💎 庭野日敬開祖「䞀日䞀蚀」毎日のこずば什和幎月

2021-15決定

 立正䜌成䌚を創立した庭野日敬開祖の珠玉のこずばを「䞀日䞀蚀」ず題しお、毎日曎新し、぀ず぀ご玹介しおいきたす。今月月も《『法華経』の名句ずその庭野開祖のこずば》をテヌマにお届けしたす。
〈経兞の蚓読ならびに珟代語蚳は、『新釈法華䞉郚経』庭野日敬著によりたす〉

【月日 倧乗経兞は諞仏の宝蔵なり】
 歀この倧乗経兞は諞仏の宝蔵なり。十方䞉䞖の諞仏の県目がんもくなり。䞉䞖の諞もろもろの劂来を出生する皮なり 仏説芳普賢菩薩行法経

〈珟代語蚳この倧乗の教えは、諞仏がもっずもたいせ぀な宝ずされおいるものでありたす。時間的には過去・珟圚・未来の䞉䞖を通じ、空間的には十方の䞖界にわたっお、あらゆる仏の教えの県目ずなる教えでありたす。十方䞉䞖の諞仏は、この教えからこそ生たれるのでありたす〉

《庭野開祖のこずば》
〈諞仏の宝蔵〉であり、〈諞仏の県目〉であり〈劂来を出生する皮〉であるずいうこの䞉句は、倧乗経兞の尊さを簡朔にいいあらわしおいる名蚀であるずおもいたす。これを浅く読めば、なんずなく倧乗経兞は諞仏のためだけのもののように受けずられるかもしれたせんが、それはずんでもない誀解です。諞仏劂来は、その悟りも、はたらきも、衆生枈床を目的ずされおいるのですから、その宝蔵であり、県目であり、出生の皮である倧乗経兞は、぀たるずころは〈衆生のための教え〉・〈衆生を仏の境地にたでみちびく教え〉にほかならないのでありたす。『新釈法華䞉郚経』より

【月日 方等経兞ほうどうきょうでんは為これ慈悲の䞻しゅなり】
 方等経兞ほうどうきょうでんは為これ慈悲の䞻しゅなり。唯ただ願わくは我われを芳み、我わが所説を聎ききたたえ 仏説芳普賢菩薩行法経

〈珟代語蚳倧乗の教えを孊んで、すべおの人が平等に仏性をもっおいるこずを悟っおこそ、ほんずうの慈悲心が湧いおくるものず、わたくしは信じおおりたす。どうぞ、わたくしの心の奥をきびしくごらんになっおください。そしお、わたくしが懺悔いたしたすこずを、぀ぶさにお聞きくださいたせ〉

《庭野開祖のこずば》
 ここも、ずいぶん語句を補足しお、意蚳に぀ずめたした。
 〈方等経兞は為れ慈悲の䞻なり〉 これはだいじなこずばです。倧乗の教えは慈悲心のおおもずになるものであるずいう意味です。なぜそうであるかずいえば、倧乗経兞の栞心ずなる教えは、〈すべおの人が平等に仏性をもっおいる〉ずいうこずです。もっず掘りさげおいえば、〈䞀切の人間も、動怍物も、無生物も、すべお久遠の本仏に生かされ、仏性をもった自分ず同等の存圚である〉ずいうこずです。
 このこずを心の底から悟るこずができたならば、おのずからすべおの人間・動怍物・無生物にたいする愛情が湧いおこざるをえたせん。いわゆる自他䞀䜓感にもずづく深い愛情です。こういった愛情を慈悲ずいうのです。䞭略
 このような慈悲は、たえにものべたしたように、〈䞇物は久遠本仏に生かされおいる〉ず説く倧乗の神髄をしんそこから悟るこずによっおこそ生ずるものでありたすから、じ぀に〈方等経兞は為れ慈悲の䞻なり〉なのでありたす。『新釈法華䞉郚経』より

【月日 其の頭こうべを摩なでたもうを為えん】
 若もし受持し読誊し正憶念しょうおくねんし、其その矩趣ぎしゅを解げし説の劂く修行するこずあらん。圓たさに知るべし、是この人は普賢の行を行ずるなり。無量無蟺の諞仏の所に斌おいお、深く善根を皮うえたるなり。諞もろもろの劂来の手みおをもっお、其の頭こうべを摩なでたもうを為えん 普賢菩薩勧発品第二十八

〈珟代語蚳たたもし、この教えを受持し、読誊し、正しく蚘憶し、その内容をよく理解し、そしお教えのずおり修行するものがありたしたならば、その人は普賢ずおなじ行を行なっおいるものず知らなければなりたせん。その人は、きっず前䞖から数おおくの諞仏に仕えお、もろもろの善根を積んだ人でございたしょう。こういう人は、劂来のみ手で頭をなでおいただくに倀する人ずいえたしょう〉

《庭野開祖のこずば》
 ここには、ひじょうに尊い䞉぀の句がありたす。
 第䞀は、〈是の人は普賢の行を行ずるなり〉です。法華経の教えを受持・読誊し、正しく蚘憶し、意矩を䌚埗し、そのずおり修行するものは、普賢菩薩の行ないずそっくりおなじこずを行なっおいるのだずいうのです。すなわち、その人自身が普賢菩薩であるずいうこずです。そういう自芚をもちえるずいうこずは、なんずいうすばらしさでしょう。信仰者ならでは埗られぬ倧自信の境地でありたす。
 第二は、〈無量無蟺の諞仏の所に斌お、深く善根を皮えたるなり〉です。こうしお法華経を受持するこずができたわれわれは、過去䞖においお、もろもろの仏さたのみもずで修行を積み、善根を怍えたものでありたす。それをおもえば、たた倧きな自信をも぀こずができたす。珟䞖における地䜍・職業などのいかんにかかわらず、自分は仏の子なのだずいう自芚をも぀こずができるのです。これたた、じ぀にすばらしいこずでありたす。これからさき、おおいに胞を匵っお人生の道を闊歩しおいくこずができるのでありたす。
 第䞉は、〈諞の劂来の手をもっお、其の頭を摩でたもうを為ん〉です。仏さたに頭をなでおいただく それは日本人の習慣から解釈すれば、仏さたにほめおいただくこずになりたす。そう受けずっおも、おおいに結構です。たた、これをむンドの習慣から解釈すれば、仏さたに信頌しおいただくこずになりたす。これもひじょうにありがたいこずです。ずにかく、仏さたにほめおいただき、信頌しおいただくずいうこずは、信仰者ずしお無䞊の喜びです。すばらしい法悊の境地です。
 この䞉぀の句は、い぀でも暗誊できるように正憶念したいものでありたす。『新釈法華䞉郚経』より

【月日 神通力を具足ぐそくし 広く智の方䟿を修しお】
 神通力を具足し 広く智の方䟿を修しお 十方の諞もろもろの囜土に 刹くにずしお身を珟ぜざるこずなし 芳䞖音菩薩普門品第二十五

〈珟代語蚳芳䞖音菩薩は自由自圚な神通力をそなえ、どのような堎合にもピタリずあおはたる智慧のはたらきを身に぀け、必芁あらばいかなる所にもあらわれお、救いのはたらきをされるのでありたす〉

《庭野開祖のこずば》
 われわれふ぀うの人間にずっお、神通力ずいうのは、぀たり自由自圚な力ずいうこずです。぀ねにピタリず的を射たこずを考え、蚀い、行なうこずのできる力です。いわば透培した智慧です。
 芳䞖音菩薩はそうした智慧の暩化でありたすから、われわれもそれに孊ばなければならないのです。芳䞖音菩薩にならなければならないのです。䞭略
 ひずの気持がよくわかる。考えおいるこずもよくわかる。欲しおいるこずもよくわかる。そしお、いたその人のためにどんなこずをしおあげるのがいちばん正しいか、どうしおあげればほんずうにその人を幞犏にしおあげるこずができるか、その刀断がひずりでにピシッず的を射る  こうならなければならないのです。それが、われわれの孊ばなければならぬ芳䞖音菩薩の神通力でありたす。

【月日 芳音劙智の力 胜よく䞖間せけんの苊を救う】
 衆生困厄こんやくを被こうむっお 無量の苊身くみを逌せめんに 芳音劙智の力 胜よく䞖間の苊を救う 芳䞖音菩薩普門品第二十五

〈珟代語蚳おおくの人びずがさたざたな困難に䌚い、ひじょうな苊しみにさいなたれるずき、芳䞖音菩薩の䞍可思議な智慧の力は、よくこのような人びずの苊しみを救うでありたしょう〉

《庭野開祖のこずば》
 いたたでさたざたな苊難を救う芳音力に぀いおのべられおきた、その結びの句でありたす。
〈芳音劙智の力〉 もろもろの衆生の心の声を聞き分け、それにふさわしい救いをあたえる至䞊の智慧、いわくいいがたい䞍可思議な智慧です。䞭略぀ねに真理にもずづきながら、しかもその人・その堎合に即応した、目的にかなった智慧でありたす。
  さたざたな困厄をこうむっお、苊しくおたたらぬずき、こういう智慧がフッず湧いおくるならば、その苊しみをたちたちはねかえすこずができたす。このはねかえすずいうこずが人生にずっおひじょうにたいせ぀であっお、はねかえす力をも぀ものは、どんな困難をも乗りきるこずができたす。䞭略
 そこに信仰のありがたさがあるのです。信仰によっお、心のよりどころをもっおいさえすれば、どんな人でも、なんずか苊難の底から立ちあがるこずができたす。立ちあがりさえすれば、䞖の䞭はなんずかなるようにできおいるものです。
 この〈信仰心によっおなんずか立ちあがり立ち盎る〉、その䞍可思議な力が〈芳音劙智の力〉であるずいっおもいいでしょう。なんずかずいうのは、䞀芋ずりずめのないこずばのように聞こえたすが、このなんずかずいうずころに、真の智慧のはたらきの至劙さがあるのです。
 それは、「こうすればこうなる」ずハッキリ割りきるこずのできない䞀皮のひらめきです。信仰をも぀人には、いざずいうずきにそのようなひらめきがおずずれるのです。どん底におちいったずき、そのようなひらめきをおがえお、新しい勇気を埗るこずができるのです。『新釈法華䞉郚経』より

【月日 胜よく䞀切の生死しょうじの瞛ばくを解かしめたもう】
 枅涌しょうりょうの池の胜よく䞀切の諞もろもろの枇乏か぀がうの者に満぀るが劂く、寒き者の火を埗たるが劂く、裞なる者の衣ころもを埗たるが劂く、商人の䞻しゅを埗たるが劂く、子の母を埗たるが劂く、枡わたりに船を埗たるが劂く、病に医くすしを埗たるが劂く、闇に燈ずもしびを埗たるが劂く、貧しきに宝を埗たるが劂く、民の王を埗たるが劂く、賈客こかくの海を埗たるが劂く、炬ずもしびの暗やみを陀くが劂く、歀の法華経も亊埩たたたた是かくの劂し。胜よく衆生をしお䞀切の苊・䞀切の病痛を離れ、胜く䞀切の生死の瞛ばくを解かしめたもう 薬王菩薩本事品第二十䞉

〈珟代語蚳枅らかな氎をたたえた池のずころぞくれば、のどの枇いた人すべおがその氎を飲んで満足するように、たた寒さに震えおいた人が暖かい火を埗お生きかえった気持になるように、裞の人が着物を埗たように、他囜ぞ旅する隊商がよい案内人を埗たように、子どもが母に䌚ったように、枡し堎で船をみ぀けたように、病気のずき医垫にきおもらったように、真っ暗な倜に灯火を埗たように、貧しいものが宝を埗たように、人民がいい統治者を埗たように、貿易者が平穏な海路を芋぀けたように、たいた぀の火が闇を照らしだすように、この法華経もちょうどそのような力をも぀ものでありたす。法華経は、衆生の䞀切の悩みや病苊を陀き、生死ずいう茪廻の束瞛から、人間を解き攟぀ものでありたす〉

《庭野開祖のこずば》
 これを䞖に〈十二諭の利益りやく〉ずいい、法華経の利益を十二のたずえであらわしおあるわけですが、そのひず぀ひず぀をよくあじわっおみれば、たんなる圢容ではないこずがわかっおくるこずずおもいたす。なかでも、いちばんだいじなのは、最埌の䞀句です。
 生死ずいうのは、茪廻のこずで、䜕回も生たれ倉わり死に倉わりするこずです。ですから、生死の瞛ずいうのは、そういう茪廻の苊しみから逃れられないこずをいうのです。ずころが、ひずたび仏の教えの真髄である法華経を知り、それを受持するようになれば、そのような茪廻の苊しみから解脱できるようになるずいうのです。すなわち、仏の悟りを埗るこずができるようになるのです。
 それを珟実の生掻にそくしおいうなら、どんな倉化が身蟺に起こっおも動かされない、自由自圚な心境にたっせられるずいうわけです。
〈胜く䞀切の生死の瞛を解かしめたもう〉ずは、たこずにいいこずばです。

【月日 仏慧ぶっおを埗せしめんが為ための故なり】
 未来䞖に斌おいお、若もし善男子・善女人あっお劂来の智慧を信ぜん者には、圓たさに為ために歀の法華経を挔説しお、聞知もんちするこずを埗えせしむべし。其その人をしお仏慧ぶっおを埗せしめんが為の故なり 嘱环品第二十二

〈珟代語蚳もし未来䞖においお、わたしの慈悲の智慧を信ずる信仰深い男女があったならば、その人びずのために、この法華経の教えをよく説き聞かせおあげなさい。それはなんのためでもない、その人に仏ずおなじような智慧を埗させるためでありたす〉

《庭野開祖のこずば》
 なんのために法を説くのか、なんのために法華経の教えをひろめるのか、それは畢竟くきょう、〈仏の智慧〉をみんなに成就させるためである ずいうのです。
 この〈其の人をしお仏慧ぶっおを埗せしめんが為の故なり〉ずいうこずばは、仏教の目的をきわめお簡明にいいあらわした、ひじょうに重みのあるこずばであるずおもいたす。よく蚘憶しおおきたいものです。
 その人を、他動的に、そしお倖面的にしあわせにしおあげるのではなく、その人のほんらいもっおいる仏性ず、そこに内圚する仏の智慧を匕き出し、育おおあげるこずによっお、〈自分で自分をしあわせにするよう〉しかも〈心の奥からにじみだしおくる深いしあわせを埗るよう〉にみちびいおあげる、これが仏法の真の目的であり、正しい方法でもあるわけです。『新釈法華䞉郚経』より

【月日 皆歀みなこの経に斌お宣瀺顕説せんじけんぜ぀す】
芁ようを以お之を蚀わば、劂来の䞀切の所有しょうの法・劂来の䞀切の自圚の神力・劂来の䞀切の秘芁の蔵ぞう・劂来の䞀切の甚深の事・皆歀の経に斌お宣瀺顕説せんじけんぜ぀す 劂来神力品第二十䞀

〈珟代語蚳その芁点をたずめおいうならば、劂来の悟った䞀切の法ず、劂来のも぀自由自圚の䞀切のはたらきず、劂来の胞に満ち満ちおいる䞀切の重芁な教えず、劂来の䞀身が経おきた䞀切の内的・倖的な深い経隓のすべおを、みなこの教えのなかにのべ瀺し、説き明かしおあるのです〉

《庭野開祖のこずば》
 これは、総たずめのたた総たずめであっお、たいぞん重芁な䞀節です。仏さたのもっおおられる、ありずあらゆる埳ず、力ず、はたらきを、これだけの文章に結晶させおあるわけです。『新釈法華䞉郚経』より
 䞖尊は、「法華経」の党䜓の総たずめである「劂来神力品」の、そのたた総たずめずしお、「その芁点をひっくるめおいえば、劂来の悟った䞀切の法、その法から発する䞀切の衆生枈床のはたらき、そのはたらきずしお珟われる䞀切の教え、過去においお実際に珟わしおきた䞀切の衆生枈床の行ない・・・これらのものをすべお、この経の䞭ではっきりず瀺し説き明かしたのである」ずおおせになったわけです。「法華経」のも぀最高の䟡倀、その完党無欠さが、ここで改めお釈尊ご自身のおこずばずしお蚌明されおいるわけです。『法華経の新しい解釈』より

【月日 応圓たさに䞀心に 広く歀の経を説くべし】
 是この故に行者 仏の滅埌に斌おいお 是かくの劂き経を聞いお 疑惑ぎわくを生ずるこずなかれ 応圓たさに䞀心に 広く歀の経を説くべし 䞖䞖せせに仏に倀あいたおた぀りお 疟ずく仏道を成じょうぜん 垞䞍軜菩薩品第二十

〈珟代語蚳わたしが入滅したのちの䞖の行者たちよ、このような尊い教えを聞いお、かりそめにも疑惑を生じおはなりたせん。ぜひ、たごころをこめお、この経を説きひろめなければならないのです。そうすれば、その功埳によっお、生たれ倉わるごずに仏に䌚いたおた぀るこずができ、たわり道をするこずなく仏の悟りにたっするこずができたしょう〉

《庭野開祖のこずば》
 最埌の〈応圓たさに䞀心に広く歀の経を説くべし䞖䞖せせに仏に倀あいたおた぀りお疟ずく仏道を成じょうぜん〉ずいう四句は、説法の功埳をよく簡明に衚珟しおありたす。暗誊できるように、おがえおおきたいものです。
 この《垞䞍軜菩薩品》は、はじめに〈䜆行瀌拝〉ただ仏性瀌拝のみを行ずるを匷調しおありたした。それは、さきにものべたように、〈仏性の自芚・瀌拝ずいうこずが仏道修行の根本であり、すべおに先行するものでなければならぬ〉ずいうこずを教えられたものであり、読誊や説法は䞍芁だずいうこずではないのです。
 垞䞍軜菩薩も、〈䜆行瀌拝〉の功埳によっお法華経を自埗したのちは、䞖々にわたっおそれを説き、無数の人びずに功埳をあたえたした。そういう利他の行ないを行じ぀づけたからこそ、くりかえしくりかえし法華経を䜓埗し䞖䞖に仏に倀いたおた぀り、しだいにその悟りを深め、぀いに最高のめざめの境地にたっする仏道を成ずるこずができたわけです。
 そのなりゆきは、われわれ埌䞖の人間にもそっくりあおはたるものであり、それを教えたのが法華経にほかならないわけです。ですから、われわれは、垞䞍軜菩薩の〈仏性瀌拝〉の態床を芋習うず同時に、〈説法による倧衆の仏性顕珟〉ずいう努力をも、おおいにかがみずしなければならないのです。『新釈法華䞉郚経』より

【月日 我敢あえお汝等なんだちを軜かろしめず】
 歀かくの劂く倚幎を経歎きょうりゃくしお、垞に眵詈めりせらるれども瞋恚しんにを生ぜずしお、垞に是この蚀こずばを䜜なす、汝なんじ圓たさに䜜仏さぶ぀すべしず。是の語こずばを説く時、衆人或あるいは杖朚じょうもく・瓊石がしゃくを以お之を打擲ちょうちゃくすれば、避け走り遠く䜏しお、猶お高声こうしょうに唱えお蚀わく、我敢あえお汝等なんだちを軜かろしめず、汝等皆圓に䜜仏すべしず 垞䞍軜菩薩品第二十

〈珟代語蚳こうしお、長い幎月のあいだ眵ののしられどおしでしたが、その菩薩比䞘はけっしお怒りたせん。あいかわらず、人さえ芋れば、「あなたは仏になるお方です」ずいうのでした。そのこずばの真意のわからない矀衆は、すっかり腹を立お、杖や棒でたたいたり、石や瓊を投げ぀けたりするのでした。するず、その菩薩比䞘がさ぀びくは走っお逃げ、遠くのほうから、なおも「わたしには、どうしおもあなたがたを軜んずるこずができたせん。あなたがたは、かならず仏になる人たちだからです」ず、倧声に唱えるのでした〉

《庭野開祖のこずば》
 法華経には、垞䞍軜菩薩の瀌拝行が説かれおいたす。垞䞍軜菩薩は、どんな人であろうが「この人は仏性を具えおいお、必ず仏になる人だ」ず、もう、ぜったいに信じきっお拝み続けるのです。
 ですから、石を投げ぀けられおも、杖で打ちかかられおも、「あなたがどんなこずをしようず、私は、あなたを信じお疑いたせん。あなたは仏になる人だからです」ず拝み続ける。盞手がどんなむちゃを蚀おうが、たったくおかたいなしです。文字ずおり、拝み倒すのです。
 そういう人に出䌚うず、人は降参するしかないのですね。心の奥の奥に眠っおいる、けがれのないきれいな心がほずばしっおくるのです。『開祖随感』より

蓮 月「䞀日䞀蚀」䜿甚

【月日 即すなわち是れ仏ほずけ受甚じゅようしたもう】
 仏子歀この地に䜏すれば 即ち是これ仏ほずけ受甚じゅようしたもう 垞に其の䞭に圚たしたしお 経行きょうぎょうし若もしは坐臥ざがしたたわん 分別功埳品第十䞃

〈珟代語蚳仏の教えを心から信受しおいる人の䜏するずころは、仏もそれを自分の䜏するずころずしお甚いるのです。すなわち、぀ねにそこにずどたられ、そぞろ歩きをしながら法を考えたり、すわっお犅定にはいったり、たたそこでやすむでしょう〉

《庭野開祖のこずば》
 尊いおこずばです。仏さたは、仏の教えを心から信受しおいるものを、ほんずうの子ず同様にお考えになりたすから、仏子ずおっしゃっおおられるのです。
 その仏子の䜏しおいるずころは、仏さたがご自分の䜏む堎所ずしおくださるずいうのです。それが〈受甚〉の意味です。぀たり、そういう人のずころには、仏さたのほうからおいでになっお、いっしょに䜏んでくださるずいうのです。
 信仰者にずっお、これほどうれしい、ありがたいこずはありたすたい。仏さたずずもに䜏み、仏さたずずもに起き、仏さたずずもに眠りに぀く・・・たこずに信仰生掻の極地の法悊境ずいうべきでありたしょう。『新釈法華䞉郚経』より

【月日 䞀心に仏を芋たおた぀らんず欲しお】
 衆生既すでに信䌏しんぶくし 質盎しちじきにしお意こころ柔茭にゅうなんに 䞀心いっしんに仏を芋たおた぀らんず欲しお 自ら身呜しんみょうを惜おしたず 劂来寿量品第十六

〈珟代語蚳教えを求めずにはいられなくなった衆生は、その教えを心から信じ、たっすぐな玠盎な心で、しかも䞀心に、仏ず共にあるずいう自芚を埗ようず欲し、そのためには呜さえもいらないずいうほどの真剣な気持になるのです〉

《庭野開祖のこずば》
 この「仏を芋たおた぀る」ずいうのは、「仏ずいっしょにいるずいう自芚を埗る」ずいうこずです。「自分はたしかに仏さたに抱かれおいる。生かされおいる」ずいう自芚がはっきりずしおくるず、それはずりもなおさず仏を芋たおたっおいるわけです。
 そういう自芚を埗れば、たったく倧安心の境地です。どんなこずが起ころうずも、ビクずもするものではありたせん。ですから、そういう境地に達するためには、だれだっお金も、地䜍も、名誉もいらない、いや呜さえ投げだしおも惜しくない気持になるのは、圓然のこずなのです。『法華経の新しい解釈』より
 それは、けっしお生呜を軜んずるものではありたせん。逆に、そうなっおこそ自分のほんずうのいのちを生かすこずができるのです。䞖間的な欲望ずいうものは、仮りの我われ、䞀時的な珟象の我われを生かしたいずいう望みです。ですから、そういう望みが぀よければ、ほんずうの自分ずいうものは、かえっお生きおこないのです。
 生呜を捚おおもかたわない――ずいう、無我の、すがすがしい心境になっおこそ、自分のほんずうのいのち、䞍生䞍滅の仏性が生きおくるのです。『新釈法華䞉郚経』より

【月日 垞に歀ここに䜏じゅうしお法を説く】
 衆生を床どせんが為ための故に 方䟿しお涅槃ねはんを珟ず 而しかも実には滅床せず 垞に歀ここに䜏じゅうしお法を説く 劂来寿量品第十六

〈珟代語蚳わたしは、衆生を救うひず぀の手段ずしお、この䞖から姿を消したこずもありたす。しかし、じっさいは滅床したのではなく、぀ねにこの嚑婆䞖界に䜏しお法を説いおいるのです〉

《庭野開祖のこずば》
 『経兞』に「垞に歀に䜏しお法を説く」ずいうお蚀葉がありたす。仏さたは「私は、仏の悟りを埗おからずっず真理の教えを説いお無数の人を仏道に導いおきた。私は、い぀もこの䞖界で法を説き続けおいるのだよ」ずおっしゃられおいるのです。䞭略
 私たちは、毎日さたざたな人に出䌚いたす。その蚀葉で教えられたす。人さたの善い行いを芋お啓発され、䞖の䞭のさたざたな出来事によっお法の働きを悟らせおもらうのですが、それがすべお仏さたのお手配だったず気づくず、「ああ、仏さたはい぀も私のそばで法を説いおくださっおいたのだ」ず、心から歓喜がわき䞊がっおくるのです。たず、玠盎な心で仏さたのお蚀葉を信じきるこずです。『開祖随感』より

【月日 嚑婆䞖界の䞉千倧千の囜土、地皆震裂しんれ぀しお】
 嚑婆䞖界しゃばせかいの䞉千倧千の囜土、地じ皆みな震裂しんれ぀しお、其の䞭より無量千䞇億の菩薩摩蚶薩がさ぀たかさ぀あっお同時に涌出ゆじゅ぀せり。是の諞の菩薩は身み皆みな金色こんじきにしお、䞉十二盞・無量の光明あり。先より尜こずごずく嚑婆䞖界の䞋、歀の界の虚空こくうの䞭に圚あっお䜏せり。是の諞の菩薩、釈迊牟尌仏の所説の音声おんじょうを聞いお䞋より発来ほ぀らいせり 埓地涌出品第十五

〈珟代語蚳嚑婆䞖界党䜓の土地に無数の割れめができ、そのなかから、みるみる䜕千䞇億ずも知れぬ菩薩が湧きだしおきたした。これらの菩薩は、みんなからだが金色に茝き、䞉十二の吉盞をそなえ、えもいわれぬ光明を攟っおいたす。この菩薩たちは、はるかなむかしから、嚑婆䞖界の䞋の虚空に䜏しおいたのですが、釈迊牟尌仏が自分たちに教化を任せるずおおせられたみ声を聞いお、この䞖界にあらわれ出たのでありたす〉

《庭野開祖のこずば》
 地べたから涌き出した菩薩ずいうのは、苊しみや悩みの倚い珟実の生掻を経隓し、その䞭で修行を積み、そしお䞖俗の生掻をしながら高い悟りの境地に達した人びずのこずをいうのです。こうしお、自らの苊しみや悩みを経隓し、そこを぀きぬけおきた人は、ほんずうの力をもっおいたす。そんな人こそ、人を教化する力を具えおいるのです。
 そういう地涌の菩薩にこの嚑婆䞖界を任せられたずいうこずは、぀たりこの䞖界はそこの䜏人であるわれわれ自身の努力によっお枅浄にし、平和にし、われわれ自身の手で幞犏な生掻をきずきあげなければならないのだ――ずいう教えなのです。『法華経の新しい解釈』より

【月日 倧悲だいひの想おもいを起し】
 圓たさに䞀切衆生いっさいしゅじょうに斌おいお倧悲の想おもいを起し、諞もろもろの劂来に斌お慈父の想おもいを起し、諞の菩薩に斌お倧垫の想おもいを起すべし。十方の諞もろもろの倧菩薩に斌お垞に深心じんしんに恭敬くぎょう・瀌拝らいはいすべし 安楜行品第十四

〈珟代語蚳䞀切衆生にたいしおは、心からあわれみを感じ、その苊しみを陀いおやろうずいう倧きな願いを起こさなければなりたせん。もろもろの仏にたいしおは、自分のやさしい父であるずいう思いをもたなければなりたせん。もろもろの菩薩にたいしおは、自分のたいせ぀な先生であるずいう思いをもたねばなりたせん。十方のおおくの倧菩薩にたいしおは、぀ねに深く敬い、瀌拝しなければなりたせん〉

《庭野開祖のこずば》
 じ぀にだいじな、適切な教えでありたす。
〈圓に䞀切衆生に斌お〉から〈深心に恭敬くぎょう・瀌拝すべし〉たでは、できれば暗蚘しおほしいものだずおもいたす。『新釈法華䞉郚経』より

【月日 我は是これ䞖尊せそんの䜿぀かいなり】
 我われは是これ䞖尊の䜿぀かいなり 衆に凊するに畏おそるる所なし 我圓たさに善よく法を説くべし 願わくは仏ほずけ安穏あんのんに䜏したたえ 勧持品第十䞉

〈珟代語蚳わたくしどもは、たさしく䞖尊のお䜿いでございたす。それをおもえば、どのような倧衆のなかにはいっおも、恐れはばかるこずはございたせん。わたくしどもは、党力を぀くしお、正しく法華経を説きたしょう。仏さた、どうぞご安心くださいたせ〉

《庭野開祖のこずば》
  謙虚ではありたすが、自信に満ちたこずばです。䞖尊の䜿いであるからには、根本真理をしっかり理解しおいなければなりたせん。その根本真理のうえに立ち、自由自圚に法を説かねばならないのです。その根本真理ずは䜕であるかずいえば〈諞法空〉ずいうこずです。䞭略
 《法垫品第十》に〈劂来の座ずは䞀切法空是れなり。是の䞭に安䜏しお  広く是の法華経を説くべし〉ずありたすが、それに随順し、䞖尊の代理䜿いずなっお法を説きひろめるこずをお誓いしたのが、この䞀行であるずされおいるわけです。『新釈法華䞉郚経』より

【月日 提婆達倚だいばだったが善知識ぜんちしき】
 等正芚ずうしょうがくを成じょうじお広く衆生を床どするこず、皆みな提婆達倚だいばだったが善知識ぜんちしきに因よるが故なり 提婆達倚品第十二

〈珟代語蚳こうしお仏の悟りを埗え、ひろく衆生を救うこずができるのも、すべお提婆達倚ずいう善い友人のおかげなのです〉

《庭野開祖のこずば》
「提婆達倚が善知識」
ずいう蚀葉がありたす。提婆達倚は、修行のあり方でお釈迊さたず察立し、お呜を狙うたでになっおしたった匟子です。ずころが、お釈迊さたは「提婆達倚がいたお陰で私は悟りを埗るこずができたのだ」ず語っおおられるのです。䞭略
 人はしばしば䞍幞に出遭ったり、郜合の悪いこずにぶ぀かったりしたす。そこで嘆いたり、人を恚んだりしがちですが、苊難から逃げずに「これによっお自分の足りないずころを盎しおもらえるのだ」「自分が磚かれるのだ」ず受け止めるのが「提婆達倚が善知識」ず拝む修行です。困難に遭ったずき「これこそ善知識」ず口に出しお蚀っおみるず、心組みがたるで違っおきたす。その心が掻路を開くのです。
 その堎では自分だけ䞍利な条件に眮かれおいるように思えるこずも、自分を成長させおくれる仏さたのお慈悲だったず分かるずきが必ずくるのです。『開祖随感』より

【月日 今正たさしく是これ時なり】
 即時に釈迊牟尌仏、神通力じんづうりきを以もっお諞もろもろの倧衆だいしゅを接しお皆みな虚空こくうに圚おきたもう。倧音声だいおんじょうを以お普く四衆に告げたたわく、誰たれか胜よく歀この嚑婆囜土しゃばこくどに斌お広く劙法華経を説かん。今正たさしく是これ時なり。劂来久しからずしお圓たさに涅槃ねはんに入いるべし。仏、歀の劙法華経を以お付属ふぞくしお圚あるこずあらしめんず欲す 芋宝塔品第十䞀

〈珟代語蚳釈迊牟尌仏は、ただちに神通力をもっお倧衆をいだきあげられ、こずごずく虚空こくうにおずどたらせになりたした。そしお、倧音声だいおんじょうをもっお䞀同にお告げになりたした。
「みんなのなかのだれが、この嚑婆䞖界においお、ひろくこの劙法華経を説いおくれるのでしょうか。いたこそ、その時は近づき぀぀ありたす。わたしは、遠からずこの䞖を去ろうずしおいたす。ですから、この教えをだれかにしっかりず任せお、い぀たでも存続させたいのです」〉

《庭野開祖のこずば》
 お釈迊さたは、この虚空䌚の開始ず同時に〈誰たれか胜よく歀この嚑婆囜土しゃばこくどに斌お広く劙法華経を説かん〉ず、早くも地䞊での実践を激励しおおられたす。たこずに意矩深いこずでありたす。
 そしお、法華経を付属ふぞくしたい人をさがしおおられたす。付属ずは、委ゆだね任せるこずです。しかし、お釈迊さたずしおは、特定の人に任せるのでなく、すべおの人にその聖業を負おっおもらいたいのがご本心であるこずは、いうたでもありたせん。『新釈法華䞉郚経』より

【月日 劂来の宀に入り、劂来の衣を著き、劂来の座に坐しお】
 若し善男子・善女人あっお、劂来の滅埌に四衆の為ために是の法華経を説かんず欲せば、云䜕いかにしおか説くべき。是の善男子・善女人は、劂来の宀に入り、劂来の衣を著き、劂来の座に坐しお、爟しこうしお乃いたし四衆の為に広く斯この経を説くべし。劂来の宀ずは䞀切衆生の䞭の倧慈悲心是これなり。劂来の衣ずは柔和忍蟱の心是れなり。劂来の座ずは䞀切法空是れなり。是の䞭に安䜏しお、然しこうしお埌に䞍懈怠ふけだいの心を以もっお、諞もろもろの菩薩及び四衆の為に、広く是の法華経を説くべし 法垫品第十

〈珟代語蚳もし圚家の男女の信仰者が、わたしの滅埌に、おおくの衆生のためにこの法華経の教えを説こうずするずき、はたしおどのように説いたらいいのでありたしょうか。その人たちは、劂来の宀に入り、劂来の衣を着、劂来の座にすわり、そうしおおおくの人びずにひろくこの教えを説かなければなりたせん。
 劂来の宀ずいうのは、䞀切衆生にたいする倧慈悲心のこずでありたす。劂来の衣ずいうのは、柔和であり、しかも倖からの圱響に動かされない぀よい心でありたす。劂来の座ずいうのは、䞀切は空であり、したがっお、すべおの人間は仏真劂に平等に生かされおいるものであるずいう、根本の真理でありたす。
 この倧慈悲心ず、柔和忍蟱の心ず、空の教えを胞にしっかりずもち぀づけ、぀ねにうたず怠らぬ意志力をもっお、もろもろの菩薩および倧衆のために、ひろくこの法華経を説かなければなりたせん〉

《庭野開祖のこずば》
《法垫品》の芁点䞭の芁点でありたす。
すなわち、末䞖の信仰者はどのような心がけで法華経を説かなければならないかずいう、その根本的な䞉぀の心がたえが、ここに瀺されおいるのです。これを叀来〈衣・座・宀の䞉軌さんき〉ず呌んでいたす。軌ずは軌道の軌で、正しい道の意味です。『新釈法華䞉郚経』より

「劂来の宀ずは䞀切衆生の䞭の倧慈悲心是これなり」ず経兞にありたす。善人も悪人もすべお倧慈悲心で包んであげお、救っおあげようずいうのが仏さたの心です。それには、それぞれの人の違いをちゃんず知っおいお、しかも、みんなが仏性を具えおいるのを芋お取る県力を具えなくおはなりたせん。『開祖随感』より

「劂来の衣ずは柔和忍蟱の心是これなり」ず経兞にありたす。盞手がかたくなになればなるほど、それを柔らかく包み蟌み、埅っおあげるこずが倧事なのです。盞手を裁くのではなく、盞手の苊しさを分かっおあげお、信じお、埅぀。人に生たれ倉わっおもらうのは、こちらの修行でもあるのです。『開祖随感』より

 さおその䞉軌の䞭の慈悲は感性に関するものです。柔和忍蟱の心もおおむね感情の問題ですから、それを持ずうず思っただけではなかなかその通りにできるものではありたせん。そこで、理性的な珟代人にずっおいちばん入りやすいのは最埌の「空」ずいう仏法の基本原理でありたしょう。䞭略
 珟実のわれわれの心がけずしお煮぀めおみたすず、結局「珟実の姿にこだわらない」ずいうこずに垰するず思いたす。すべおの人は仏性をもち、久遠の仏さたに生かされおいる存圚ですから、珟象に珟われおいる姿にこだわるこずなく、どの人にも同じ気持ちで察する、そういった態床こそが「劂来の座」であり、それはひずりでに慈悲の心にも、柔和忍蟱の心にも぀ながるものだず思いたす。『䜌成新聞』より

【月日 願っお歀この間に生れ】
 歀この人は是これ倧菩薩の阿耚倚矅䞉藐䞉菩提あのくたらさんみゃくさんがだいを成就しお、衆生を哀愍あいみんし願っお歀この間に生れ、広く劙法華経を挔のべ分別するなり 法垫品第十
〈珟代語蚳この人は、倧菩薩ずしおすでに仏の悟りを悟っおいながら、衆生をあわれむ心から、みずからすすんで人びずのあいだに生たれ、ひろく法華経の教えを説き、さたざたに説き分けるのでありたす〉

《庭野開祖のこずば》
 菩薩は仏になるこずのできる身でありながら、浄土に生たれる果報を捚おお、衆生をあわれむがゆえに、みずから願っお歀の間人間に生たれるずいうのです。善悪の業によっお生たれ倉わるのではなく、衆生を救おうずいう願いず慈悲心によっお生たれ倉わっおくるのです。これを願生ずいいたす。
 ですから、〈自分は菩薩ずしおこの䞖に生たれお来たのだ〉ずいう自芚を持ち、菩薩ずしおの行ないをするこずはだれにもできたす。なぜなら仏・菩薩は、自分の意志のずおり、どんな身にもなり、どんな所にも生ずるこずができるからです。぀たり、どのようにも〈化身〉するこずができるからです。

蓮華䜿甚写真

【月日 阿難あなんは垞に倚聞を楜ねがい、我は垞に勀め粟進す】
 我われ阿難あなん等ず空王仏くうおうぶ぀の所に斌おいお、同時に阿耚倚矅䞉藐䞉菩提あのくたらさんみゃくさんがだいの心を発おこしき。阿難は垞に倚聞たもんを楜ねがい、我は垞に勀め粟進しょうじんす。是この故に我は已すでに阿耚倚矅䞉藐䞉菩提を成じょうずるこずを埗えたり 授孊無孊人蚘品第九

〈珟代語蚳わたしず阿難ずは、はるかなる過去䞖の、空王仏ずいう仏さたのみもずにおいお、同時に、仏の悟りを埗たいずいう志を起こしたのでありたす。ずころが、阿難は、できるだけおおくの教えを聞きたいず぀ねに願っおおりたしたが、わたしは聞いた教えを、いっしんに修行し、実践するこずに぀ずめたのでありたす。そういうちがいがありたしたので、わたしのほうが早く仏の悟りにたっするこずができたわけです〉

《庭野開祖のこずば》
 この節には、ひじょうにたいせ぀なこずが教えられおありたす。それは、〈実践の重芁性〉ずいうこずです。
〈阿難あなんは垞に倚聞を楜ねがい、我は垞に勀め粟進す〉ずありたす。阿難の前身である菩薩は、仏さたの教えをできるだけたくさん聞きたい、教わりたいず願っおいたのにたいしお、お釈迊さたの前身である菩薩は、教えを修行し、実践するこずに぀ずめられたわけです。そのちがいによっお、菩提心を起こしたのは同時であったにもかかわらず、お釈迊さたのほうがずっず早く仏の悟りを埗られたのでありたす。『新釈法華䞉郚経』より

【月日 唯ただ我のみ胜よく之これを知れり】
 矅睺矅らごらの密行み぀ぎょうは 唯ただ我のみ胜よく之を知れり 珟に我が長子ずなっお 以お諞もろもろの衆生に瀺す 授孊無孊人蚘品第九

〈珟代語蚳矅睺矅らごらが、みずからぞりくだり、かくれたずころで倧きな埳を積んでいるこずは、わたしだけがよく知っおいたす。矅睺矅が、わたしの長子ずしお生たれながら、黙々ずしおそのような密行を行なっおいるこずは、それがそのたた、おおくの衆生にたいするよい手本でありたす〉

《庭野開祖のこずば》
 たこずに、教えの芪、実の芪ずしおの情に溢れたお蚀葉だず、涙がこがれるような思いがしたす。ずくに、「矅睺矅の密行は 唯我のみ胜く之を知れり」ずいう䞀蚀をきいお、矅睺矅はどんなに嬉しかったこずでしょう。密行ずいうのは、自分は悟っおいおもそれを衚に珟わさないで、凡愚のごずく人にたちたじりながら、自然ず人を導いおいくこずをいうのです。䞭略
 矅睺矅は、盞圓高い境地に達しおもそれを倖に衚わさず、黙々ずしお、陰で人を導いおいたのですが、そのこずを、仏であり父䞊であるお釈迊さただけは、䜕からなにたでちゃんず知っおおられたのです。『法華経の新しい解釈』より

【月日 皆みな仏法を護たもらん】
 魔事あるこずなけん。魔及び魔民ありず雖いえども皆仏法を護らん 授蚘品第六

〈珟代語蚳魔事すなわち仏の教えをさたたげるようなこずも起こらず、魔やその仲間がいおも、この囜ではかえっお仏の教えを護る圹目をするのです〉

《庭野開祖のこずば》
 この「魔」ずいうものには、二通りありたす。第䞀は「身内の魔」であっお、われわれの正しい心をかき乱そうずする本胜の衝動や邪よこしたな思いです。第二は「身倖の魔」で、倖郚から加わる誘惑や圧力などです。䞭略
「魔」ずいうものは、「身内」「身倖」どちらの「魔」でも、迷いの䞭に生きおいるずきはマむナスの力であるけれども、正しい道を悟ればそれがたちたちプラスの倧きな力ずなるこずを教えられたものです。『法華経の新しい解釈』より

【月日 䞀時いちじに等しく柍そそぐ】
 密雲み぀うん匥垃みふしお埧あたねく䞉千倧千䞖界に芆い、䞀時いちじに等しく柍そそぐ。其の柀うるおい普く卉朚きもく・叢林そうりん及び  諞もろもろの薬草の小根しょうこん・小茎しゅきょう・小枝しょうし・小葉しょうよう・䞭根ちゅうこん・䞭茎ちゅうきょう・䞭枝ちゅうし・䞭葉ちゅうよう・倧根だいこん・倧茎だいきょう・倧枝だいし・倧葉だいように掜うるおう 薬草諭品第五

〈珟代語蚳さたざたな草朚が生えおいる䞊空に、密雲がいっぱいにひろがっお䞖界じゅうをおおい、䞀時に、そしおどこにもおなじように、雚を降らせたずしたしょう。うるおいの雚は、どの草、どの朚、どのやぶや林、どの薬草にも平等にふりそそぎたす。小さな根も、小さな茎も、小さな枝も、小さな葉も、たた䞭ぐらいの根も、䞭ぐらいの茎も、䞭ぐらいの枝も、䞭ぐらいの葉も、あるいはたた倧きな根も、倧きな茎も、倧きな枝も、倧きな葉も、雚はひずしくうるおしおくれるのです〉

《庭野開祖のこずば》
 雚はすべおのものの䞊に同じように降り泚ぎたすが、それでも、それぞれの草朚はその皮類によっお成長の床合いが違いたす。同じ雚を受けながら、姿も圢も違い、咲く花の色も、結ぶ実も異なりたす。
 仏さたの説かれる教えも、降る雚ず同じようにただひず色なのですが、その教えを聞き、受ける偎の私たちは、その機根に応じ、性質に応じお、それぞれ異なった受け止め方をしたす。たた、職業や環境の違いによっおも真理の雚の受け止め方に違いが生じるのは、ごく自然なこずです。䞭略
 人それぞれの性質に応じ、倩分に応じお成長し、自分なりの実を結ばせるこずがなによりも倧切で、尊いのです。それぞれの持ち味を完党に発揮させるのが成仏です。『開祖随感』より

【月日 自然じねんにしお至りぬ】
 我われ本心もずこころに悕求けぐする所あるこずなかりき。今歀の宝蔵ほうぞう、自然じねんにしお至りぬずいわんが劂し 信解品第四

〈珟代語蚳自分は、こんなになりたいなどずは、すこしも考えおいなかった。それなのに、このすばらしい宝ものが、ひずりでに自分のものになったのだ。ほんずうに䞍思議な、ありがたいこずだ〉

《庭野開祖のこずば》
 ずにかく、悟ろうず力んだり、あせったりするのはムダです。それより、教えをすこしず぀でもいいから、たえず実践しおゆくこずです。そうしおいるうちに、自然ず人栌が磚かれおゆき、光がでおきたす。自分は光っおいる぀もりではなくおも、はたからみれば、矎しい茝きを発しおいるのです。悟りずか、人栌の完成ずいうものはこんなものなのです。〈自然じねんにしお至りぬ〉―じ぀にすばらしい䞀句です。『新釈法華䞉郚経』より

【月日 貪欲これ本もずなり】
 諞苊の所因しょいんは 貪欲これ本もずなり 若もし貪欲を滅すれば 䟝止えしする所なし 譬諭品第䞉

〈珟代語蚳すべおの苊の原因は䜕であるかずいえば、貪欲こそじ぀にその根本でありたす。もし貪欲を滅しさえすれば、苊の䟝よりどころがなくなるわけですから、ひずりでに消滅しおしたうのです〉

《庭野開祖のこずば》
 じ぀に重倧な䞀句です。この䞀句を心に銘じおいるだけでも、どれぐらい生きかたがちがっおくるか、はかりしれないものがありたす。『新釈法華䞉郚経』より
 人の䞍幞の原因は貪ずん・瞋じん・痎ちの䞉毒にありたす。さらに突き詰めるず「諞苊の所因は 貪欲これ本なり」で、貪欲が苊の根源であるこずが分かりたす。自分さえよければ、ずいう自己䞭心、あり䜙る物に囲たれながら、もっずもっずず欲を぀のらせるその心を、人さたの幞せを願い、人さたに斜す心に倉えるこずで、その苊が喜びに倉わるのです。『開祖随感』より

【月日 歀の舎いえ已すでに倧火に焌かる】
 歀この舎いえ已すでに倧火たいかに焌かる。我及び諞子若もし時に出いでずんば必かならず焚やかれん。我今圓たさに方䟿を蚭もうけお、諞子等しょしらをしお斯この害を免るるこずを埗えせしむべし 譬諭品第䞉

〈珟代語蚳珟実にこの家は倧火に焌かれおいるのだ。子どもたちを救いださなければ、かならず焌け死んでしたう。こうなれば、方䟿をもっお救っおあげるほかはない〉

《庭野開祖のこずば》
 物があふれ、はなやかに繁栄しおいるようにみえるいたの瀟䌚も、豊かさや䟿利さを飜くこずなく远い続けるず、どんどん法からはずれ、砎滅の道をたどりかねたせん。
 法華経には、燃えさかる家の䞭で、その火に気づかずに遊びほうけおいる子どもたちの話が出おきたす。その子どもたちに仏さたは、「倖には、すばらしい車があるぞ」ず呌びかけお倧火から救いだされたす。幞せを求めおいる぀もりで、自分がどこぞ向かっおいくか気づかずにいる珟代人も、“火宅の子”ず蚀えたしょう。その人たちぞの呌びかけは、物の豊かさや䟿利さを䞊回る真の豊かさ、本圓の喜びを知っおもらうこずです。『開祖随感』より

【月日 倧歓喜を生じお】
 埩たた諞もろもろの疑惑なく 心に倧歓喜だいかんぎを生じお 自ら圓たさに䜜仏さぶ぀すべしず知れ 方䟿品第二

〈珟代語蚳みなさんがもろもろの疑いをすお、真実の法を知るおおいなるよろこびをおがえるならば、みなさんもたた将来においおかならず仏ずなるこずができたす。そのこずを、ハッキリずしらなければなりたせん〉

《庭野開祖のこずば》
 どんなに遠い倖囜に出かけおも、たた、どんな倚忙なずきも、私はご䟛逊を欠かしたこずがありたせん。それは䌚の芏則だからやらなくおはならない、ずいった矩務感からではありたせん。
 こうしお、きょう䞀日生かされ、善いこずを心に向けさせおいただけるその仏恩がありがたく、もったいなくお、ご䟛逊せずにはいられないのです。䞭略
『法華経』の数倚くのお蚀葉の䞭でも私が奜きな蚀葉の䞀぀に、「心に倧歓喜を生じお 自ら圓たさに䜜仏さぶ぀すべしず知れ」ずいう䞀偈がありたす。
 信仰でも倧事なのは、自ら思い立っお人さたのお圹に立おる喜び、その感動です。この倧歓喜こそが仏の悟りにいたる原動力なのです。『開祖随感』より

【月日 我が劂く等しくしお】
 我われ本もず誓願を立おお 䞀切の衆をしお 我わが劂く等ひずしくしお異こずなるこずなからしめんず欲しき 方䟿品第二

〈珟代語蚳仏の悟りを成就したずき、わたしは、䞀切の人間をわたしず同じような仏の悟りに導きたい、みんなをわたしずちがうずころのない人間に教え育おたいずいう誓願を立おたした〉

《庭野開祖のこずば》
 尊いおこずばです。仏さたのお心はこの䞀偈に尜き、仏道の目的もこの䞀偈に぀きおいるずいっおもいいでしょう。
 ずにかく、お釈迊さたは、「わたしをみよ、わたしのようになれ」ず、生きた手本を瀺しおおられるのです。䞭略このお釈迊さたのこの倧誓願を思えば、もしわれわれが粟進を怠ったり、邪道ぞそれたりしたら、それがどんなにもうしわけない所行であるかずいうこずを、しみじみず感ぜずにはいられたせん。われわれがお釈迊さたの匟子であり、子であるかぎり、その倧誓願をふみにじるようなこずをしお、お釈迊さたを悲したせおはならないのです。『新釈法華䞉郚経』より

【月日 決定しお倧乗を説く】
 未いただ曜か぀お汝等なんだち  圓たさに仏道を成ずるこずを埗うべしず説かず  未だ曜か぀お説かざる所以ゆえんは  説時未だ至らざるが故なり  今正たさしく是れ其の時なり  決定け぀じょうしお倧乗を説く 方䟿品第二

〈珟代語蚳わたしは、いたたでに、「あなたがたは、かならず仏ずなるこずができるだろう」ず説いたこずはありたせんでした。なぜかずいえば、ただ説くべき時期ではなかったからです。しかし、いたこそたさにその時期です。わたしは、いたこそ深く決心しお、この最高の教えを説くのです〉

《庭野開祖のこずば》
 倧事な䞀節です。みんな仏になれる  この倧宣蚀を、この《法華経》においおはじめお発衚されるのです。もちろん、根拠なくそうおっしゃるのではありたせん。理論をぬきにしおおっしゃるのでもありたせん。人間すべおが平等に仏性をもっおいるのだずいう真実にもずづき、それを十分玍埗がゆくよう、さたざたな角床から、くりかえしくりかえしお説きになるのです。《法華経》が〈授蚘経〉だずいわれるゆえんはここにあり、たた倧乗䞭の倧乗であるゆえんもここにあるのです。『新釈法華䞉郚経』より

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