今月の『佼成』会長法話は「信じて任せる心」がテーマです。
法華経の「属累品」では、「みんなが幸せになれるよう、どうかみなさんに法華経の教えを伝えてください。よろしく頼みますよ」と仏さまが菩薩に託します (P14.4)
心から尊敬してやまない仏さまから信頼をいただき、法華経の流布をお願いされたことで、身震いするような歓びを感じ、「どうか私にお任せください」と、菩薩がこたえている場面です。
この菩薩とはほかでもありません。私たちのことでもあります。このように仏さまの信頼をありがたく受けとめることができたならば、法華経が信受できたと言ってもよいかもしれません。法華経を読むときに、自分も登場人物の一人になった気持ちになって学ぶと、教えがぐっと身近に感じられると思います。
もし私たちが、何かしらのレッテルを貼ってだれかを見ているとしたら、そのレッテルと同じものが自分にもあると省みることも大切です(P13.末)というお言葉は、胸にぐさりと突き刺さります。
「あの人は欲ばりだ」「あの人はうそつきだ」「あの人は意地悪だ」「あの人はケチだ」「あの人はわがままだ」「あの人は冷たい人だ」など、私たちはいろいろな見方をしています。それと同じものが自分にもあるからこそ、そこが気に障ると言うのです。相手を“鏡”として受けとめて反省し、自分自身を正すことで自分が高められるのです。“すべてはわが師”とは、こういうことだと思います。
信じて任せきる仏のように、人を見ることができる、信じられるというのは、それだけで大きな功徳をいただいているのです(P14.7)というお言葉は、人を信じきることの大切さが説かれていると思います。
人を信じて任せきるのは難しいことです。人にお願いしておきながら、「こんなことだったら、あの人に頼まなければよかった」「自分でやった方が早かった」「かえって二度手間になった」などと、後から不平不満が湧いてくることがありませんか。
自分の思い通りになることは、そもそもないのです。ですから、私は頼んだことの50%をしてくださったら最高!、30%だったら素晴らしい!と受けとめるようにしています。そうすると、気持ちがとても楽です。ぜひ皆さんも試してみてください。
今月のテーマは、“信じて任せる心”ということですが、人の何を信じればいいのでしょうか?世の中には、信じるに値しない悪人がいることも現実です。人を信じたことで、大変な損害を被る場合だってあります。
それでもなお信じるとは、何をでしょうか?それは、“仏性”だと思います。すべての人が“仏性”を有しているとは、すべての人が仏さまと同じ本質を具えているという意味になります。言い方を変えれば、仏さまと同じいのちに生かされている、言わば仏さまと自分は親子である。一体であるという確信をもつことです。そうしてこそ、真の大安心が得られ、自由自在の身となることができるのです。
ですから、現在ではとても信じるに値しない人であったとしても、本気になって信じきっていくならば、必ず仏性の芽が開きだすはずです。最初は、ほんのわずかかもしれません。たとえ、わずかでも開き始めた仏性は、徐々に大きく育ち、やがてその人らしく最高の輝きを放つようになる。すべての人がその可能性を持っているのだということです。
そのように、人のいのちの根本をじっくり見ていくことが、人を信じることの究極だと思います。仙台教会で、「認めて・ほめて・感謝する」を実践しているのは、人のいのちの根本を信じる具体的実践なのです。
3月は本会創立の月です。開祖さまが「一人でも多くの人に法華経に示された人間の生き方を知ってもらい、本当の幸せを自分のものにして頂きたい」と願われ、昭和13年3月5日に本会を創立されました。ですから、私たちの精進は、すべてこの開祖さまの願いにつながっていなければなりません。
法華経に示された人間の生き方とはどんな生き方なのか?
私は、本当の幸せを自分のものにできているのか?
今月はそのことをしっかりかみしめてみましょう。
合 掌
2021年3月1日
立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則