💎 庭野日敬開祖「一日一言」~毎日のことば~(12月)

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『法華三部経』を手に教学研修をされる若き日の庭野開祖(昭和33年、山梨県甲府支部道場にて)

 立正佼成会を創立した庭野日敬開祖の珠玉のおことばを「一日一言」と題して、毎日更新し、1つずつご紹介していきます。師走12月のテーマは「庭野開祖のお心と願い」です。

《12月31日》
仏さまのはからい~年の暮れにあたり~
 今年も無事に年の暮れを迎えさせてもらえましたが、景気の停滞や、天災、病気などで、素直に「無事、この一年を過ごせました」と言えない方もおられるかもしれません。けれども、その苦労の多かった一年を、どう受け取るかが大事だと思うのです。仏さまは私たちのすべてをわが子として、「必ず私が守ってあげます」とお約束くださっています。そのお言葉を、信じきるのです。
 この一年、みなさんがどのような苦しみに遭い、どうがんばってきたか、そこから立ち上がるみなさんの懸命な努力を、仏さまはいつも見守ってくださっています。仏さまは、わが子がそれだけの力を具えているのを、信じきっておられるのです。
 親が子どもを強く育てるために、その願いとは違うように見えるものを与えることがあるように、仏さまは、いま私たちにいちばん必要なものをお与えくださいます。
 安穏無事とは、なにごとも起こらないことではなく、どんなことが起ころうと、それを乗り越える力を具えていることです。非常の試練とみえることが、その力をつけてくださる仏さまのおはからいだったと分かるときが、必ずきます。(『開祖随感』より)

《12月30日》
大いなる功徳
 コツコツと信仰生活を続け、菩薩行を実践しているうちに、「ああ、あれも功徳だった」「これも功徳だった」と気づく。そう気づいたときの喜びそのものが“大いなる功徳”にほかなりません。(『笑顔のさきに「報恩感謝」』より)

《12月29日》
功徳の源泉
 地位も財産も、人の本当のよりどころとなるものではありません。頼みにできるのは、自分の心、自分の信心です。その「信」さえしっかり持(たも)つことができれば、どんな人に対しても、どんな事態に直面しても、心にゆとりを持って、そこに意味を見いだし、それを成長の糧としていくことができます。この心こそが功徳の源泉です。(『開祖随感』より)

《12月28日》
苦が苦でなくなる
「人生は魂の修行の場であって、不自由も、苦しみも、自分を修行させてくれる有難い教材なのだ」
というふうに考え方を一変させれば、苦が苦でなくなるのです。(『笑顔のさきに「報恩感謝」』より)

《12月27日》
花開く時 蝶来(きた)り
 良寛さんの漢詩に「花開く時蝶来り、蝶来る時花開く」と読む対句があります。自然のありのままの姿を見れば、花のいのちと蝶のいのちは互いに呼びかけ合って、一つに通い合っているのです。
 仏さまと私たちの関係も、これと同じことでしょう。仏さまは常に私たちに大慈悲心をそそいでくださっているのですが、それを知らないままに過ごす人もいます。いまの人たちは、何でも自分の意思で行動しているように思いがちですが、じつは、仏さまの大きな力にうながされているのです。ですから、ひとたび仏さまを仰ぐ気持ちになれば、その大慈大悲に包まれていることが実感できるのです。
 私たちにとって大事なことは、仏さまが見守ってくださっていることを素直に信じて、ありがたくその大慈悲を頂戴することです。そうして仏さまのお心と私たちの心が一つになるとき、そこに「救い」が実現するのです。(『我汝を軽しめず』より)

《12月26日》
本仏の姿、説法
 本仏を信じてその教えを実践しようとする人は、見聞すること経験することのすべての中に、本仏の姿を見、その説法を聞くことができるのです。(『庭野日敬法話選集』より)

《12月25日》
真の信仰を身につけるには
 道場へ行っているときが信仰で、家にいるときや、会社に勤めているときは世俗の生活といように分けて考えてしまう傾向があるようです。それでは真の信仰が身につくとは申せません。(『庭野日敬法話選集』より)

《12月24日》
迷い
 迷い方にもいろいろな迷い方があるわけだ。私などは世の中をよくしたいという欲望があるから迷いが強いわけだ。あなたがたも、いいことをしようと思うから迷いが多いんだ。(中略)迷いがあるから救いがあるんだ。このような迷いは大事にしときなさい。(『庭野日敬法話選集』より)

《12月23日》
人さまのことを考えてあげる
 菩薩行というとむずかしいようですが、実践しながら学ばせていただきますと、むずかしいことではないのです。本来人間はみな仏になる性質をもっているのです。
 人さまのことを考えてあげるということは、たいへん気持ちのいいことです。人さまが自分の願ったとおりになってくださったのをみさせていただくということは、なんとも言えない素晴らしい喜びです。(『庭野日敬法話選集』より)

《12月22日》
人生にむだはない
 苦しみにぶつかったときに、「仏さまが、この苦しみを通して同じ苦しみにある人たちを救う力を与えてくださるのだ」と受け止められるようになると、力が内からわき上がってきます。その力が道を開いていくのです。
「無用の用こそ大切」といいます。人生でぶつかるさまざまな苦しみ、むだな回り道と思えることも、すべて将来に生きていくのです。(『開祖随感』より)

《12月21日》
親切行
 人に親切な行為をしてあげるときは、そのときだけでも仏になっているのです。(『笑顔のさきに「異体同心」』より)

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《12月20日》
恩返し
 いつも、まわりの人たちへの感謝を忘れずに、その感謝の気持ちを素直に表わしていく生き方と、自分を過信して得意になったり、努力が報われないと恨んだりする生き方とでは、天地の開きが出てしまいます。
 先祖供養も、親孝行も、菩薩行も、すべて今日の自分をあらわしめているものへの恩返しの行なのです。(『開祖随感』より)

《12月19日》
「親孝(しんこう)」が「信仰」に
 信仰とは何を信じ、何を仰ぐのかと若い人から尋ねられることがありますが、目には見えない仏や法は信じられないというのなら、親に孝と書く「親孝」を信仰と考えてもかまいません。この世に生を受け、ここまで育ててもらった親への感謝、その報恩行が仏さまに生かされる自分への目覚めにつながるのです。(『開祖随感』より)

《12月18日》
人さまを救わなくてはならない。世の中をよくしなくてはならない。
 私は世界宗教者の中に出てもの申すなどという器ではないのです。私は素っ裸な心でこれまで勉強してきたことをみなさんにありのままに訴えて、ご自由に判断してくださいと自分を投げだすから受け入れてくれるのです。
 人さまを救わなくてはならない。世の中をよくしなくてはならない。ただそれに徹しているのです。その方法が法華経にあると信じているのです。仏を信じ、法を信じ、そして人間を信じて三宝帰依に徹底しているのです。
 たとえ念仏を唱えようが、法華経を唱えようが、あるいはキリスト教であろうが、どのような宗教であろうが、そんなことはかまいません。人間そのものの尊さを信じて宗教、宗派、国の違いを超えて私は当たっていくから、みなが受け入れてくれるのです。(『庭野日敬法話選集』より)

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世界の宗教者の中で

《12月17日》
宗教の根は一つ
 一仏乗の精神に貫かれる法華経を所依(しょえ)の経典とする私たちには、宇宙の真理はただ一つであり、それぞれの宗教はその真理の多様な表現にほかならないというのが一貫して変わらぬ信念です。だからこそ万教は同根であり、宗教協力はむしろ必然であると信じているのです。(『開祖随感』より)

《12月16日》
法華経を行ずるためには
 法華経を行ずるには、久遠実成の本仏が自分に生きていなければだめです。自分のやっていることは、本仏がさせてくださっているのだ。本仏は私を生かしてくださっている。生かされている以上、本仏の本願にかなったことをさせてもらわなくてはならない―そういう気持ち、自信が大切なのです。(『庭野日敬法話選集』より)

《12月15日》
うれしさの涙、感謝の涙
 人の教化(きょうけ)にあたるリーダーは、相手と悲しみ苦しみをともに、喜びをともにする涙がなくてはなりません。理論や理屈だけでは人を本当に救うことはできないのです。
 相手とともに泣くとは、ただ涙を流すことだけではなく、相手の心にぴったり寄り添う共感の心を持つことです。日蓮聖人に「日蓮はなかね(泣かね)どもなみだ(涙)ひまなし」というお言葉がありますが、温かい慈悲と細心の心遣い、遇(あ)い難き法華経に遇い得た感謝、そして苦難をともにして一切衆生を法華経の救いに導かせてもらえる感動の涙…それがご聖人の涙なのです。
 私たちも、人さまが本当にご法を分かって救われていく姿を見るうれしさの涙、すべてのものへの感謝の涙を忘れてはなりません。(『開祖随感』より)

《12月14日》
仏さまはけっして見放さない
 過去も現在も未来も、仏さまは一貫して、わたしたちのそばについていてくださるとのことです。仏さまは「常に此(ここ)に住して法を説く」とおっしゃっているのです。仏さまから見放されたような気持ちになる人もいるでしょうが、仏さまは、けっしてわたしたちを見放すことはないのです。(『笑顔のさきに「常住此説法」』より)

《12月13日》
読経供養
 どんなに遠い外国へ出かけているときでも、また、いかに多忙なときでも、私はご供養を欠かしたことがありません。それは会の規則だから守るのだ、という四角四面の義務感ではなく、こうして生かされ、善いことをさせていただける仏恩に対して申し訳なく、またありがたくてしかたないからご供養をさせていただくのであります。また、生涯お経に触れることなく過ごす人の多い中で、自分がこうして法縁に触れさせていただき、信者さんがたの真心の奉仕にささえられ、世界平和のために安心して活躍させていただけることがなんともありがたくて、お経をあげずにはいられないのです。(『佼成新聞』より)

《12月12日》
リーダー
 私はこれまで数えきれないほどのたくさんの人にお会いしてきましたが、初めからまったくやる気がないというような人はいない、と言いきっていいと思うのです。
 もし、やる気をなくしている人がいたとしたら、何かでやる気が抑えつけられてしまっているのでしょう。すぐれたリーダーとは、どうしたらみんながやる気になるか、そこを具体的にアドバイスしてあげられる人だ、といっていいでしょう。(中略)
「進め」「がんばれ」と号令をかけるよりも、だれもが本来持っているやる気を何が抑えつけているのか、そこまで心を届かせて、それを取り除いてあげる慈悲心が大切です。(『開祖随感』より)

《12月11日》
思いやる心
 人間にとっていちばん大事なのは、人さまの心が分かること、つまり、人の喜びや悲しみがよく分かって、明るく、温かく、素直な心で人のことを思いやれることだといっていいと思うのです。人間とは、人と人との間柄で生きるものという意味ですから、この人さまのことを思いやれる心の上に、知識、技術が具わってこそ、鬼に金棒となるわけです。(『開祖随感』より)

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昭和38年1月16日、第2回全国青年部役員新春大会にて、力強く講話を述べる庭野開祖(東京都体育館)

《12月10日》
四つの精神
 ほんとうに幸せになるには、どうすればいいのでしょうか、私はこう思います。

(1)人間のみが持つ霊智(れいち)によって、宇宙の背後にある聖なるものを知り、

(2)みずからの意志によって、できうるかぎり小我を捨てて、その聖なるものに合致することに努め、

(3)みずからの努力によって他の存在を助け、奉仕し、

(4)以上のような身・口・意の行為によって、「能動的」に大自然の調和の法則に随順する。

 これこそが、人間としての最高の生き方であり、人間の人間たる尊さはここにこそあるのです。(『佼成』より)

《12月9日》
お任せ
 天に任せる、神に任せる、仏に任せる…といえば、現代の人は、「自分以外のものに任せるとは卑怯な態度ではないのか。無責任ではないのか」といいたがります。(中略)なにも自分以外の相対的な存在に任せるのではありません。この宇宙をつくり、この宇宙を動かしている絶対な生命・絶対な理法に任せるのならば、自分自身もその生命・その理法のなかにいるのですから、けっして他のなにものかに任せているのではないのです。(『人間への復帰』より)

《12月8日》
繰り返しの行
 日本仏教の祖師方は、絶えざる繰り返しがやがて本物になることをよく知っておられました。
 称名念仏というのは、文字どおり「南無阿弥陀仏」と仏の名を繰り返し称えることですし、唱題とは「南無妙法蓮華経」とお経の題名を唱えることです。仏の名を称えるのと、お経の名を唱えるのと違いはあっても、その時代その時代の民衆の一人ひとりに、「唱える」という行を繰り返し続けることで信仰心を確かなものにしてもらおう、と祖師方は苦心されたのです。
 そうした毎日の行が、おのずと三宝帰依の念を深めることになっていくのです。(『開祖随感』より)

《12月7日》
自分は仏さまの大いなるいのちに生かされている
 修行には、“善いことを、心をこめて、繰り返す”という三要素が絶対に必要で、その一つでも欠けたら修行とはいえません。(中略)
 そうしていると、必ず「自分は仏さまの大いなるいのちに生かされているのだ」という信念が、次第次第に心に定着していきます。それでもまだアヤフヤだと感ずる人は、事あるごとに、おりに触れて「自分は仏さまの大いなるいのちに生かされているのだ」と心の中に唱えなさい。一日に十遍でも、百遍でも、思い出すごとに唱えるのです。
 それを続けていますと、不思議なことが起こってきます。人々が欲にとらわれて血眼になっているのに、もろもろの欲に対して恬淡(てんたん)になってきます。人々が恐れおののくものに対して、一向に恐れを感じなくなります。人々が腹を立ててわめき散らすような物事に対しても、静かに笑って受け止められるようになります。(『躍進』より)

《12月6日》
衆生本来仏なり

「衆生本来仏なり」、私たちはみな仏さまの子ども同士です。そのことを本当に自覚できると、毎日がガラリと変わってしまうのです。
 仏である自分が我を出して、欲ばったり、怠けたり、愚痴をこぼしたり、人を恨んだりしてはいられません。「なにか、人さまに喜んでもらえることをさせてもらわなくては」という心が、ふつふつとわいてきます。(『開祖随感』より)

《12月5日》
成 仏
 仏さまは、すべての人を平等に見て、ある人をかわいがり、ある人は憎むというようなことは決してなさいません。いつも一切の人に平等に法を説かれるのです。あの人はあんなに早く成長しているのに、私はなかなか成長できない、とあせったり、あきらめたりしてはならないのです。
 人それぞれの性質に応じ、天分に応じて成長し、自分なりの実を結ばせることがなによりも大切で、尊いのです。それぞれの持ち味を完全に発揮させるのが成仏です。(『開祖随感』より)

《12月4日》
人間の価値
 人間の価値を決定するものには、二とおりあります。外面的なものと、内面的なものです。外面的なものといえば、自分の頭脳や、才能や、性格や、体力に応じて、もっている力をせいいっぱい発揮し、それぞれの職業・それぞれの役割において世の中のためにじゅうぶんつくすことができるかどうか…これが、その人の人間としての価値を決定するものなのであります。(中略)
 つぎに、内面的な価値の問題ですが、これはくわしく説明するまでもないでしょう。内面というのは、つまり心のことです。りっぱな正しい精神をもち、なるべくおおくの人のためにつくしながら、美しく生きていく人こそ、ほんとうに人間らしい人間であり、価値ある人間であります。(『人間への復帰』より)

《12月3日》
大歓喜
『法華経』の数多くのお言葉の中でも私が好きな言葉の一つに、「心に大歓喜を生じて、自ら当(まさ)に作仏(さぶつ)すべしと知れ」という一偈があります。
 信仰で最も大事なのは、自ら思い立って人さまのお役に立てる喜び、その感動です。この大歓喜こそが仏の悟りにいたる原動力なのです。(『開祖随感』より)

《12月2日》
生かされている悦び
 生かされている悦びと感謝は、共に生かされている人間仲間と、すべての生物・無生物に向けられねばなりません。多くの人がこの悦びと感謝に徹してこそ、人間社会に真の平和がもたらされるのです。たんなる理論や主張だけでは、とうてい平和などやってくるものではありません。また、多くの人がこの悦びと感謝に徹してこそ、人間と自然との共存関係も回復できるのです。(『佼成』より)

《12月1日》
いつも、いらっしゃる
『経典』に「常に此(ここ)に住して法を説く」というお言葉があります。仏さまは「私は、仏の悟りを得てからずっと真理の教えを説いて無数の人を仏道に導いてきた。私は、いつもこの世界で法を説き続けているのだよ」とおっしゃられているのです。この仏さまのお言葉を信じるところから信仰は出発します。(『開祖随感』より)

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