平成29年次 仙台教会「幹部指導会」が開催されました。
- 2017/1/26
- 心を創る
1月22日(日)、仙台教会道場にて「幹部指導会」が開催されました。当日は、約700名の幹部会員が参集し、庭野日鑛会長の「年頭法話」(『佼成新聞』平成29年1月1日号)のかみしめと今年度の布教伝道のあり方について、近藤雅則教会長より講話がありました。
また、近藤教会長の講話に前後して、齋藤教務部長のあいさつ、織笠総務部長の結びの言葉があり、教会幹部一同が心新たに「感謝」の心でのさらなる精進を誓い合いました。
近藤教会長の「講話」ならびに、「あいさつ」、「結びの言葉」を掲載いたします。
【ごあいさつ】
仙台教会 教務部長 齋藤里予
ご本部をはじめとして日本全国で、今、「寒中読誦修行」が行われています。そのような時に、近藤教会長さんから今年一年の心構えとしてのご指導を頂戴し、そして、そのご指導を通して自分の心の在り方を教えていただける。私自身の今の恵まれた境遇と有り難さを、今、しみじみと思っています。
仙台教会の幹部の皆さんがこうして揃わせて頂いて、共にご指導をかみしめ、布教伝道に今年一年邁進していきたいと思います。
近藤教会長さん、宜しくお願いいたします。
【講 話】
仙台教会 教会長 近藤雅則
(1)丁(ひのと)・酉(とり)・一白水星(いっぱくすいせい)
本日は、『佼成新聞』(2017年1月1日号)の会長先生の「年頭法話」のかみしめを通して、今年一年の心構えをつくらせて頂きたいと思います。
まず、「年頭法話」を拝読する前に、平成29年はどんな年かということをお話します。十干が「丁」、十二支が酉、九星が一白水星。これが、今年の年まわりとなります。
「丁」、この文字の意味は、夏の盛りで草木が繁茂している状態を表します。「酉」はニワトリではありません。この字の意味はお酒の甕(かめ)を表します。ですから、作物の収穫やお酒の熟成を表し、物事の成就を示しています。これだけを鑑ますと、今年はとてもいい状態になることが期待できます。しかし、いい方向への発展や状態は安定したものではありません。成就したからといって、決して油断してはならない。九星の星まわりが一白水星ですので「水」です。水の特性として、形が不安定です。いろいろな器にあわせて変化します。
ですから、今年はいいことがあっても長くは続かず、変化していくということです。したがって、変化に対応する心の柔輭性(にゅうなんせい)を持つことが大切になります。
また水の持つ特性として「浸透」。しみ込んでいくということですね。人間に置き換えてみれば、私の思いが相手に浸透していくわけです。そこで、上手に相手に思いを伝えるコミュニケーションが大切です。教えも伝わっていきます。その意味では、布教伝道(お導き)の年だと思っています。
さらに、水には「冷たい」という性質があります。これは、「冷静」というふうに受け止め、起きてくる変化に一喜一憂せず、物事を冷静に対処していくことが大切です。
今年一年の星まわりから鑑た運勢につきましては、2月3日の「節分会」の時に詳しくご紹介いたします。
(2)20年構想しめくくりの年 「心田を耕す」
今年は立正佼成会の20年構想のしめくくりの年にあたります。「心田を耕す」ということが、二十年間の修行の目標でした。
会長先生が20年前に「心田を耕す」ということを打ち出された時、ある教団幹部さんが、「これからも一生懸命に人さまの心田を耕していきます」と誓願したところ、会長先生から「人さまではなく、自らの心田を耕していくことです」というお言葉があったと伺っています。
今年は「自らの心田を耕していく」、その20年の修行のしめくくりの年でもあるわけです。では、「自ら心田を耕す人」とはどのような人でしょうか?会長先生の「年頭法話」を通して言えば、すべての物事に感謝の心、お陰さまという心が持てる。たとえ、何か不都合なことがあった時でも、自らを反省できる人。そういう人が自らの心田を耕せる人ではないでしょうか。
そのような意味では、今年一年が仕上げの年となります。もう一度、自分自身をしっかりと振り返り、どんなことがあっても人のせいにしない、すべてを有り難く感謝で受け止めていける、このような私たちになっていきたいと思います。
(3)仙台教会発足60周年準備開始の年
今年は仙台教会発足60周年を3年後に控えた年となります。その60周年に向けて準備をスタートする年です。まだ3年先と思う方もいるかもしれません。しかし、60周年になったら始めるというのでは、何もできません。何事も常に前もって準備をする。発足60周年に向けた準備をする。その始まりの年が今年であるわけです。
では、誰がその準備をするのでしょうか?この仙台教会は誰の教会ですか?・・・仙台教会は皆さんの教会なのです。60周年のことも、皆さんに考えて頂きたいと思います。私や支部長さん、部長さん方はもちろんですが、皆さんの中から「仙台教会発足60周年をこういうふうにしていきたい」という夢をもち、共に考えて頂く「特別委員」を募集しています。
教会道場の掲示板、あるいはホームページ(「教会からのおしらせ」)に《特別委員募集》の要項が掲載してありますので、我こそはという方は、奮って応募して頂きたいと思います。
平成29年の動きとしてもう一つ皆さまにお伝えしたいことは、東日本大震災後「七回忌」という節目の年にあたることです。どんどんと復興が進み、仮設住宅から復興住宅へと多くの人が移り住めるようになってきました。しかし、まだまだそうでない方もたくさんいらっしゃいます。長年暮らした土地を離れ、遠いところに住むことを与儀なくされている方。未だに職が見つからない方。そして、大切な家族を失い、大きな心の傷を持って生活されている方もたくさんいます。そういった方々の思いを、わが思いとして胸に抱いて生きていきたい。また、その人たちに少しでも生きがいを持って頂くようなふれあいをさせて頂く。そのことが亡くなった方々への最高の供養であり、真の復興への道であると思います。
そのような意味で、ご本部への「復興親子団参」を今年も7月行います。この団参は、仙台教会の皆さんが震災後、亡くなった方々への「供養」と地域の「復興」に向けての誓願のために始まった団参です。今年は七回忌目にあたり、最後の「復興親子団参」となります。
一人でも多くの方にご参加頂けますよう、宜しくお願いいたします。
以上が、平成29年の意義であります。
2.会長先生の年頭法話
では、皆さんと共に会長先生の年頭法話を拝読させて頂きましょう。
あけまして、おめでとうございます。
会員の皆さま一人ひとりが、さまざまな思いの中で新しい年を迎えられたことと思います。人間が生きるのは、過去でも未来でもなく、いま、この瞬間だけである、と釈尊は教えられています。目の前のことを何よりも大事にし、丁寧に、きちんと取り組んでいきたいものです。
この短い文章の中に、仏さまの教えのとても大切なことが書かれてあります。
皆さん、今この瞬間を生ききっていますか?今この『佼成新聞』を一緒に読みながら、(家族はどうしているか?)、(今日の夕御飯はどうしようか?)など、いろいろなことを考えている方もいるかもしれません。私たちの脳は、光の17倍という速さで思考しているといわれます。
しかし、“人間が生きるのは、いま、この瞬間だけである”ということですから、身も心もすべて、いま、ここに集中する。新聞を読んでいるときは、集中して新聞を読む。ご飯を食べている時は、集中してご飯を食べる。テレビを見ながらご飯を食べたり、スマホでゲームをしながらご飯を食べたりということは、まさかないでしょうね。ご飯をしっかりと味わって食べていないから、感謝の気持ちがわいてこない。だから食べても栄養にならない。贅肉になってしまいます(笑)。ですから、しっかりとよく味わって、感謝をして食べることも、“いま”を生きることなのです。
皆さんの中で、過去のことを後悔している人はいませんか。(なぜ、あの時、あんなことをしてしまったのか)。(なぜ、あの人にあんなことを言ってしまったのか)と。過去を悔やんでいる人も、“いま”を生きていない人でしょう。
また、未来に不安を抱いている人はいませんか?これから先どうなるのだろうかと、あれこれ考えている人はいませんか?まだ来ない未来を不安に思う人も、“いま”を生きていない人です。
不安で不安でしょうがない、仕事や家庭に悩みがあって、何をしていいのかわからない。そういう方もいるかもしれません。しかし、会長先生は、「目の前のことを何よりも大事にし、丁寧に、きちんと取り組んでいきたいものです」と教えてくださっています。目の前の人を大切にしていく、今やるべき仕事にうちこんでいくということなのです。
多くを失った人こそ、何が一番大事かが分かる。つらく、悲しい思いをしたからこそ、他者の痛みを理解し、思いやりをかけられる―信者さんの姿を通し、そのことを改めて強く感じました。
東日本大震災で心や身体に大きな傷を負った人。家族や家、財産、仕事など、多くを失った人こそ、何が一番大切なのかが分かるということですね。他者の思いが分かり、思いやりがかけられる。これも会長先生の思い、願いであります。
そして、次の段は、今年の信行方針です。
私は、「平成二十九年次の方針」を次のように提示しました。
本年も現実の繁雑に陥ることなく、いつも大切なものごとに集中するよう工夫を凝らし、「テーマ」を持って布教に取り組みましょう。
釈尊が教えてくださった
「有り難し(ありがたい)」
「感謝(ありがとう)」
のこころを、日常生活の中で表現し、実践してまいりましょう。
私たちは、仏さま及び開祖さま・脇祖さまの人を慈しみ思いやるこころ、人間本来のこころ(明るく 優しく 温かく)を持って、菩薩道 (人道)を歩んでまいりましょう。
このことが会長先生から頂いた私たちの修行のテーマです。この修行のテーマは3つに分かれています。
一つ目は、
(1)現実の繁雑に陥ることなく、いつも大切なものごとに集中するよう工夫を凝らし、「テーマ」を持って布教に取り組みましょう。
皆さんの人生にとって大切なものはなんですか?少し考えてみてください。一般的には、「家族です」という人が多くいるでしょう。「家族を失って初めて、家族の大切さに気づきました」という人もいるでしょう。今日ここで「家族が一番大切」と思われた方は、ぜひ家に帰ったら家族の方に、「あなたが私の宝物です」と伝えてください。
次に、「仕事です」という人はいますか?仕事があるからこそ生活ができるし、ましてや仕事が生きがいだと思われている方もいると思います。
では、「私はお金です」という人はいますか?「何をおいても、やっぱり人生で大切なものはお金です」という人もいるでしょう。また、「いくらお金があっても、やっぱり健康でなきゃあ何もできない。健康が一番大切です」という人もいますね。なかには、趣味の骨董品が何よりも大切だという人もいるでしょう。盆栽だとか、ゴルフのクラブとか、いろいろな人がいるかと思います。
しかし、ここで会長先生がおっしゃっていることは、「要は何が一番大切かということをふまえていないと、右往左往してしまいますよ」ということです。
『佼成新聞』の次のページを開いてください。川端理事長さんのお言葉で、次のように述べられています。
「現実の繁雑に陥ることなく、大切なものごとに集中する工夫」の「大切なものごと」とは、一人でも多くの人に「法華経に示された人間の生き方」を知ってもらうことです。そして、本当の幸せを自分のものにして頂くことです。
“大切なものごと”とは、『法華経』に示された人間の生き方をお伝えして、本当の生き方をつかんで頂きたい、ということですね。皆さんに、「あなたのお役はなんですか?」とお聞きしたらなんと答えられますか?この前、ある支部長さんに「あなたのお役はなんですか?」とお聞きしたら、「私は支部長です」と答えが返ってきました。また、ある壮年部さんにお聞きしたら、「支部の部長です」いう返事です。しかし、それは、お役の名前なんですね。支部長とか、部長とか、主任とか、組長とかというのは、お役の名前です。大切なことは、〈そのお役を通して何をするのか、どう生きるのか〉ということです。
一人でも多くの人に「法華経に示された人間の生き方」を知ってもらうことです。そして、本当の幸せを自分のものにして頂くことなのです。ぜひとも、このように理解して頂きたいと思います。
また、会長先生が「テーマを持って布教に取り組みましょう」とご指導くださいましたが、皆さんはご自身のテーマは決まりましたでしょうか?まだ思案中という方もいるかと思いますが、遅くとも「節分」までにはご自身のテーマを定めていってください。そして、決めたことを文字に書いて自宅の御宝前の横とか、テレビの横や冷蔵庫のドアなどに貼って、いつもしっかりと忘れずに精進してほしいと思います。
そこで、今年の私自身のテーマは何かということですが、お手元にお配りした「栞(しおり)」を見てください。「心に本仏を勧請する」ということで、開祖さまのお言葉が書かれてあります。
では、皆さんと一緒にこの開祖さまのお言葉を拝読しましょう。
心に本仏を勧請する
庭野日敬
私たちは久遠本仏のいのちに生かされて生きています。仏さまは私たちをご照覧くださり、人格を育もう、向上させよう、本当の幸せに導こうと、いつも慈悲の手を差し伸べていられるのです。
この仏さまのみ心のままを受け止めて生きていく中に、私どもの真の救いと幸福があるのです。
しかし、久遠本仏のいのちは直接目に映らないだけに、凡夫はすぐにこれを忘れてしまいがちです。
どのような状態に置かれても、また、どのような人と触れ合っても、常に仏さまのはからいと慈悲をしっかり感受できる信仰者になってほしい。そうした心を込め、大聖堂の建立と共に勧請させて頂いたのが、久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊像でありました。
しかし、久遠本仏を形に顕すことはできても、そのお慈悲を受け止める器が一人一人の心の中に確保されないうちは、仏さまの働きを顕現することもできません。
自身の内側に脈々と息づいている本仏のいのちを認識し、仏さまの手足となって働く存在になっていく。
言わば、各自の心に本仏が勧請されて、それで初めて、本会にご本尊像が勧請された真意をかなえることになるのです。
開祖さまは多くの偉業を成し遂げられました。世界の宗教者と手を携えて世界平和への道を歩むという「宗教協力」によって、宗教界のノーベル賞と言われる「テンプルトン賞」を受賞されました。しかし、私が思わせて頂く開祖さまの本当の偉業というのは、「久遠本仏」をご勧請されたことではないかと思っています。今から約2500年前、お釈迦さまによってインドで生まれた仏教は、中国、朝鮮、そして日本へと、高僧・名僧と呼ばれる人々をはじめ、数多くの人の手によって伝来されました。しかし、その2500年という歴史の中で、「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊」を形にされたのは開祖さまだけです。
しかし、形として久遠本仏を勧請することと同じぐらい、いやそれ以上に大切なことが、私たち一人ひとりの心の中にしっかりと久遠本仏が勧請されることと言えましょう。
ぜひ、この「栞」もお経典などにはさんで頂いて、この開祖さまのお言葉が暗誦できるほどになってほしいと思います。
そこで、私の今年のテーマは、この「栞」の中にある、
自身の内側に脈々と息づいている本仏のいのちを認識し、仏さまの手足となって働く存在になっていく。
ということです。
教会長という私のお役は、もちろん組織的に頂戴しているお役には違いありませんが、「私は久遠本仏さまから、直接、このお役を頂いた」という確固たる自覚を持ち、久遠本仏の手足となってお役をさせて頂きたいと思います。このことが私の今年のテーマです。
(2)釈尊が教えてくださった「有り難し(ありがたい)」「感謝(ありがとう)」のこころを、日常生活の中で表現し、実践してまいりましょう。
私たちの修行のテーマの二つ目は、会長先生の次のお言葉です。
釈尊が教えてくださった
「有り難し(ありがたい)」
「感謝(ありがとう)」
のこころを、日常生活の中で表現し、実践してまいりましょう。
また、この年頭法話の最後の方に、次のお言葉があります。
感謝のできる人間になる―結局、それが、私たちの信仰の目標といえるのではないでしょうか。
つまり、「感謝できる人間になる」ということが、私たちの信仰の目標なのです。なぜなら「感謝する」と言っても、なかなかできるものではありません。だから、信仰の目標であるわけです。
では、感謝するとはどういうことでしょうか?自分にとって都合のいいことは感謝する。都合の悪いことには不平や不満、あるいは泣き言を言うということでは、本当に感謝のできる人間とはいえません。
会長先生のおっしゃる感謝とは、次のような心の持ち方なのです。
何か特別なことがあったから感謝するというのではなく、そうしたいのちの実相(ありのままのすがた)に感謝するのが、釈尊が教えてくださる感謝であります。
宝くじがあたったから感謝する、給料が上がったから感謝するといったように、何か良いことがあったから感謝するということではなく、常に感謝をしていく。いま、生きていること自体に「有り難い」と感謝をしていく。自分にとって良いことも、悪いことも、いのちの実相、ありままのすがた、おはからいとして、すべてに感謝をしていくことが本当の感謝だということです。
皆さんは、一日にどれくらい「ありがとう」という言葉を言っていますか?
一日に300回、言っていくといいですね。私たちは朝起きて目が覚めたら「ありがとう」。顔を洗って「ありがとう」。朝ご飯を頂いて「ありがとう」。教会に向かう時、自動車に「ありがとう」。通ってくる道に「ありがとう」。信号に「ありがとう」。教会に無事に到着して「ありがとう」。教会の駐車場のお役の方に「ありがとう」。玄関で迎えてくれるお当番さんに「ありがとう」。そういった具合に「ありがとう」と言っていくと、自然と一日に300回は必ず「ありがとう」と言っています。
ぜひ、一日に300回の「ありがとう」を目安にしましょう。
もし、今日は300回、「ありがとう」と言っていなかったなと思ったら、布団に入って休む前に、「ありがとう」、「ありがとう」と300回になるまで言ってください。
すべての人や物事に感謝することは、実はとても難しいことです。だから、会長先生は次のようなお言葉をくださいました。
心がこもっていなくとも、形だけでも、まず言ってみる。それは、一歩、半歩を踏み出すことです。「型」から入るのも、実は、とても大事なことです。「型」が整っていくことによって、次第に心も調っていくからです。
このお言葉は、まず形から入りましょうということです。「ありがとう」と形だけでも言っていると、徐々に感謝の心が高まってくる。するとその感謝の心にふさわしく有り難い出来事が生じてくる。逆に愚痴や不平・不満を言っている人には不満や愚痴を言いたくなるような出来事が生じてくる。つまり、自分の心に描いたように、現実の世界が展開していく。
これが、『法華経』に説かれる「一念三千」なのです。
どうぞ、このことをしっかりと腹にすえて、「ありがとう」の実践をしていきましょう。
(3)人を慈しみ思いやるこころ、人間本来のこころ(明るく 優しく 温かく)を持って、菩薩道(人道)を歩んでまいりましょう。
私たちの修行のテーマの三つ目は、以下の会長先生のお言葉です。
私たちは、仏さま及び開祖さま・脇祖さまの人を慈しみ思いやるこころ、人間本来のこころ(明るく 優しく 温かく)を持って、菩薩道(人道)を歩んでまいりましょう。
私たち人間は、けっして一人では生きていけません。両親に産んでもらい、育ててもらい、今までに数限りない多くの人のお世話、お陰さまによって、今のいのち、人生があります。さらに太陽、空気や水などの天地自然の恩恵によって生かされています。このように見てみると、私たちはもらいっぱなし、いただきっぱなしです。“そんな私たちが少しでもお返しをしていきましょう”ということが、菩薩行です。ですから菩薩行とは、何か特別な修行ではなく、人間として当然の生き方なのです。会長先生がカッコ内に「人道」と書かれてあるのは、そういう意味だと思います。
もし、立正佼成会にご縁がなかったら、自分のことだけ、自分のためだけを思い、考え、生きてきたかもしれません。実際に、佼成会に導かれる前の私がそうでした。他人のことは蹴飛ばしても自分中心の生き方をしておりました。
しかし、たくさんのお陰さまを頂いている自分が、少しでも世のため人のためと思い、実践する。それが菩薩行であり、人道であります。
私たちは、お役、菩薩行をとおして、感謝の心で人生を歩んでいきたいものです。
3.布教伝道の大切な視点
仙台教会における布教伝道の大切な視点として、3点程、皆さまにお伝えいたします。
一つは幼少年期の結縁(三つ子の魂百まで)ということです。子どもの時に出会ったこと、ふれた縁がその人の人生を形成する。いかに子ども頃に善い縁にふれてもらうかが大切です。小さい子どもは、何も分からなくてもいいのです。「小さい頃に、お母さんに連れられて佼成会に行ったな」、「お祖父ちゃん、お祖母ちゃんと一緒によく佼成会に行ったよな」という結縁が大切なのです。このことが、成長して何かのご縁にふれた時、その子の仏性が開いていくのです。
お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、どうぞお孫さんを教会道場に連れて来てください。若いお母さん方、どうぞ安心して教会道場にお子さんを連れて来てください。「子どもが騒いでいて、うるさい」などとは絶対に言いません。子どもの姿がたくさんあり、また子どもの声がたくさん聞こえる教会こそが、未来のある教会だと思います。ぜひ、未来あふれる教会をつくっていこうではありませんか。
次に、地区サンガの充実(主任さんを中心とした布教チームづくり)です。地区サンガが元気にならないと支部が元気になりません。支部が元気にならないと教会が元気にならない。つまり地区が元気にならないと教会の元気もないわけです。
どうぞ、地区の中で主任さん、会計さん、組長さんといったお役の方が、心一つにチームを作り、上半期の「復興親子団参」、下半期の「地区集会」を通して、地区サンガの充実をはかっていって頂きたいと思います。
そして、「情熱をもって布教伝道に取り組もう」ということです。
私は、この仙台教会を十倍にしたいと思っています。二倍とか三倍といったことでは、それだけの努力しかしなくなります。「十倍にしたい」と心底思えば、そこに向かって努力していきますから、それにふさわしく自らも成長し、その器になっていきます。もし、十倍になってこの道場に人が入れなくなると心配される方もいるようですが、そうなったら、もう一つ道場を建ててもいいです。ですから、大きな目標をもって、努力していきたいと思います。
しかし、そのためには地道な努力による布教が大切だと、私は思っています。出会ってすぐに佼成会に入会して頂くことは、急ぎすぎです。まずは立正佼成会を知ってもらうことが大切です。「立正佼成会とは、こういうところです」、「立正佼成会の教えは、こんな内容です」、「立正佼成会は、こんな活動をしています」ということを、まず知って頂く、理解して頂くということです。そこからすべてが始まります。
そこで、そのために多くの人にお配りし、立正佼成会を知って頂くための「パンフレット」も用意しました。とてもよくできた「パンフレット」です。ぜひ、ご活用ください。
そして、このたび「法輪部」を作りました。65歳以上の大先輩の方にひと肌ぬいで頂きたいと思います。豊富な人生体験、信仰経験を活かして頂き、布教伝道の先頭に立ってご活躍して頂きたいと心から願っております。
それでは、今年もどうぞ宜しくお願い致します。
有り難うございました。
合 掌
【結びの言葉】
仙台教会 総務部長 織笠有紀子
「誓願」を持つということの大切さを改めて、私自身が教えて頂きました。皆さん、節分までには、しっかりと今年一年のテーマを決めさせて頂きましょう。
私自身、自分の殻をうちやぶって、さまざまな変化の中でどうその現象を活かしていくかということを思わせて頂いた時、
「すべての起こる現象、変化は、すべて私自身が仏さまにお願いしたことだ」
と思わせて頂きました。時折、弱気になることもありますが、最初から完璧にできなくても、「型」から入るということを会長先生から教えて頂き安心しました。
すべて仏さまに自分がお願いして表れてきた現象であるとしたなら、人のせいにしませんし、それに一喜一憂しない。そして、仏さまからの現象ということで「感謝」もさせて頂ける。私はこのことを、今年一年のテーマといたしました。
そして、「いつも笑顔で、有り難うで生きていこう」ということを、日々、自分の胸に刻みつけて生かされて、生きていきたいと思います。ぜひ、これらの「型」が整い、しっかりと自分にしみこんでいくように修行をさせて頂くことをお誓いいたします。
皆さん、今年一年もどうぞ宜しくお願いいたします。
有り難うございました。