仏性の自覚にこそ、真の明るさ朗らかさがある! 教会長 近藤雅則(平成30年1月)
- 2017/12/25
- 心を創る
『佼成』1号の会長法話は、「明るく、朗らかに」がテーマ。その中で、印象深いのは次の言葉です。
☆だれにも共通するのは、一年をとおして明るく、朗らかにすごしたいという願いでしょう。そうであれば、・・・私たちに生きるエネルギーを与えてくれる太陽のように、まず自ら明るく朗らかになって、人を和ませ、喜ばせることです。
☆ほんとうの明るさ、朗らかさは、苦悩を突き抜けた先にあるとも言えますが、苦悩を突破するには、・・・さまざまな思わくにとらわれないで心を一つに向かわせる「志」をもつことが大切です。
あなたは、自分の性格を明るく、朗らかと思いますか?
人はそれぞれ明るい性格、暗い性格があると思いますが、ここで言われている「明るく、朗らか」とは、そうした性格のことではないと思います。
真の「明るく、朗らか」とは、自他の仏性(いのち)を自覚したところから生まれてくるのだと思います。言い換えれば、私たちの“いのち”の実相を自覚することであります。私たちは、目に見える世界(肉体や物質・お金・出来事)がすべてだと思い込んでいるために、それに執着し、貪り、迷いを生じています。
しかし、私たちの“いのち”の真の相(すがた)は、仏の子であり、仏と同じ“いのち”に生かされて生きていること。そして、その“いのち”のレベルを高め、浄めていくことが人格完成(成仏)であり、それがこの世に生きる真の目的であることを認識することで、執着、貪り、迷いが消し去り、真の明るさや朗らかさが生まれてくるのです。そうした生き方をめざすことが、心を一つに向かわせる「志」だと思います。
庭野日敬開祖の明るく、朗らかな笑顔は、世界中の人たちから親しまれました。その笑顔も自他の“仏性(いのち)”を自覚されたところから醸し出されたものだと信じています。そして、私たちにも、その笑顔の素が等しく備わっていることを自覚することが大切なのです。
ご法話の中に、両足を切断した小沢道雄師の話がでてきます。不幸な戦争によって両足を失いながらも、不屈の人生を生き貫かれた方です。しかも、その境遇のまま、生かされて生きていることを無条件に受けとめておられます。
私は、そこに“いのち”の無限の力強さ・まばゆいばかりの輝きを感じました。こうした力強さや輝きは、絶体絶命の困難な状況の中からこそ生まれてくるのかもしれません。大事なことは、その“いのち”の無限の力強さ、まばゆいばかりの輝きを、すべての人が等しく有しているということです。
合掌
平成30年1月1日
立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則