【こころの彩時記19】🌸「笑い」と「悲しみ」
- 2020/4/8
- 自分を創る
今、日本を含め全世界に蔓延しつつある「新型コロナウィルス」。日本を代表するコメディアンの一人である志村けんさんが、その感染によってお亡くなりになられました。志村けんさんのテレビの追悼番組は軒並み高い視聴率となり、その功績の大きさが改めて示されました。
志村けんさんのコントには笑いの陰に、悲しみもありました。例えば、貧しい父と娘。幼い娘が父親役の志村けんさんに言います。
「私もあの“たこ焼き”が食べたい」
しかし、父親には屋台でたこ焼きを買えるだけのお金はありません。屋台の主人に幾度も頼み込んで、やっと一個のたこ焼きを売ってもらいます。大喜びする父娘。その一個のたこ焼きを父が娘に食べさせてあげようとする瞬間、一匹の野良犬が一口でたこ焼きを食べていってしまうのです。抱き合って号泣する父と娘。
世界の喜劇王と言われたチャーリー・チャップリンは、「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」という言葉を遺しました。
この言葉にはいろいろな解釈があると言われていますが、たこ焼きのコントを私は次のようにとらえました。いわゆるロングショットで見ている私には喜劇ですが、やっと買った一個のたこ焼きを失った父娘にクローズアップしたなら、これ以上の悲劇はないでしょう。
最近、とても興味深い科学データを目にしました。もともと「笑い」には人間の細胞を活発化させ、免疫力や自然治癒力が高まると言われています。ところが、アメリカのある医科大学の研究によると、「悲しみ」の感情も深ければ深いほど細胞のはたらきが活発になり、「笑い」や「喜び」と同じように免疫力や自然治癒力が高まるというのです。
「悲しみ」の中にしっかりと心と身を置いた時、人間の細胞は活性化され、次に生きるための準備を始める。まさに「悲しみ」も「笑い」と同じように人生にとって欠かせない感情であったといえましょう。
仏教の教えの一つに「慈悲」という言葉があります。「慈」は「人さまに楽を与えたいという心」であり、また「悲」は「人さまの苦を抜きたいと願う心」です。
かつて、本会の会長である庭野日鑛師は、「悲観的な見方」の大切さを説かれました。一般的には「悲観的な見方」といえば、「物事がうまくいかない、良くならないと捉える見方」です。しかし、庭野日鑛師は「慈悲」の「悲」の意味から、人さまの苦を抜いてあげたい、そう願う心で物事を見ていくという「悲観的な見方」を教えてくださったのです。
4月7日、日本政府は東京都を中心に7都府県に「新型コロナウィルス」による「緊急事態宣言」を発令しました。多くの方が感染し、犠牲となられ、また経済が停滞し、私たちは今、多くの悲しみに包まれています。
そんな時だからこそ、しっかりとその“悲しみ”を受け止めつつ、明日を信じて、家族や身近な人たちとの“笑い”、“笑顔”を大切にして、みんなで力を合わせて、この試練を乗り越えていきたいと思わせて頂きました。