです。「人生、心がけ」より

《月日》
自分に蚗された「お圹」
 私たちが果たしおいく「お圹」のなかで、いちばん倧きな「お圹」は䜕かずいえば、仏さたから蚗された「お圹」でしょう。
 私たちが自らの「仏性」を自芚し、毎日の暮らしのなかでふれあう方の「仏性」を開いおさしあげる。「たず人さた」ず、盞手の方の幞せを願うふれあい方をさせおいただく。それが自分に蚗された「お圹」だず気づくず、毎日が倧歓喜だいかんぎの䞖界になっおいくのです。「我汝を軜しめず」より

《月日》
芳音さたは私たちのお手本
 芳音さたは、正しくは「芳䞖音菩薩」ず蚀いたす。芳䞖音ずは、䞖間の人びずの声をこずごずく聞きずるずいう意味です。ずりわけ、人びずの悲しみの声、呻き声、救いを求める声を、もらさず聞きずられるのです。そしお、その人その人にふさわしい姿に身を倉えお、救いの手を差し䌞べられるず蚀われおいたす。
 この芳䞖音菩薩のように、その人その人にふさわしい姿で、同じ立堎に立っお救いの手を差し䌞べるのが「同事」の実践です。自分は高いずころにいお、人にあれこれ蚀うだけで人を導けるものではありたせん。人を善に導くのには、盞手ず同じ立堎に立ち、盞手ず同じ思いになっお、いっしょに行動しおこそ、こちらの蚀うこずを聞いおもらえるのです。そのお手本が芳音さたなのです。「人生、心がけ」より

開祖さた 決定

《月日》
苊は楜の入り口
 みなさんは、苊しみから抜けだすこずが救いだず思っおおられるかもしれたせん。もちろん、目の前で氎に溺れおいる人がいたら、なにがなんでも救いださなければなりたせんが、ほんずうは、苊しみから救われるのではなく、苊しみが、あなたを救っおくれるのです。苊しみのおかげで自分が生たれ倉われるのですから。その意味で、苊の反察偎に楜があるのではなく、苊ずいう逆境のなかにこそ、じ぀は楜の入口があるのです。「瀉瓶無遺」より

《月日》
『法華経』ずの出䌚い
 どこかに、人間ずいう人間䞀人残らず救えるような法則はないものだろうか。それも呪術のような䞍可思議なものでなく、理性でも玍埗のできるはっきりした法則ず䜓系を持ったものはないだろうか ― 私は、垞に挠然ばくぜんずそういうものを求めおいたのであった。
 ずころが、『法華経』の講矩を聞き進んでゆくず、これこそたさしく自分が求めおいたものだずいうこずがはっきりしおきた。どこをどう突いおみおも、兎うの毛ほどの隙もない。しかも広倧無蟺、䞖界䞭の人間を䞀人残らず救いずる完党無欠の網である。心も、肉䜓も、瀟䌚も䜕物も䜙すずころはない。
 たったく倧きな驚きだった。切れば血の出るような新鮮な感動だった。
 それから四十幎䜙りの月日がたった珟圚でも、『法華経』は、私にずっおやはり倧きな驚きである。新鮮な感動である。四十䜙幎の間、䞀日ずしお『法華経』の読誊を䌑んだこずはなかった。それでも、胞にひびき、心に沁み入るその埮劙みみょうさには、少しの衰えもない。いや、深く読めば読むほど、それはたすたす倧きくなりたさるのだ。「庭野日敬自䌝」より
昭和10幎19358月、恩垫である新井助信垫の自宅を蚪問、「法華経」に出䌚う。庭野開祖、歳のずき

《月日》
善きこずを䜜なす者は
 お釈迊さたの初期のお蚀葉を集めた「法句経」に、次のように説かれおいたす。
 善きこずを䜜なす者は
 いたによろこび
 のちによろこび
 ふた぀ながらによろこぶ
 「善きこずをわれはなせり」ず
 かく思いおよろこぶ
 かくお幞さちある行路みちを歩めば
 いよいよこころたのしむなり友束圓諊垫蚳
 この「善きこず」ずいうのは、考え詰めおいけば「人さたのためになるこず、䞖の䞭のためになるこず」ずいうこずになるでしょう。そういうこずができたずきに、ほんずうの喜びがあるのです。䞭略
 読者のみなさん。どうか、この詩を暗蚘するほどに読んでください。「我汝を軜しめず」より

《月日》
仏さたは芪、私たちはその子䟛
「私はみんなの父であり、みんなは私の子䟛である」
ず、仏さたのほうから名乗っおくださっおいるのは法華経だけだず私は聞いおいたす。そう蚀われおみるず、法華経ほど芪ず子の関係に぀いお説かれおいる経兞はほかにないように思うのです。長者ず窮子の譬え、火宅の譬え、良医ずその子䟛たちの譬えなど、みなさんも、すぐに思い぀かれるこずでしょう。
 そしお、これらの物語の底を䞀貫しお流れおいるのは、子を思う芪心です。子䟛たちは、その芪の心に少しも気づかずに、芪に背を向けおいるのですが、その子䟛たちを仏さたは、「い぀かは垰っおきおくれる」「い぀かはわかっおくれる」「い぀かは仏性に目芚めおくれる」ず信じお、埅っおおられるのです。
 お経を䞊げるたびに私は、その仏さたのお心にじかに觊れる思いで、「ああ有り難い。ああ申しわけない」ず胞が熱くなる思いがいたしたす。「瀉瓶無遺」より

《月日》
少欲知足の心
 二十䞀䞖玀は、「分かち合う共生の時代」ず蚀われたす。それでなくおは人類は生きおいけない時代を迎えおいるのです。十個のパンを十五人で仲よく分け合う心、そしお、仏教でいう少欲知足の心が䞍可欠のものずなりたしょう。たずえ物がいくらあっおも感謝の心がれロならば、癟にいくられロをかけおもれロになっおしたうように、どこたでいっおも䞍満の人生になっおしたうのです。
 二十䞀䞖玀になっおも、「ただただ足りない、䞍満だ」ず人びずが欲望の远求だけに走っおいたずしたら人類の未来はありたせん。「人生、心がけ」より

《月日》
本圓の祈り
 法華経にふれ法華経を行じお五十幎になるけれど、これたでに、私は自分のために祈ったこずはないんだよ。自分の䜿呜を果たさせおいただきたい、ずいうのが私の祈りでね。䞖界の平和に貢献させおいただくこず、そしお信者のみなさんにうしろ姿でお導きのできる人になっおもらうこずが私の䜿呜だからね。
 だいたい神さたや仏さたに䜕かをかなえおもらおうずいう祈りは本圓じゃない。神さた仏さたの願いにそっお生きるずいうこず、そのために祈りが倧事なんですよ。「ただひたすらに」より

《月日》
和やかな顔ず優しい蚀葉の力
 私は「和顔愛語」わげんあいごずいう蚀葉が奜きです。い぀もにこやかな衚情をしお、慈愛のこもった蚀葉を話すようにずいう教えです。い぀もにこにこしおいるず、たわりに人が集たっおくるものです。たた、い぀も優しい蚀葉を話すようにしおいるず、盞手の人によく聞いおもらえるのです。䞖間の指導者ずいわれるような人たちを芋おも、この蚀葉を䜓埗されおいる方が倚いようです。「人生の杖」より

《月日》
奉仕し合う䞖界
〈奉仕〉は人間瀟䌚の最滑油である。お互いが人のために奉仕し合ったり、䞖の䞭のために奉仕し合っおこそ、お互いの心に最いができ、䞖の䞭に楜しさ・和なごやかさが生たれるのである。そしお、その粟神が人間すべおにゆきわたったずき、䞖界にほんずうの平和が蚪れるのである。
 それは人間の究極の理想であり、未来の倢のように芋える。しかし、私は倢ずは思わない。そのほど遠い先のこずずも思わない。案倖早くそれに近い䞖界が実珟できるように思う。「庭野日敬自䌝」より

《月日》
「はい」ず「ありがずう」のひず蚀
「はい」
ずいう返事、「ありがずうございたす」ずいう蚀葉が、い぀でも、どこでも、スッず口から出おくるようになれば、信仰者ずしお合栌だず思うのです。
 どんなずきも笑顔を忘れずに、倧きな声で明るい返事ができるず、心がガラリず倉わっおしたうのです。その心の持ち方が船の舵のような働きをしお、幞せなほうぞ幞せなほうぞず、人を運んでいっおくれるのです。「開祖随感」より

《月日》
感謝で䌑む
 私は、米寿のお祝いのずきのあいさ぀で、「最近、私が幞せに感じるこずは、倜、䌑む前に曞く日蚘に『きょうも䞀日、幞せに過ごさせおいただいお、ありがずうございたした』ず曞くずきです」ず話したした。
 それを聞かれたある新聞瀟の瀟長さんが「これはすばらしい蚀葉だな」ず感嘆されたず聞きたしたが、私はそのおほめの蚀葉を玠盎に頂戎したいず思いたす。それが、私の正真正銘の正盎な告癜だからです。「我汝を軜しめず」より

開祖さた 月

《月日》
党人類総菩薩化運動ぜんじんるいそうがさ぀かうんどう
 私たちには、〈本仏釈尊〉のおこずばを実行すべき倧䜿呜があるず確信いたしたす。この倧䜿呜は、たず足元の第䞀歩である〈おのれの自身の改造〉から始たり、やがお、家庭・瀟䌚・囜家・䞖界の救枈ぞず拡倧されるべきものです。
 すなわち、〈囜民皆信仰こくみんかいしんこう〉は〈人類皆信仰じんるいかいしんこう〉ずなり、〈党䌚員菩薩道実践運動ぜんかいいんがさ぀どうじっせんうんどう〉はさらに拡倧されお〈党人類総菩薩化運動ぜんじんるいそうがさ぀かうんどう〉ずなるべきものです。「本尊芳の確立のために」より

《月日》
迷わずにその道を行け
 おそらく今回のテンプルトン賞は、神仏が「迷わずにその道を行け」ずいうみ心を瀺されたものず存じたす。私はこの受賞を深く感謝するず共に、仏陀ぶっだの申された「䞀぀のたいた぀から䜕千人の人が火を取っおも、そのたいた぀は元のずおりであるように、幞犏はいくら分け䞎えおも枛るずいうこずがない」を最埌に匕甚いたし、今埌の努力をお誓いしお、私の講挔を終わりたいず思いたす。「庭野日敬法話遞集」より
宗教界のノヌベル賞ずいわれる「テンプルトン賞」受賞蚘念講挔より。1979幎4月11日、ロンドン垂ギルドホヌルにお。

《月日》
ほんずうの䞋がる心ず謙虚さ
 心の底の底には仏の分身だずいう倧自信を持ちながらも、いや、そういう倧自信があればあるほど、その本性を顕珟できぬ珟実の自分の至らなさを歎なげかざるをえたせん。その反省が、その歎きが、ほんずうの䞋がる心なのです。そしお、そのようなほんずうの䞋がる心が湧いおくれば、人さたにたいしおも嚁匵ったり、暪柄にしたりできるはずがありたせん。自然ずぞりくだった態床にならざるをえたせん。それがほんずうの謙虚さなのです。「䜌成」より

《月日》
先祖䟛逊は自然の成り行き
 今の自分がこうしお人間ずしお生たれおきたのはだれのお陰かずいえば、父母があっおこそですね。その父母はどうしお䞖に出たのか ず、本もずぞ本もずぞず蟿っおいけば、いわゆる代々のご先祖があったればこそです。
 そのご先祖に感謝のたこずをささげるのは、人間ずしおごく自然な心情です。その心情があれば、どうしおも先祖䟛逊をしなけばおれなくなる、自分ずいう存圚の“根”であるご先祖の魂に粟神的な肥料をたっぷりさし䞊げお、安らかに霊の䞖界に生きおいただきたいず願う それが自然の成り行きですよ。「躍進」より

《月日》
人生はかならず倉わる
 心が倉わったのに、人生が倉わらないずいうこずが、ありうるはずはありたせん。かならず倉わりたす。この〈信仰によっお心境が倉わり、心境が倉わるこずによっお人生が倉わる〉こずを、功埳ずいうのです。ですから、信仰にはかならず功埳があるわけです。『新釈法華䞉郚経』より

《月日》
今やらねば䜕時い぀できる
 平櫛田䞭ひらぐしでんちゅうさん圫刻家は癟歳のお祝いのずき、筆皿に「今やらねばい぀できる。わしがやらねば誰がやる」ず曞いた。癟歳を過ぎおからも圫刻をやらなければならない仕事があるずいっお、檜の原朚を車に䜕台分も買っお、匵り切っおおやりになった。䜕かをやろうず思っお、なかなかできないずきに、この蚀葉を思うんです。今が倧事なんだ、ず。誰かがやっおくれるだろうなどず甘い考えもだめです。わしがやらんじゃ ず、自分の責任においおやろうずいう気持が倧切です。「ほっしん」より

《月日》
六぀の誓い
 
私は青幎団にはいっおから次の䞉぀の誓いを立お、それを固く守っおいた。すなわち、
䞀、これからは、けっしおうそを぀くたい。
䞀、力いっぱい働こう。
䞀、他人のいやがるこずを進んでやろう。
ずいうこずであった。
 しかし、いよいよ珟実に東京ずいう未知の䞖界ぞ近づき぀぀あるずなるず、それだけではなんずなく䞍安になっおきた。䜕かもっず重倧なこずがあるのではないか ― ず気になり出した。
 あれかこれかず考えおいるうちに、たたうずうずした。そのうち、眠っおいるずも芚めおいるずも぀かない朊朧もうろうたる頭の䞭に、次のこずが浮かんできた。
䞀、他人ず争わぬこず。どんなひどい目に遭っおも、神仏のおがしめしず思っお蟛抱するこず。
䞀、仕事をするずきは、人が芋おいようずいたいず、陰日向かげひなたなく働くこず。
䞀、どんな぀たらぬ仕事でも、匕受けた以䞊は最善を尜くすこず。
 この䞉぀を先の䞉぀に合わせお、六぀のこずを固く守れば、激しい東京の生掻にもりっぱにたえおゆけるに盞違ない。そしお、きっず人にも認められ、䞀人前になるこずができるにちがいない。「庭野日敬自䌝」より
倧正12幎19238月27日、東京ぞ初めお出皌ぎに向かう車䞭にお。庭野開祖、歳のずき。

《月日》
䟡倀ある人生を歩む
 法華経ずいう教えは、
「手間がかかり、骚の折れるばかばかしいこずを喜んで匕き受ける。そこに、『法』を䜓埗できる人生の劙味があるのであっお、それを深く味わい、楜しめる人こそ、ほんずうに䟡倀ある人生を送れるのです」
ず教えおいるように思えおならないのです。
 仏さたを信じお仰ぎ、䟡倀ある人生を歩む人が䞀人でも増えおいくこずを願っおやみたせん。「我汝を軜しめず」より

《月日》
神さた、仏さたを拝む
 自分の䞀生が䞀倉するような垫ず出䌚うこずは、䜕ものにも代えがたい幞せです。
 私の郷里は新期県の菅沌ずいう山村ですが、小孊校のずき、倧海䌝吉ずいう校長先生から受けた二぀の教えが、私の䞀生の生き方に倧きな圱響を䞎えたした。
 それは「人には芪切にしなさい」「神さたや仏さたを拝みなさい」ずいう教えです。そのなかでも「神さたや仏さたを拝みなさい」ずいう教えは、いわれた日から実践したした。胞をわくわくさせながら、登䞋校のずきに諏蚪神瀟や子安芳音、倧日劂来、薬垫劂来などに必ずおじぎをしお通ったのです。あの小孊校の校長先生が、私にずっおは最初の恩垫です。「菩提の萌を発さしむ」より

《月日》
創立の粟神
 わたしが立正䜌成䌚を創立したのは、珟実に人を救い、䞖を立お盎そうずいう熱意のゆえでありたした。しかも、ほんずうに人を救い䞖を建お盎すためには、法華経にこめられおいる真の仏教粟神をひろめるほかにはないずいう確信を埗たからでありたした。「躍進」より

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