💎 庭野日敬開祖「一日一言」~毎日のことば~(7月)

開祖さま アイキャッチ画像 立正佼成会を創立した庭野日敬開祖の珠玉のおことばを「一日一言」と題して、毎日更新し、1つずつご紹介していきます。7月のテーマは「庭野開祖の心と願い」です。

《7月31日》
「行」
 行は地味なものです。真理の智慧のように銀河の彼方までひろがる壮大さもなく、慈悲の思いのように全宇宙を胸に包み込む高揚もありません。独り、黙々と努力する。同じことを来る日も来る日も繰り返す。まったく地味なものです。しかし、これほど確実なものはありません。行ずれば行じただけ、必ず結果が出るからです。(「躍進」より)

《7月30日》
信頼し合う平和
 人と人の信頼なしに平和はありません。いや、信頼し合うことが平和だといってもいいのではないでしょうか。私たち宗教者の平和づくりは、人と人、国と国の信頼づくりです。神仏を信じ、人はすべて神仏の子だと信じきるその宗教心なしに真の平和は実現しない、と私は信じているのです。(「開祖随感」より)

《7月29日》
私も人間を信じている
 第一回宗教者平和会議(WCRP)を京都で開催して以来、宗教者の世界会議は、ほぼ四年ごとに開かれてきた。昭和四十九年にはベルギーのルーベンで「宗教と人間生活の質」をテーマに掲げて、第二回を開いた。(中略)
 ルーベン会議の時、外国の記者から、
「あなたは平和運動に熱心だが、それによってどんな効果があったのか。世界の状況は少しもよくなっていないと思うが、どうか」
という質問をつきつけられたことがあった。私は、こう答えた。
「あなたの言うとおりかもしれません。しかし、世界がいっこうに良くならないからこそ、こうして私たちは全力を尽くしているのです」
 自分たちが待ちのぞむものは、自分たちの手でつくり出さなければ、だれもつくってくれる人はいない。インドの詩聖タゴールが、
「赤ちゃんはみんな、神はいまだ人間に失望していない、というメッセージをもって生まれてくる」
として、人間信頼の言葉をのこしているように、私も人間を信じている。人が夢物語だという平和境が、必ずこの世に実現することを信じているのである。(「私の履歴書」日本経済新聞社刊より)

《7月28日》
大きなことを考える
 心がせかせかしたり、疲れたり、しょんぼりしたりするようなときは、少し無理をしてでも大きなことを考えるといいのです。静かに座って、地球の成り立ちや生命が生まれてからこれまでのこと、あるいは絶えまなく打ち寄せる海の波のこと、宇宙のかぎりない広さのことなどに思いをはせてみるのです。(「人生の杖」より)

《7月27日》
縁を大切にするとは、仏性を拝むこと
「縁を大切にする」というのは、出会う「縁」によって自分の心のあり方を切り替えるとともに、自分が相手の善き「縁」になることでもあるのです。
 具体的な行ない方としては、まず出会う相手を大切にすることで、相手に精いっぱい尽くすことです。人さまに真心で接し、誠心誠意、喜びに結びつくような心のもち方をしていくことです。常不軽菩薩のように、出会う人、出会う人を合掌して、相手の「仏性」を開いていくこと、それが「縁」を大切にすることです。(「菩提の萌を発さしむ」より)

《7月26日》
自分は仏さまの子
 この世界はやはり、助け合って生きていく世界なのです。そのなかで、まず自分が「仏さまの子」であることを胸に刻んで、同じ「仏さまの子」であるまわりの人たちを大切にして、幸せになってもらえるような実践をしていくことが大事なのです。
 すると、自分もまた多くの人に助けられていたことが見えてきて、感謝の気持ちが湧いてきます。そういう感謝の気持ちがまた、まわりの人に「慈悲心」をそそぐ力になっていくのです。(「我汝を軽しめず」より)

《7月25日》
願いを持って生きる
 「願」とは、理想を持って自分の全力を現実に打ち込んでいくことです。そういう大きな目標を持つと、目前の小さな不満や苦しみも、自分を磨くものであり、成長させてくれるものだということが理解されてきます。すると目前の困難が提起している意味あいが、百八十度変わって見えてくるのです。(「人生の杖」より)

《7月24日》
本仏釈尊を拝して
 本仏釈尊本尊のお姿を拝する時、「今こそ法華経広宣流布の時がきたのです。私がしっかり守護しているから、迷うことなく、法華経の教えを実践し、信念と勇気をもって、普く社会に法華経を広宣流布するのですよ。あなたが〈わたし〉に帰依し、修行精進にはげむことを、〈わたし〉とともにすべての仏さまも喜んでいるのですよ。その功德は甚大です。人間として、もっとも価値ある行為です」と、おはげましくださっているお声が聞こえるようです。(「本尊観の確立のために」より)

《7月23日》
幸福とは
 幸福という実体があってそれをつかむもののように考える人が多いのですが、私は、つかむというよりも、幸福とは気づくもの、目覚めるものだと思うのです。毎日毎日が平々凡々でつまらないと思うか、平穏無事だからこそありがたいと感謝できるか。それは、みなさんの目覚め一つにかかっています。
 仏陀とは「目覚めた人」という意味です。逆に言えば、凡夫とは「いまだ目覚めない仏」ということになります。ですから仏教という言葉も「仏の教え」であると同時に「仏になる教え」をも意味します。
 人それぞれが「仏になる可能性」、すなわち仏性をそなえているのです。それを少しでも発揮しようとする場が、この人生でありましょう。そして、その人生は一日一日の積み重ねにほかなりません。日々の心がけ、それが人生の幸不幸を決定するのです。(「人生、心がけ」より)

《7月22日》
自分に託された「お役」
 私たちが果たしていく「お役」のなかで、いちばん大きな「お役」は何かといえば、仏さまから託された「お役」でしょう。
 私たちが自らの「仏性」を自覚し、毎日の暮らしのなかでふれあう方の「仏性」を開いてさしあげる。「まず人さま」と、相手の方の幸せを願うふれあい方をさせていただく。それが自分に託された「お役」だと気づくと、毎日が大歓喜(だいかんぎ)の世界になっていくのです。(「我汝を軽しめず」より)

《7月21日》
観音さまは私たちのお手本
 観音さまは、正しくは「観世音菩薩」と言います。観世音とは、世間の人びとの声をことごとく聞きとるという意味です。とりわけ、人びとの悲しみの声、呻き声、救いを求める声を、もらさず聞きとられるのです。そして、その人その人にふさわしい姿に身を変えて、救いの手を差し伸べられると言われています。
 この観世音菩薩のように、その人その人にふさわしい姿で、同じ立場に立って救いの手を差し伸べるのが「同事」の実践です。自分は高いところにいて、人にあれこれ言うだけで人を導けるものではありません。人を善に導くのには、相手と同じ立場に立ち、相手と同じ思いになって、いっしょに行動してこそ、こちらの言うことを聞いてもらえるのです。そのお手本が観音さまなのです。(「人生、心がけ」より)

開祖さま 決定

《7月20日》
苦は楽の入り口
 みなさんは、苦しみから抜けだすことが救いだと思っておられるかもしれません。もちろん、目の前で水に溺れている人がいたら、なにがなんでも救いださなければなりませんが、ほんとうは、苦しみから救われるのではなく、苦しみが、あなたを救ってくれるのです。苦しみのおかげで自分が生まれ変われるのですから。その意味で、苦の反対側に楽があるのではなく、苦という逆境のなかにこそ、じつは楽の入口があるのです。(「瀉瓶無遺」より)

《7月19日》
『法華経』との出会い
 どこかに、人間という人間一人残らず救えるような法則はないものだろうか。それも呪術のような不可思議なものでなく、理性でも納得のできるはっきりした法則と体系を持ったものはないだろうか ― 私は、常に漠然(ばくぜん)とそういうものを求めていたのであった。
 ところが、『法華経』の講義を聞き進んでゆくと、これこそまさしく自分が求めていたものだということがはっきりしてきた。どこをどう突いてみても、兎(う)の毛ほどの隙もない。しかも広大無辺、世界中の人間を一人残らず救いとる完全無欠の網である。心も、肉体も、社会も何物も余すところはない。
 まったく大きな驚きだった。切れば血の出るような新鮮な感動だった。
 それから四十年余りの月日がたった現在でも、『法華経』は、私にとってやはり大きな驚きである。新鮮な感動である。四十余年の間、一日として『法華経』の読誦を休んだことはなかった。それでも、胸にひびき、心に沁み入るその微妙(みみょう)さには、少しの衰えもない。いや、深く読めば読むほど、それはますます大きくなりまさるのだ。(「庭野日敬自伝」より)
*昭和10年(1935)8月、恩師である新井助信師の自宅を訪問、「法華経」に出会う。庭野開祖、28歳のとき

《7月18日》
善きことを作(な)す者は
 お釈迦さまの初期のお言葉を集めた「法句経」に、次のように説かれています。
 善きことを作(な)す者は
 いまによろこび
 のちによろこび
 ふたつながらによろこぶ
 「善きことをわれはなせり」と
 かく思いてよろこぶ
 かくて幸(さち)ある行路(みち)を歩めば
 いよいよこころたのしむなり(友松圓諦師訳)
 この「善きこと」というのは、考え詰めていけば「人さまのためになること、世の中のためになること」ということになるでしょう。そういうことができたときに、ほんとうの喜びがあるのです。(中略)
 読者のみなさん。どうか、この詩を暗記するほどに読んでください。(「我汝を軽しめず」より)

《7月17日》
仏さまは親、私たちはその子供
「私はみんなの父であり、みんなは私の子供である」
と、仏さまのほうから名乗ってくださっているのは法華経だけだと私は聞いています。そう言われてみると、法華経ほど親と子の関係について説かれている経典はほかにないように思うのです。長者と窮子の譬え、火宅の譬え、良医とその子供たちの譬えなど、みなさんも、すぐに思いつかれることでしょう。
 そして、これらの物語の底を一貫して流れているのは、子を思う親心です。子供たちは、その親の心に少しも気づかずに、親に背を向けているのですが、その子供たちを仏さまは、「いつかは帰ってきてくれる」「いつかはわかってくれる」「いつかは仏性に目覚めてくれる」と信じて、待っておられるのです。
 お経を上げるたびに私は、その仏さまのお心にじかに触れる思いで、「ああ有り難い。ああ申しわけない」と胸が熱くなる思いがいたします。(「瀉瓶無遺」より)

《7月16日》
少欲知足の心
 二十一世紀は、「分かち合う共生の時代」と言われます。それでなくては人類は生きていけない時代を迎えているのです。十個のパンを十五人で仲よく分け合う心、そして、仏教でいう少欲知足の心が不可欠のものとなりましょう。たとえ物がいくらあっても感謝の心がゼロならば、百にいくらゼロをかけてもゼロになってしまうように、どこまでいっても不満の人生になってしまうのです。
 二十一世紀になっても、「まだまだ足りない、不満だ」と人びとが欲望の追求だけに走っていたとしたら人類の未来はありません。(「人生、心がけ」より)

《7月15日》
本当の祈り
 法華経にふれ法華経を行じて五十年になるけれど、これまでに、私は自分のために祈ったことはないんだよ。自分の使命を果たさせていただきたい、というのが私の祈りでね。世界の平和に貢献させていただくこと、そして信者のみなさんにうしろ姿でお導きのできる人になってもらうことが私の使命だからね。
 だいたい神さまや仏さまに何かをかなえてもらおうという祈りは本当じゃない。神さま仏さまの願いにそって生きるということ、そのために祈りが大事なんですよ。(「ただひたすらに」より)

《7月14日》
和やかな顔と優しい言葉の力
 私は「和顔愛語」(わげんあいご)という言葉が好きです。いつもにこやかな表情をして、慈愛のこもった言葉を話すようにという教えです。いつもにこにこしていると、まわりに人が集まってくるものです。また、いつも優しい言葉を話すようにしていると、相手の人によく聞いてもらえるのです。世間の指導者といわれるような人たちを見ても、この言葉を体得されている方が多いようです。(「人生の杖」より)

《7月13日》
奉仕し合う世界
〈奉仕〉は人間社会の潤滑油である。お互いが人のために奉仕し合ったり、世の中のために奉仕し合ってこそ、お互いの心に潤いができ、世の中に楽しさ・和(なご)やかさが生まれるのである。そして、その精神が人間すべてにゆきわたったとき、世界にほんとうの平和が訪れるのである。
 それは人間の究極の理想であり、未来の夢のように見える。しかし、私は夢とは思わない。そのほど遠い先のこととも思わない。案外早くそれに近い世界が実現できるように思う。(「庭野日敬自伝」より)

《7月12日》
「はい」と「ありがとう」のひと言
「はい」
という返事、「ありがとうございます」という言葉が、いつでも、どこでも、スッと口から出てくるようになれば、信仰者として合格だと思うのです。
 どんなときも笑顔を忘れずに、大きな声で明るい返事ができると、心がガラリと変わってしまうのです。その心の持ち方が船の舵のような働きをして、幸せなほうへ幸せなほうへと、人を運んでいってくれるのです。(「開祖随感」より)

《7月11日》
感謝で休む
 私は、米寿のお祝いのときのあいさつで、「最近、私が幸せに感じることは、夜、休む前に書く日記に『きょうも一日、幸せに過ごさせていただいて、ありがとうございました』と書くときです」と話しました。
 それを聞かれたある新聞社の社長さんが「これはすばらしい言葉だな」と感嘆されたと聞きましたが、私はそのおほめの言葉を素直に頂戴したいと思います。それが、私の正真正銘の正直な告白だからです。(「我汝を軽しめず」より)

開祖さま 7月

《7月10日》
全人類総菩薩化運動(ぜんじんるいそうぼさつかうんどう)
 私たちには、〈本仏釈尊〉のおことばを実行すべき大使命があると確信いたします。この大使命は、まず足元の第一歩である〈おのれの自身の改造〉から始まり、やがて、家庭・社会・国家・世界の救済へと拡大されるべきものです。
 すなわち、〈国民皆信仰(こくみんかいしんこう)〉は〈人類皆信仰(じんるいかいしんこう)〉となり、〈全会員菩薩道実践運動(ぜんかいいんぼさつどうじっせんうんどう〉はさらに拡大されて〈全人類総菩薩化運動(ぜんじんるいそうぼさつかうんどう)〉となるべきものです。(「本尊観の確立のために」より)

《7月9日》
迷わずにその道を行け
 おそらく今回のテンプルトン賞は、神仏が「迷わずにその道を行け」というみ心を示されたものと存じます。私はこの受賞を深く感謝すると共に、仏陀(ぶっだ)の申された「一つのたいまつから何千人の人が火を取っても、そのたいまつは元のとおりであるように、幸福はいくら分け与えても減るということがない」を最後に引用いたし、今後の努力をお誓いして、私の講演を終わりたいと思います。(「庭野日敬法話選集」より)
*宗教界のノーベル賞といわれる「テンプルトン賞」受賞記念講演より。1979年4月11日、ロンドン市ギルドホールにて。

《7月8日》
ほんとうの下がる心と謙虚さ
 心の底の底には仏の分身だという大自信を持ちながらも、いや、そういう大自信があればあるほど、その本性を顕現できぬ現実の自分の至らなさを歎(なげ)かざるをえません。その反省が、その歎きが、ほんとうの下がる心なのです。そして、そのようなほんとうの下がる心が湧いてくれば、人さまにたいしても威張ったり、横柄にしたりできるはずがありません。自然とへりくだった態度にならざるをえません。それがほんとうの謙虚さなのです。(「佼成」より)

《7月7日》
先祖供養は自然の成り行き
 今の自分がこうして人間として生まれてきたのはだれのお陰かといえば、父母があってこそですね。その父母はどうして世に出たのか…と、本(もと)へ本(もと)へと辿っていけば、いわゆる代々のご先祖があったればこそです。
 そのご先祖に感謝のまことをささげるのは、人間としてごく自然な心情です。その心情があれば、どうしても先祖供養をしなけばおれなくなる、自分という存在の“根”であるご先祖の魂に精神的な肥料をたっぷりさし上げて、安らかに霊の世界に生きていただきたいと願う…それが自然の成り行きですよ。(「躍進」より)

《7月6日》
人生はかならず変わる
 心が変わったのに、人生が変わらないということが、ありうるはずはありません。かならず変わります。この〈信仰によって心境が変わり、心境が変わることによって人生が変わる〉ことを、功徳というのです。ですから、信仰にはかならず功徳があるわけです。(『新釈法華三部経』より)

《7月5日》
今やらねば何時(いつ)できる
 平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)さん(彫刻家)は百歳のお祝いのとき、筆皿に「今やらねばいつできる。わしがやらねば誰がやる」と書いた。百歳を過ぎてからも彫刻をやらなければならない仕事があるといって、檜の原木を車に何台分も買って、張り切っておやりになった。何かをやろうと思って、なかなかできないときに、この言葉を思うんです。今が大事なんだ、と。誰かがやってくれるだろうなどと甘い考えもだめです。わしがやらんじゃ…と、自分の責任においてやろうという気持が大切です。(「ほっしん」より)

《7月4日》
六つの誓い
 
私は青年団にはいってから次の三つの誓いを立て、それを固く守っていた。すなわち、
一、これからは、けっしてうそをつくまい。
一、力いっぱい働こう。
一、他人のいやがることを進んでやろう。
ということであった。
 しかし、いよいよ現実に東京という未知の世界へ近づきつつあるとなると、それだけではなんとなく不安になってきた。何かもっと重大なことがあるのではないか ― と気になり出した。
 あれかこれかと考えているうちに、またうとうとした。そのうち、眠っているとも覚めているともつかない朦朧(もうろう)たる頭の中に、次のことが浮かんできた。
一、他人と争わぬこと。どんなひどい目に遭っても、神仏のおぼしめしと思って辛抱すること。
一、仕事をするときは、人が見ていようといまいと、陰日向(かげひなた)なく働くこと。
一、どんなつまらぬ仕事でも、引受けた以上は最善を尽くすこと。
 この三つを先の三つに合わせて、六つのことを固く守れば、激しい東京の生活にもりっぱにたえてゆけるに相違ない。そして、きっと人にも認められ、一人前になることができるにちがいない。(「庭野日敬自伝」より)
*大正12年(1923)8月27日、東京へ初めて出稼ぎに向かう車中にて。庭野開祖、16歳のとき。

《7月3日》
価値ある人生を歩む
 法華経という教えは、
「手間がかかり、骨の折れるばかばかしいことを喜んで引き受ける。そこに、『法』を体得できる人生の妙味があるのであって、それを深く味わい、楽しめる人こそ、ほんとうに価値ある人生を送れるのです」
と教えているように思えてならないのです。
 仏さまを信じて仰ぎ、価値ある人生を歩む人が一人でも増えていくことを願ってやみません。(「我汝を軽しめず」より)

《7月2日》
神さま、仏さまを拝む
 自分の一生が一変するような師と出会うことは、何ものにも代えがたい幸せです。
 私の郷里は新潟県の菅沼という山村ですが、小学校のとき、大海伝吉という校長先生から受けた二つの教えが、私の一生の生き方に大きな影響を与えました。
 それは「人には親切にしなさい」「神さまや仏さまを拝みなさい」という教えです。そのなかでも「神さまや仏さまを拝みなさい」という教えは、いわれた日から実践しました。胸をわくわくさせながら、登下校のときに諏訪神社や子安観音、大日如来、薬師如来などに必ずおじぎをして通ったのです。あの小学校の校長先生が、私にとっては最初の恩師です。(「菩提の萌を発さしむ」より)

《7月1日》
創立の精神
 わたしが立正佼成会を創立したのは、現実に人を救い、世を立て直そうという熱意のゆえでありました。しかも、ほんとうに人を救い世を建て直すためには、法華経にこめられている真の仏教精神をひろめるほかにはないという確信を得たからでありました。(「躍進」より)

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