🍀 “認めて・ほめて・感謝する”は偏った見方を越える特効薬 教会長 近藤雅則(令和2年4月)
- 2020/4/1
- 心を創る
今月の会長法話は、「偏った見方を越える」がテーマです。
「私たちは、自分の考えや行動が間違っているとは思いません。人から“それは一方的な見方ですよ”と指摘されても、自分が、先入観や色眼鏡でものごとを見ているとは考えないものです」と指摘されています。
ご指摘の通り、私たちは多かれ少なかれ皆自分の先入観や色眼鏡で偏った見方をしています。「私の方が正しく、間違っているのは相手!」、「苦の原因は相手で、私は被害者!」というのが、その代表的見方です。
その偏った見方が自分の苦をつくる原因であることに気づいているでしょうか?
その偏った見方を越えることで、心穏やかに、楽しく、幸せに生きることができるのですが、皆さんはそうなりたいとは思いませんか?
では、どうしたら偏った見方を越えることができるのか?
次の二つの視点があると思います。まず一つは、相手の立場に立って考えてみることです。
ある母親が、娘夫婦の家に行ってみると、ご主人が優しく家事を手伝っていた。これを見て、娘はいい夫と結婚し、幸せだと嬉しくなりました。
今度は息子夫婦の家に行ってみると、息子が優しく家事を手伝っていた。これを見て、夫に家事をさせて、なんてだらしない嫁なのかと腹が立ったという話があります。
この場合、嫁や嫁の親の立場に立てば、きっと見方が変わったと思います。相手の立場に立つには、自分の欲や執着から離れることが必要です仏教では、布施行(身の布施・法の布施・財の布施・無財の七施)を大切にしますが、それは、自分の欲や執着から離れるための行なのです。
もう一つは、仏さまの立場に立って考えてみることです。
法華経には、「私たちは、すべて“仏の子”である」と説かれています。つまり、私たちは皆兄弟姉妹ということになります。母親が自分の子どもを皆慈しむように、仏さまは、私たちを平等に慈しみ、自分と同じように本当の幸せに導きたいと願っています。ですから、互いの違いにとらわれ、争うことほど親(仏さま)を心配させることはありません。
同じ親から生まれた兄弟姉妹ならば、必ず共通点があり、その人なりの持ち味が必ずあるはずです。それを「認めて・ほめて・感謝する」。これは、偏った見方を越える特効薬です。
新型コロナウイルスの影響により、自宅で家族と過ごす時間が多いはずです。こういうときこそ、「認めて・ほめて・感謝する」を家庭内で実践するチャンスです。家庭の雰囲気が驚くほど明るくなるはずです。
合 掌
2020年4月1日
立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則