💎 庭野日敬開祖「一日一言」~毎日のことば~(11月)

開祖さま 11月決定

 立正佼成会を創立した庭野日敬開祖の珠玉のおことばを「一日一言」と題して、毎日更新し、1つずつご紹介していきます。11月も引き続き『法華経』の教えをもとにした、自らの人生、家庭、社会、国家、そして世界をもより輝かせていくための庭野開祖のお言葉を紹介していきます。

《11月30日》
人間は一つ
 すべての宗教の信仰者が、自分の宗教の本義を深く究めていけば、表現のうえのさまざまな相違を突き抜けた奥に、必ず「人間は一つ」という真理が語られ、「だから仲よく暮らすのが真理に合致した生き方である」という教えが説かれていることを発見できるはずです。
 そのようにして、地球上のすべての人間が、それぞれの宗教によって人間存在の根本をつかみ、これまでの差別観の方に片寄っていた心を一体観の方へ立て直すことができたとき、はじめてこの世に平和が訪れ、ほんとうの幸福がやってくるでしょう。(『佼成』より)

《11月29日》
あるべくしてある
 キリスト教では「神はこの世にむだなもの、不必要なもの、悪なるものは創っておられない」と教えます。仏教でいえば、この世の万物万象は偶然に生じたものはなく、一切のものは、あるべくしてあるものということになりましょう。(中略)
 私たちはつい、「いてもらわなくてはならない人」「いてもらっては困る人」などと人を区別しがちですが、すべての人が“仏の子”であることを、互いにしっかりと心に刻まなくてはなりません。自分で自分を「いてもらっては困る人」にしてはならないのです。(『開祖随感』より)

《11月28日》
布施を日常生活の中で
 布施には財施のほかに、法を説いて人を救う法施、自分の体を使って奉仕する身施というように、いろいろな布施があります。功徳を積ませてもらいたいという心を起こせば、だれもができる布施の方法が教えられているのです。
 お金のある人は、そのお金で人さまのお役に立ち、頑強な体を持つ人は、その体を使って人さまの手伝いをさせてもらう。お金にも体力にも恵まれていないというのなら、にっこりと笑顔で朝の挨拶をすることもお布施なのです。
 夕飯のときに子どもが一日の出来事を親に楽しく話すのもお布施なら、それをうなずいて聞いてあげるのもお布施です。生活のいたるところで布施の功德を積んでいけるのです。(『開祖随感』より)

《11月27日》
生きた方便
 仏教でいう方便とは、仏さまが衆生を仏の智慧に導くための手だてのことで、あくまでも悟りに至らしめるために用いられるものです。さまざまな機根、性格の人を、仏の智慧、悟りに導くために相手に応じて種々に法を説き分ける方便を縦横に駆使できるようになるのには、智慧が必要です。そして、その智慧に慈悲心が加わってこそ方便が真に生きてくるのです。(『開祖随感』より)

《11月26日》
変わるもの変わらぬもの
 宗教には、どんなに時代が変わろうと変わることのない真理(宗)と、その不変の真理を、時代や人びとの意識の変化に応じて、みんなが心から納得できるように説く(教)の両面があります。いつの時代にも変わらぬ真理をしっかりと見極め、時代の変化に翻弄(ほんろう)されることなく、しかも時代に対応した説き方を工夫して、マンネリに陥ることなく前進し続けなくてはならないのです。(『開祖随感』より)

《11月25日》
「救い」とは
 救いというものは、われわれと、いついかなるときでも共にいてくださる久遠実成の本仏を自覚するところにこそあるのです。自分はその本仏に生かされているのだということを、心の底から確かに悟るところにあるのです。
 その確固たる自覚ができてこそ、はじめてほんとうの心の安らぎが得られる。と同時に、いうことなすことがひとりでに本仏のみ心と一致してくる。そこに周囲との調和も生まれる。その調和の世界がだんだん周囲へおしひろがっていくにつれて、そこの所が寂光土(理想社会)になっていくわけです。(『法華経の新しい解釈』より)

《11月24日》
理想の境地に向かって
 真理はひとつであり、本仏はいつでも、どこにでもおられます。われわれすべての人間がその真理を悟り、行じ、そして久遠の本仏と一体であるという実感をまざまざと得ることができるならば、まさに宇宙全体がひとつの仏国土となるのです。その理想の境地にむかって、一歩一歩着実にすすんでゆきたいものです。(『新釈法華三部経』より)

《11月23日》
法華経はすべての教えを包容する教え
 どんな大きな川でも、海の大きさにはおよびません。いや、もともと比較することができないのです。なぜならば、海というものは、大小すべての川の流れを呑みこんでひとつにしてしまうものであるからです。そかも、川の水を濃縮したとでもいいましょうか、ひじょうに濃い内容の深いものに変えてしまいます。また、海は世界じゅうにひろがった、ひとつづきの満々たる水であり、しかもあらゆる生命の根源となっているものです。
 法華経も、やはりそのようなものであって、あらゆる教えがそのなかに注ぎこみ、一つにとけあい、凝縮されているのです。そして、それは、この世のすべてのものを生かす大慈大悲の教えなのです。まことに法華経は、大海のごとき教えなのであります。(『新釈法華三部経』より)

《11月22日》
法を説く者のめざす境地
 如来は大慈悲から法をお説きになるのですから、法惜しみなど微塵もされないし、なにものをもはばかるところなく、心にいささかのひっかかりもなく、悠々として自由自在にお説きになるのです。われわれも、如来のこの境地へ近づくように、いっしょうけんめい努力しなければなりません。(『法華経の新しい解釈』より)

《11月21日》
「解(げ)」と「信」が渾然として一体になった境地
 われわれが「法華経」を学ぶのは、学問として学ぶのではありません。ですから、よく理解したといっても、それだけではほんものではないのです。「理解」から「信仰」へ進み、理解と信仰すなわち「解」と「信」が渾然として一体になった境地まで達しなければ、自分がほんとうに救われ、また世の中全体をも救うことはできません。(『法華経の新しい解釈』より)

開祖さま 決定 11月

《11月20日》
すべての出発点
 仏教のほんとうの生命(いのち)というのは何かといえば、「一切衆生悉有仏性(すべての衆生に、仏性がある)」ということを、しん底から悟ることにほかなりません。すべては、そこから出発するのです。(『法華経の新しい解釈』より)

《11月19日》
「良心」とは
 仏教では、自己、つまり人間の心について、二つの方向からとらえています。一つは、ふつうに私たちがその存在を認識している心、いわば表面にあらわれている心です。もう一つは、表面の意識ではとらえられないものの、だれもが生まれながらにもっている本来の心、すなわち「仏性」です。この「仏性」から自然に湧き出てくる天地の道理に合致した心、それこそが「良心」にほかなりません。(『菩提の萌を発さしむ』より)

《11月18日》
先祖供養は未来のための供養
 人間のいのちというものは先祖代々から自分へ、自分から子孫代々へと無限に続いていくのです。肉体的にも精神的にもね。ですから、先祖供養をして過去の人の魂を養い、菩薩行の功徳を積んで現在の自分を向上させることは、つまるところ未来に生れてくる子供や孫を立派に育てることにつながるのです。
 今、自分の目の前にいる苦しみ悩みをかかえている人と真剣に取り組み、その問題を解決していく。そういう姿を子供や孫に見せていく…これが、“未来に向けての供養”の最たるものなんです。その功德は甚大なのですよ。ですからこの未来のための供養ということこそが先祖供養の神髄であると、わたしは声を大にして強調したいのです。(『躍進』より)

有り難う

(写真はイメージです)

《11月17日》
自他一体の境地
 悩み苦しんでいる人を「救わねばならぬ」と考えるうちはまだ自他一体ではない。自然に手が出て、自然に抱きとってやらずにはおれなくなる気持、これが自他一体です。(中略)
 わたしたちの日常生活において、他人の苦しみを見ては自分の苦しみと感じてそれを救ってあげずにはおられない心が自然に起こり、他人の喜びを見ては自分の喜びとして共に喜ぶという境地にお互いが達したら、世の中はどんなに住みよく、明るく、平和になることでしょう。(『法華経の新しい解釈』より)

《11月16日》
求 道
 真剣に道を求めれば、必ず与えられます。そして、道を求める修行そのものが、楽しくて楽しくて仕方がなくなるものです。これが求道の真骨頂です。
 もちろん、永い間にはいろんな心理の動揺や“かげり”はあります。(中略)道を求める心が強ければ、一時的な心の動揺や“かげり”など、すぐケシ飛んでしまうもので、問題ではありません。(『躍進』より)

《11月15日》
最も有り難い教え
「久遠実成(くおんじつじょう)の本仏は常にこの宇宙に満ち満ちておられ、すべての存在はその分身であるから、どんな不幸に陥(おちい)っている人でも、自分は仏の子である。久遠の本仏に生かされているのだ、ということを思い出しさえすれば、仏の生かす力はよどみなくその人の心身に流れ込み、必ず幸せを得ることができるのだ」
という真実を、(お釈迦さまは)ご成道四十余年にして初めてお説きになったのです。ここが、法華経の最も有り難いところです。
 この真実は、普通の人間にとってはこの上もない救いです。「仏さまに生かされている」と強く、深く信じただけで、何とも言えぬ大安心が胸を満たし、生きる勇気が猛然と湧き上がってくるからです。(『佼成』より)

《11月14日》
成仏とは
 野菊が美しい花を咲かせたならば、野菊としての成仏であり、柿がおいしい実を実らせたならば柿としての成仏です。人間とても同様であって、それぞれの持って生まれた天分を充分に発揮し、持って生まれた使命を充分に果たして、人さまのお役に立ちさえすれば、それが成仏にほかならないのです。(『佼成』より)

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《11月13日》
幸せへのいちばんの近道
 伝教大師に「己を忘れ他を利するは慈悲の極みなり」という言葉があります。また「好果の樹は、衆鳥(しゅうちょう)帰り集まるが如し」(『智度論』㊟)という言葉もあります。おいしい果実をつけた樹には鳥が自然に集まるように、人の幸せを考えられる人のところには、おのずから人が寄り集まってくるというのです。
 人さまの幸せを考え、人さまのために自分を忘れていると、いつのまにか自分も幸せになっているのです。じつは、これが幸せへのいちばんの近道なのです。(『人生、心がけ』より)
㊟インド大乗仏教の論書。著者は龍樹(りゅうじゅ、150年~200年頃)。漢訳は鳩摩羅什(くまらじゅう、344年~413年)による。

《11月12日》
抜苦与楽(ばっくよらく)
 仏教を信奉する者は、仏さまのお心を自分の心とし、すべての人々にその仏心による慈悲の働きかけをしていかなければなりません。慈悲心についてはいろいろに解釈されていますが、一番わかりやすく言うと、それは〈抜苦与楽(ばっくよらく)〉の四文字に尽きます。苦をなくしてあげると同時に楽を与えてあげる。この二つのことが、仏教徒として一番たいせつであって、人さまを導くことも抜苦与楽の菩薩行にほかならないのであります。(『庭野日敬法話選集』より)

《11月11日》
菩薩とは
 人間としての喜びや楽しみを味わいながら、世間のために、地球上の全人類のために、互いに手を合わせ力を合わせて、世の中を明るくし、みんなが仲よく生きがいを感じ合って、未来永劫この世界を平和で豊かなものにしていこうと努力する、それが菩薩行であり、また菩薩としての定義になっているのであります。(『求道』より)

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《11月10日》
私たちはあえてこの世に生まれてきた
 この世で法華経に縁のあったわれわれは、前世において無数の仏さまのみもとにおいて修行し、すでに仏の悟りを得た身であったのに、悩みを抱えて苦しんでいるこの世の人びとを見るに見かねて、それまで住んでいた安楽世界(清浄の土)を捨てて、わざわざ汚濁(おだく)に満ちたこの娑婆世界に生まれてきたのだ、ということです。
 なんと素晴らしいことでしょう。なんという有り難いことでしょう。(『佼成新聞』より)

《11月9日》
私たちの基本的な心構え
 自分が仏さまの子であり、仏性を持っていることを、まずはっきりと意識する、そうすれば仏性開顕になるわけです。ではそうなるためにどうするかと言うと菩薩行の実践をするのです。菩薩行は在家であり、凡夫である私達にもできる仕事です。経典にみられる菩薩さまは、まだ仏さまのところにまでは到達しておりませんが、仏さまに一番近いところにいらっしゃいます。ある意味からすれば、仏さまの教えを身をもって実行し、仏さまの化身として、その代わりをしながら毎日を生活しているのが、菩薩さまと言っていいでしょう。皆さんもどうかその菩薩さまになってください。(『求道』より)

《11月8日》
信仰はなんのためにするのか?
「信仰はなんのためにするのでしょうか」
と言う素朴な質問を受けたら、なんと答えますか。「もちろん、ほんとうに幸せになるためです」と答えるでしょう。さらに「ほんとうに幸せになるには、どうせよ、と仏教では教えているのですか」と問われるかもしれません。私ならば、ためらうことなく「天地の道理を知り、それに従って生きることです」と、答えるでしょう。
 今ここに、一つの問答をかりに設定してみたわけですが、たまには、このような、信仰の原点に立ち返って基本的な心構えを振り返ってみるのも、たいせつなことだと思うのです。(『佼成』より)

《11月7日》
心田を耕す
 お釈迦さまが托鉢に歩かれていたときのことです。ある村長(むらおさ)の家の前に立つと、そこの主人が、「私は田を耕し、種をまいて、食を得ている。あなたも、自ら耕し、種をまいて食を得てはどうか」と迫ったことがありました。それにお釈迦さまは、さらりと、こう答えられました。
「私も耕し、種をまいて、食を得ている」(中略)
「信はわがまく種子である。智慧はわが耕す鋤(すき)である。身口意の悪業を制するのは、わが田における除草である。精進はわがひく牛である、行って帰ることなく、入って悲しむことなく、われを安らぎの心に運ぶ」
 大地を耕して豊かな収穫をあげるのが農業の営みですが、仏教は人間の心という大地を拓(ひら)き、うるわしい人格を開発して豊かな人間の営みを得ようとする道なのです。いわゆる心田を耕すわけです。(『人生、心がけ』より)

《11月6日》
「信念」「信頼」そして「証(あかし)」
「縁」
を梵語では「プラティヤヤ」と言います。梵英辞典で調べてもらいますと、「信念(ビリーフ)」とか「信頼(フェイス)」「証(プルーフ)」と英訳されているそうです。
「縁」は、ふれ方いかんによって善くも悪くもなります。自分にまつわるすべての縁を善き縁にしていくのがその人に課せられた修行であって、その修行の根本は信頼、誠実という証を示すことに尽きる、とも解釈できましょう。(『人生、心がけ』より)

《11月5日》
ほんとうの生涯
 われわれは日常の仕事に追われてあくせく働き、また身の回りに起こるさまざまなトラブルに右往左往しながら日々を送っています。それを一生のあいだ続けながら、ついに死を迎えるのだと考えれば、なんともいえない虚無感を覚えます。自分はいったい何のために生きているのか ― と、絶望的な気持ちになることもあります。
 そのような時に、法華経の教えによって「あなたのほんとうの生涯は仏になるためにあるのですよ。あなたには仏になる素質が具わっているのですよ」と聞かされると、ハッと目が覚めたようになります。「そうか、わたしにも仏になれる素質があったのか。この一生はそんな素晴らしい目的のためにあるのか」という思いが、その日からの生活を一転させ、はつらつとした、いきいきとしたものに変えてしまうのです。(『佼成新聞』より)

《11月4日》
人類史上初の大発見
 お釈迦さまは大悪人の提婆達多へも授記されました。天王如来という仏になるであろうと保証されたのです。これはいったいどういうわけでしょうか。(中略)
 菩提樹の下でいわゆる仏の悟りをひらかれたとき、思わずこうつぶやかれたと伝えられています。「奇なるかな。奇なるかな。一切衆生ことごとくみな如来の徳相を具有す。ただ、妄想・執着あるを以ての故に証得せず」。
 不思議だ。不思議だ。一切衆生はみんな仏と同じ徳を具えているではないか…という驚くべき発見、言い換えれば、すべての人間には仏となりうる本質(仏性)が具わっているのだ…という、これまでの人類だれひとり経験したことのない一大発見だったのです。(『佼成新聞』より)

《11月3日》
「信」の力の偉大さ
 信仰というのは理屈ではありません。心と実践の問題です。純粋な心で仏さまの大慈悲へ直入してしまうことです。そうしますと、その瞬間に宇宙の大生命ともいうべき本仏さまと溶け合い一体となる心境になれます。まことに「信」は三千大千世界に匹敵するほどの値打ちがあるのです。(『佼成新聞』より)

《11月2日》
私たちの本来の心
 私たちは、日頃は自己中心の考えをしているようであっても、本来の心のほうでは、世のため、人のために役立ちたいと願っているのです。ですから、人さまに喜んでもらえたときは、その自分がだれよりもうれしいのです。それは、私たちの本来の心が喜んでいるからです。そして、人さまのためになることをくり返していくなかで、その本来の心をごく自然に発揮できるようになっていくのです。(『佼成』より)

《11月1日》
人間主義の教え
「法華経」
は「人間尊重」の教えであり、「人間完成」の教えであり、「人類平和」の教えです。一言にしていえば、人間主義(ヒューマニズム)の教えなのです。(中略)
 いまこそわたしたちはこの教えの神髄にたちかえって、自分自身のため、家族のため、人のため、世の中のために、よりよい生活を築いていこうではありませんか。(『法華経の新しい解釈』より)

3秋09

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