💎 庭野日敬開祖「一日一言」~毎日のことば~(令和3年3月)

2021-7

 立正佼成会を創立した庭野日敬開祖の珠玉のおことばを「一日一言」と題して、毎日更新し、1つずつご紹介していきます。本会の「創立記念日(3月5日)」を迎える3月は、「家庭・家族」、「夫婦」、そして「親子」をテーマにお届けします。

《3月31日》
目の前の仏を拝む
 私たちは、家庭で、職場で、社会で、数えきれない人に出会います。その一人ひとりに仏さまがいらっしゃるのです。その仏さまを拝んでいくのが万億の仏を供養することだともいえましょう。自分を守ることに汲々(きゅうきゅう)とするのでなく、出会う人のすべてに喜びを与えていける自分になる決意をしようではありませんか。まず、自分が光り輝く存在にならなくてはなりません。(『開祖随感』より)

《3月30日》
幸福への出発点
 私たちがいまこの世にある、そのいちばんのもとは親です。その両親への感謝から、自分を取り巻く社会への恩、この国に生まれることができた恩が考えられるようになってきます。
「孝(こう)は百行(ひゃっこう)の本(もと)」といいます。自分の命の大もとの親への感謝、さらに、そのまたもとの代々のご先祖さまへの感謝が、もろもろの善行のもとになるわけです。(中略)
 たとえば矢を射るとき、こちらの姿勢がきちんと決まっていないと、いくら的を狙っても当たりません。姿勢がきちんと定まると、矢は、何本射ても同じ的の中心に飛んでいきます。それと同じで、親の大恩への感謝の念が、この社会で生きていく自分の姿勢を定めてくれるのです。
 私たちが幸福になるその出発点は、親孝行、そして、ご先祖さまへの供養にあるといえましょう。(『開祖随感』より)

《3月29日》
勇気を持って自分を変える
 まわりの人はみんな幸せそうなのに、私だけがどうしてこんなに不幸なんだろう、と嘆いている人はおられないでしょうか。そういう人は、不幸の原因を人のせいにしがちなのです。悪いのはみんなまわりのせいにしてしまえば、自分の痛いところに触れずに済みます。
 しかし、そう思い込んでいるかぎり、まわりを恨み続けるか、自分が逃げだすしか方法はなくなってしまいます。それではいつまでも苦からのがれられません。(中略)
 そこのところが分かると、不幸の原因は、お姑さんでも、ご主人でも、子どもでもなくて、勇気を持って自分を変えることさえできればいいのだ、と分かってきます。そこが分かると、こっちが変わっただけなのに相手がいつのまにか変わってしまっていて、仏さまのはたらきがはっきりと感じられてくるのです。(『開祖随感』より)

《3月28日》
夫婦の相性
 夫婦の相性のよし悪しがよく言われます。相性がいいと、一プラス一が、三にも五にもなるのです。
 日蓮聖人は「異体同心なれば万事を成ず」とおおせられましたが、それぞれ持ち味の異なる人が心を一つにすると、考えられない力が生まれます。(中略)
「愛するものは同じ岸を歩け。別々の岸を行くと、川下に行くにつれて手をつなげなくなる」という言葉があります。
 ただ、口で「同心」を唱えるだけでは、一つ心になれるものではありません。共通の願いを持って、苦楽を共にしてこそ同心が育っていくのです。(『開祖随感』より)

《3月27日》
本当の強さ
 よく、男がいちばん力を発揮するのは愛する女性を守ろうとするときだと言われますが、対象は女性だけにかぎりません。わが子、わが親、わが友を守らなくてはならないというときに、持てる力の限りを奮い立たせるのです。
 自分のことだけを考えていたのでは、とても耐えられないような苦しみのさなかにあっても、「自分が守らなければならない人がいる、守らなければならないものがある」と思うと、人はどんな苦しみにも耐えられるようになるのです。本当の人間の強さは、そこのところにあるのではないでしょうか。(『開祖随感』より)

《3月26日》
耐えぬく力
 耐えるのには、なんのために耐えるのかを自覚し、ここを耐えぬけば道が開けるのだ、という希望が必要です。スポーツの選手でも、甲子園をめざし、横綱をめざすからこそ地獄の特訓に耐えぬくことができるのです。
 娘さんが結婚して子どもを授かって母親になると、別人のように変わってしまいますが、それも、わが子のためという大きな目標ができたからです。ただの苦役(くえき)ではすぐに音(ね)を上げてしまう人も、自分はなんのために、だれのために生きるのかという目標を持つと、力がどんどんわいてくるのです。(『開祖随感』より)

《3月25日》
子どもに教わる親の恩
 子どものことで困り果てて、もう、どうしていいか分からなくなってしまうというときが、親御さんなら、どなたにもあるのではないでしょうか。そういうときには、子どもをどうしよう、こうしようということはひとまずおいて、自分が子どものときのことを思いだしてみてほしいのです。
 これまで自分が親にどう対してきたか。自分がどんなに親に手を焼かせ、心配をかけたか。自分のために親がどれほどの苦労に耐えてくれてきたか。・・・(中略)
 心の底から両親への感謝がわき上がってくると、心が素直になって、それで子どもの本当の心が見えてくるのですね。自分の子どものころのことも思い合わせて、子ども気持ちが分かってきて、親と子の心が通い合うのです。(『開祖随感』より)

《3月24日》
母親の愛
 赤ちゃんが三歳くらいになるまでは、お母さんがありったけの愛情を注いであげることが大切です。それによって母親へのぜったいの信頼が生まれ、それが人間全体への信頼感に育っていくからです。しかし、そうした愛情を注いで育てたわが子が、だんだんと親の干渉を嫌うようになり、やがては親を拒み、親から離れていくようになってしまいます。お母さんにとって、こんな残酷なことはないように思えます。(中略)
 愛は、うっかりするとすぐ自己中心の執着になってしまうのです。自分の思いどおりになればかわいいけれども、思いどおりにならないと憎くなる、といった一面も持っているのです。心から子どもの幸せを願う無償の愛であれば、親の手を離れて自立していくわが子を、静かに見守ることができるはずです。ひたすら相手のためを考える知恵ある愛情を慈悲というのです。(『開祖随感』より)

《3月23日》
母親の大事業
 動物は、知らない相手を恐れ拒絶する原始的な本能を具えて生まれてくるそうです。人間の赤ん坊も同じなのですが、お母さんの愛情によって、相手に対して心を開くことができるようになっていくのだといいます。お母さんは、わが子のどんな要求も無条件に受け入れてあげる愛情で子どもを育てます。その母親への信頼が人間全体の信頼につながっていくわけです。(中略)
 人間への信頼をわが子の心に植えつけるのは、お母さんの人生の大事業です。とりわけ三、四歳までの子育ての悪戦苦闘が、重大な意味を持つのです。
 地道そのものに見える子育てのご苦労が、世界平和の基盤づくりにつながっているのです。(『開祖随感』より)

《3月22日》
亡き母への供養
 私が、まだ牛乳屋の商売をしながら布教に歩いていたころのことです。
 亡くなった母の命日が六月二十二日で、その日は、わが家の命日にも当たっていましたのです、毎月、「この日は特別にしっかりとご供養をさせてもらおう」と思っているのですが、その日にかぎって、あの信者さん、この信者さんから声がかかって、真夜中まで飛び回らなくてはならなくなるのです。
 恩師の新井先生にそのことをお話しすると、
「庭野さん、お経をあげるだけが供養じゃないんだよ。苦しんでいる人をお救いするために飛び歩く供養のほうが尊いんです。お母さんやご先祖さまが、どれだけ安心し、喜んでくださっていることか」
 とおっしゃってくださいました。それが法華経を身で読む供養なのだと、そのとき新井先生に教えていただいたのです。(『開祖随感』より)

《3月21日》
無償の大愛
 大正十三年六月二十二日、母はついにこの世を去りました。四十三歳の若さでした。私はこの日も田植えに出ていたため、死に目には会えませんでした。
 一生涯ただ働きに働いて、楽しみらしい楽しみもせず死んでいった母を思うと、今でも涙が止まりません。いい医者に見せたかった。湯治にでも行かせてあげたかった。しかし、まだ経済力のない十七、八歳の未成年にはどうすることもできませんでした。ただ一つの慰めは、若い血にかられて母を置いて再上京しなかったことです。もしそうしていたら、深い悔いが一生わたしの胸をさいなみつづけたことでしょう。
 母というのはかけがえのない存在です。わが子のためなら命を投げ出しても惜しくもない、そういった無償の大愛の持ち主です。わたしの母はそのような母でした。そのことに、一生涯どれほど感謝しても感謝しきれない・・・と思っています。(『佼成』より)

2021-36

《3月20日》
報恩行の出発点
 仏教の教えの基本が、すべての存在は他との関係(縁)なしにはありえない、という縁起観であることは、みなさんもよくご存じのとおりです。その教えをどう実践に移していくかです。
 まず、自分が今日一日を無事に過ごせるのはだれのお陰であるのか、どれだけの人の助けをいただいているか、その縁起を知ることが報恩行の出発点です。(中略)
 いつも、まわりの人たちへの感謝を忘れずに、その感謝の気持ちを素直に表わしていく生き方と、自分を過信して得意になったり、努力が報われないと恨んだりする生き方とでは、天地の開きが出てしまいます。
 先祖供養も、親孝行も、菩薩行も、すべて今日の自分をあらしめているものへの恩返しの行なのです。(『開祖随感』より)

《3月19日》
自分に自信を持てる母親に
 わが子の非行や登校拒否で困り果てているお母さんに、私はなによりもまず、自分に自信を持ってください、とお願いしたいのです。自分を振り返ることは大事ですが、それが自分を責めることになってはならないのです。(中略)
 仏さまは、「私がこの世に現われたのは、みんなが具えている仏性を開花させるためで、どうしたらみんなが仏になる道をあゆんでくれるかと、そればかりを考えているのですよ」とおっしゃられます。ですから、まず自分がどれだけの可能性を秘めているかを自覚して、全力を尽くしてそれを磨きだしていくことが、仏さまを拝むことだと言ってもいいのですね。
 仏さまへの合掌は、自分自身への合掌です。自分を励まし、自分を説得できるお母さんであってこそ、わが子の仏性を信じ、自信を持って説得できるお母さんになれるのです。(『開祖随感』より)

《3月18日》
母親の忍耐力が
 わが子に本当に幸せになってほしい、というのが、親のいちばんの願いでしょう。それならば、人が幸せになれるいちばんの肝心かなめのところを教えなくてはなりません。この社会は、自分のために一生懸命生きなくては生きられませんが、しかし、人のために生きなければ決して幸福になれないことを、しっかりと身につけさせるのが家庭教育のかなめだと思うのです。(中略)
 まず、子どもにできることをやらせる。いちいち子どもに教えてやらせるよりも、自分でやってしまったほうが早くても、面倒がらずに子どもに体験させて、見守ってあげるのが愛情です。わが子の教育には、母親の絶大なる忍耐力が必要です。それなしには、本当の教育はできません。忍耐強い繰り返しによってしか人間の生き方は身につかないのですから。(『開祖随感』より)

《3月17日》
夫婦の相性
 家族が互いに相手の思いを分かってあげようと努力するのが家庭です。相性というのも、ただ性格が合う合わないではなく、お互いに、そばにいるだけで十の力が十二にも十五にもなるという関係のことです。相手を本当に分かってあげようと努力すると、互いにそういう相棒になれるのです。(『開祖随感』より)

《3月16日》
夫婦の信頼関係
 夫婦には、信頼がなによりも大事です。どんなに立派な家に住み、経済的に恵まれても、信頼で結ばれていなければ本当の安らぎはありません。生活は多少苦しくても、心を一つにして支え合い、かばい合っている夫婦は、じつにほほえましいものです。その両親の姿を見て、子どもたちも安心しきっています。夫婦の信頼関係こそ家族を一つにする核なのですね。(中略)
 大切なのは、夫婦が共通の価値観を持ち、共通の目標を持って、二人の顔が同じ方向に向いていることではないでしょうか。それでこそ、夫婦がそれぞれの分を果たしながら、力を合わせて人生の山坂を乗り越えていく力が生まれ、その同行二人の修行の中で信頼関係がより深いものになっていくのだと思うのです。(『開祖随感』より)

《3月15日》
夫婦でつくる人生の宝
 夫婦は一体です。どちらが上だなどと争っても、なんにもなりません。互いに相手を認め、高めてこそ、二人そろって値打ちが上がっていきます。互いの間違いや足りないところをかばい合い、助け合う両親の姿を子どもはちゃんと見ています。
 人生の宝は、第一に、いつくしみ(慈)、第二に、私心をなくす(倹)、第三に、まず人さま(譲)の三つだといいます。いかに時代が変わろうと、変わることのない真理でしょう。(『開祖随感』より)

《3月14日》
「はい」、「ありがとう」
 ふだん家庭で、ご主人に「はい」と気持ちのよい返事ができているでしょうか。家族に「ありがとう」と素直に言えているでしょうか。
 「はい」と、きれいな返事ができると、自然に行動に移れます。心を正すには、まず姿勢を正し、行動を正すことが先なのです。どんな悩みでも、そこから抜けだすのには、まず行動が欠かせません。それができるようになって、そして「ありがとうございます」という言葉が素直に出てくるようになると、自分が、まわりの人にどんなにお世話になってしるか気づかされるのです。
 家庭でも職場でも、「はい」という返事、「ありがとうございます」という感謝の言葉が自然に出てくるようになると、あの仏さまの美しいお姿が、だんだん身に具わってきます。(『開祖随感』より)

《3月13日》
親の願いを言葉で
 いまの子どもは親の言うことなど聞こうともしない、と嘆く前に、「わが子には、こういう人間になってほしい」という親の願いを、折にふれて、繰り返し繰り返し、話して聞かせてあげてほしいのです。
 私の八十余年間の人生をいま振り返っていちばん幸せだったと思うのは、仏さまの教えに導かれて菩薩道をあゆませてもらえたことですが、それは、幼いころ祖父の背で繰り返し「世のため、人のためになる人間になれ」と聞かされ、父から、「骨が折れて働く時間が長く、給料の安いところで辛抱して働くんだぞ」と言い聞かされた言葉に導かれたように思うのです。(中略)
 子どもは言葉に出さなくても、親を信頼し、頼りにしているのです。親に繰り返し言い聞かされたことは、心にしっかり植え付けられて、子どもの人生を決めていくのですね。(『開祖随感』より)

《3月12日》
人生二度なし
 哲学者の森信三(もりしんぞう)先生は、「人生二度なしと本当に分かったとき、自分の生き方に性根が入った」とおっしゃいます。疲れきって、もう目を開いていられないというときも、「二度と繰り返せない人生なんだ」と、全身に冷水をかぶるような気持ちで、机に向かい直すようになった、と言われるのです。
 毎日の自分を振り返ってみてください。子どもやご主人に対して、優しい言葉をかけてあげたいと思いながら、そのときの感情で、小言や愚痴が先になってしまっていないでしょうか。(中略)
「人生二度なし」と、もう一度かみしめてみようではないですか。そして、いまなすべきことを、いますぐにやろうではないですか。(『開祖随感』より)

《3月11日》
わが子を拝む
 神仏から授かる子どもは、親に「本当の生き方」を教えてくれるためにきてくれたお使いです。心身ともに純白のままで生まれてきた子どもが、一日一日、目に見えて成長していくその変化を見守っていると、親の自分がどれだけ精進できているか、よく分かります。(中略)
 わが子を神仏からの授かりものと拝む心、それがなによりも大切なのです。そういう心になると、親のいたらなさを子どもが教えてくれているのがよく見えてきて、親のほうこそ努力しなくては、という気持ちにならずにいられません。
 親御さんがそういう素直な心になってこそ、子どもが素直に育っていくのです。(『開祖随感』より)

2021-59

《3月10日》
夫婦が拝み合って
 結婚は縁ものといいますが、人は自分にふさわしい人に引き寄せられ、ふさわしい人が自分に寄ってきて、夫婦となります。その出会いは、自分が人間として向上していくための“同行”としてお手配になった相手同士ともいえましょう。(中略)
 ところが、その相棒がしばしば大きな壁に見えるときがあるのですね。しかし、その壁が大きく見えるときこそ、自分が変われるチャンスなのです。
 この見方ができるようになって初めて、夫婦が互いに長所も短所もひっくるめて拝み合えるようになるのです。(『開祖随感』より)

《3月9日》
家庭円満の秘訣
 家庭円満の秘訣は、「夫唱婦随」と「婦唱夫随」をうまく使い分けることだといいます。表では、奥さんがご主任に随(したが)う。家に帰ると、ご主人が奥さんに随っている。外では堂々としている社長さんが、家の中では奥さんに頭が上がらないというのも、ほほえましいものです。(中略)
 家の中のことは奥さんの裁量に一切まかせて、黙って随うくらいの度量を持たなくては、外では大きな仕事はできないのではないでしょうか。人は、一人ひとり、それぞれの役を果たすために異なった個性や能力を持って生まれてきていることを知って、それを生かしきるのが一仏乗です。(『開祖随感』より)

《3月8日》
親が手本
 親が自分の姿で、人さまへの奉仕を実際にやって見せることがなによりも大切です。そして、お年寄りや体の不自由な人を見かけたらサッと体が動くように、子どもに教えこんでいかなくてはならないのです。(『開祖随感』より)

《3月7日》
母親の愛情
 いちばん大切なのは、子どもが幼いときに母親が常に愛情こまやかに慈しみの心や愛について語り聞かせ、身をもってそれを示してあげることでしょう。それが、子どもの心の成長にどれだけ大切かしれません。母親がそうして育ててこそ、子どもが大きくなって神の愛や仏の慈悲について聞かされたときに、素直に理解できるのです。(『開祖随感』より)

《3月6日》
まずは「親の恩」
 日蓮聖人も「世に四恩あり。これを知るを人倫となづけ」とおっしゃっています。
 まず親の恩、次に人びとから受ける恩、そして、国の恩、さらに帰依すべき尊い教えに遇(あ)いえた恩、この四つの恩を知らないようでは人間とは言えないとして、「仏教を習はん者、父母・師匠・国の恩を忘るべしや。此(こ)の大恩を報ぜんには、必ず仏法を習ひ究(きわ)め智者とならで叶(かな)ふべきか」と教えられているのです。
 なによりもまず親の恩に心から感謝できること、それが信仰の出発点といってもいいでしょう。(『開祖随感』より)

《3月5日「創立記念日」》
*今日3月5日は、立正佼成会「創立記念日」です。そこで、本日は本会創立当初の庭野開祖のことばをご紹介します。

妙佼先生と二人三脚で
 
結成式は長沼さんの家で挙げ、本部は中野区神明町三十六番地の私の店の二階に置いた。昭和十三年三月五日。これが「大日本立正佼成会」の発足であった。
 立正とは「この世に正法すなわち『法華経』の教えをうち立てる」という意味、「佼成」の「佼」は信仰的な交わりと、信者の和の交流すなわち異体同心を示し、「成」は人格の完成、成仏という理想をかかげたものである。(中略)
 さて、大日本立正佼成会という立派な名前の会を創立したものの、私は相変わらず牛乳屋の主人であり、妙佼先生は氷屋と焼き芋屋の主婦だった。
 両方とも商売をしていたので、二人で自腹を切って、発足したばかりの小さな会を守り育てていった。(中略)
 私はまだ三十代の働き盛り、妙佼先生はもう初老の婦人、それに私は背丈が人並みより高く、妙佼先生は五尺そこそこの人だった。それで、二人が一緒に歩くと、どう加減してもつい私が先になってしまう。妙佼先生は、懸命に追いつこうとする。その様子がいかにもほほえましいので、
「あんたは、歩くとき、よく手を振りますね」
とからかうと、妙佼先生は、
「せめて手で泳がなければ、とても先生には追いつきませんよ」
と相変わらず手を振って歩いたものだ。
 まわる家が多くて、歩いてばかりでは間に合わなくなると、自転車の荷台に妙佼先生を乗せて走りまわった。こうして、一日に二十数軒も訪問したことがあるが、そのときなど、妙佼先生の足はすっかり冷えきって、血の気がなくなり、しばらくは歩くこともできないのだった。(『庭野日敬自伝 道を求めて七十年』より)

《3月4日》
お年寄りの知恵
 アフリカのある地方では、お年寄りが亡くなると「図書館が一つなくなった」といって歎き悲しむそうです。長い人生で蓄えられたお年寄りのさまざまな知識は、まさに図書館一つに匹敵するものがありましょう。よく「昔の自慢話をするようになると年をとった証拠だ」などといって、お年寄りの言葉に真剣に耳を傾けようとしない人がいますが、お年寄りの体験は、聞き方ひとつでまことに有意義なものになるのです。(『開祖随感』より)

《3月3日「桃の節句」》
厳愛(げんない)二つの愛情
 子どもが一人前の大人に育つのには、人間社会のルールをきちんと教える父親の厳しい愛情と、ときには過ちを犯し、くじけかける子どもを抱きかかえる母親の優しい愛情、厳愛(げんない)二つの愛情が欠かせません。
 厳しさを失った父親は、いってみれば傍観者の立場に自分を置いているわけで、わが子に対する真の愛情が欠けていると言われても仕方がないのではないでしょうか。(『開祖随感』より)

《3月2日》
親の姿が
 とりわけ子どもが小さいときには、親のすべてを真似て育ちます。学ぶという言葉は「まねぶ」、つまり真似をするが転化したものだと言います。たとえば母親が歌を口ずさみながら楽しく家事をしていると、子どもは、働くことを明るく楽しいものと考えるようになっていきます。お母さんがいつも暗い顔で仕事をしていれば、子どもは働くことは苦しいことだと思い込んで勤労意欲に欠ける子に育ちかねません。親の姿が子供のよい面も悪い面も引きだしていくのです。(『開祖随感』より)

《3月1日》
あたりまえのことを
 子どもは親に従い、夫婦は互いに支え合うことが大事だと聞かされても、そんなこと人間としてあたりまえのことじゃないか、と聞き流しがちです。(中略)
 しかし、それを素直に聞き入れて自分自身をあらためて振り返ってみると、その当然のことができていなかったことに気づくのです。
 あたりまえのことをあたりまえのようにできる人になるのが仏道修行です。(『開祖随感』より)

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