“自己のなかの猛毒を自覚する!” 教会長 近藤雅則(平成30年6月)
- 2018/6/5
- 心を創る
『佼成』6月号の会長法話は、「踏みとどまる」がテーマ。
今月は「八正道(はっしょうどう)」の中の「正思(しょうし)」について教えられています。正思とは貪欲(とんよく=欲ばり)、瞋恚(しんに=怒り)、愚痴(ぐち=自己中心の愚かさ)という「意(い)の三悪(さんあく)」をなくし、大きな心で考えること。また、こうした考えに流されそうになったときは、「ひと呼吸おき、踏みとどまる」。そして「思いやりの心」が大切であるということだと思います。
〈貪欲〉とは、物質・名誉・地位・ひとの愛情などを、必要以上に、飽くことなく貪り欲する心。どこまでも満足することを知らぬ欲望ですから、心はつねに不足感のためにイライラして、おちつくことがありません。そればかりでなく、多くの人がこれをもっていますと、その貪欲と貪欲は衝突せざるをえませんから、対立と摩擦が生じ、不幸はいよいよ拡大するわけです。
〈瞋恚〉とは、小我によるわがままな怒り。その人の心を毒するばかりでなく、身体にも強く影響し、健康を害します。怒ってばかりいる人は長生きしません。また、人と人との間においても、怒りが不和の最大の原因となります。
〈愚痴〉とは、愚かで、目先のことしか考えられない心です。こんな人は、視野が狭くて、大局が見えませんから、自分ではあたりまえのことをしているようでも、他との調和がとれません。また本能の衝動を押える良識に欠けていますから、世間に迷惑をかけるようなことをしでかしてしまいます。
いわゆる頭のいい人でも、このような愚かさをもつ人はいくらでもおり、反対に、学校教育はあまり受けていない人でも、人間的にはよくできた人もたくさんいます。
これらの三つの中でも特に恐ろしいのは、瞋恚(怒り)です。
職場で上司と対立し、怒りを爆発させたために会社を退職する羽目になってしまった人。あるいは、家族間に深刻な溝を生じさせてしまった人など、瞬間的な怒りによって、一度限りの大事な人生を棒に振ってしまったという話をよく耳にします。それらはどんな後悔しても、元には戻せないのです。
最近では、ますます短気で切れやすい人が増えているように思います。カッときて、とんでもない事件を起こしてしまう人もいます。怒りは、本当に恐ろしい猛毒です。そして、この猛毒は誰の心にも潜んでいて、何かのきっかけで出てくるものであることを自覚しておかなければなりません。
信仰とは、こうした貪瞋痴という三つの恐ろしい心を矯正することであり、人生を後悔せず、よりよく安心して生きていくための良薬なのです。
合 掌
平成30年6月5日
立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則