今月のご法話は「苦悩を生むもとを知る-智慧①」がテーマです。仏教を支える二つの大きな柱があります。それは智慧と慈悲です。今月はその一つである智慧についてのご法話です。
まず前半部分で驚くのは、“「自分のなかに、真理を認識して判断する力-智慧がある」と気づき、“(12頁9行)とあります。「自分のなかにすでに智慧がある」ということですが、これはどういうことなのでしょうか?
お釈迦さまが悟りをひらかれたとき、「奇なるかな。奇なるかな。一切衆生ことごとくみな、如来の智慧・徳相を具有す。ただ妄想・執着あるを以ての故に証得せず」と発せられたといいます。“仏の智慧をもって見れば、すべての人が仏の智慧を持っている。しかし、妄想・執着のためにものごとを正しく見ることができず、自分の本質が仏と同じ尊いものであることに気づかないでいる」と言われたのです。
すでに智慧を持っていると聞いて、何か不思議な感じがしませんか?会長先生は、今年の『年頭法話』の中で次のように述べられています。
法燈継承後、私が一番申し上げたかったことは、本当の自分を知ってほしいということでした。(中略)人間は、多くの場合、限りある小さな自分を「これが自分だ」と固定的に捉え、卑屈になったり、逆に驕慢になったりしがちです。しかし、それが本当の自分なのでしょうか。
お釈迦さまもまた、人間として悩み、苦しまれた末に、真理、法を悟られました。ですから、同じ人間である私たちは、本来、真理、法を会得する能力も、自ら問題を解決する力も具えているのであります。
そうした本当の自分を知ることができて初めて、目の前のさまざまな問題も乗りこえることができ、そこから真に生き甲斐のある人生が始まるのです。
これらの言葉をかみしめると、“本当の自分を知ること”は、とても重要なことであるかがわかります。そして、“本当の自分を知ること”と“智慧を身につけること”は同じことのように感じます。
次に後半部分です。私たちは皆幸せに生きたくて一生懸命努力していますが、現実の人生は苦悩に満ち溢れています。一つ苦を解決しても、また新しい苦が生じ、どこまでいっても人生はこの繰り返しのような気がします。私たちが朝夕読誦している経典の「如来寿量品第十六」に“我諸の衆生を見れば、苦海に没在せり”という文言があります。まさに私たちは常に苦の海にどっぷりつかっていて、おぼれかけているような状況だと言えます。
その苦悩の根本原因は何か?会長先生は“自分の思いどおりにしたいというわがままな心”(14頁2行)が原因だと明言されています。では、どのようにしたらこのわがままな心を抑えることができるか。
その対処方法は、自分勝手な思いや都合でものを見ないことと示されていますが、「相手の立場に立って考えてみる」ことだと思います。夫婦、親子であっても意見はみな異なります。まして、職場や地域は他人同士ですからなおさら異なるのです。その違いに固執したり、争ったりすることをやめ、まずは一言「そうですね」と認め、相手の立場に立って考えてみる。そうすることで、多くの苦悩が消滅するのです。来月号では、このことをさらに学べるようです。楽しみにしましょう。
合 掌
2022年10月1日
立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則