【こころの彩時記22】💖すべてを拝み、一隅を照らす
- 2020/7/20
- 自分を創る
立正佼成会の開祖・庭野日敬師が平成の時代に語った法話を初めて編纂した、法話集第2巻『我汝を軽しめず』(2020年6月、佼成出版社刊)を電子書籍にて手にさせて頂きました。
1906年、明治の時代に新潟県に生まれ、昭和に立正佼成会を創立。1999年に入寂されるまで、平成の世においても人格の完成と家庭、社会、国家、世界の平和を希求してやまなかった庭野開祖。この第2巻では『法華三部経』が説く教えの全体にふれながら、すべての人に具わっている「仏性」(仏さまと同じ“こころ”)を拝み合って生きる大切さが随所に説かれ、感動をもって拝読しました。
その本の中で、滋賀県・比叡山延暦寺を開創された伝教大師最澄さまの「一隅を照らす 此れ即ち国宝なり」というお言葉を引用し、庭野開祖は“一隅を照らす人”について、次のように述べていらっしゃいます。
そのような人の体からは見えざる「後光」がさしていて、その後光がまわりの人びとの心を照らすのです。そして、あたたかい光の感化を受けた人がほのぼのとした心になって、自分もまた一隅を照らす人になっていく。そうして一隅を照らす人が次々と増えていけば、日本の社会はすみずみまで明るくなります。(『我汝を軽しめず』より)
そして、次のようなエピソードを紹介してくれています。
ある私鉄沿線に、小さなまんじゅう店があり、お年寄り夫婦がお店をきりもりしていました。ある日、子どもが串だんごを買いに来て、ご主人がおつりの1円玉が足りなくて、店の奥にとりに行こうとしたところ、その子どもは「いいよ、2円ぽっち」といって走り出そうとしました。そのとき、ご主人が大声で呼び止め、「おつりがいらないのなら、その串だんごを置いていきなさい。店の品はちゃんと値段が決まっていて、多く払ったからいいというのは間違っているよ」と諭したそうです。
開祖さまはこのエピソードを通して、次のように述べられました。
このご主人は、まさに「一隅を照らす人」だったのです。その子も、いつかはこのことの意味を理解するでしょう。そして折にふれ、事につけ、自分も親切を尽くす人間になるに違いありません。(『我汝を軽しめず』より)
このエピソードを読んだとき、私も見知らぬ子どもさんとの一つのエピソードが思い出されました。それは、大人のこちらが子どもから教えられたものでした。
もう30年近くも前のこと、ウルトラマンが大好きだった私は、皆さんもよくご存知、今もスーパーや店先にある200円を入れてガチャガチャと回すと出てくる、カプセルに入ったフィギュアに夢中になっていました。
ある日のこと、東京・杉並区のご本部でのお役を終え、地下鉄の東高円寺駅に続く約20分の道を歩き始めると、パン屋さんの軒下に1台、ガチャガチャが設置され、私の目の中に飛び込んできました。そして、なんとその中は大好きなウルトラマンの怪獣シリーズが詰まっていたのです。
「あっ、ダダがある!!」
ダダという宇宙怪人の大ファンであった私は思わず叫び声をあげて、財布を開き、ちょうど2枚あった100円玉を入れて「ダダよ出ろ!」と言ってノブを回しました。すると出てきたのは、なんと“ウルトラマン”。
「なんだ、ウルトラマンか!!がっくり」
とまたまた独り言をいって、(明日は、ダダを出すぞ)と心に誓い、そのお店をあとにしました。
そして、15分ほど歩いて、駅がある「蚕糸の森公園」という公園が目の前に見えてきた時、男の子の叫び声が耳に入りました。
「おじさーん!おじさーん!ダダが出たよー!!ダダが出たんだよー!!」
私が来た道を振り返ると、小学校1、2年生の男の子がカプセルを右手に握りしめ、叫びながら、坂道を自転車を立ちこぎして私の方に登ってきます。夕方の道行く人たちは、(ダダが出た!?)とけげんそうにその小学生を見送っていました。
私のところに息をきらして飛んできた少年は、
「おじさん、ダダが出たよ!!」
と言って、カプセルを私に差し出しました。私は思わず、
「ありがとう。よし、お礼にウルトラマンだ!」
と言って、さっきのウルトラマンの入ったカプセルをカバンから差し出すと、
「やったー!ウルトラマンだ。おじさん、ありがとう」
と言って、また少年は立ちこぎをして自転車で帰っていきました。
「ダダよ出ろ!」と言って、ガチャガチャを回す私の姿を、きっとその少年は見ていたのでしょう。少年にとって200円は大金、小さな胸の中でどんな思いでガチャガチャをしたのでしょう。
自分がダダを出したことで、ひたすら自転車をこいで、探して、探して、どこに向かうのか、またどこの道を歩くのかも分からない私を、少年はやっとの思いで見つけたことでしょう。
赤く染まる夕暮れの街を、また自転車をこいで帰っていく少年の後ろ姿を、今もはっきりと思い出されます。少年の純粋な心の光が、私の心を照らし、ほのぼのと温かくしてくれた出来事でした。
ソーシャルディスタンスの中、私たちの生活様式が大きく変わり、人間と人間との“つながり”がどこかやせてきている今日。 “ウイズ・コロナ”から“アフター・コロナ”へと時は移っても、今も、明日も、「すべてを拝み、一隅を照らせる私」をめざして歩んでいきたいと思います。