🎍新春特別インタビュー✨「あの日見た光になりたい」(第2回)五十嵐沙予 ✨

 2021年新春特別インタビューとして、ステンドグラス作家として国の内外で活躍される、五十嵐沙予先生にご登場していただいての第2回。
 その第2回は、五十嵐先生の両親への思い、そしてその思いを込めて作成したステンドグラス「譲音(ゆずりね)」(東大病院所蔵、入院棟常設)について語っていただきます。
 インタビューアーは、引き続き仙台教会婦人部長 安藤高子さんです。

東京大学医学部付属病院1(決定)

「譲音(ゆずりね)」(東大病院に設置された作品の一つ)

五十嵐先生 お顔写真

ステンドグラス作家 五十嵐沙予先生

安藤 
 五十嵐先生、第二回目もよろしくお願いいたします。前回は、芸術家として、五十嵐先生がステンドグラスを選ばれたきっかけや、光を通して映るガラスの魅力などについて教えて頂きました。本日は、今までの作家人生を通されて、すごく心が動いたこと、感動したことを教えていただけますか?

五十嵐 
 東京都文京区にある東大病院と呼ばれている東京大学医学部付属病院に作品を収めたことが、以前、ありました。その時のことが一番心に残っています。

 実は、私が九つの時に、父が亡くなったんです。それが、東大病院だったの。父が病院で人間ドックに入った時、検査結果は胃潰瘍でc判定というものでした。当時、主治医の先生からは手術しても治る、薬でも治せるという説明でした。父はその後、アメリカに留学するつもりだったから、手術だと一ヶ月くらいですぐに治りますというような話だったんです。

 そういう経緯があり手術を選択しました。でも、12月6日に手術をし、その後12月31日に亡くなったんですよ。父が亡くなるなんて、考えもしてなくて・・・。当時、私は9歳でしたが、その当時のことをはっきりと覚えています。

 年賀状も全部出し終わって、12月25日には兄弟で「成績表」を父のところに見せにいって。結局手術がうまくいかなくて、数回手術を繰り返したんですけど、最終的に亡くなりました。うちは、もともとクリスチャンだったので入院中も牧師さんに来ていただき、家族みんなで祈り続けました。本当に祈りの中で、父は奇跡を祈りながら息を引き取っていったんですけど、もうその場面が今も心から離れないんですね。

第2回 使用写真(3) 自分が大きくなってくると、周りの子にはお父さんがいるのよね。でも、私にはいなくって。あんなに素晴らしいお父さんだったのに、みんなはいるのに私にはいなくって、本当にさみしくって悔しいなっていう思いがありました。
 父が今生きていたら、そう思うと(本当にいないってさみしいな~)って、ずっとそう思いながら過ごしてきました。

 結婚後も、近所の方が「実家のお父さんやお母さんが遊びにくるのよ」。「今日ね、お母さんが来るから、ケーキを買って食べてもらうんだ~」。そういう何気ない会話が本当にうらやましく思っていました。
 その頃は母も亡くなっていましたので、もし父や母が生きていたら、両親のためにおまんじゅうを買っておいたり、たまには温泉に連れて行ったりと、私も近所の方のように話したかったのに。そういう言葉を交わせないコンプレックスみたいなものがありました。

 そんなあるとき、たまたま東大病院が新しくなるって聞いたんですね。それで、(あっ、これはお父さんに親孝行するチャンスがやってきた!)と、とっさに思いました。
(私もこれでやっと父にプレゼントできる!。私だっておまんじゅうや温泉旅行みたいな親孝行をしたかったんだから!)と。

 それで、思いついてすぐに東大病院に電話をしたの。
「東大病院が新しくなるって聞きました。私はステンドグラスをやっているものですが、少しお話しを聞いていただきたいんです」
 そう私がお話すると、新しい東大病院を建設するための設立準備室の方が、すぐに電話口に出てくださり、事情をお話ししました。
 父がそちらでお世話になったこと。私はステンドグラスをやっていること。そして、
「せめて亡き父のためにもしよろしければ、トイレの端っこにでも、ステンドグラスの鏡を一つ作らせてもらえないでしょうか?」
とお願いさせてもらったら、
「それでは、そのうち、ちょっと来てみてください」
って設立準備室の方がいうので、すぐに翌日、仙台から行かせてもらいました。

安藤 
 すごい行動力ですね。

第2回 使用写真(文中)

当時を振り返りながら語る、五十嵐先生

五十嵐 
 病院に行ったら、その電話に出てくださった方が、話しを聞いてくださいました。私は次のようにお話をさせてもらいました。
「実は父が、私が9歳の時にこちらでお世話になったのですが、父の寿命がそこまでだったのでしょう、この病院で亡くなっていきました」
「その後、私はいつも父に親孝行したくてもできないのがすごく悔しかったので、父が亡くなったこの場所で何かをさせていただけたら、その父も、今は亡き母も(娘もこんなに大きくなったのか)って喜んでくれるんじゃないかなって思っています」

 すると、設立準備室の方が、
「あなたは今日、神仏とともにきましたね」
って一言おっしゃってくださったの。当時、私はその言葉の意味がすぐに理解できなくて驚いていると、
「では、一緒に来てください」
と言われてついて行くと、なんと建築現場を全部見せてくださったの。
 まさか、すぐに改装現場に連れってくださると思っていなかったから、その時、私、ハイヒールを履いていったわけ。準備室の方から、
「こういう所に来るのにね、そういう靴はいてくるのはね、間違えていますよ。運動靴で来てくださいね」
って言われて。
 それで、ヘルメットをかぶって、軍手をさせていただいて、まだ工事中の現場をハイヒールで足元もおぼつかない中、入っていきました。するとその方が、
「今作っている東大病院の入院棟はこちらです。追い風を感じませんか?」
と私に尋ねてくださったの。(追い風ってことは、応援してくれているのかな?)と内心思いながら、一緒に事務室に戻りました。

 そして、設立準備室の方が、次のようにおっしゃってくださいました。
「入院棟の1階から14階までのエレベーターホールをどういう意匠にするか、この一週間の会議で決める予定です。木調にする方向で、ほぼ決まってはいますが、まだ決定ではありません。そこにあなたが電話をしてきました。そして、今日、あなたは来られました。神仏と一緒に来ましたね。きっと、あなたのお父さまが連れてきてくださったんでしょう。まずはステンドグラスの下絵を描いてきてください。15階だての病院建築のエレベーター各階の両側に入れるから30枚ですよね。いや、30枚では足りないから、36枚の下絵を描いてみてください。何日でできますか?」

 私はその言葉に驚きました。すぐに、
「1週間後に36枚の下絵を持って来ます」
って答えました。
 それで、1週間後に36枚描いて持って行ったの。36枚の絵を展示したら、白衣を着た人たちがぞろぞろとたくさん来られて、ぐるぐるとじっくり見てまわられました。そして、しばらくすると責任者の方から、
「五十嵐さん、制作に入ってください」
って言って頂きました。

DSCF0897

アトリエでの取材風景

 それでね、うちの父は山口譲(ゆずる)という名前だったんだけど、父の名前をとって、作品のタイトルは「譲音(ゆずりね)」に決めました。それが一番嬉しかったですね。父も母も天国に一緒にいると思っているから、こうやって本当にしたかった親孝行が(ようやくできる!)って思うと、すごく嬉しかったです。
 私はあまり丈夫じゃなかったから、早く死ぬんじゃないかみたいに、親もピリピリして育ててくれたんですけど、私が両親に心の底から言いたかったことは、
(お父さん!!お母さん!!私はこうやって元気で生きているからね!!)
そう、伝えたかったのです。

 やがて、2001年に36枚のステンドグラス「譲音(ゆずりね)」が無事に完成して、新しい東大付属病院に飾られたとき、(ステンドグラスの光が、父や母にも見えるんじゃないかなぁ)って思うと、本当に嬉しくて、言葉にできない感激でいっぱいでした。
 東大付属病院は、長年私がしたかった親孝行をさせていただけるチャンスをくださいました。本当に有り難い思いでいっぱいで、それが私のすべての力になりました。

安藤 
 作品の1枚1枚がすごく大きいですよね。ステンドグラスの大きさが大きいということだけではなく、先生にとって、また先生の人生にとって、そしてご両親さまにとっての大きな、大きな作品なのですね。

五十嵐 
 そうです。本当に。

安藤 
 東大付属病院で輝いている、そのまばゆい光が、きっとお父さまにも、お母さまにも届いていますね。

五十嵐 
 届いてるかしらね~。なんかね、父はとっても高いところにいるみたいで、見つけられないんじゃないかなって、そういう心配があるのよ。でも、ステンドグラスって光っているから目印になるわよね。(父に「私はここにいるよ」って見つけやすく、させてもらえたんじゃないかな~)って、そう思ってます。

安藤 
 五十嵐先生は、お父さまやお母さまのためにお作りになられたわけですけれど、東大付属病院に入院されたり、手術をされたりする方や、またそのご家族のみなさんは、きっとその光に励まされたり、勇気をもらったりするわけなので、(なんかすごいことなんだな~)って感じます。

※次回、第3回(最終回)は3月15日の掲載です。どうぞお楽しみに!!

東京大学医学部付属病院2(決定)

「譲音(ゆずりね)」(東大病院に設置された作品の一つ)

第2回 使用写真 (2)

アトリエで完成した直後の作品「ピュルテ」

「ピュルテ」

光にかざされた「ピュルテ」(2020年 東京都小金井市「上水ハイジ保育園」)

「ほうじょう」1998年 丸森町蔵の郷土館 斉理屋敷1

「ほうじょう」(1998年 宮城県丸森町蔵の郷土館の中の一つ)

「ほうじょう」1998年 丸森町蔵の郷土館 斉理屋敷2

「ほうじょう」(1998年 宮城県丸森町蔵の郷土館の中の一つ)

「alwaysbetter」(飯舘村 道の駅 までい館)2017年

「always better」(2017年 福島県相馬郡飯舘村 道の駅 までい館)

〇五十嵐沙予先生プロフィール
神奈川県横浜市出身
1987年 第1回日本ステンドグラス作家協会公募展審査員特別賞受賞
1988年 ステンドグラス工房べるふぁむ設立・作家活動開始
ミヤギテレビニュースにて放映
読売新聞社家庭欄にて紹介記事掲載
朝日ウィル一面にてステンドグラス作家として特集される
1989年 仙台放送「マインドトーク」出演
ステンドグラス教室開設
1995年 第1回教室作品展開催
1997年 遠田郡小牛田町公民館に於いて出張教室を開始
1998年 東北放送・東日本放送・仙台放送など各局ニュース番組で放映
難病の子供支援全国ネットワーク主催・七夕キャンプ「がんばれ共和国」に於いて「ふれあいステンドグラス村東北」の事務局代表に就く
1999年 NHKゆうゆう東北”千客万来”出演
情報誌「りらく」”ものづくり人”にて特集
2001年 河北新報”街いま”にて東大病院に作品制作を特集される
2001年 東京大学医学部付属病院エレベーターホールに「譲音」を設置
2003年 ミヤギテレビ「あっ晴れテレビ」「OH!バンデス」にて宮城こども病院の作品紹介される
2004年 仙台光のページェント協賛作品展に出展
2008年 工房・事務所を現住所に移転
2009年 NHK文化センター ステンドグラス教室講師
2012年 仙台市泉区八乙女にステンドグラス教室を増設
2013年 仙台メディアテークにてべるふぁむ一門のお弟子さん6教室と合同作品展開催
2018年 仙台メディアテークにてステンドグラス工房べるふぁむ(八乙女教室・NHK文化センター教室)生徒作品展開催

《主要作品暦》
1988年 「天女舞」仙台青葉祭り 藤崎デパート恵比寿山鉾(仙台市)
1989年 「裸婦二体」SS30ビルエルミタージュ(仙台市)
1990年 「華.満つる」 裁松院ホール(仙台市)
1991年 「森の声が聞こえますか」ハロースポーツメンバーサロン(仙台市)
1992年 「えりけいじゅ」福島県富岡町役場庁舎ホール
1993年 「丘の子ひろば」仙台市立台原小学校ホール
「主よ御元に」仙台特別養護老人ホーム シオンの園 礼拝堂
「芳光」芳澍女学院情報国際専門学校 玄関ホール(東京都)
「ひと枝から」同上 各教室
「さら」藤崎デパート2・3F 婦人化粧室(仙台市)
1994年 「衣・座・室」日本ステンドグラス芸術協会展(横浜国際会議場)出品
1995年 「あんのん」岡野電気工事 仙台支社ホール
1996年 「さんそうにもく」秋田県町立羽後病院待合いホール、エレベーターホール
1997年 「涌・ゆ」東北大学付属病院 中央廊下
「Motherly」東北公済病院 エントランスホール
1998年 「ほうじょう」丸森町蔵の教郷土館 斎理屋敷 新館
「そして、始まる」光が丘スペルマン病院 ホスピス館(仙台市)
「輝」 日本コムシス東北支社 玄関ホール
「森の調べ」わかくさ幼稚園 2Fホール(仙台市)
「生成り」特別養護老人ホーム パルシア 礼拝堂(仙台市)
1999年 「花波」仙南信用金庫川崎町支店
「聖母の被昇天」石巻カトリック教会
「右大臣 左大臣」宮城県神社庁社
2000年 「一灯照隅」秋田県羽後町老人保健施設
2001年 「譲音」(ゆずりね)東京大学医学部付属病院エレベーターホール1~14F
2003年 「光・誕生の時」宮城県こども病院 祈りの部屋
「双葉と仲間たち」宮城県こども病院 各病室ドア他
2004年 「ただ一つの心」オタワ愛徳修道女会 礼拝堂(仙台市)
2006年 「慈愛」(めぐみ)仙台オープン病院玄関ホール(仙台市)
「ありがとう」築館消防庁舎(栗原郡)
2009年 「淑音」(しゅくおん)雫石町立健康センター
2010年 「いのちの泉」湯浅報恩会寿泉堂綜合病院2、3階待合いホール(福島県)
2011年 「今 この時」福島県須賀川市立大東中学校
2012年 「光」 筑波大学附属病院けやき棟(茨城県)
2013年 べるふぁむ一門 6教室 合同作品展開催 せんだいメディアテークにて
2014年 「暁の希望」佼成病院デイルーム 3F-8F(東京都)
「シャボン玉」佼成病院 病後児保育室
「誕生」仙台市立病院 産科病棟
2015年 「百年桜」須賀川市立第一小学校
2017年 「always better」飯館村 道の駅 までい館
2018年 「光陽」(ひなた)仙台オープン病院玄関ホール
「和顔」(わげん)仙台オープン病院緩和ケアセンター

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