今月のご法話は「みんなの幸せを願う心-智慧②」で、先月に続き智慧がテーマです。先月は、苦悩を生むもとは“自分の思い通りにしたいというわがままな心”であると教えていただきました。それをコントロールするには智慧が必要であり、智慧を身につけるには、世界を“空”と観ることがヒントになるということでした。
そこで今月は、その“空”をどう受けとめ、生活のなかで活用するかについて説かれています。“空”はとても深遠なことばで、“空”が理解できたら仏教が理解できたといわれるくらいです。それを二人の方の言葉を引用して、実にわかりやすく教えてくださっています。
まず、『空』とは『無』とは違って、ないのではなくて、そこに存在はするが、『性格づけ』されていなことを意味するといいます。幸せな現象や不幸な現象があるわけでなく、“そう思う心があるだけ”というのです。現象に対して、自分勝手に“性格づけ”や“色づけ”をするから、それが悩みや苦しみの種になる。だから、そうした性格づけなどせずに受け容れてしまおう。そのほうが楽に生きられますよ、という助言は、“空”の教えによる、まさに生きる智慧です(11頁10行)。
実際、「あの人は嫌な人だな」と思うことがあります。それは、「嫌な人がいる」のではなく、「嫌な人と見ている私の心があるだけ」なのです。このように、心が苦悩を生み出しているだけなのです。
もう一つは、この宇宙に存在するもので、なくてもいいものは一つもない(中略)。ところが、私たちは“なぜか、クモはわるいもの、チョウはいいものと分別(差別)するなど、しなくてもいい無用な差別をしているというのです。(中略)すべてのものに仏のいのちが宿っていることをしっかりと心にとめて、「好きな人・嫌いな人のいずれも、仏のいのちをもった人」と見る見方が、みんなが仲よく幸せに暮らすための活きた智慧だということです(12頁5行)。
すべての人間に尊い価値がある。それを私たちが自分勝手な価値観や好き・嫌いの感情で見るために、トラブルや争いが起きるのです。特に現在は、人間を生産性や効率的な尺度で見ているように感じます。どれだけ組織や社会のために役に立つかという見方です。その結果、役に立たない人は価値が低い人ということになります。年老いた人、病弱な人、障がいをもった人は、役に立たない価値が低い人になっているように感じます。
宗教はこうした見方とは異なり、すべての人が神仏のいのちに生かされた尊い存在であると教えています。それが宗教の智慧です。この智慧を人々に伝えることが宗教の大切な役割だと思います。
このような智慧(空)の見方ができることで、自分の思い通りにしたいというわがままな心から離れ、苦悩から救われるのです。
最後に、智慧の眼でものごとを見きわめれば、あの人もこの人も尊く、みな幸せになってほしいと願う慈悲の心がわいてきて、利他の行いをせずにはいられない(14頁5行)という言葉があります。智慧で見れば、慈悲の心がわいてくるということです。仏教は智慧と慈悲の教えといわれますが、この二つは別々ではなく、一体なのです。新型コロナの自粛が続いていますが、智慧と慈悲をもって多くの人に出会い、教えを伝えましょう。11月は開祖さま生誕の月です。そうした精進が開祖さまへの何よりの恩返しだと思います。
合 掌
2022年11月1日
立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則