💎 庭野日敬開祖「一日一言」~毎日のことば~(令和3年10月)

2021.10 使用お写真

 立正佼成会を創立した庭野日敬開祖の珠玉のおことばを「一日一言」と題して、毎日更新し、1つずつご紹介していきます。今月10月は庭野開祖の“折々のことば”をお届けします。

【10月31日 法華経に絶望なし】
 私たち法華経の信仰者は、どんな事態になっても絶望はしません。法華経は人間を絶対肯定する教えだからです。人間の無限の可能性を信ずる教えだからです。(『躍進』より)

【10月30日 “まこと”の心】
 人を思いやる“まこと”の心があり、それを行為に現わせば、必ず相手に通じます。どんな人にも、心の底の底には、宇宙の大生命の心に通ずる心―仏教でいう仏心―がありますから、こちらが仏心という“まこと”の心をもって対すれば、それは相手の心に響かないはずはないのです。(『躍進』より)

【10月29日 宇宙の大生命・宇宙の心】
 この宇宙のすべてのものをつくり出している根源は「宇宙の大生命」です。これはわかりますね。この大生命は「宇宙の心」と考えることもできます。ですから、万物万有(ばんぶつばんゆう)には必ず「宇宙の大生命・宇宙の心」が潜んでいるわけです。
 人間も宇宙の万有の中の一存在ですから、当然われわれの心の底には宇宙のすべてのものと共通の、そして平等な「宇宙の心」がちゃんと存在しているのです。(『躍進』より)

【10月28日 謙虚とは】
 謙虚といのは、意図して努める態度ではなく、真理に直参(じきさん)すればひとりでにそうなってくる心持ちなのだということです。
 常不軽菩薩でもそうでしょう。すべての人を礼拝したのは、なにも意図的にしたのではありません。すべての人間に宿っている仏性を確かに見通していたからこそ、人を見れば自然に拝まざるをえなくなったのです。(『佼成』より)

【10月27日 ほんとうの下がる心】
 心の底の底には仏の分身だという大自信を持ちながらも、いや、そういう大自信があればあるほど、その本性を顕現できぬ現実の自分の至らなさを歎(なげ)かざるをえません。その反省が、その歎きが、ほんとうの下がる心なのです。(『佼成』より)

【10月26日 仏さまの子ども同士】
 「衆生本来仏なり」で、私たちはみな仏さまの子ども同士です。そのことが本当に自覚できると、毎日がガラリと変わってしまうのです。
 仏である自分が我を出して、欲ばったり、怠けたり、愚痴をこぼしたり、人を恨んだりしてはいられません。「なにか、人さまに喜んでもらえることをさせてもらわなくては」という心が、ふつふつとわいてきます。(『開祖随感』より)

【10月25日 あるのは今だけ】
 若いうちは、過去のことをくよくよ思いわずらったり、「こんなことをしていて、将来どうなるんだろう」と、まだこない先のことをあれこれ心配し、大事な“今”をむだに過ごしてしまいがちです。こんなもったいないことはありません。
 仏教では「現世実有(げんせじつう)」「過未無体(かみむたい)」といいます。実際に存在するのは現在この瞬間だけで、過去も未来も実在しない。現在を精いっぱい大事に生きることで、過去を生かし、未来を思うままにできるわけです。(『開祖随感』より)

【10月24日 いただき方】
 世界でいちばんおいしい料理の名前は「空腹」という料理だと言われます。本当にお腹がすいているときには、何を食べてもおいしいものです。(中略)
 いまの日本は、世界中からおびただしい食材を輸入しているのですが、その多くが食べ残され、捨てられているのだそうです。臨済宗の松原泰道師は、「『食べ方』を知っている人はいくらもいるが、『いただき方』を知らぬ人が増えている」と言われています。まさにそのとおりで、まことに残念なことです。(『開祖随感』より)

【10月23日 人間社会に真の平和を】
 生かされている悦びと感謝は、共に生かされている人間仲間と、すべての生物・無生物に向けられねばなりません。多くの人がこの悦びと感謝に徹してこそ、人間社会に真の平和がもたらされるのです。(『佼成』より)

【10月22日 経典の読誦】
 私なども、朝のご供養という、なすべきお勤めをしないと、その日一日中気持ちが悪いのです。ですから、どこへ出かけても、その旅先で欠かさず『法華三部経』を読誦いたします。
 毎日、経典を読誦すると、その時々の心境によって、経文の一偈一句に目を見開かされ、心が洗われる気持ちになってきます。(『開祖随感』より)

【10月21日 「恩」の字】
 自分が今日あるのはなんのお陰かという、その原因を求める心になると、親をはじめとする人びとや、自然の恵みという支えがあればこそ、こうして生かしてもらえているのだと分かってきます。
 すると、おのずと感謝とともにその恩に報いなくてはならない、という気持ちになってきます。自分が、いま、ここに存在しているその「因」を、「心」に刻みつけると「恩」の字になるのです。(『開祖随感』より)

開祖さま 11月使用

【10月20日 目の前の一人を】
 愛情というのは自然に湧く感情ですから、「すべての人を愛そう」と思っても、出会う人みんなに愛情を抱けるものではありません。そこで大事なのは、まず目の前の一人を大切にしていくことです。自分がふれあう人に対して、その人が幸せかどうかを察してあげることです。そして、その人が幸せでないと感じたとき、何に悩んでいるかを思いやってあげると、「何とかして苦しみを抜いてあげたい」という気持ちが湧いてきます。それが慈悲の「悲」の心にほかなりません。(『菩提の萌を発さしむ』より)

【10月19日 愛情と慈悲】
 信仰の世界というのは、「仏と人」「人と人」との相互の呼応によって成り立っていることが、ハッキリわかってきます。いや、信仰の世界にかぎるものではありません。この宇宙全体が、万物万象の相互の呼応、もちつもたれつによって成立しているのであって、人間世界のすべても同じなのです。
 では、人間相互の呼応の働きを、高く美しく完成させるものは何でしょうか。いうまでもなく、愛情にほかなりません。「慈悲」にほかなりません。愛情が愛情を呼び、慈悲が慈悲を育てるのです。(『菩提の萌を発さしむ』より)

【10月18日 人間の特質】
 みなさんには、人さまの悩みをほぐしてあげるだけの力もあれば、人さまを幸せにしてあげたいという慈悲心もあるのです。人間として持って生まれたそういう特質を発揮していっていただきたいと思います。(『佼成』より)

【10月17日 ほほえみ】
 自分のほうからほほえみかけても、相手がつんとしていたり、中には、わざわざそっぽを向くという人もいます。そういうとき、どうするかが大切です。
「期待したほほえみが返ってこなくても、不愉快になるかわりに、もう一度、あなたからほほえみかける。ほほえみを忘れた人ほど、それを必要としている人はないのだから」と教えてくださる人がいました。
 小さいことのようですが、そこが菩薩行の核心があるのです。(『開祖随感』より)

【10月16日 精いっぱい生きる】
 「ご守護」というものは、ただじっとして信心ばかりしていて受けられるものでは決してない、ということです。「ご守護を実感する」には、まず行動、実践が伴わなくてはなりません。一日一日を精いっぱいに生きる。それも自分や家族のためばかりではなく、たくさんの人の幸せを願ってできる限りの力を尽くす・・・このような人にこそ、ほんとうの「ご守護」があるのです。(『躍進』より)

【10月15日 いよいよ本物】
 一日のうちいつでも、ふと思いついて、「ああ、わたしは仏さまに生かされているんだ。有り難い」と感謝するようになると、いよいよ本物です。それが「仏を見たてまつる」ことにほかならないのです。(『躍進』より)

【10月14日 ご守護の実感】
 朝、目が覚めたとき、「ああ今日も無事に朝を迎えた、有り難い」と思う。夕食の膳についたとき、「ああ、こうして無事に食事ができる、有り難い」と思う。このして、日常の何でもないものごとについても、見えない大きな力に対して感謝する気持になれば、それこそがほんとうに「ご守護を実感する」ことにほかならないのです。(『躍進』より)

【10月13日 日蓮聖人ご命日(御会式)】
 昭和二十年二月十五日に、「これから日蓮聖人のご遺文だけは読んでもよろしい」という啓示があり、私は喜び勇んで、最初に拝読したのが「立正安国論(りっしょうあんこくろん)」でした。そうすると私が今まで知りたいと思っていた信仰上の問題が、手にとるように説かれているではありませんか。私は感激して、毎晩のように「開目鈔(かいもくしょう)」「観心本尊鈔(かんじんほんぞんしょう)」などのご遺文を次々に、むさぼるように拝読したのであります。(『本尊観の確立のために』より)

【10月12日 お釈迦さまの約束】
 法華経の中にはさまざまに示されている功徳の大本は何かといいますと、それは「仏の命が永遠であること、仏さまはどんな場所にもおられ、見守られ、ご守護くださっていることをハッキリと知ることから生まれてくるのだ」とお釈迦さまは約束してくださっているのです。(『躍進』より)

【10月11日 人の話を聞く名人】
 松下幸之助さんは、私と同じで小学校しか出ておられませんでしたが、だからこそでしょう、人の話を聞く名人だったと周囲の人が語っています。
「大器晩成の人とは、終生勉強だという考え方を持っている人。見るもの聞くこと一切の体験を心して見れば、万事ことごとくわが師となる」と、松下さんは言われています。
 人の言うことは、ついケチをつけたくなったり、気に入らないことだとそっぽを向きたくなってしまうものなのですが、そこで感情に流されてしまうか、そこから何かを学び取ろうと努力するか、その違いで、その人の人生がまるで違ったものになってしまいます。(『開祖随感』より)

【10月10日 内に秘めたおとなしさ】
 佼成会の会員はおとなしいというのが定評です。しかし、おとなしいことは気魄(きはく)がないことではありません。行動力がないことではありません。常不軽菩薩が、いかなる迫害や困難にもくじけることなくひたすら礼拝行を続けた、あのすさまじいほどの気魄(きはく)と行動力を内に秘めたおとなしさ・・・これでなければならないのです。(『躍進』より)

【10月9日 仏性は目に見えるもの】
 仏性を、目に見えない抽象的なものと考えてはなりません。目に見えるものなのです。愚か者のシュリハンドクを出家させた兄が、何年か経ってから、どうしているだろうと祇園精舎に訪ねていって弟の顔を見たとたん、「お前、悟りを開いたな」と叫んだそうですが、このとおり、開顕された仏性は目に見えるものなのです。(『躍進』より)

【10月8日 勇気百倍して】
 自慢話をするわけではありませんが、私はこれまで、さまざまな苦しみに出会い、もう絶望的だと言いたくなくような事態にも、たびたび直面しました。けれども私は、ご法のお陰さまでくじけることなく、「この苦しみこそ私を成長させてくださる仏さまのおはからい」と自分を励まし、むしろ勇気百倍してその試練に立ち向かったものでした。(『開祖随感』より)

【10月7日 お陰さまで】
 この「お陰さまで」というのは日本語独特の美しい言葉ですね。日本国語大辞典には、第一義に「神仏のご加護」とあり、第二義に「人から受けた力添えや恵み」とありますが、その「力添えや恵み」にしても、はっきりとした特定の対象だけでなく、漠然と世間すべての存在を指しているところが、言いようもなく尊いんです。(『躍進』より)

【10月6日 陰を信じる】
 「陰」というのは、目に見えないはたらきのことで、つまりは目に見えない仏さまのお手配を信じることです。火のないところに煙は立たないように、実体のないところに陰は生じません。信仰をもたない人は現実に目に見えるものしか信じないでしょうが、信仰者は目に見えない神仏を信じますから、その「陰」をも信じるのです。目に見えぬ神仏に護(まも)られているという実感を得て、大安心(だいあんじん)の境地に安住することができるのです。(『躍進』より)

2021-36

【10月5日 仏さまのお手配】
 現在のわれわれは仏さまのお声を直接聞くことはできません。しかし、人の説法を聞いたり、いい本を読んだり、他の人の行いなどを見ていて、「なるほど、そうか」と気づくものがあって、それが生き方の方向転換になることもしばしばありますね。また、自分自身、これまでたどってきた道を振り返ってみて「これでいいのか」と気づいて、よりよい生き方を模索することもあります。
 信仰をしていくうえでは、そういう「気づき」が大切なんですよ。それが仏さまの「お手配」にほかならないんです。(『躍進』より)

【10月4日「開祖さまご入寂会」 大満足の人生】
 人さまが喜ぶことや、人さまの悲しみを少しでもやわらげようとする抜苦与楽(ばっくよらく)の実践を行っていく。そうすると人生はいよいよ楽しくなっていきます。歳をとったらとったなりに、病気になってもそれを苦にすることなく、充実した毎日を送れるようになるんです。そして寿命がきたら「ああ、いい人生だったな」と満足して霊界へ行ける。
 しかも、そういう人生が子供に受け継がれていれば、自分の後は子供がちゃんと同じ道を歩んでくれる。戒名もちゃんとつけて拝んでくれる。こうなるとますます満足、大満足だ(笑)。(『ほっしん』より)

【10月3日 させていただく】
 人さまに法を伝えたり、日常のいろいろなことをしてさしあげるときなどは、相手より一段高い立場に立って「してやる」という高ぶった気持になりがちですが、そうではなく一歩下がって、「仏さまのお力によってさせていただく」と考えるのが仏教者の姿勢というものです。(『躍進』より)

【10月2日 自己を見つめるとは】
 それは二つの面があります。一つは「自己の本質は完全円満の仏性である」と観ずることです。もう一つの面は「現象としての自己は罪業深重(ざいごうじんじゅう)の凡夫(ぼんぷ)である」と観ずることです。この二つは表裏一体を成すもので、どちらを欠いてもほんとうの信仰は成り立ちません。(中略)言葉を替えていいますと、「自己の本質の尊厳さ」と「現実の自己の不完全さ」の両面をみつめることなしには、ほんとうの人間向上はありえないということになります。(『躍進』より)

 【10月1日 この私の命(いのち)の不思議さ】
 地上に亭々(ていてい)とそびえ立つ大樹も、じつは目に見えない地下の根によって支えられているのです。その根が吸い上げる水や養分によって生き生きと枝葉を伸ばしているわけです。それによって太陽や空気の恩恵も受けられるのです。
 私たちも、まったく同じです。直接目には見えませんが、私たちの命を伝えてくれた先祖があって現在の自分があるわけです。また、多くの人びとに支えられて、いまの私があるのです。この私ひとりの命のために過去の無数の命があったという事実。さらにさかのぼれば、無限の歴史を経て伝えられてきたこの私の命の不思議さを思わずにはいられません。(『瀉瓶無遺』より)

10月「開祖さま」使用

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