「見えない“いのち”に生かされていることに感謝して生きる」教会長 近藤雅則(平成29年8月)
- 2017/8/3
- 心を創る
『佼成』8月号の会長法話は「見えないはたらきに気づく」というテーマでした。この中で、深く心に響いたのは次の言葉です。
☆親の恩やご先祖の徳、家族の思いやりや友人の気遣いなども、つい感謝を忘れてしまいがちな「目には見えない大切なもの」といえます。
☆目には見えない心のありようや「いのち」の不思議・有り難さ、そして生命(いのち)の尊さなど、人として生きる上でほんとうに大事なことに気づかせてくれるきっかけを、宗教や信仰は与えてくれるのです。
ここに、信仰する目的が、はっきり示されています。私たちは、信仰によって、普通は見えないものが見えるようになるのです。これは凄いことです。とは言っても、それは霊能や超能力のことではありませんよ。では、見えないものとは何か・・・それは“久遠本仏のいのちのはたらき”です。
庭野日敬開祖は、「私たちは久遠本仏のいのちに生かされて生きています。仏さまは私たちをご照覧くださり、人格を育もう、向上させよう、本当の幸せに導こうと、いつも慈悲の手を差し伸べていられるのです」また、「久遠本仏のいのちは直接目に映らないだけに、凡夫はすぐにこれを忘れてしまいがちです。どのような状態に置かれても、また、どのような人と触れ合っても、常に仏さまのはからいと慈悲をしっかり感受できる信仰者になってほしい」と言われています。
寝ている間、私たちの心臓を動かしているのは誰でしょう?私たちが生きていくのに不可欠な太陽、空気、水は、いったい誰が与えてくれているのでしょうか?こうして見ると、私たちは目には見えない不思議な“いのちのはたらき”に生かされている事実に気づくことができます。そして、この見えない“いのちのはたらき”は、とてつもなく大いなる力を持っているのです。
仏教では、それを「仏さまの慈悲のはたらき」とか「久遠本仏のいのちのはたらき」などと表現しています。信仰の目的とは、この見えない大いなる“いのちのはたらき”に生かされている実相を認識することだと言ってもよいでしょう。
そして、大いなる“いのちのはたらき”に生かされているのであれば、そこに“感謝の念”が生じるのが自然です。そして、その“感謝の念”は、社会のため、人のために、少しでも“恩返し”をしたいという行動や生き方につながっていくはずです。それが人間らしい生き方です。自分のことばかりを考えて生きているのは、人間とは言えません。人生は二度なしです。皆さんは、どうかその大切な人生を無為に過ごすことなく、“感謝”と“恩返し”の生き方をしてください。それが幸福になる早道でもあるのです。
合掌
平成29年8月1日
立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則