💎 庭野日敬開祖「䞀日䞀蚀」毎日のこずば月

開祖さた 月決定

 立正䜌成䌚を創立した庭野日敬開祖の珠玉のおこずばを「䞀日䞀蚀」ず題しお、毎日曎新し、぀ず぀ご玹介しおいきたす。月も匕き続き『法華経』の教えをもずにした、自らの人生、家庭、瀟䌚、囜家、そしお䞖界をもより茝かせおいくための庭野開祖のお蚀葉を玹介しおいきたす。

《月日》
人間は䞀぀
 すべおの宗教の信仰者が、自分の宗教の本矩を深く究めおいけば、衚珟のうえのさたざたな盞違を突き抜けた奥に、必ず「人間は䞀぀」ずいう真理が語られ、「だから仲よく暮らすのが真理に合臎した生き方である」ずいう教えが説かれおいるこずを発芋できるはずです。
 そのようにしお、地球䞊のすべおの人間が、それぞれの宗教によっお人間存圚の根本を぀かみ、これたでの差別芳の方に片寄っおいた心を䞀䜓芳の方ぞ立お盎すこずができたずき、はじめおこの䞖に平和が蚪れ、ほんずうの幞犏がやっおくるでしょう。『䜌成』より

《月日》
あるべくしおある
 キリスト教では「神はこの䞖にむだなもの、䞍必芁なもの、悪なるものは創っおおられない」ず教えたす。仏教でいえば、この䞖の䞇物䞇象は偶然に生じたものはなく、䞀切のものは、あるべくしおあるものずいうこずになりたしょう。䞭略
 私たちは぀い、「いおもらわなくおはならない人」「いおもらっおは困る人」などず人を区別しがちですが、すべおの人が“仏の子”であるこずを、互いにしっかりず心に刻たなくおはなりたせん。自分で自分を「いおもらっおは困る人」にしおはならないのです。『開祖随感』より

《月日》
垃斜を日垞生掻の䞭で
 垃斜には財斜のほかに、法を説いお人を救う法斜、自分の䜓を䜿っお奉仕する身斜ずいうように、いろいろな垃斜がありたす。功埳を積たせおもらいたいずいう心を起こせば、だれもができる垃斜の方法が教えられおいるのです。
 お金のある人は、そのお金で人さたのお圹に立ち、頑匷な䜓を持぀人は、その䜓を䜿っお人さたの手䌝いをさせおもらう。お金にも䜓力にも恵たれおいないずいうのなら、にっこりず笑顔で朝の挚拶をするこずもお垃斜なのです。
 倕飯のずきに子どもが䞀日の出来事を芪に楜しく話すのもお垃斜なら、それをうなずいお聞いおあげるのもお垃斜です。生掻のいたるずころで垃斜の功執を積んでいけるのです。『開祖随感』より

《月日》
生きた方䟿
 仏教でいう方䟿ずは、仏さたが衆生を仏の智慧に導くための手だおのこずで、あくたでも悟りに至らしめるために甚いられるものです。さたざたな機根、性栌の人を、仏の智慧、悟りに導くために盞手に応じお皮々に法を説き分ける方䟿を瞊暪に駆䜿できるようになるのには、智慧が必芁です。そしお、その智慧に慈悲心が加わっおこそ方䟿が真に生きおくるのです。『開祖随感』より

《月日》
倉わるもの倉わらぬもの
 宗教には、どんなに時代が倉わろうず倉わるこずのない真理宗ず、その䞍倉の真理を、時代や人びずの意識の倉化に応じお、みんなが心から玍埗できるように説く教の䞡面がありたす。い぀の時代にも倉わらぬ真理をしっかりず芋極め、時代の倉化に翻匄ほんろうされるこずなく、しかも時代に察応した説き方を工倫しお、マンネリに陥るこずなく前進し続けなくおはならないのです。『開祖随感』より

《月日》
「救い」ずは
 救いずいうものは、われわれず、い぀いかなるずきでも共にいおくださる久遠実成の本仏を自芚するずころにこそあるのです。自分はその本仏に生かされおいるのだずいうこずを、心の底から確かに悟るずころにあるのです。
 その確固たる自芚ができおこそ、はじめおほんずうの心の安らぎが埗られる。ず同時に、いうこずなすこずがひずりでに本仏のみ心ず䞀臎しおくる。そこに呚囲ずの調和も生たれる。その調和の䞖界がだんだん呚囲ぞおしひろがっおいくに぀れお、そこの所が寂光土理想瀟䌚になっおいくわけです。『法華経の新しい解釈』より

《月日》
理想の境地に向かっお
 真理はひず぀であり、本仏はい぀でも、どこにでもおられたす。われわれすべおの人間がその真理を悟り、行じ、そしお久遠の本仏ず䞀䜓であるずいう実感をたざたざず埗るこずができるならば、たさに宇宙党䜓がひず぀の仏囜土ずなるのです。その理想の境地にむかっお、䞀歩䞀歩着実にすすんでゆきたいものです。『新釈法華䞉郚経』より

《月日》
法華経はすべおの教えを包容する教え
 どんな倧きな川でも、海の倧きさにはおよびたせん。いや、もずもず比范するこずができないのです。なぜならば、海ずいうものは、倧小すべおの川の流れを呑みこんでひず぀にしおしたうものであるからです。そかも、川の氎を濃瞮したずでもいいたしょうか、ひじょうに濃い内容の深いものに倉えおしたいたす。たた、海は䞖界じゅうにひろがった、ひず぀づきの満々たる氎であり、しかもあらゆる生呜の根源ずなっおいるものです。
 法華経も、やはりそのようなものであっお、あらゆる教えがそのなかに泚ぎこみ、䞀぀にずけあい、凝瞮されおいるのです。そしお、それは、この䞖のすべおのものを生かす倧慈倧悲の教えなのです。たこずに法華経は、倧海のごずき教えなのでありたす。『新釈法華䞉郚経』より

《月日》
法を説く者のめざす境地
 劂来は倧慈悲から法をお説きになるのですから、法惜しみなど埮塵もされないし、なにものをもはばかるずころなく、心にいささかのひっかかりもなく、悠々ずしお自由自圚にお説きになるのです。われわれも、劂来のこの境地ぞ近づくように、いっしょうけんめい努力しなければなりたせん。『法華経の新しい解釈』より

《月日》
「解げ」ず「信」が枟然ずしお䞀䜓になった境地
 われわれが「法華経」を孊ぶのは、孊問ずしお孊ぶのではありたせん。ですから、よく理解したずいっおも、それだけではほんものではないのです。「理解」から「信仰」ぞ進み、理解ず信仰すなわち「解」ず「信」が枟然ずしお䞀䜓になった境地たで達しなければ、自分がほんずうに救われ、たた䞖の䞭党䜓をも救うこずはできたせん。『法華経の新しい解釈』より

開祖さた 決定 月

《月日》
すべおの出発点
 仏教のほんずうの生呜いのちずいうのは䜕かずいえば、「䞀切衆生悉有仏性すべおの衆生に、仏性がある」ずいうこずを、しん底から悟るこずにほかなりたせん。すべおは、そこから出発するのです。『法華経の新しい解釈』より

《月日》
「良心」ずは
 仏教では、自己、぀たり人間の心に぀いお、二぀の方向からずらえおいたす。䞀぀は、ふ぀うに私たちがその存圚を認識しおいる心、いわば衚面にあらわれおいる心です。もう䞀぀は、衚面の意識ではずらえられないものの、だれもが生たれながらにもっおいる本来の心、すなわち「仏性」です。この「仏性」から自然に湧き出おくる倩地の道理に合臎した心、それこそが「良心」にほかなりたせん。『菩提の萌を発さしむ』より

《月日》
先祖䟛逊は未来のための䟛逊
 人間のいのちずいうものは先祖代々から自分ぞ、自分から子孫代々ぞず無限に続いおいくのです。肉䜓的にも粟神的にもね。ですから、先祖䟛逊をしお過去の人の魂を逊い、菩薩行の功埳を積んで珟圚の自分を向䞊させるこずは、぀たるずころ未来に生れおくる子䟛や孫を立掟に育おるこずに぀ながるのです。
 今、自分の目の前にいる苊しみ悩みをかかえおいる人ず真剣に取り組み、その問題を解決しおいく。そういう姿を子䟛や孫に芋せおいく これが、“未来に向けおの䟛逊”の最たるものなんです。その功執は甚倧なのですよ。ですからこの未来のための䟛逊ずいうこずこそが先祖䟛逊の神髄であるず、わたしは声を倧にしお匷調したいのです。『躍進』より

有り難う

写真はむメヌゞです

《月日》
自他䞀䜓の境地
 悩み苊しんでいる人を「救わねばならぬ」ず考えるうちはただ自他䞀䜓ではない。自然に手が出お、自然に抱きずっおやらずにはおれなくなる気持、これが自他䞀䜓です。䞭略
 わたしたちの日垞生掻においお、他人の苊しみを芋おは自分の苊しみず感じおそれを救っおあげずにはおられない心が自然に起こり、他人の喜びを芋おは自分の喜びずしお共に喜ぶずいう境地にお互いが達したら、䞖の䞭はどんなに䜏みよく、明るく、平和になるこずでしょう。『法華経の新しい解釈』より

《月日》
求 道
 真剣に道を求めれば、必ず䞎えられたす。そしお、道を求める修行そのものが、楜しくお楜しくお仕方がなくなるものです。これが求道の真骚頂です。
 もちろん、氞い間にはいろんな心理の動揺や“かげり”はありたす。䞭略道を求める心が匷ければ、䞀時的な心の動揺や“かげり”など、すぐケシ飛んでしたうもので、問題ではありたせん。『躍進』より

《月日》
最も有り難い教え
「久遠実成くおんじ぀じょうの本仏は垞にこの宇宙に満ち満ちおおられ、すべおの存圚はその分身であるから、どんな䞍幞に陥おちいっおいる人でも、自分は仏の子である。久遠の本仏に生かされおいるのだ、ずいうこずを思い出しさえすれば、仏の生かす力はよどみなくその人の心身に流れ蟌み、必ず幞せを埗るこずができるのだ」
ずいう真実を、お釈迊さたはご成道四十䜙幎にしお初めおお説きになったのです。ここが、法華経の最も有り難いずころです。
 この真実は、普通の人間にずっおはこの䞊もない救いです。「仏さたに生かされおいる」ず匷く、深く信じただけで、䜕ずも蚀えぬ倧安心が胞を満たし、生きる勇気が猛然ず湧き䞊がっおくるからです。『䜌成』より

《月日》
成仏ずは
 野菊が矎しい花を咲かせたならば、野菊ずしおの成仏であり、柿がおいしい実を実らせたならば柿ずしおの成仏です。人間ずおも同様であっお、それぞれの持っお生たれた倩分を充分に発揮し、持っお生たれた䜿呜を充分に果たしお、人さたのお圹に立ちさえすれば、それが成仏にほかならないのです。『䜌成』より

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《月日》
幞せぞのいちばんの近道
 䌝教倧垫に「己を忘れ他を利するは慈悲の極みなり」ずいう蚀葉がありたす。たた「奜果の暹は、衆鳥しゅうちょう垰り集たるが劂し」『智床論』㊟ずいう蚀葉もありたす。おいしい果実を぀けた暹には鳥が自然に集たるように、人の幞せを考えられる人のずころには、おのずから人が寄り集たっおくるずいうのです。
 人さたの幞せを考え、人さたのために自分を忘れおいるず、い぀のたにか自分も幞せになっおいるのです。じ぀は、これが幞せぞのいちばんの近道なのです。『人生、心がけ』より
㊟むンド倧乗仏教の論曞。著者は韍暹りゅうじゅ、150幎200幎頃。挢蚳は鳩摩矅什(くたらじゅう、344幎413幎)による。

《月日》
抜苊䞎楜ばっくよらく
 仏教を信奉する者は、仏さたのお心を自分の心ずし、すべおの人々にその仏心による慈悲の働きかけをしおいかなければなりたせん。慈悲心に぀いおはいろいろに解釈されおいたすが、䞀番わかりやすく蚀うず、それは〈抜苊䞎楜ばっくよらく〉の四文字に尜きたす。苊をなくしおあげるず同時に楜を䞎えおあげる。この二぀のこずが、仏教埒ずしお䞀番たいせ぀であっお、人さたを導くこずも抜苊䞎楜の菩薩行にほかならないのでありたす。『庭野日敬法話遞集』より

《月日》
菩薩ずは
 人間ずしおの喜びや楜しみを味わいながら、䞖間のために、地球䞊の党人類のために、互いに手を合わせ力を合わせお、䞖の䞭を明るくし、みんなが仲よく生きがいを感じ合っお、未来氞劫この䞖界を平和で豊かなものにしおいこうず努力する、それが菩薩行であり、たた菩薩ずしおの定矩になっおいるのでありたす。『求道』より

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《月日》
私たちはあえおこの䞖に生たれおきた
 この䞖で法華経に瞁のあったわれわれは、前䞖においお無数の仏さたのみもずにおいお修行し、すでに仏の悟りを埗た身であったのに、悩みを抱えお苊しんでいるこの䞖の人びずを芋るに芋かねお、それたで䜏んでいた安楜䞖界枅浄の土を捚おお、わざわざ汚濁おだくに満ちたこの嚑婆䞖界に生たれおきたのだ、ずいうこずです。
 なんず玠晎らしいこずでしょう。なんずいう有り難いこずでしょう。『䜌成新聞』より

《月日》
私たちの基本的な心構え
 自分が仏さたの子であり、仏性を持っおいるこずを、たずはっきりず意識する、そうすれば仏性開顕になるわけです。ではそうなるためにどうするかず蚀うず菩薩行の実践をするのです。菩薩行は圚家であり、凡倫である私達にもできる仕事です。経兞にみられる菩薩さたは、ただ仏さたのずころにたでは到達しおおりたせんが、仏さたに䞀番近いずころにいらっしゃいたす。ある意味からすれば、仏さたの教えを身をもっお実行し、仏さたの化身ずしお、その代わりをしながら毎日を生掻しおいるのが、菩薩さたず蚀っおいいでしょう。皆さんもどうかその菩薩さたになっおください。『求道』より

《月日》
信仰はなんのためにするのか
「信仰はなんのためにするのでしょうか」
ず蚀う玠朎な質問を受けたら、なんず答えたすか。「もちろん、ほんずうに幞せになるためです」ず答えるでしょう。さらに「ほんずうに幞せになるには、どうせよ、ず仏教では教えおいるのですか」ず問われるかもしれたせん。私ならば、ためらうこずなく「倩地の道理を知り、それに埓っお生きるこずです」ず、答えるでしょう。
 今ここに、䞀぀の問答をかりに蚭定しおみたわけですが、たたには、このような、信仰の原点に立ち返っお基本的な心構えを振り返っおみるのも、たいせ぀なこずだず思うのです。『䜌成』より

《月日》
心田を耕す
 お釈迊さたが托鉢に歩かれおいたずきのこずです。ある村長むらおさの家の前に立぀ず、そこの䞻人が、「私は田を耕し、皮をたいお、食を埗おいる。あなたも、自ら耕し、皮をたいお食を埗おはどうか」ず迫ったこずがありたした。それにお釈迊さたは、さらりず、こう答えられたした。
「私も耕し、皮をたいお、食を埗おいる」䞭略
「信はわがたく皮子である。智慧はわが耕す鋀すきである。身口意の悪業を制するのは、わが田における陀草である。粟進はわがひく牛である、行っお垰るこずなく、入っお悲しむこずなく、われを安らぎの心に運ぶ」
 倧地を耕しお豊かな収穫をあげるのが蟲業の営みですが、仏教は人間の心ずいう倧地を拓ひらき、うるわしい人栌を開発しお豊かな人間の営みを埗ようずする道なのです。いわゆる心田を耕すわけです。『人生、心がけ』より

《月日》
「信念」「信頌」そしお「蚌あかし」
「瞁」
を梵語では「プラティダダ」ず蚀いたす。梵英蟞兞で調べおもらいたすず、「信念ビリヌフ」ずか「信頌フェむス」「蚌プルヌフ」ず英蚳されおいるそうです。
「瞁」は、ふれ方いかんによっお善くも悪くもなりたす。自分にた぀わるすべおの瞁を善き瞁にしおいくのがその人に課せられた修行であっお、その修行の根本は信頌、誠実ずいう蚌を瀺すこずに尜きる、ずも解釈できたしょう。『人生、心がけ』より

《月日》
ほんずうの生涯
 われわれは日垞の仕事に远われおあくせく働き、たた身の回りに起こるさたざたなトラブルに右埀巊埀しながら日々を送っおいたす。それを䞀生のあいだ続けながら、぀いに死を迎えるのだず考えれば、なんずもいえない虚無感を芚えたす。自分はいったい䜕のために生きおいるのか ― ず、絶望的な気持ちになるこずもありたす。
 そのような時に、法華経の教えによっお「あなたのほんずうの生涯は仏になるためにあるのですよ。あなたには仏になる玠質が具わっおいるのですよ」ず聞かされるず、ハッず目が芚めたようになりたす。「そうか、わたしにも仏になれる玠質があったのか。この䞀生はそんな玠晎らしい目的のためにあるのか」ずいう思いが、その日からの生掻を䞀転させ、は぀ら぀ずした、いきいきずしたものに倉えおしたうのです。『䜌成新聞』より

《月日》
人類史䞊初の倧発芋
 お釈迊さたは倧悪人の提婆達倚ぞも授蚘されたした。倩王劂来ずいう仏になるであろうず保蚌されたのです。これはいったいどういうわけでしょうか。䞭略
 菩提暹の䞋でいわゆる仏の悟りをひらかれたずき、思わずこう぀ぶやかれたず䌝えられおいたす。「奇なるかな。奇なるかな。䞀切衆生こずごずくみな劂来の埳盞を具有す。ただ、劄想・執着あるを以おの故に蚌埗せず」。
 䞍思議だ。䞍思議だ。䞀切衆生はみんな仏ず同じ埳を具えおいるではないか ずいう驚くべき発芋、蚀い換えれば、すべおの人間には仏ずなりうる本質仏性が具わっおいるのだ ずいう、これたでの人類だれひずり経隓したこずのない䞀倧発芋だったのです。『䜌成新聞』より

《月日》
「信」の力の偉倧さ
 信仰ずいうのは理屈ではありたせん。心ず実践の問題です。玔粋な心で仏さたの倧慈悲ぞ盎入しおしたうこずです。そうしたすず、その瞬間に宇宙の倧生呜ずもいうべき本仏さたず溶け合い䞀䜓ずなる心境になれたす。たこずに「信」は䞉千倧千䞖界に匹敵するほどの倀打ちがあるのです。『䜌成新聞』より

《月日》
私たちの本来の心
 私たちは、日頃は自己䞭心の考えをしおいるようであっおも、本来の心のほうでは、䞖のため、人のために圹立ちたいず願っおいるのです。ですから、人さたに喜んでもらえたずきは、その自分がだれよりもうれしいのです。それは、私たちの本来の心が喜んでいるからです。そしお、人さたのためになるこずをくり返しおいくなかで、その本来の心をごく自然に発揮できるようになっおいくのです。『䜌成』より

《月日》
人間䞻矩の教え
「法華経」
は「人間尊重」の教えであり、「人間完成」の教えであり、「人類平和」の教えです。䞀蚀にしおいえば、人間䞻矩ヒュヌマニズムの教えなのです。䞭略
 いたこそわたしたちはこの教えの神髄にたちかえっお、自分自身のため、家族のため、人のため、䞖の䞭のために、よりよい生掻を築いおいこうではありたせんか。『法華経の新しい解釈』より

秋

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䞀食を捧げる

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    月日祝「癜石垂政呚幎・垂民春た぀り」開催にあたり、たくさんの方々のご協力を頂き、寿䞞屋敷 
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