祈りの先にある大事なもの!(平成28年10月 近藤雅則)

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 機関誌『佼成』10月号の庭野日鑛会長の法話は「祈りの先に・・・」というテーマでした。この中で、深く心に響いたのは次の言葉です。

☆自分が仏であると気づけば、神仏やほかのだれかの力を恃(たの)み、「救ってください」と祈ることはなくなります。それが、自灯明・法灯明の教えに基づいて生きていく仏道というものであります。
☆大事なこととは「生老病死は人生につきものである。だからこそいま生きていることの有り難さに気づいてほしい」という仏の願いです。

 病気を治したい、お金をもうけたい、結婚したい、子どもをより良く育てたいなど・・・、全ての人が何がしかの願いをもって生きています。こうした願いがあるからこそ、私たちは、それを何とかかなえたいと願い、神仏の救いを求めたわけですから、願いをかなえたいと神仏に祈ることは、人間にとって大事なことであり、必要なこととも言えます。
 その祈りは、自分⇒家族・友人⇒地域社会⇒国⇒世界⇒生きとし生けるものと広がっていくのではないでしょうか。その広がりが大きいほど、自分中心の生き方(自利の心)から「まず人さま」の生き方(利他の心)へ人間が進化・向上したことになるのだと思います。

 しかし、仏さまは、その祈りの先にもっと大事なことを示してくださっているというのです。それこそ、庭野会長が一番伝えたいことだと思います。それが、「生老病死は人生につきものである。だからこそいま生きていることの有り難さに気づいてほしい」ということばです。
 生老病死とは、言わば人生の中の変化ということです。その変化は、私たちの願いや祈りを超えて現われてきます。身近な人を亡くすことも、病気になることも、仕事を失うことも、障がいをもって生まれることも、災害に遭遇することも・・・・、それらの変化は人生につきもの。避けることはできないものということです。これが一切皆苦という真理です。
 それならば、それから中途半端に逃げず、不満や泣き言を言わず、他人のせいにせず、その中で最善を尽くしていく。なぜ、そのように変化したのかという原因を考えるより、その状態からいかに再出発するかに最善を尽くす。それがいま生きていることの有り難さに気づく生き方だと思います。

 私は、山中鹿之助の「われに七難八苦を与えたまえ」という祈りのことばが大好きです。山中鹿之助とは、戦国時代、尼子家(現在の出雲地方を治めていた大名)に仕え、攻め滅ぼされた国の再建を夢見て生涯奮闘します。そして、そのためにはどんな苦難も受けるという覚悟をもち、月に向かって祈ったと伝えられています。皆さんは、日々どんな祈りを捧げているでしょうか。

合掌
平成28年10月1日
立正佼成会仙台教会
 教会長 近藤雅則

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