💎 庭野日敬開祖「一日一言」~毎日のことば~(令和3年2月)

2021-17

 立正佼成会を創立した庭野日敬開祖の珠玉のおことばを「一日一言」と題して、毎日更新し、1つずつご紹介していきます。2月のテーマは昨年の5月に引き続き「仏性礼拝」です。

《2月28日》
すべての人の仏性を信じて
 人間が生まれつき救いようのないもので、決して変わることのないものであるならば、教育とか教化活動はなんのために行われるのでしょうか。人間は教育により、磨き方によってよりよくなるものだと信じているからこそ、教育に情熱を注げるわけです。信頼は相手が善なるものと思えばこそ成り立ちます。私たちは、すべての人の仏性を信じて、それを育て上げる努力を惜しまずに続けてまいりましょう。(『開祖随感』より)

《2月27日》
私たちの使命
 古来、人類の歴史のなかで、人間の心を変えないかぎり真の平和はこないことを説いた先師先哲は数多くおられました。とりわけお釈迦さまは、真の自己、すなわち仏性の開顕をいかにして行うかを、ご生涯をかけて説きつづけられました。そのお釈迦さまのお心を拝察するとき、仏教徒である私たちの使命はおのずから明明白白たるものとなってまいりましょう。(『瀉瓶無遺』より)

《2月26日》
下がると拝める
 相手の欠点ばかりが目についてどうしようもないというときは、知らぬまに自分のほうはまったく過ちのない人間になってしまっていて、一方的に相手を裁く裁判官になっているのです。じつは、それによって自分ががんじがらめになっているのです。
 人のことを責めて楽しいという人はいません。そうした自縄自縛(じじょうじばく)から解き放たれるのには、自分もまた、さまざまな欠点を持った人間であることに気づくことが必要なのです。
 そうして自分が見えてくると、自然に人の長所が見えてくるようになります。自分が下がってこそ人を拝めるのです。(『開祖随感』より)

《2月25日》
「ありがたい、ありがたい」
 なんでも善い面だけを見ようとする人は、人間がどんどん大きくなっていって、それで、まわりの人まで豊かな気持ちにしてしまいます。それに対して悪い面ばかりを見てしまう人は、まわりから学ぼうとする気持ちがまるでありません。ですから、心がどんどんやせていく一方で、当然、周囲の人を豊かな気持ちになどできるわけがないのです。
 いつでも、どんなことに対しても、「ありがたい、ありがたい」と心の底から言っている人のそばにいると、こちらもいつのまにかありがたくなってくるのです。(『開祖随感』より)

《2月24日》
相手は「百点満点」
「相手を変えるのには、その人の仏性を拝ませてもらうことがいちばん大事なんですよと教えられるのですが、どうするのが人の仏性を拝むことか、もうひとつ分からないのです」と聞いてくる人がいました。(中略)
 こちらのものさしだけで、ここが足りない、そこを直してと要求するのではなく、まず相手に百点満点をつけてしまう。それでその人の美点をより輝かせてもらうのが礼拝行だといってもいいでしょう。こちらがそういう見方をしていくと、相手の欠点がだんだんに姿を消して見えなくなってしまうのです。(『開祖随感』より)

《2月23日》
平等な存在
 人それぞれに性格や能力の違いがあっても、人は等しく仏性をそなえているという点では、みな平等な存在です。その仏性を自覚したうえで、それぞれの個性を最高に発揮させていけば、みんなが社会になくてはならない存在になるのです。(『開祖随感』より)

《2月22日》
自分を磨いてくれる師
 だれにとっても、自分ほどかわいいものはありません。ですから、自分が悪口を言われたり不幸な目に遭うと、相手を恨み、報復したくなります。
 しかしお釈迦さまは、どのような相手であろうと人を憎んではならないと説かれるのです。それどころか、自分を責めたり、つらく当たったりする人こそ、自分を磨いてくれる師と合掌しなくてはならない、と教えられるのです。(『開祖随感』より)

《2月21日》
人さまを思うことが
 みなさんの中には、「仏性開顕」と言われて、いかにも難しい、大変なことをしなければならないように考える人がおられるかもしれませんが、そんなに難しく考える必要はありません。
 みなさんが毎日行っているお導きや手どりは、人さまの仏性を開顕するための活動ですが、その人さまのためを思っての活動によって、自分自身の仏性が目覚め、少しずつ磨かれ、開顕していくのです。(『開祖随感』より)

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《2月20日》
認めて、ほめて
「あんなに美しいバラの花でも痛いトゲがある」という見方もあれば、逆に「バラにはトゲがあるけれども、こんなに美しい花を咲かせる」という見方もあって、同じ一つのことが、こちらの見方でまるで違ってきてしまいます。
 人の欠点だけを見てそれを突くよりも、よい点を見つけてほめてあげ、また自分にも取り入れさせてもらう。そのほうがどれだけ相手に喜ばれ、自分を豊かにするかしれません。(『開祖随感』より)

《2月19日》
他人も自分も一つのいのち
 道元禅師は、自他ともに一つのいのちを生きる存在であるとして「他己(たこ)」という言葉を用いられました。私たちは自分と他人を異なる存在と峻別(しゅんべつ)しがちですが、他人も同じ仏のいのちを生きるもう一人の自分なのです。自他が一体であれば他人が不幸のままでは自分も本当の幸せにはなれません。人さまのための慈悲行は人間のつとめだからというのではなく、自己を向上させてもらうためのものであるのです。(『開祖随感』より)

《2月18日》
「下がる」勇気
 私たちは「下がる」修行をなによりも大切にしています。下がるとは、どんなことにも従うというのとは違います。それは、忍辱行といってもいいでしょう。
 内に秘めるものをしっかりと持(たも)って、周囲からどんなに迫害されようともくじけず、逆に、ほめられ、おだてられても有頂天にならず、自分を貫きとおすのが本当の下がる修行です。そのお手本が、『法華経』に登場する常不軽菩薩の礼拝行です。(『開祖随感』より)

《2月17日》
人びとの仏性の開顕のために大切なもの
 法華経の目的とするところは成仏、つまり人格完成であり、寂光土の実現です。これは本会の会員綱領にもはっきりと示されています。そのためには、なによりもまず人びとの仏性を開顕しなければなりません。そこでいちばん大切なのが智慧と慈悲なのです。(『開祖随感』より)

《2月16日》
ありとあらゆるものに仏性あり
 法華経はすべてを認め生かしていく教えであり、人間ばかりか、山も川も草や木など、ありとあらゆるものに仏性があり同じいのちを与えられているのだという教えです。対立ではなく、それぞれの持ち味を生かしつつ共に生きる、それが法華経の教えです。(『三霊山瞑想』より)

《2月15日「釈尊涅槃会」》
仏さまと同じ生命をいただいている
 無限、永遠の生命をもたれ、あらゆるところに存在する仏さま、そして、どうしたら衆生を早く成仏させられるかと、仏さまは、それだけを念じておられるのです。私たちはその仏さまにまもられ、生かされているのです。そして大事なことは、私たちはその仏さまと同じ生命をいただいているのだということです。
 そう考えると、この人生を堂々と、自信をもって、明るく、大安心の境地で歩むことができるはずです。(『三霊山瞑想』より)

《2月14日》
美点と欠点
 どの人間にも、長所と短所があるものです。美点と欠点といってもいいでしょう。
 ですから、聖徳太子はその長所と短所の輪がからみ合ってできている状態を評して、あたかも耳飾りのようなもの、すなわちイヤリングに似ていると言われています。(中略)
 一切衆生はことごとく仏性を具えており、それを開顕することこそがいちばん大切なのだ、と仏教では教えています。互いに欠点ばかりを見ているだけでは、解決になりません。まさしく聖徳太子が言われたように、お互いさま、凡夫である自覚と謙虚さこそが大切なのです。(『開祖随感』より)

《2月13日》
私は仏の子
 仏性開顕と簡単にいいますが、どうしたら仏性を開顕できるのかです。
 まず、「私は仏の子だ」と自分に言い聞かせて、心からそう思い込んでしまうことです。すると、もう怠けてなんかいられません。腹が立ったなどと、ふくれているわけにもいきません。(『開祖随感』より)

《2月12日》
真実の自分
 仏とは、この世のすべてのものを生かしているいのちで、人間もそのいのちの一つのあらわれですから、本来は清浄無垢の、自由自在の存在です。譬諭品で「悉(ことごと)く是(こ)れ吾が子なり」といわれるとおり、みんな「仏の子」なのです。
 しかし、人間はこの真実になかなか気づけません。自分の五体を自分であると思い込み、五官が欲するものをあれこれと追い求め、それが思うようにならないために、悩んだり苦しんだり、また、まわりの人を悩ませたり、苦しめたりしているのです。(『人生の杖』より)

《2月11日》
仏になる道
 真剣に人さまのために打ち込むと、自分をしばっていた固定観念や身構えがほどけて、仏性が輝き出てきます。人さまを仏の道へお導きすること、それが自身、仏になる道です。(『開祖随感』より)

2021-65

《2月10日》
二つの礼拝行
 法華経には、石を投げつけられようが、杖でたたかれようが、一心に相手を拝み続ける常不軽菩薩の礼拝行が説かれています。そしてもう一つ、自分に仇をなす相手をもお師匠さんと拝む「提婆達多が善知識」の礼拝行が説かれます。この二つの礼拝行を忘れずにいれば、信仰者として合格だと思うのです。(『開祖随感』より)

《2月9日》
仏性の芽を見つける
 私たちの目は、相手を見るときは欠点ばかりが見え、自分を見るときは、いいところばかりが見えるようにできているようなのです。仏性を拝むとは、それとは逆に、相手の欠点は目に入れず、美点のほうだけを、一つでも見つけようとする見方といえましょう。
 仏性とは、完全無欠であることではなく、仏になる可能性を秘めているということです。その仏性の芽を見つけて大事に育てあげていくと、大きく成長した芽が殻を破って、仏性全体が見事に輝きだしてくるのです。(『開祖随感』より)

《2月8日》
かたくなな心をとかす
 佼成会の道場に行くと、「よくきてくれましたね」と大切にしてもらえるのですが、どうしてこんなに大事にしてもらえるのかと思うと、「あなたは仏性を具えているのですよ。仏になる人なんですよ」と合掌してくださるのです。人に拝まれたことのなどないから、みんなびっくりして、そこで初めて「こんな自分でいてはならないんだ」と気づくのですね。(『開祖随感』より)

《2月7日》
めざめのいとぐち
 もし他の人が、自分の表面の悪はさておいて、自分の本質の善を指摘してくれて、それに正しい尊敬をはらってくれたならば、だれでも、自分を見直す気になりましょう。一時は、オベンチャラをいうなどと誤解することもありましょうが、心の底の底ではけっしてわるい気はしません。
 それが自然な心情です。そして、いつしか「おれもまんざらではなないのだな」という気持になってくるものなのです。これが、仏性のめざめのいとぐちになるのです。(『新釈法華三部経』より)

《2月6日》
その人をそっくり受け止める
 目先の利害に振り回されて、顚倒(てんどう)した見方でいま苦しみもがいている人は、自分の力でそこから脱出することは、まず不可能です。そうして苦しんでいる人を見ると、「そんなことをしていてはだめじゃないですか」と、つい叱咤したくなるのですが、あやまちまでも含めて、その人をそっくり受け止めてあげるのが、すべての人の仏性を認めることなのです。(『開祖随感』より)

《2月5日》
仏性を拝み出す
 常不軽があらゆる人に対して、「わたしはあなたを敬います。なぜなら、あなたは仏になる人だからです」といって拝んだのは、「仏性を拝み出す」ことにほかなりません。「あなたは仏になる人です」というのは、つまりその人の本質である仏性を認めることです。そして、その仏性を拝むのです。讃歎するのです。(『新釈法華三部経』より)

《2月4日》
相手の仏性を信じきる
 常不軽菩薩の礼拝行でいちばん大切なのは、まず相手の仏性を信じきることです。それがなくては、相手の胸に響かないのです。(『瀉瓶無遺』より)

《2月3日》
まちがいのない真実
 あらゆる人間が仏性をもっていること、いや人間がほんらい仏性そのものであることは、どこから突いてもまちがいのない真実です。(『庭野日敬法話選集』より)

《2月2日》
仏性の本質
 仏性というもののギリギリの本質は、宇宙の究極の実在であります。人間を含む万物の根源である大生命であります。(『庭野日敬法話選集』より)

《2月1日》
仏教のほんとうの生命(いのち)
 仏教のほんとうの生命というのは何かといえば、「一切衆生悉有仏性」(すべての衆生に、仏性がある)ということを、しん底から悟ることにほかなりません。すべては、そこから出発するのです。(『法華経の新しい解釈』より)

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