『佼成』2021年1月号の会長法話は、「常不軽菩薩のように」がテーマです。
“常不軽菩薩は、出会う人のだれに対しても合掌・礼拝し、「私はあなた方を敬います。決して軽んじません。あなた方は、菩薩の道を行じて必ず仏になる方々だからです」といって讃嘆しました。しかも、そのことによってどんなにひどい仕打ちを受けても、人を見下げたり、怒りや憎しみを抱いたりしないで耐え忍び、罵声や暴力から身を遠ざけながら礼拝行に徹したのです。”と、常不軽菩薩がどんな菩薩であったかが説かれています。
また、開祖さまはご著書の中で、「ひとの仏性を拝むことが、仏道修行の根本であり、すべてに先行するものでなければならぬ」、「仏の教えの哲理を煮つめて煮つめたギリギリのエキスはなんでしょう。一切衆生悉く仏性有りという真理がそれです」(「新釈法華三部経」第8巻)と、仏性礼拝行の大切さを力説されています。
「仏性」とは、「仏の本性」とか、「仏になりうる可能性」ということですが、それを全ての人が持っているとはどういう意味なのでしょうか。そして、それを拝むとは、具体的にはどうすることなのでしょうか。私は二つの視点で理解しています。
まず一つは、どんな人でも、必ずこの世に必要があって生まれてきた人だと受けとめることです。
もう一つは、今はどんなひどい状況にあっても、必ず成長・向上する(仏に近づく)ことができる人だと受けとめることです。
しかし、こうした受けとめ方も容易にできるわけではありません。そこで、その第一歩として、まずは人の素晴らしいところ(長所)を見つけ、それを「認めて・ほめて・感謝する」を実践してみましょうと、お伝えしているのです。私たちは、人の欠点を見て、「批判し、悪口を言い、不満を言う」ことは簡単にできますが、そこを改めるのです。
これがある程度できるようになると、次のステップに進みます。それは、一見欠点と見えることを「認めて・ほめて・感謝する」のです。たとえば、「いいかげん」は「おおらか」、「気が弱い」は「優しい」、「短気」は「反応が早い」、「愛想が悪い」は「人に媚びない」、「なんでも思いつき」は「決断が早い」、「三日坊主」は「切り替えが早い」、「行動が遅い」は「行動が慎重」、「年をとっている」は「経験が豊か」というように・・・、逆転した見方ができるようなると、かなり上達した証拠です。
「認めて・ほめて・感謝する」をされるとうれしくなります。気持ちが前向きになります。自信がわいてきます。すると、人に対して優しくなり、さらに自分の長所を高め、発揮したいと努力するようになるのです。まさに、人を生きながら生まれ変わらせる力があるのです。
このような実践が身につけば、自ずと日々の生活や生き方が真理・法に合致し、結果として、さまざまな悩みや苦を解決することにつながります。さらに、人間本来の歓びと生きがいのある人生をおくることができるばかりか、真の家庭成仏・平和社会の実現につながるのです。
ご法話の後半に紹介されている宮沢賢治は、法華経の熱心な信仰者でした。彼が残した数々の素晴らしい作品には、人を助け、世の中の役に立ちたいという菩薩の精神がみごとに表現されているといいます。賢治は臨終に際し、“自分の死後、法華経を千部印刷して、知人や友人に贈ってほしい”と、言い残したと伝えられています。
「雨ニモマケズ」に書かれている人物は、賢治自身が求めた生き方であり、常不軽菩薩の姿を示しているのでしょう。法華経に出会えた私たちも、「雨ニモマケズ」をお手本にして、今年一年を明るく精進していきましょう。
合 掌
2021年1月1日
立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則
※以下に、宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の全文を現代語にてご紹介します。(HP編集担当)
「雨ニモマケズ」(現代語)
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫な体をもち
欲はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きしわかり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子どもあれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はオロオロ歩き
みんなにデクノボーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
私はなりたい