一年で一番よき季節でしょうか。そう思うのは、私だけ?昨日の日中、部屋の窓を開けていましたら爽やかな微風と共に「ホー法華経?」とよく通る鶯の声が聞こえてまいりました。少し先の竹林の方からでしょうか。
この春告げ鳥の声を聞こえるといよいよ田植え本番でしょうか。私はこの季節「衣替え」を楽しんでます。それは、小さなスペース(箪笥の引き出しや棚一つ)の“断捨離”をしています。キレイな場所が増えて、気持ちもスッキリします。「断捨離は快感です」おススメします。
今月の機関誌『佼成』ご法話の冒頭にちょうどこの季節、会長先生が菅沼で牛馬と一体の生活を過ごされた時の五感を通してのリアリティーが伝わってまいります。そして、釈尊のお言葉をまとめた「スッタニバータ」の「柔和(にゅうわ)は牛の軛(くびき)を離すこと」の一節は、田を耕す牛に重たい軛という装具を装着し農作業を終えて、牛の体から軛を外す時、「きょうもよく働いてくれたな。ありがとう」という感謝といたわりの気持ちが萌(きざ)すに違いありませんと。蕾が膨らんでくるような優しく穏やかな心の様子は、正しく「柔和」。釈尊はすべての人が「やさしくおだやかであれ」と願われました。それは、キラキラとした素晴らしい世界です。
「軛を離す」とは、私たち人間が、自分を縛りつけているものを外して生きることの大切さを象徴的に教えてくださっています。自分自身を振り返るにつけ、人間は心のとらわれが多いものです。物事への執着や思惑、自分よがりな想いや思い込みetc…この心のとらわれから少しでも離れられたら…イライラの少ない、のびのび穏やかな日々を過ごすこと間違いなし。そして、誰もが願っていることですね。
では、はて?どうしたらいいのか?今月の会長先生のおススメは、江戸時代の至道無難禅師(しどうぶなんぜんじ)。名は体を表すということで「至道無難(しどうぶなん)」とは、禅語で「真実に至る道は何も難しいことはない」という意味です。ただ一つ、あれが好きとか嫌いとか、あれこれと自分の思いにとらわれなければそれでいい、それが仏道だということです。そうですか。そうですね。納得至極。
「やさしくおだやかな様子」を意味する「柔和」について、開祖さまは、「はじめは形だけのニコニコ主義でもかまいません。しいて柔和を心がけていれば、自然とそれが精神に溶けこんでしまう」と述べてくださっています。
会長先生のように柔和で自由なひとになりたいと念じながら、ものごとをできる限りニコニコ顔で受けとめて顔晴り(がんばり)たいと思います、私。私も自分の周りも柔らかく和やかであることは、願うところです。心も体も柔らかくするには、動かすことです。黙って居ては、固くなるばかり。
「まずはやってみよう」です。先月に引き続き、出会いを生かしましょう。惜しみなく人とつながりましょう。トライ&エラー&トライ。
(5月は掲載が遅れました。素直にごめんなさい。でも、GWのお陰さまで心身共にリフレッシュできました。感謝&感謝です)
合 掌
令和六年五月一日
立正佼成会仙台教会
教会長 岩間由記子