平成29年「御親教」式典が行われました
- 2017/1/8
- 教会からのおしらせ
新年1月7日に立正佼成会本部大聖堂にて、「御親教」式典が行われました。その式典の模様は衛星放送を通じて、全国教会にもライブ中継されました。
「御親教」とは、年頭にあたり庭野日鑛会長が全国の会員に1年の心構えを説いてくださることをいいます。
仙台教会においても約600名の会員が参集し、「御親教」に立った庭野日鑛会長の法話を衛星放送を通じて視聴しました。
庭野会長の法話の要旨は、以下の通りです。
今年の書初めは、『真因』と『燈明』といたしました。『燈明』は昨年と同じで、自らを灯明とし、また法を灯明として、生活の中で仏教を実践していくことの大切さを示しました。
『真因』とは「真実の原因」です。私たちが悟りに到達すべき真実の原因ということで、このことを一年間しっかりと念頭において、精進して参りたいということです。
日本ではお正月が来ると一つ年齢を加えるという「数え年」でした。最近は、「満年齢」で年齢を数えています。「満年齢」はどうも未来の夢が感じられないと、私は感じています。「数え年」ですとお正月を境に、日本全国のすべての人が一つ年を重ねる。そこで、みんなが心新たに一つになって進んでいける、そんな未来への夢を感じます。
そのような意味で、「数え年」はとても素晴らしく、日本人が捨ててはいけない年齢の数え方だと思います。
今から約140億年前に「ビッグバン」という大爆発があって、太陽や地球がある宇宙ができました。宇宙に存在する元素で一番多いのは水素で、次にヘリウム、リチウムの順です。ヘリウムは人間の身体にはありませんが、人間のいのち、身体の中には宇宙を構成する元素がほとんど含まれています。ということは、宇宙の性質が私たちの身体の中にも含まれているということになります。また、この宇宙の存在や不思議さが分かるのは人間だけです。つまり、人間がこの宇宙に出現したから、宇宙がわかったともいえましょう。極端な言い方かもしれませんが、「人間が生まれたから宇宙がある」といえるわけです。
また、私たちには昨日の時間は見えません。明日の時間も同じく見えません。今日、今・現在の時間も見えません。しかし、今この瞬間をかけぬけている時間を感じることはできます。外の景色を見たり、自分のお腹の空腹状態などから、見えない時間を感じることができます。と同時に、その時間を感じている人が、生きているということですし、逆に言えば生きているから過ぎ去ろうとしている時間を感じることができるわけです。
過去の時間は使えません。未来の時間も使えません。時間を使えるのは、今この瞬間であり、時間を自由に使えることが生きている証です。ということは、今が大切。今しかないということと、しっかり向き合って生きていく。
江戸時代の禅僧である正受老人は、「一大事と申すは今日ただ今のこころなり」とおしゃいました。
立正佼成会では、よく信仰の二代目とか三代目とかいいますが、「自覚する」ということでは、みな初代です。たとえば、信仰初代の親が教えを悟ったからといって、二代目の子どもも一緒に悟るということではありません。ですから、信仰はみな初代なわけです。
書初めの「真因」ということでいえば、先ほども述べましたように、人間が宇宙を創ったといってもいいわけです。宇宙を創った「真因」は人間です。
私たちが救われていく「真因」は、私たちにあるということを一人一人がしっかりと自覚を持つことです。本質的な救いの「真実の原因」は、一人一人にあります。そのことを「真因」ということで、表現させて頂きました。
新年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
衛星放送視聴の後、近藤雅則教会長が壇上に立ち、新年のご挨拶を述べました。
その挨拶の中で、庭野会長の御親教の言葉、ならびに『佼成新聞』(平成29年1月1日号)の年頭法話を踏まえた上で、「感謝」の心の大切さを述べ、そして最後に同じく『佼成新聞』(平成29年1月1日号)掲載の川端健之(立正佼成会理事長)の「年頭所感」の中の、
「現実の繁雑に陥ることなく、大切なものごとに集中する工夫」の「大切なものごと」とは、一人でも多くの人に「法華経に示された人間の生き方」を知ってもらうことです。そして、本当の幸せを自分のものにして頂くことです。
という言葉が紹介され、式典は無事終了いたしました。