💛「仙台駆け込み寺」のボランティア相談員に参加しました。(教会長 近藤雅則)
- 2020/11/22
- 地域で創る
本年9月、人情味あふれる仙台市青葉区の壱弐参横丁に「仙台駆け込み寺」がスタートしました。そこは、「たった一人のあなたを救う」を合言葉に、家庭内暴力、ひきこもり、虐待、多重債務、ストーカーなどの問題をかかえた人々の相談を受け、サポートしているところです。
その「仙台駆け込み寺」に、立正佼成会仙台教会の会員有志もボランティア相談員として参加することになりました。特に、本年は新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、精神的不安とともに経済的危機に陥っている人も急増しています。そうした中、「仙台駆け込み寺」のように、一般市民の誰もが無料で悩み事の相談ができる窓口は本当に心強い存在だと思います。
仙台教会からボランティア相談員として参加することは、次の三つの意味があると考えています。
一つ目は、現実の苦の中にわけ入ることだと思います。宗教は、教会などの立派な施設をもつと、その中に安住してしまいがちです。そして、儀式や式典に専念し、悩み苦しむ人が訪ねて来るのをただ待つだけという消極的な姿勢になりがちです。私自身もそうですが・・・。悩み苦しむ人のいる所に積極的に出向いていって、その声を聴き、寄り添う姿勢が宗教本来のあり方ではないかと思います。
二つ目は、「人間」対「人間」の出会いができるということです。私自身、教会にいる時には、教会長という立場や人間関係をもとに相手に出会っているように思います。しかし、教会内における立場や役割は、駆け込み寺では関係ありません。そこでは、「人間」対「人間」という関係だけです。「悩む人」も「悩みを聴く人」も同じ人間同士だという見方が大切だと思います。悩んでいる人を困っている人、無力な人と見てしまいがちです。しかし、そこには“思いやり”と“謙虚な姿勢”が不可欠なのだと思います。
三つめは、信仰の価値に気づくことです。宗教者・信仰者は、とかく自身の信じる教えが一番だと考えています。そして、その考え方や価値観を他の人に対しても一方的に押し付けている場合があります。同じ信仰をもつ者同士であれば、それで通用する場合もあるかもしれません。ところが、一般市民の方を対象とする「仙台駆け込み寺」では、特定の信仰の教えや価値観を持ち出すことは許されません。この点は、気をつけなければならないところだと思います。
しかし、見方を変えれば信仰を持ち出さないことによって、信仰本来の価値やありがたさにあらためて気づくこともあるのではないかと思います。それは、ちょうど外国に出かけてみてはじめて日本の素晴らしさを実感できるのと同じことかもしれません。外に出てみて、はじめて内側のことが再認識できるというものです。
「仙台駆け込み寺」のことが詳しく知りたい方は、そのホームページをご覧いただきたいと思います。また、さまざまな方々にもボランティア相談員として参加されたらよいのではないかと願っています。
詳しくは、支部長をされている織笠裕章さんへご相談ください。
教会長 近藤雅則
☆ホームページ:日本駆け込み寺 仙台支部|たった一人のあなたを救う (amebaownd.com)
☆連絡先:sendai.kakekomidera@gmail.com