創立記念の月になりました。そして、会長先生は米寿の誕生日を迎えます。
令和7年3月5日は、二十四節気の「啓蟄」にあたります。「啓」は、ひらくの意味があり、「蟄」は、虫が地中に閉じこもるの意です。冬ごもりしていた虫が春の温かさを感じて外にでてくる頃です。いのちあるものが春を感じて動き出す時を迎えるということですね。人との出会いが喜びを生み出す・で愛の春がスタートします。
『佼成』3月号の会長法話「天地自然のおかげさま」
・人間は自然の「破壊者」
私たちは自分以外のあらゆるものに生かされています。「天地自然のおかげさま」です。ところが、私たちは天地自然のおかげに対する感謝を忘れがちです。大自然から見れば、私たち人間は「破壊者」以外の何もでもないのです、と。
心に響くと同時に全身が揺さぶられました。
臨済宗の鮎川博道師は、天地自然に感謝して次の世代へ美しい地球を引き継ぐことこそ、私たち人類の智慧だと明言しております。また、哲学者の梅原猛氏は、日本仏教の「草木国土悉皆成仏」「悉有は仏性なり」の思想が人類共通のものとして、私たちが大自然の恩恵を肌で感じ尊ぶ心をとり戻すことが急務と訴えてくださっています。
会長先生が「人間はほんとうに困らないと深く反省しない悪い癖がありますが、困る前に一日でも早く、みんながお日さまや空気や水のおかげさまを感じとり、真剣に生き方を見直す必要があると思うのです」と、ほんとうにその通りです。恥じ入るばかりです。
・「おかげさま」といえる幸せ
心洗われるような美しい自然との出会いや、アスファルトの隙間に咲くタンポポなどからいのちの一体感・花や木に心を寄せて一体化することで気持ちが救われ、力がわくこともしばしばありますね。そして、「私たちは、精神的にも、太陽や水や空気などから物理的にも、天地自然の「おかげさま」をたくさん頂戴しているのです。そのことがよく理解できると、人は慎み深く生きるようになります。」と~当たり前にあるお日さまや空気や水の「おかげさま」を感じとる生き方とは、まさに「少欲知足」の教えです。
日ごろ私は、何も言われないことをよいことに、自分勝手な生き方、暮らし方をしているわけです。貪(あくこと知らぬ欲張り)・瞋(小我にもとづく怒り)・痴(目先しか見えぬ愚かさ)に飲み込まれる私です。「天地自然のおかげさま」は、仏さまのみ教えのシャワーです。そこに気がつくと、多少の不便や・不足や手間暇も喜びをもってチャレンジできます。いえ、せずにはいられません。
ほっとくとすぐに自己中心的な自分い戻ってしまう自分を意識して、自分の目の前の人、周りの人々が笑顔で居られるように「天地自然のおかげさま」を伝え・広めてまいりましょう。善い事は、一人でするのはもったいない。「伝える」ことで、いま、ここから明るく・優しく・あたたかいセカイが「広がり」ます。
今月も、活き活きと学び(真似る・倣う)、実践しましょう。よろしくお願いいたします。
令和七年三月
立正佼成会仙台教会
教会長 岩間由記子