【見学会開催の目的】
私たちの暮らす社会にはさまざまな問題があり、さまざまな苦がある。教会の中にいたのでは、そうした問題や苦に目が届きぬくくなるのではないか?私たちは一歩踏み出し、社会の苦の中に分け入ることが必要だと考えている。
10月12日、近藤雅則教会長以下、仙台教会会員36名は、福島第一原発の事故に見まわれた地域を訪れた。大震災から12年が経過し、他の被災地では復興が進んでいる。しかし、原発事故に見まわれた地域は未だに苦しみの中に喘いでいた。
あの原発事故はどのような事故だったのか、なぜ起きたのか、今どのような廃炉作業が進められているのか、そしてこれからどんな作業が計画されているのか、そして地元の人たちはどんな気持ちでいるのか、そうしたことを自分の目で見て、耳で聞いてみよう。同じ日本人として、そうすることが重要な務めなのではないか、そう感じことが今回の見学会開催の発端であった。
【見学会の主な行程】
訪れた場所は、「大平山慰霊碑」、「伝承館」、「東京電力廃炉資料館」の3ヶ所。
大平山慰霊碑はこの地において犠牲になられた182名の御霊を慰めるとともに、先人が愛した豊穣の大地と海を慈しみ、復興を願って建立された。慰霊碑に花を供え、犠牲者に慰霊のまことを捧げた。ここで、原町教会会員2名の方の体験談を聞かせて頂いた。
伝承館は、被災された地元の方々の立場で展示内容が構成されている施設。一方廃炉資料館は事故を起こした東京電力の立場から展示内容が構成されていた。両方の立場からの展示を見学することで、よい広い視点での学びができたことは意義深いことであった。
【日本を護ってくださった方々への感謝】
今月3日に事前学習会を開催した。あの原発事故がどんな事故で、なぜ起きたのか、今どんな作業が進められ、これからどんな作業が計画されているのかを事前に学んだ。
その中で、事故直後あの極限の現場に残り、決死の覚悟で原子炉の大爆発を防いだ人たちがいたことを知った。もし、大爆発が起きていたら、北は青森、西は名古屋あたりまで放射能に汚染され、日本は壊滅していた可能性がある。その危機を防ぎ、この国を護ってくださった方々への感謝を肝に銘じなければならない。
そして、日本が立派な国として発展していくこと、私たち自身も世の中のためになるような生き方を真剣にしていかなければならない。そうでなければ、あの方々に申し訳ないと強く感じた。
【大事なものを見失っている】
映画「Fukushima50」を事前学習会の中で鑑賞した。その中で、渡辺謙演じる吉田昌郎所長が、こんな大事故になり「自分たちは、何が間違っていたのか・・・?」とつぶやく場面がある。それは、「自然の力を甘く見ていた自分たちの傲慢さ、謙虚さのなさから安全だと思いこんでしまったためではないか・・・」というような自戒をしていた。
文明が発達して、豊かで便利な生活を実現できたことはありがたいことだ。一方で文明が発達するほど、人間は何か大事なものを見失っているのかもしれない。そして、人間はだれも間違いを犯す未熟さをもっていることを忘れてはならないと痛感した。
最後になりましたが、今回の見学会にあたっては、原町教会の庭野教会長さんをはじめ、教会の皆さんの真心いっぱいの協力を頂くことができて、心から感謝申し上げます。
【参加者の感想です】
〇東日本大震災伝承館、資料館見学、慰霊供養ありがとうございました。震災当時、福島の事は原発の問題ばかり報道されていたので、津波襲来!の事はいつしか私の頭から消えていました。浪江にも津波がきていた。あんなにも海が近く。盲点でした。
津波襲来から助かった矢先、翌日には放射能汚染の為、行く宛を指示されぬままの避難命令。そのまま帰れなくなるとは。そして、避難命令により救助活動が出来なかった事。助けられなかった悔しさ。寒い中、助けを待ち亡くなられた人もいるはず。その思いが、いまだに消えない事。そして、東電。放射能汚染の所内に使命として69名が残り、作業に当たられた事。東電に対しても誤解している自分でした。目で見て、出会って、震災について深める事ができました。(N・S)〇震災当初、原発のニュースを見るたびに恐ろしさを感じ、自分の心の中では東電を責める気持ちもありました。首都圏の電力はほぼ福島原発からと知り、普段、恩恵を頂いている時は知らん顔で、いざ、何かあった時だけ責めていた自分を省みました。
また、原発事故の時。あの時、大爆発を起こしていたら、北は青森から南は名古屋まで、人間が住めなくなっていたと教えて頂き、命がけで甚大な被害から守ってくださった方々がいるおかげさまで今がある事、当たり前の日々ではないのだと感じました。こうして知らないところで護られている命なのだと、これから大切に生きていきたいと思いました。(A・T)〇震災当時~私は亡くなった方や被災された方々と、まの当たりに向き合ってきましたが…浪江町など…東電での放射能汚染区域の住民の方々は避難を余儀なくされ、捜索や救命を断念せざるをえなかった事を思う時、私達には想像も付かない壮絶な絶望の中にいた事を感じました。
また、命がけで甚大な被害から守って下さった方々のお陰様で私達の今の生命がある事も始めて知りました。そして原町教会の皆さまの姿勢は全てを乗り越えて、こられた方々の温かさだと学ばせて頂きました。実際に自分の眼で見~心で感じた事を忘れず将来に伝えていく事が大切と思わせて頂きました。(S・T)〇浪江町の大平山慰霊碑で、語り部Sさんの究極な選択を迫られた時の話しを聞きながら、胸がドキドキしました。津波避難を迫られた時、「義母を迎えに家に向かうか、孫を迎えに幼稚園に行くべきか」孫には先生方が居る。義母は私が行かなければとの想いとなり、家に戻ったとのこと。結果的に義母さんも孫さんも助かったとのこと。
しかし、ご主人は海水バルブを閉めに戻って還らぬ人と。後で解ったそうですが、Sさんが幼稚園に向かっていたら、高台のないところで助かっていなかっただろうと。原発事故の真っ只中で、吉田所長さん・職員方の究極な選択を迫られた時、命がけで「他を利する選択をしてくださった」 この事も未来に繋げていきます。ありがとうございました。(S・K)〇被害者(住民)、加害者(東電)の立場の両方を学ぶ事ができました。東電は被害が拡大しないように、命がけで原発に関わるものとして職務を遂行してくれた事。現在も反省と課題を持ち、取り組まれている事を知りました。どちらの立場においても、相手を思っての事、良くなるようにとの事と思えました。
震災当時、息子夫婦と意見が合わず、すれ違う事ばかりでした。しかし、それは互いが思い合い、良くなるようにとの思いだったと、今回、気づかせていただきました。(I)