『佼成』12月号の会長先生のご法話は「人さまと、ともに幸せに-六波羅蜜」で、これまで布施から智慧まで順番に学んできた「六波羅蜜」のまとめです。
法華経を拝読すると、声聞には「四諦」、縁覚には「十二因縁」、そして菩薩には「六波羅蜜」の教えを説かれたと書いてあります。簡単に言うと、声聞とは教えを聞いて幸せになりたいと願う人、縁覚は自力で学んで幸せになりたいと願う人。どちらも自分の幸せのために精進する人たちです。それに対し、菩薩は自分の幸せだけではなく、他の人と共に幸せになりたいと願う人たちです。その菩薩のための修行が「六波羅蜜」ですから、それは尊く高いレベルだといえます。そして、「他の人と共に」という言葉がとても重要だと思います。
仏教は大きく分けて「小乗」と「大乗」の二つがあります。厳しい修行によって煩悩をなくそうとする「小乗」に対し、「大乗」は煩悩をなくすのではなく、積極的に活かす教えだとされます。私たちは誰もみな執着するものがあります。お金に執着する人、子供に執着する人、名誉や体裁に執着する人、健康に執着する人など様々です。その執着するものが、その人の生きる原動力です。その執着するものが機縁となって仏道に導かれることもあります。
たとえばお金に執着する人は、その欲を捨ててしまったのでは、収入も元気もなくなってしまいます。むしろ儲けたい気持ちを活かし、精一杯仕事に励んでしっかり収入を得る。それを自分のためだけに使うのではなく、布施をしたり、社会のために寄付をしたりすることで菩薩行ができるわけです。これが「煩悩即菩提」ということの一例だと思います。
その自分の欲(煩悩)を、菩薩のはたらきに転換するのは「利他の心」であると会長先生は示されています。自分のことと同じように他を大事にすることができたら、煩悩があってもそれに執着せず、むしろ煩悩を活かし、大きなはたらきをすることができるというのです。「まず人さま」という佼成会の用語がありますが、これは「利他の心」を起こす最高の言葉だと思います。
私たちは、この「利他」の思いや願いを日々口にしていて、心の深いところまで浸透させていると、先生は言われます。
私たちは読経供養の際に「願わくは此の功徳を以って 普く一切に及ぼし 我等と衆生と 皆共に仏道を成ぜん」と唱えます。また、・・・(三帰依のところで)「当に願わくは衆生と共に」と朝夕に誓います。こうして、いつも「みんなと一緒に幸せになろう」と願い、誓いつつ、仏さまに手を合わせている・・・。(12頁終5行)と。
そして、「衆生と共に」と願うとき、いま隣にいる人に対し、あるいは遠い国で苦しんでいる人に対し何ができるのでしょうかと、問いかけてくださっています。たとえば、身近な人が病気で苦しんでいる時に何ができるでしょうか?遠いウクライナで苦しんでいる人々のために何ができるでしょうか?東日本大震災で亡くなられた人たちのために何ができるでしょうか?
自分の力ではどうすることもできないと感じるかもしれません。しかし、身近でできることにとりくむひたむきな「利他」の思いがあれば、仏の大きなはたらきと一つになると先生は述べています。「仏の大きなはたらきと一つになる」とはどんなことでしょうか。そこには大きな喜びや感動が生じるに違いありません。あなたもそれを味わってみたいと思いませんか。
合 掌
2022年12月1日
立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則