“苦の解決方法は・・・これだ!” 教会長 近藤雅則(令和元年5月)
- 2019/5/1
- 心を創る
いよいよ今月から新しい元号(令和)の時代に移りました。変化を苦にせず、心あらたに自分を進化させるよう精進していきましょう。
さて、今月の会長法話は、「なぜ、苦しみが絶えないのか」がテーマ。
「深く諸(もろもろ)の邪見(じゃけん)に入(い)って 苦を以(もっ)て苦を捨(す)てんと欲(ほっ)す」という「妙法蓮華経・方便品第二」の一節が紹介され、意味は「思い通りにならない事実を受け入れることができないために苛立ち、あくせくして、苦しみを深くする」と述べられています。
今月のご法話は、“どうしたら苦から逃れられるか”という重要なテーマについて、仏教の哲理にもとづいてズバリ答えられたものです。
私たちは、一刻も早く「苦」から逃れたいと思います。そして、あせったり、イライラしたり、人を責めたり・・・ジタバタした結果、ますます「苦」を増大させてしまうことがよくあります。また、「苦」はいつまでも続くものと思い込み、絶望したりもします。
では、どうしたらよいのでしょうか?
まず大切なことは、誰の人生においても、この世は「思い通りならない」世界だと悟ることです。その「思い通りにならない」世界を受け入れられず、何とかして「思い通りにしよう」と執着して、頑張れば頑張るほど、苦しみは増えていきます。
そして、一つ「苦」を解決しても、また新たな「苦」が現れてきて、一生なくなることはありません。このことがよく認識できると、おおかたの「苦しみ」は小さくなり、消えてしまうものです。
さらに、「苦」の見方を進化させてみましょう。庭野会長は、「苦から逃げずに、それをそのまま受け入れる覚悟ができると、その「苦」は「智慧」の湧き出る泉となる。私たちが本来もっている「智慧」がはたらきだすには「苦」が必要だったと受けとれば、「苦」は楽しみに向かう大切な道しるべとなり、その「苦」も抜き去られるのです」と述べています。
「苦」は嫌なものではなく、むしろ必要なものと受けとめることです。
登山をする人は、山が高ければ高いほど、険しければ険しいほど、「苦」は大きくなるはずです。しかし、登山家はその「苦」に挑戦し、大変な思いをしながらも、それを歓びに感じるというのです。
これを私たちの人生におきかえてみると、より成長したい、何かを成し遂げたい、誰かの役に立ちたい・・・のように、苦しさを感じながらも、何かの価値を創造する生き方が人間本来の生き方であり、「苦」を克服する最善の方法なのです。このように、仏教は、私たちの苦を根本的に解決する人生の智慧を教えてくれるものなのです。
2019年5月1日
立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則