💎 庭野日敬開祖「䞀日䞀蚀」毎日のこずば月

月䜿甚 メむン

『法華䞉郚経』を手に教孊研修をされる若き日の庭野開祖昭和幎、山梚県甲府支郚道堎にお

 立正䜌成䌚を創立した庭野日敬開祖の珠玉のおこずばを「䞀日䞀蚀」ず題しお、毎日曎新し、぀ず぀ご玹介しおいきたす。垫走月のテヌマは「庭野開祖のお心ず願い」です。

《月日》
仏さたのはからい幎の暮れにあたり
 今幎も無事に幎の暮れを迎えさせおもらえたしたが、景気の停滞や、倩灜、病気などで、玠盎に「無事、この䞀幎を過ごせたした」ず蚀えない方もおられるかもしれたせん。けれども、その苊劎の倚かった䞀幎を、どう受け取るかが倧事だず思うのです。仏さたは私たちのすべおをわが子ずしお、「必ず私が守っおあげたす」ずお玄束くださっおいたす。そのお蚀葉を、信じきるのです。
 この䞀幎、みなさんがどのような苊しみに遭い、どうがんばっおきたか、そこから立ち䞊がるみなさんの懞呜な努力を、仏さたはい぀も芋守っおくださっおいたす。仏さたは、わが子がそれだけの力を具えおいるのを、信じきっおおられるのです。
 芪が子どもを匷く育おるために、その願いずは違うように芋えるものを䞎えるこずがあるように、仏さたは、いた私たちにいちばん必芁なものをお䞎えくださいたす。
 安穏無事ずは、なにごずも起こらないこずではなく、どんなこずが起ころうず、それを乗り越える力を具えおいるこずです。非垞の詊緎ずみえるこずが、その力を぀けおくださる仏さたのおはからいだったず分かるずきが、必ずきたす。『開祖随感』より

《月日》
倧いなる功埳
 コツコツず信仰生掻を続け、菩薩行を実践しおいるうちに、「ああ、あれも功埳だった」「これも功埳だった」ず気づく。そう気づいたずきの喜びそのものが“倧いなる功埳”にほかなりたせん。『笑顔のさきに「報恩感謝」』より

《月日》
功埳の源泉
 地䜍も財産も、人の本圓のよりどころずなるものではありたせん。頌みにできるのは、自分の心、自分の信心です。その「信」さえしっかり持たも぀こずができれば、どんな人に察しおも、どんな事態に盎面しおも、心にゆずりを持っお、そこに意味を芋いだし、それを成長の糧ずしおいくこずができたす。この心こそが功埳の源泉です。『開祖随感』より

《月日》
苊が苊でなくなる
「人生は魂の修行の堎であっお、䞍自由も、苊しみも、自分を修行させおくれる有難い教材なのだ」
ずいうふうに考え方を䞀倉させれば、苊が苊でなくなるのです。『笑顔のさきに「報恩感謝」』より

《月日》
花開く時 蝶来きたり
 良寛さんの挢詩に「花開く時蝶来り、蝶来る時花開く」ず読む察句がありたす。自然のありのたたの姿を芋れば、花のいのちず蝶のいのちは互いに呌びかけ合っお、䞀぀に通い合っおいるのです。
 仏さたず私たちの関係も、これず同じこずでしょう。仏さたは垞に私たちに倧慈悲心をそそいでくださっおいるのですが、それを知らないたたに過ごす人もいたす。いたの人たちは、䜕でも自分の意思で行動しおいるように思いがちですが、じ぀は、仏さたの倧きな力にうながされおいるのです。ですから、ひずたび仏さたを仰ぐ気持ちになれば、その倧慈倧悲に包たれおいるこずが実感できるのです。
 私たちにずっお倧事なこずは、仏さたが芋守っおくださっおいるこずを玠盎に信じお、ありがたくその倧慈悲を頂戎するこずです。そうしお仏さたのお心ず私たちの心が䞀぀になるずき、そこに「救い」が実珟するのです。『我汝を軜しめず』より

《月日》
本仏の姿、説法
 本仏を信じおその教えを実践しようずする人は、芋聞するこず経隓するこずのすべおの䞭に、本仏の姿を芋、その説法を聞くこずができるのです。『庭野日敬法話遞集』より

《月日》
真の信仰を身に぀けるには
 道堎ぞ行っおいるずきが信仰で、家にいるずきや、䌚瀟に勀めおいるずきは䞖俗の生掻ずいように分けお考えおしたう傟向があるようです。それでは真の信仰が身に぀くずは申せたせん。『庭野日敬法話遞集』より

《月日》
迷い
 迷い方にもいろいろな迷い方があるわけだ。私などは䞖の䞭をよくしたいずいう欲望があるから迷いが匷いわけだ。あなたがたも、いいこずをしようず思うから迷いが倚いんだ。䞭略迷いがあるから救いがあるんだ。このような迷いは倧事にしずきなさい。『庭野日敬法話遞集』より

《月日》
人さたのこずを考えおあげる
 菩薩行ずいうずむずかしいようですが、実践しながら孊ばせおいただきたすず、むずかしいこずではないのです。本来人間はみな仏になる性質をもっおいるのです。
 人さたのこずを考えおあげるずいうこずは、たいぞん気持ちのいいこずです。人さたが自分の願ったずおりになっおくださったのをみさせおいただくずいうこずは、なんずも蚀えない玠晎らしい喜びです。『庭野日敬法話遞集』より

《月日》
人生にむだはない
 苊しみにぶ぀かったずきに、「仏さたが、この苊しみを通しお同じ苊しみにある人たちを救う力を䞎えおくださるのだ」ず受け止められるようになるず、力が内からわき䞊がっおきたす。その力が道を開いおいくのです。
「無甚の甚こそ倧切」ずいいたす。人生でぶ぀かるさたざたな苊しみ、むだな回り道ず思えるこずも、すべお将来に生きおいくのです。『開祖随感』より

《月日》
芪切行
 人に芪切な行為をしおあげるずきは、そのずきだけでも仏になっおいるのです。『笑顔のさきに「異䜓同心」』より

2021-45

《月日》
恩返し
 い぀も、たわりの人たちぞの感謝を忘れずに、その感謝の気持ちを玠盎に衚わしおいく生き方ず、自分を過信しお埗意になったり、努力が報われないず恚んだりする生き方ずでは、倩地の開きが出おしたいたす。
 先祖䟛逊も、芪孝行も、菩薩行も、すべお今日の自分をあらわしめおいるものぞの恩返しの行なのです。『開祖随感』より

《月日》
「芪孝しんこう」が「信仰」に
 信仰ずは䜕を信じ、䜕を仰ぐのかず若い人から尋ねられるこずがありたすが、目には芋えない仏や法は信じられないずいうのなら、芪に孝ず曞く「芪孝」を信仰ず考えおもかたいたせん。この䞖に生を受け、ここたで育おおもらった芪ぞの感謝、その報恩行が仏さたに生かされる自分ぞの目芚めに぀ながるのです。『開祖随感』より

《月日》
人さたを救わなくおはならない。䞖の䞭をよくしなくおはならない。
 私は䞖界宗教者の䞭に出おもの申すなどずいう噚ではないのです。私は玠っ裞な心でこれたで勉匷しおきたこずをみなさんにありのたたに蚎えお、ご自由に刀断しおくださいず自分を投げだすから受け入れおくれるのです。
 人さたを救わなくおはならない。䞖の䞭をよくしなくおはならない。ただそれに培しおいるのです。その方法が法華経にあるず信じおいるのです。仏を信じ、法を信じ、そしお人間を信じお䞉宝垰䟝に培底しおいるのです。
 たずえ念仏を唱えようが、法華経を唱えようが、あるいはキリスト教であろうが、どのような宗教であろうが、そんなこずはかたいたせん。人間そのものの尊さを信じお宗教、宗掟、囜の違いを超えお私は圓たっおいくから、みなが受け入れおくれるのです。『庭野日敬法話遞集』より

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䞖界の宗教者の䞭で

《月日》
宗教の根は䞀぀
 䞀仏乗の粟神に貫かれる法華経を所䟝しょえの経兞ずする私たちには、宇宙の真理はただ䞀぀であり、それぞれの宗教はその真理の倚様な衚珟にほかならないずいうのが䞀貫しお倉わらぬ信念です。だからこそ䞇教は同根であり、宗教協力はむしろ必然であるず信じおいるのです。『開祖随感』より

《月日》
法華経を行ずるためには
 法華経を行ずるには、久遠実成の本仏が自分に生きおいなければだめです。自分のやっおいるこずは、本仏がさせおくださっおいるのだ。本仏は私を生かしおくださっおいる。生かされおいる以䞊、本仏の本願にかなったこずをさせおもらわなくおはならない―そういう気持ち、自信が倧切なのです。『庭野日敬法話遞集』より

《月日》
うれしさの涙、感謝の涙
 人の教化きょうけにあたるリヌダヌは、盞手ず悲しみ苊しみをずもに、喜びをずもにする涙がなくおはなりたせん。理論や理屈だけでは人を本圓に救うこずはできないのです。
 盞手ずずもに泣くずは、ただ涙を流すこずだけではなく、盞手の心にぎったり寄り添う共感の心を持぀こずです。日蓮聖人に「日蓮はなかね泣かねどもなみだ涙ひたなし」ずいうお蚀葉がありたすが、枩かい慈悲ず现心の心遣い、遇あい難き法華経に遇い埗た感謝、そしお苊難をずもにしお䞀切衆生を法華経の救いに導かせおもらえる感動の涙 それがご聖人の涙なのです。
 私たちも、人さたが本圓にご法を分かっお救われおいく姿を芋るうれしさの涙、すべおのものぞの感謝の涙を忘れおはなりたせん。『開祖随感』より

《月日》
仏さたはけっしお芋攟さない
 過去も珟圚も未来も、仏さたは䞀貫しお、わたしたちのそばに぀いおいおくださるずのこずです。仏さたは「垞に歀ここに䜏しお法を説く」ずおっしゃっおいるのです。仏さたから芋攟されたような気持ちになる人もいるでしょうが、仏さたは、けっしおわたしたちを芋攟すこずはないのです。『笑顔のさきに「垞䜏歀説法」』より

《月日》
読経䟛逊
 どんなに遠い倖囜ぞ出かけおいるずきでも、たた、いかに倚忙なずきでも、私はご䟛逊を欠かしたこずがありたせん。それは䌚の芏則だから守るのだ、ずいう四角四面の矩務感ではなく、こうしお生かされ、善いこずをさせおいただける仏恩に察しお申し蚳なく、たたありがたくおしかたないからご䟛逊をさせおいただくのでありたす。たた、生涯お経に觊れるこずなく過ごす人の倚い䞭で、自分がこうしお法瞁に觊れさせおいただき、信者さんがたの真心の奉仕にささえられ、䞖界平和のために安心しお掻躍させおいただけるこずがなんずもありがたくお、お経をあげずにはいられないのです。『䜌成新聞』より

《月日》
リヌダヌ
 私はこれたで数えきれないほどのたくさんの人にお䌚いしおきたしたが、初めからたったくやる気がないずいうような人はいない、ず蚀いきっおいいず思うのです。
 もし、やる気をなくしおいる人がいたずしたら、䜕かでやる気が抑え぀けられおしたっおいるのでしょう。すぐれたリヌダヌずは、どうしたらみんながやる気になるか、そこを具䜓的にアドバむスしおあげられる人だ、ずいっおいいでしょう。䞭略
「進め」「がんばれ」ず号什をかけるよりも、だれもが本来持っおいるやる気を䜕が抑え぀けおいるのか、そこたで心を届かせお、それを取り陀いおあげる慈悲心が倧切です。『開祖随感』より

《月日》
思いやる心
 人間にずっおいちばん倧事なのは、人さたの心が分かるこず、぀たり、人の喜びや悲しみがよく分かっお、明るく、枩かく、玠盎な心で人のこずを思いやれるこずだずいっおいいず思うのです。人間ずは、人ず人ずの間柄で生きるものずいう意味ですから、この人さたのこずを思いやれる心の䞊に、知識、技術が具わっおこそ、鬌に金棒ずなるわけです。『開祖随感』より

月䜿甚 

昭和幎月日、第回党囜青幎郚圹員新春倧䌚にお、力匷く講話を述べる庭野開祖東京郜䜓育通

《月日》
四぀の粟神
 ほんずうに幞せになるには、どうすればいいのでしょうか、私はこう思いたす。

人間のみが持぀霊智れいちによっお、宇宙の背埌にある聖なるものを知り、

みずからの意志によっお、できうるかぎり小我を捚おお、その聖なるものに合臎するこずに努め、

みずからの努力によっお他の存圚を助け、奉仕し、

以䞊のような身・口・意の行為によっお、「胜動的」に倧自然の調和の法則に随順する。

 これこそが、人間ずしおの最高の生き方であり、人間の人間たる尊さはここにこそあるのです。『䜌成』より

《月日》
お任せ
 倩に任せる、神に任せる、仏に任せる ずいえば、珟代の人は、「自分以倖のものに任せるずは卑怯な態床ではないのか。無責任ではないのか」ずいいたがりたす。䞭略なにも自分以倖の盞察的な存圚に任せるのではありたせん。この宇宙を぀くり、この宇宙を動かしおいる絶察な生呜・絶察な理法に任せるのならば、自分自身もその生呜・その理法のなかにいるのですから、けっしお他のなにものかに任せおいるのではないのです。『人間ぞの埩垰』より

《月日》
繰り返しの行
 日本仏教の祖垫方は、絶えざる繰り返しがやがお本物になるこずをよく知っおおられたした。
 称名念仏ずいうのは、文字どおり「南無阿匥陀仏」ず仏の名を繰り返し称えるこずですし、唱題ずは「南無劙法蓮華経」ずお経の題名を唱えるこずです。仏の名を称えるのず、お経の名を唱えるのず違いはあっおも、その時代その時代の民衆の䞀人ひずりに、「唱える」ずいう行を繰り返し続けるこずで信仰心を確かなものにしおもらおう、ず祖垫方は苊心されたのです。
 そうした毎日の行が、おのずず䞉宝垰䟝の念を深めるこずになっおいくのです。『開祖随感』より

《月日》
自分は仏さたの倧いなるいのちに生かされおいる
 修行には、“善いこずを、心をこめお、繰り返す”ずいう䞉芁玠が絶察に必芁で、その䞀぀でも欠けたら修行ずはいえたせん。䞭略
 そうしおいるず、必ず「自分は仏さたの倧いなるいのちに生かされおいるのだ」ずいう信念が、次第次第に心に定着しおいきたす。それでもただアダフダだず感ずる人は、事あるごずに、おりに觊れお「自分は仏さたの倧いなるいのちに生かされおいるのだ」ず心の䞭に唱えなさい。䞀日に十遍でも、癟遍でも、思い出すごずに唱えるのです。
 それを続けおいたすず、䞍思議なこずが起こっおきたす。人々が欲にずらわれお血県になっおいるのに、もろもろの欲に察しお恬淡おんたんになっおきたす。人々が恐れおののくものに察しお、䞀向に恐れを感じなくなりたす。人々が腹を立おおわめき散らすような物事に察しおも、静かに笑っお受け止められるようになりたす。『躍進』より

《月日》
衆生本来仏なり

「衆生本来仏なり」、私たちはみな仏さたの子ども同士です。そのこずを本圓に自芚できるず、毎日がガラリず倉わっおしたうのです。
 仏である自分が我を出しお、欲ばったり、怠けたり、愚痎をこがしたり、人を恚んだりしおはいられたせん。「なにか、人さたに喜んでもらえるこずをさせおもらわなくおは」ずいう心が、ふ぀ふ぀ずわいおきたす。『開祖随感』より

《月日》
成 仏
 仏さたは、すべおの人を平等に芋お、ある人をかわいがり、ある人は憎むずいうようなこずは決しおなさいたせん。い぀も䞀切の人に平等に法を説かれるのです。あの人はあんなに早く成長しおいるのに、私はなかなか成長できない、ずあせったり、あきらめたりしおはならないのです。
 人それぞれの性質に応じ、倩分に応じお成長し、自分なりの実を結ばせるこずがなによりも倧切で、尊いのです。それぞれの持ち味を完党に発揮させるのが成仏です。『開祖随感』より

《月日》
人間の䟡倀
 人間の䟡倀を決定するものには、二ずおりありたす。倖面的なものず、内面的なものです。倖面的なものずいえば、自分の頭脳や、才胜や、性栌や、䜓力に応じお、もっおいる力をせいいっぱい発揮し、それぞれの職業・それぞれの圹割においお䞖の䞭のためにじゅうぶん぀くすこずができるかどうか これが、その人の人間ずしおの䟡倀を決定するものなのでありたす。䞭略
 ぀ぎに、内面的な䟡倀の問題ですが、これはくわしく説明するたでもないでしょう。内面ずいうのは、぀たり心のこずです。りっぱな正しい粟神をもち、なるべくおおくの人のために぀くしながら、矎しく生きおいく人こそ、ほんずうに人間らしい人間であり、䟡倀ある人間でありたす。『人間ぞの埩垰』より

《月日》
倧歓喜
『法華経』の数倚くのお蚀葉の䞭でも私が奜きな蚀葉の䞀぀に、「心に倧歓喜を生じお、自ら圓たさに䜜仏さぶ぀すべしず知れ」ずいう䞀偈がありたす。
 信仰で最も倧事なのは、自ら思い立っお人さたのお圹に立おる喜び、その感動です。この倧歓喜こそが仏の悟りにいたる原動力なのです。『開祖随感』より

《月日》
生かされおいる悊び
 生かされおいる悊びず感謝は、共に生かされおいる人間仲間ず、すべおの生物・無生物に向けられねばなりたせん。倚くの人がこの悊びず感謝に培しおこそ、人間瀟䌚に真の平和がもたらされるのです。たんなる理論や䞻匵だけでは、ずうおい平和などやっおくるものではありたせん。たた、倚くの人がこの悊びず感謝に培しおこそ、人間ず自然ずの共存関係も回埩できるのです。『䜌成』より

《月日》
い぀も、いらっしゃる
『経兞』に「垞に歀ここに䜏しお法を説く」ずいうお蚀葉がありたす。仏さたは「私は、仏の悟りを埗おからずっず真理の教えを説いお無数の人を仏道に導いおきた。私は、い぀もこの䞖界で法を説き続けおいるのだよ」ずおっしゃられおいるのです。この仏さたのお蚀葉を信じるずころから信仰は出発したす。『開祖随感』より

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