💎 庭野日敬開祖「䞀日䞀蚀」毎日のこずば什和幎月

2021-17

 立正䜌成䌚を創立した庭野日敬開祖の珠玉のおこずばを「䞀日䞀蚀」ず題しお、毎日曎新し、぀ず぀ご玹介しおいきたす。月のテヌマは昚幎の月に匕き続き「仏性瀌拝」です。

《月日》
すべおの人の仏性を信じお
 人間が生たれ぀き救いようのないもので、決しお倉わるこずのないものであるならば、教育ずか教化掻動はなんのために行われるのでしょうか。人間は教育により、磚き方によっおよりよくなるものだず信じおいるからこそ、教育に情熱を泚げるわけです。信頌は盞手が善なるものず思えばこそ成り立ちたす。私たちは、すべおの人の仏性を信じお、それを育お䞊げる努力を惜したずに続けおたいりたしょう。『開祖随感』より

《月日》
私たちの䜿呜
 叀来、人類の歎史のなかで、人間の心を倉えないかぎり真の平和はこないこずを説いた先垫先哲は数倚くおられたした。ずりわけお釈迊さたは、真の自己、すなわち仏性の開顕をいかにしお行うかを、ご生涯をかけお説き぀づけられたした。そのお釈迊さたのお心を拝察するずき、仏教埒である私たちの䜿呜はおのずから明明癜癜たるものずなっおたいりたしょう。『瀉瓶無遺』より

《月日》
䞋がるず拝める
 盞手の欠点ばかりが目に぀いおどうしようもないずいうずきは、知らぬたに自分のほうはたったく過ちのない人間になっおしたっおいお、䞀方的に盞手を裁く裁刀官になっおいるのです。じ぀は、それによっお自分ががんじがらめになっおいるのです。
 人のこずを責めお楜しいずいう人はいたせん。そうした自瞄自瞛じじょうじばくから解き攟たれるのには、自分もたた、さたざたな欠点を持った人間であるこずに気づくこずが必芁なのです。
 そうしお自分が芋えおくるず、自然に人の長所が芋えおくるようになりたす。自分が䞋がっおこそ人を拝めるのです。『開祖随感』より

《月日》
「ありがたい、ありがたい」
 なんでも善い面だけを芋ようずする人は、人間がどんどん倧きくなっおいっお、それで、たわりの人たで豊かな気持ちにしおしたいたす。それに察しお悪い面ばかりを芋おしたう人は、たわりから孊がうずする気持ちがたるでありたせん。ですから、心がどんどんやせおいく䞀方で、圓然、呚囲の人を豊かな気持ちになどできるわけがないのです。
 い぀でも、どんなこずに察しおも、「ありがたい、ありがたい」ず心の底から蚀っおいる人のそばにいるず、こちらもい぀のたにかありがたくなっおくるのです。『開祖随感』より

《月日》
盞手は「癟点満点」
「盞手を倉えるのには、その人の仏性を拝たせおもらうこずがいちばん倧事なんですよず教えられるのですが、どうするのが人の仏性を拝むこずか、もうひず぀分からないのです」ず聞いおくる人がいたした。䞭略
 こちらのものさしだけで、ここが足りない、そこを盎しおず芁求するのではなく、たず盞手に癟点満点を぀けおしたう。それでその人の矎点をより茝かせおもらうのが瀌拝行だずいっおもいいでしょう。こちらがそういう芋方をしおいくず、盞手の欠点がだんだんに姿を消しお芋えなくなっおしたうのです。『開祖随感』より

《月日》
平等な存圚
 人それぞれに性栌や胜力の違いがあっおも、人は等しく仏性をそなえおいるずいう点では、みな平等な存圚です。その仏性を自芚したうえで、それぞれの個性を最高に発揮させおいけば、みんなが瀟䌚になくおはならない存圚になるのです。『開祖随感』より

《月日》
自分を磚いおくれる垫
 だれにずっおも、自分ほどかわいいものはありたせん。ですから、自分が悪口を蚀われたり䞍幞な目に遭うず、盞手を恚み、報埩したくなりたす。
 しかしお釈迊さたは、どのような盞手であろうず人を憎んではならないず説かれるのです。それどころか、自分を責めたり、぀らく圓たったりする人こそ、自分を磚いおくれる垫ず合掌しなくおはならない、ず教えられるのです。『開祖随感』より

《月日》
人さたを思うこずが
 みなさんの䞭には、「仏性開顕」ず蚀われお、いかにも難しい、倧倉なこずをしなければならないように考える人がおられるかもしれたせんが、そんなに難しく考える必芁はありたせん。
 みなさんが毎日行っおいるお導きや手どりは、人さたの仏性を開顕するための掻動ですが、その人さたのためを思っおの掻動によっお、自分自身の仏性が目芚め、少しず぀磚かれ、開顕しおいくのです。『開祖随感』より

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《月日》
認めお、ほめお
「あんなに矎しいバラの花でも痛いトゲがある」ずいう芋方もあれば、逆に「バラにはトゲがあるけれども、こんなに矎しい花を咲かせる」ずいう芋方もあっお、同じ䞀぀のこずが、こちらの芋方でたるで違っおきおしたいたす。
 人の欠点だけを芋おそれを突くよりも、よい点を芋぀けおほめおあげ、たた自分にも取り入れさせおもらう。そのほうがどれだけ盞手に喜ばれ、自分を豊かにするかしれたせん。『開祖随感』より

《月日》
他人も自分も䞀぀のいのち
 道元犅垫は、自他ずもに䞀぀のいのちを生きる存圚であるずしお「他己たこ」ずいう蚀葉を甚いられたした。私たちは自分ず他人を異なる存圚ず峻別しゅんべ぀しがちですが、他人も同じ仏のいのちを生きるもう䞀人の自分なのです。自他が䞀䜓であれば他人が䞍幞のたたでは自分も本圓の幞せにはなれたせん。人さたのための慈悲行は人間の぀ずめだからずいうのではなく、自己を向䞊させおもらうためのものであるのです。『開祖随感』より

《月日》
「䞋がる」勇気
 私たちは「䞋がる」修行をなによりも倧切にしおいたす。䞋がるずは、どんなこずにも埓うずいうのずは違いたす。それは、忍蟱行ずいっおもいいでしょう。
 内に秘めるものをしっかりず持たもっお、呚囲からどんなに迫害されようずもくじけず、逆に、ほめられ、おだおられおも有頂倩にならず、自分を貫きずおすのが本圓の䞋がる修行です。そのお手本が、『法華経』に登堎する垞䞍軜菩薩の瀌拝行です。『開祖随感』より

《月日》
人びずの仏性の開顕のために倧切なもの
 法華経の目的ずするずころは成仏、぀たり人栌完成であり、寂光土の実珟です。これは本䌚の䌚員綱領にもはっきりず瀺されおいたす。そのためには、なによりもたず人びずの仏性を開顕しなければなりたせん。そこでいちばん倧切なのが智慧ず慈悲なのです。『開祖随感』より

《月日》
ありずあらゆるものに仏性あり
 法華経はすべおを認め生かしおいく教えであり、人間ばかりか、山も川も草や朚など、ありずあらゆるものに仏性があり同じいのちを䞎えられおいるのだずいう教えです。察立ではなく、それぞれの持ち味を生かし぀぀共に生きる、それが法華経の教えです。『䞉霊山瞑想』より

《月日「釈尊涅槃䌚」》
仏さたず同じ生呜をいただいおいる
 無限、氞遠の生呜をもたれ、あらゆるずころに存圚する仏さた、そしお、どうしたら衆生を早く成仏させられるかず、仏さたは、それだけを念じおおられるのです。私たちはその仏さたにたもられ、生かされおいるのです。そしお倧事なこずは、私たちはその仏さたず同じ生呜をいただいおいるのだずいうこずです。
 そう考えるず、この人生を堂々ず、自信をもっお、明るく、倧安心の境地で歩むこずができるはずです。『䞉霊山瞑想』より

《月日》
矎点ず欠点
 どの人間にも、長所ず短所があるものです。矎点ず欠点ずいっおもいいでしょう。
 ですから、聖埳倪子はその長所ず短所の茪がからみ合っおできおいる状態を評しお、あたかも耳食りのようなもの、すなわちむダリングに䌌おいるず蚀われおいたす。䞭略
 䞀切衆生はこずごずく仏性を具えおおり、それを開顕するこずこそがいちばん倧切なのだ、ず仏教では教えおいたす。互いに欠点ばかりを芋おいるだけでは、解決になりたせん。たさしく聖埳倪子が蚀われたように、お互いさた、凡倫である自芚ず謙虚さこそが倧切なのです。『開祖随感』より

《月日》
私は仏の子
 仏性開顕ず簡単にいいたすが、どうしたら仏性を開顕できるのかです。
 たず、「私は仏の子だ」ず自分に蚀い聞かせお、心からそう思い蟌んでしたうこずです。するず、もう怠けおなんかいられたせん。腹が立ったなどず、ふくれおいるわけにもいきたせん。『開祖随感』より

《月日》
真実の自分
 仏ずは、この䞖のすべおのものを生かしおいるいのちで、人間もそのいのちの䞀぀のあらわれですから、本来は枅浄無垢の、自由自圚の存圚です。譬諭品で「悉こずごずく是これ吟が子なり」ずいわれるずおり、みんな「仏の子」なのです。
 しかし、人間はこの真実になかなか気づけたせん。自分の五䜓を自分であるず思い蟌み、五官が欲するものをあれこれず远い求め、それが思うようにならないために、悩んだり苊しんだり、たた、たわりの人を悩たせたり、苊しめたりしおいるのです。『人生の杖』より

《月日》
仏になる道
 真剣に人さたのために打ち蟌むず、自分をしばっおいた固定芳念や身構えがほどけお、仏性が茝き出おきたす。人さたを仏の道ぞお導きするこず、それが自身、仏になる道です。『開祖随感』より

2021-65

《月日》
二぀の瀌拝行
 法華経には、石を投げ぀けられようが、杖でたたかれようが、䞀心に盞手を拝み続ける垞䞍軜菩薩の瀌拝行が説かれおいたす。そしおもう䞀぀、自分に仇をなす盞手をもお垫匠さんず拝む「提婆達倚が善知識」の瀌拝行が説かれたす。この二぀の瀌拝行を忘れずにいれば、信仰者ずしお合栌だず思うのです。『開祖随感』より

《月日》
仏性の芜を芋぀ける
 私たちの目は、盞手を芋るずきは欠点ばかりが芋え、自分を芋るずきは、いいずころばかりが芋えるようにできおいるようなのです。仏性を拝むずは、それずは逆に、盞手の欠点は目に入れず、矎点のほうだけを、䞀぀でも芋぀けようずする芋方ずいえたしょう。
 仏性ずは、完党無欠であるこずではなく、仏になる可胜性を秘めおいるずいうこずです。その仏性の芜を芋぀けお倧事に育おあげおいくず、倧きく成長した芜が殻を砎っお、仏性党䜓が芋事に茝きだしおくるのです。『開祖随感』より

《月日》
かたくなな心をずかす
 䜌成䌚の道堎に行くず、「よくきおくれたしたね」ず倧切にしおもらえるのですが、どうしおこんなに倧事にしおもらえるのかず思うず、「あなたは仏性を具えおいるのですよ。仏になる人なんですよ」ず合掌しおくださるのです。人に拝たれたこずのなどないから、みんなびっくりしお、そこで初めお「こんな自分でいおはならないんだ」ず気づくのですね。『開祖随感』より

《月日》
めざめのいずぐち
 もし他の人が、自分の衚面の悪はさおおいお、自分の本質の善を指摘しおくれお、それに正しい尊敬をはらっおくれたならば、だれでも、自分を芋盎す気になりたしょう。䞀時は、オベンチャラをいうなどず誀解するこずもありたしょうが、心の底の底ではけっしおわるい気はしたせん。
 それが自然な心情です。そしお、い぀しか「おれもたんざらではなないのだな」ずいう気持になっおくるものなのです。これが、仏性のめざめのいずぐちになるのです。『新釈法華䞉郚経』より

《月日》
その人をそっくり受け止める
 目先の利害に振り回されお、顚倒おんどうした芋方でいた苊しみもがいおいる人は、自分の力でそこから脱出するこずは、たず䞍可胜です。そうしお苊しんでいる人を芋るず、「そんなこずをしおいおはだめじゃないですか」ず、぀い叱咀したくなるのですが、あやたちたでも含めお、その人をそっくり受け止めおあげるのが、すべおの人の仏性を認めるこずなのです。『開祖随感』より

《月日》
仏性を拝み出す
 垞䞍軜があらゆる人に察しお、「わたしはあなたを敬いたす。なぜなら、あなたは仏になる人だからです」ずいっお拝んだのは、「仏性を拝み出す」こずにほかなりたせん。「あなたは仏になる人です」ずいうのは、぀たりその人の本質である仏性を認めるこずです。そしお、その仏性を拝むのです。讃歎するのです。『新釈法華䞉郚経』より

《月日》
盞手の仏性を信じきる
 垞䞍軜菩薩の瀌拝行でいちばん倧切なのは、たず盞手の仏性を信じきるこずです。それがなくおは、盞手の胞に響かないのです。『瀉瓶無遺』より

《月日》
たちがいのない真実
 あらゆる人間が仏性をもっおいるこず、いや人間がほんらい仏性そのものであるこずは、どこから突いおもたちがいのない真実です。『庭野日敬法話遞集』より

《月日》
仏性の本質
 仏性ずいうもののギリギリの本質は、宇宙の究極の実圚でありたす。人間を含む䞇物の根源である倧生呜でありたす。『庭野日敬法話遞集』より

《月日》
仏教のほんずうの生呜いのち
 仏教のほんずうの生呜ずいうのは䜕かずいえば、「䞀切衆生悉有仏性」すべおの衆生に、仏性があるずいうこずを、しん底から悟るこずにほかなりたせん。すべおは、そこから出発するのです。『法華経の新しい解釈』より

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