💎 庭野日敬開祖「一日一言」~毎日のことば~(令和3年12月)

2021.12 使用

いつも笑顔で法を説かれる庭野開祖

 このページでは、庭野開祖の珠玉のことばを「一日一言」と題して、毎日更新し、1つずつご紹介していきます。12月も庭野開祖の折々の“ことば”です。

【12月31日 仏さまの身代わりの私】
 みなさんは仏の行をしているのです。仏さまの身代わりとなっているのです。仏さまの手足となっているのです。(『庭野日敬法話選集』より)

【12月30日 菩薩の条件】
 菩薩としての最大の条件は慈悲の心なのです。(『庭野日敬法話選集』より)

【12月29日 菩薩行とは「捧げる」こと】
 
菩薩行に理屈は不要です。ひたすら真心をもって「捧げる」―これあるのみです。(『庭野日敬法話選集』より)

【12月28日 人を喜ばせる力は無限】
 人を喜ばせる道はいくらでもあるのです。人を喜ばせる力は無限にあるのです。(『庭野日敬法話選集』より)

【12月27日 菩薩行とはばかになること】
 菩薩行というものはばかにならないとできません。計算する心や小才があってはできないのです。(『庭野日敬法話選集』より)

【12月26日 心の表土をやわらかに】 
 朝夕のご供養は、心の表土をやわらかに耕して、仏さまの生かす力がとどこおりなく心身へ入り込むようにする作業です。(『庭野日敬法話選集』より)

【12月25日 仏さまと直結】
 朝夕、ご宝前で、一心不乱に読経することによって、ひとりでに心が清められていくと同時に、仏さまと直結できるようになるのです。(『庭野日敬法話選集』より)

【12月24日 読経供養は原点】
 読経供養は信仰活動の原点です。(『庭野日敬法話選集』より)

【12月23日 少欲知足】
 物質の面でも、平和の面でも、現在の日本ほど恵まれた国はないといってもいいでしょう。そこで、いまいちばん必要なのが、すべての日本人が「少欲知足」の精神、つまり、足るを知る感謝の心を持つことだと思うのです。それが、なによりもいま必要なのです。(『開祖随感』より)

【12月22日 真に富める者】
 たとえささやかな暮らしではあっても、他の人の幸福について考えられる心のゆとりというか幅を持っていれば、その人こそ富者(ふしゃ)であると言うことができましょう。(『開祖随感』より)

【12月21日 一つに徹する】
 佼成会の法座では「自分が変われば相手が変わる」と教えますが、どんな人に対しても、どんな問題に対しても、その言葉どおりに信じきって対することができれば、仏教の神髄が体得できます。この言葉に、仏さまの縁起の教えが凝縮されているのです。まず、一つのことに徹してみることです。(『開祖随感』より)

【12月20日 出会いを善縁に】
 出会いを、憎しみ、争いの出会いにしていく人もいます。逆に、どんな嫌なことも善い縁に変えてしまう人もいます。すべての出会いが、こちらの対し方で善縁にも悪縁にも変わるのです。どうすれば出会いを善い縁に変えていけるか。それを教えるのが仏教だといってもいいのです。(『開祖随感』より)

【12月19日 平和をつくる】
 仏教が平和の教えであることは、いまさら言うまでもありませんし、キリスト教もまた「平和をつくりだす人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」(マタイによる福音書)と教えています。お釈迦さまもイエス・キリストも、この地上に平和が築かれることを念願し、慈悲の教え、愛の教えを説き続けられました。(『開祖随感』より)

【12月18日 小事の積み重ね】
 世界の平和というような大問題も、まず一人が一つの行動を起こし、人びとに呼びかけてその輪を広げていくことで、やがて社会を動かし、国を動かし、世界を動かす力になっていくのです。私たちの一日一日の小さな布施行が積もり積もって、それが社会を明るくし、世界を明るくしていくのです。(『開祖随感』より)

【12月17日 けっして見放されない】
 私たちは、何か苦しいことにぶつかってどうしようもなくなると、「神も仏もあるものか」と叫びたくなるときがあります。しかし、「一切衆生はわか子」といわれる仏さまが、私どもを見放されるわけがありません。(『開祖随感』より)

【12月16日 気を許し合える秘訣】
 初めは形だけでもかまいません。互いに、いいところを見つける努力をして、ほめ合う。すると心の中の壁がとれて、気を許し合えるようになります。(『開祖随感』より)

【12月15日 礼拝する心になったとき】
 相手の人格を礼拝する心になったときはじめて、あなたの法を説く言葉がそのまま仏さまの言葉として相手の心に染み込んでいくのです。(『庭野日敬法話選集』より)

【12月14日 家庭成仏】
 在家仏教としては、家庭成仏がこれからのご法生活における基礎とならねばならないのです。(『庭野日敬法話選集』より)

【12月13日 あなた自身がいるところ】
 仏法というものは、道場だけにあるのではなく、生活するところ、あなた自身がいるところに発揮されるものでなくてはなりません。(『庭野日敬法話選集』より)

【12月12日 このひとりの信者さんを】
 どうすれば、このひとりの信者さんが救われるか、信仰の喜びを味わってもらえるかだけを考えればよいのです。(『庭野日敬法話選集』より)

【12月11日 行によってこそ】
 仏さまと一体だという実感、仏さまの行を自分が代理でやっているのだという喜び・・・それが身体じゅうの細胞の一つ一つから湧いて来るように覚える・・・これが、行によってはじめて得られる境地なのです。(『庭野日敬法話選集』より)

【12月10日 修行】
 修行には、“善いことを、心をこめて、繰り返す”という三要素が絶対に必要であって、この一つでも欠けたら修行とはいえません。(『庭野日敬法話選集』より)

【12月9日 大慈悲心がなければ】
 お釈迦さまが悟りを開かれて、すばらしい境界に到達されたその本は何かというと、それは大慈悲心から出てくるところの求める心です。慈悲がなければ成道はなりません。(『庭野日敬法話選集』より)

【12月8日 奇なるかな。奇なるかな】
 十二月八日の朝のことです。明けの明星がキラキラと輝くさわやかな時、ひらめくように菩薩(お釈迦さま)のみ心には悟りが開けました。すなわち、すべてのものを見る目が、まるっきり違ってきたのです。表面の現象を見るのではなく、万物のほんとうのすがた、すなわち実相をアリアリと見通されるようになったのです。つまり、仏眼を得られたのです。
 その時、次のように仰せられたといいます。

「奇なるかな。奇なるかな。一切衆生ことごとくみな、如来の智慧・徳相を具有す。ただ妄想(もうぞう)・執着(しゅうちゃく)あるを以ての故に証得(しょうとく)せず」

 前半の意味は、「不思議だ。不思議だ。一切衆生はみんな仏と同じ智慧と徳のすがたをそなえている」ということになります。
 すなわち、仏眼によって世界をご覧になると、何もかも一変してしまったのです。人間はもとより、あらゆる動物も、植物も、みんな仏と同じいのちに生かされている、なんともいえず尊い、光輝くような存在に見えてきたのです。(中略)
 しかし、そういった未曽有の大発見の喜びにも、仏さまは、いつまでもわれを忘れて浸っていることをなさいません。すぐさま、現実への省察へと立ち戻られるのです。このおことばの後半がそれです。
「では、なぜ一切衆生は、闘争と苦悩の生存を続けているのだろうか。それは、仮の現われである自分のからだが自分自身であるという妄想をもっているからである。そして、その仮の現われに執着しているために、自分の本体が永遠不滅の輝かしい姓名であることを証(さと)れないでいるのだ」。(『仏教のいのち 法華経』より)

【12月7日 功徳の源泉】
 地位も財産も、人の本当のよりどころとなるものではありません。頼みにできるのは、自分の心、自分の信心です。その「信」さえしっかりと持(たも)つことができれば、どんな人に対しても、どんな事態に直面しても、心にゆとりを持って、そこに意味を見いだし、それを成長の糧としていくことができます。この心こそが功徳の源泉です。(『開祖随感』より)

【12月6日 耕された人】
 カルチャー教室が大はやりです。カルチャーとは教養や文化のことで、「耕す」という言葉が語源だそうです。心が柔らかく耕されていてこそ教養ある人といえるのではないでしょうか。(中略)
 『法華経』には「諸(もろもろ)の有(あら)ゆる功徳を修し 柔和質直(にゅうわしちじき)なる者」という言葉があります。本当によく耕された人となるためには、知識を学ぶのと一緒に、人に奉仕する実践が必要です。それが功徳を積むことです。(『開祖随感』より)

【12月5日 不平か、感謝か】
 不平というものは、いったん口から出すと、その言葉によって自分の不平不満が倍にも三倍にもふくれ上がっていきます。そればかりでなく、まわりの人にも悪い影響を及ぼしてしまうのです。自分の口ひとつで、なにもかもつまらないものにしてしまうわけです。(中略)
 同じ口から不平の言葉が出るか感謝の言葉が出るかの違いで、人間関係も環境も、まるで違ったものになってしまいます。(『開祖随感』より)

【12月4日 仏さまはお見捨てになることはない】
 仏さまは「一切衆生はわが子。私が必ずみんなを救護(くご)してあげます」とお約束くださっています。それなのに、どうしてこんなつらい目に遭わせるんだろう、と恨みたくなることも人生にはしばしばあります。次から次へ不幸が重なって、「神も仏もあるものか」と捨てばちになりかけるときもあります。しかし、仏さまは決して私たちをお見捨てになることはありません。(『開祖随感』より)

【12月3日 人を拝める人が長となる】
 お釈迦さまが人びとに慕われ、あがめられるお徳を具えられたのは、自高我慢(じこうがまん)を除かれたからだと経典に示されています。自高我慢とは、文字どおり自分を高くして、それを自慢することです。お釈迦さまは、自分だけが正しいと高みから人を見下すような心を、徹底的に克服し尽くされたのです。
 自分と周囲の人びととの関係、自分と自然とのかかわりを本当につかむと、謙虚さが生まれてきます。人を拝める人こそが人の長となる人です。(『開祖随感』より)

【12月2日 命を頂く】
 食事をするときに「いただきます」と合掌するのは、お米を作ってくれた農家の方や、魚を獲ってくれた漁師の方たちへの感謝にとどまらず、「米よ、野菜よ、魚よ、私のいのちをつなぐためにあなた方の命を頂戴させていただきます。ありがとうございます。どうか成仏してください」という感謝と供養の心を込めた礼拝なのです。私たちがいただくお米の一粒は、もみ種として田にまかれれば何百粒の実をみのらせます。その命を私たちはいただいているのです。(『開祖随感』より)

【12月1日 みんなの心を一つに】
 
大切なのは、みんなの力を一つに結集することで、そのためには自分のことなど顧みずに使い走り役に徹する人がいなくてはなりません。そのために役立つのであれば、私は全力を尽くさせていただく決意です。それが仏さまから託された私の使命だと信じているのです。(『開祖随感』より)

曼荼羅華

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