今月号の「佼成」の会長法話のテーマは、「福田(ふくでん)に種をまく-布施③」です。
国際的な仏教NGOである台湾の「慈濟基金会」(ツーチーききんかい)が紹介されています。“援助を必要とする人がいるからこそ、奉仕する機会をいただくことができる”(11頁6行)というこの団体の精神に会長先生もたいへん感銘を受けたと書かれています。これは、本会の”させていただく”という精神にも通じているように思います。
人を助けるために一生けんめい取り組んでいると、不思議と元気がわいてきます。助けを必要とする人のおかげさまで、お役(菩薩行)ができ、元気を頂くありがたさを実感している方が本会もたくさんいると思いますがいかがでしょうか。
また、「慈濟基金会」では、信徒に竹の筒を手渡して献金を貯めているそうです。ひと月まとめて献金するのではなく、あえて毎日少しずつ献金するようにしている。そのことで人を愛し、救済する心、いわば慈悲の心を日々養っているのだと思います。
本会でも、家庭用の「喜捨箱」を活用しています。”喜捨“とは、「喜んで捨てる」ことです。布施することで、欲の心や執着心を捨てているのです。「きょうも元気に目がさめてありがたいという感謝の布施」「一日無事に過ごせてありがたいという御礼の布施」あるいは、「誰かのために願いをこめて行う祈願の布施」など、家族みんなで日々喜捨の心を育てていきましょう。
本会には、布施の心をもった方がたくさんいます。その方たちには共通点があります。
一つ目は、とってもすっきりした清々しい表情をされています。一般の人(凡夫)にとっては”布施はしたくない”が本心です。しかし、布施はそれを乗り越える尊い行いですから、欲の心や執着心が取れ、清々しい気持ちになれる。それが顔にも美しい徳相として表れています。
二つ目は、「布施ができてありがたい」という喜びを感じていることです。これはとても不思議です。布施は、自分のお金や物を手放すことなのに、何故ありがたいのでしょうか?人間の究極の幸せは、「誰かの役に立つこと」、「自分が必要とされること」だそうです。誰かのために自分の財を役立てることで、究極の幸せを感じているのだと思います。
三つ目は、布施した方は、「また布施をさせていただきたい」と感じるようです。心が喜びでいっぱいになり、安らかな気持ちが得られる・・・。するとその幸福感をまた味わいたくて、おのずから「布施をさせていただこう」という気持ちになる・・・”(13頁10行)という言葉の通りです。
布施は徳の器が広がることにより境遇に恵まれ、また次の布施ができるような人生が展開するのだと思います。また、”布施は、まさかの時に功徳の貯金として降りてくる”と教えられたことがあります。絶体絶命の時にこそ、布施の功徳に救われたという体験をされた方も多いと思います。この機会に、布施の意義と功徳をしっかりかみしめてみましょう。
私たちがさせていただいたお布施の一部は、教団の布教活動に使われます。そのことによって、教えが広がり、多くの人が救われています。また、病院や学校など地域社会のために使われます。災害、紛争、飢餓によって苦しんでいる世界中の人々を助けるためにも使われています。そのように布施が多くの人びとのために役立てられることで、私たちは多くの福徳を生み出しているのです。
合 掌
2022年3月1日
立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則