“仏性の大いなる力を発揮しよう!” 教会長 近藤雅則(平成31年1月)
- 2019/1/1
- 心を創る
新年あけましておめでとうございます。
いよいよ平成31年の幕があけました。仙台教会は、発足60年の大きな節目を迎えます。今日の礎を築いてくださった先輩幹部に感謝し、あらたな発展を誓い、人格の向上(成仏)を目指し、生きがいある人生を歩むよう精進して参りましょう。
さて、今月の『佼成』会長法話は、「みんな善の根っこをもっている」がテーマ。
「衆生(しゅじょう)の諸有(しょう)の善根(ぜんこん)を潤漬(にんし)し、善の種子(しゅじ)を布(し)いて功徳(くどく)の田(でん)に遍(へん)じ、普(あまね)く一切をして菩提(ぼだい)の萌(め)を発(おこ)さしむ」
という「無量義経・徳行品」の一節が紹介されています。
その現代語は、
「人間として本来必ずもっている善の根にしっとりした潤いを与え、芽を出す条件をつくってあげます。また、世のため人のためにつくす行為の本になる善の種子をいっぱいにまいてあげます。そうすることによって、あらゆる人びとに無上の悟りの芽生えを起こさせるのです」
とあります。(新釈法華三部経1巻)
人に愛されること、人にほめられること、人の役に立つこと、人から必要とされること。
この4つが、人間にとって“究極の幸せ”だと言われる方がいます。究極の幸せとは、物やお金、健康に恵まれることだけでなく、自分の根幹が肯定され、たっぷりと潤いが与えられた状態だと思います。しかし、潤いが満たされていないために孤独を感じ、自信を失い、自分を卑下し、惨めな気持ちで生きている人が少なくないのです。
そんな人に対し、潤いを与えたい。その願いをもって日々の出会いができたら、それは菩薩の生き方であり、最高の人生だと言えます。多く与える人が、多く得る人であるからです。
さらに、上の現代語の中で心に響くのは、人間として本来必ずもっている善の根という一句です。善の根とは、「善い果報をもたらす土台となる根っこ」であり、仏性と同じ意味あいと示されていますが、前述の自分の根幹にも通じると思うのです。
法華経には、“すべての人に仏性あり”と説かれています。それは、すべての人が仏さまから愛され、ほめられ、必要とされていることに他なりません。このことが確信できれば、いのちの奥底までたっぷりと潤いが満たされ、そこから大いなる力が湧き上がり、それを発揮したいという喜びが生まれてきます。これが、“究極の中の究極の幸せ”であり、本当にありがたい最高の境地だと思います。
最後になりますが、今年1年が皆さんにとって、潤いに満ちた明るい年でありますよう祈念申し上げます。
合 掌
平成31年1月1日
立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則