今月の『佼成』会長法話のテーマは「なぜ、反省が必要なのか」。
法華三部経の結経(けっきょう)とされる「仏説観普賢菩薩行法経」に因(ちな)んだ内容です。このお経は「法華経」を実生活に生かすための具体的方法して、懺悔の意味と方法を教えられたもので、別名「懺悔経」と呼ばれているほどです。
懴悔には二段の意味と方法があります。第一段は、自分の過去における心や行ないの過ちを告白することです。そうすることによって、われわれの心は洗い清められます。罪の意識から解放されるので、なんともいえない清々(すがすが)しい気持になるのです。事実、法座などで指導者やサンガの人びとに告白をしただけで、病気が治ったり、家庭の不和が解消したりした人は数えきれないほどです。
さらに信仰が進んでいくと、直接仏さまに懺悔をするようになります。つねに仏の教えに照らし、自分の足りないところや誤ったところを反省し、さらに深く仏の教えを学び、思索して、上へ上へと進んでゆく―これが、懺悔の奥義であり、真の懺悔です。それは自分の仏性という宝石に絶えず磨きをかける行といっていいでしょう。
今月の会長先生のご法話を拝読して、私が感じたポイントは次の3つです。
一つ目は、懺悔は毎日の生活の中で必要不可欠なことということです。
私たちは、毎日の仕事や生活の中で体が汚れます。そうするとお風呂に入ってきれいにします。それと同じように、心も風呂に入らないと、悪臭を放ち、周囲に嫌な思いをさせてしまうことになるのです。
心は体以上に汚れやすいものです。絶えず欲をかいたり、腹を立てたり、愚痴をこぼしたり、悪口を言ったり、嘘をついたり、さまざまな悪心を起こしています。そう考えると、懺悔は毎日の生活の中で必要不可欠のことと言えるのです。
二つ目のポイントは、懺悔をする人は成長する人、精進している人ということです。
前半の小見出しには「高みをめざすから反省がある」とあります。この「高みをめざす」ということが重要です。私たちはなんのために信仰しているのでしょうか。願望をかなえるため、悩みを解決するためという方もあるのでしょう。しかし、その段階でとどまることなく、高みをめざして精進することです。『会員綱領』に、”人格完成をめざして”とあるように、心を高め、人格を向上させることが大事なのです。それが真に仏道を歩むことであり、正しい宗教のあり方です。
三つ目のポイントは、懺悔はあきらめずに繰り返し続けることです。
私たちは一度懺悔しても、同じ過ちを何度も繰り返してしまうものです。”開祖さまは「自分が弱くて間違いやすい人間であることを思い知ったら、新たな決定をし直せばいいのです」と至らない私たちに助け舟を出しています”と書かれてあります。このことを、私は何度同じ過ちを繰り返してもあきらめず、精進を続けることが大切だというように受けとめました。
最後に・・
正直な懺悔が行われ、まさに切れば血の出るような鮮烈な功徳を得るためには、それを聞く側の姿勢がとても大切です。他人事として聞くのではなく、すべて自分のこととして聴かせていただくことです。まして、法座で話された真剣な懺悔が噂話のような形で広まることは絶対にあってはならないことです。そうした行為は、懺悔をした人を苦しめるだけでなく、正しい法が広まることを妨げたことになり、非常に大きな罪だと言えます。
合 掌
2021年11月1日
立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則