💎 庭野日敬開祖「䞀日䞀蚀」毎日のこずば什和幎月

2023.8月䜿甚

庭野開祖の故郷、菅沌にお

 月も『法華経』を所䟝しょえの経兞ずする立正䜌成䌚の䞭心的行法である「仏性瀌拝行」に぀いお、庭野開祖のおこずばを「䞀日䞀蚀」ず題しお぀ず぀ご玹介しおいきたす。

【月日 すべおが共に生きおいる】
 䞀切衆生は本来、生たれながらにしお、仏の悟り、宇宙の法を認識する仏の智慧を持ち、誰もが仏になれる皮子、぀たり仏性を持っおいたす。それ故に、すべおのいのちは、みな、等しく尊いものであり、かけがえのないものであり、氞遠なる本仏のいのちず䞀䜓であるず蚀えたす。生きずし生けるものすべおが䞀仏乗ずいう倧きな救いの乗り物の䞭で、共に生きおいるのです。平成幎月「䞖界宗教者平和のための祈りの集い」スピヌチから)

【月日 われの力にあらず】
 この時代に、この囜に生を享うけ、数かぎりない人びずずの出䌚いによっお頂戎できた力によっお、今日の私がありたす。
 人ばかりではありたせん。たわりのあらゆるものに生かされお、こうしお毎日を過ごせる自分を思うず、お䌚いする䞀人ひずりの人に、呚囲の䞀぀䞀぀の物に、心から合掌せずにはいられたせん。『開祖随感』巻頁

【月日 指導者の仕事】
 倱敗の原因は自分がいちばんよく知っおいるわけです。しかし、その欠点を盎すのは、そう簡単にはいきたせん。
 ですから、欠点のほうよりも、いいずころを芋぀けお、そこを䌞ばす助蚀をしおあげる。これだず、自分の埗意なずころを磚いおくのですから、胜率が䞊がっお、のっおいけるわけです。長所が䌞びるず、短所も魅力に倉わっおいくものなのですね。人育おのうたい人は、そこをよくわきたえおいたす。
 人は必ず、どこかに長所を具えおいたす。それを芋぀けおあげるのが指導者の仕事です。『開祖随感』巻頁

【月日 心ず心の共鳎②】
 難しいのは、話は聞けおも盞手の気持ちたで本圓に聞き取れるかどうかです。それができたずきに「心ず心が通い合うずいうのは、こんなにすばらしいこずだったのか」ず、蚀葉に蚀い衚わせないような感動がわき䞊がっおくるのです。『開祖随感』巻頁

【月日 心ず心の共鳎①】
 盞手が本気でやる気になっおくれおこそ、本圓にわかっおもらえた蚌拠なのですが、人が本気になるのは、心から玍埗したずき、぀たり頭の䞭で理屈ずしお分かっただけでなく、感情が玍埗したずき、心から共感し共鳎したずきなのです。その共鳎の感動は、盞手が心から求めおいるものず、こちらの心がピタリず䞀臎したずきにおこりたす。だからこそ理屈やお説教よりも、盞手の思いを聞くほうが倧事なわけなのです。『開祖随感』巻頁

【月日 䞀぀でもよいずころを】
 人の欠点は嫌でもすぐ目に぀きたすが、人のよいずころは努力しないず芋えおきたせん。ほめ䞊手の人は、その努力を欠かさないのです。どこか䞀぀でもいいずころを芋぀けお、ほめおあげる。お蟞儀の仕方䞀぀でもいい、返事の倧きさだけでもいいのです。そうしお教䌚を楜しい修行の堎にしおいく努力が、自分を倧きくする修行にもなっおいるのですね。『開祖随感』巻頁

【月日 「柔軟にゅうなん」ず「玠盎」】
 人間ずしお倧きく成長できるかどうかの決め手は、心の柔らかさにあるずいえないでしょうか。ずりわけ倧事なのは、自分ず違う考えも受け入れられる柔軟さず、自分の間違いを認めるこずができる玠盎さです。
 玠盎さずいうず、人の蚀いなりになる生き方のように考える人がいたすが、本圓の勇気ず自信を持たなくおは、玠盎に他を受け入れ、自分を倉えられるものではないのです。かたくなに自分を䞻匵する人のほうが䞀芋、信念を持っおいるように芋えるこずがあるのですが、それは、呚囲に察するメンツや、人の思惑を気にしおしばり぀けられ、自分に正盎になれないでいる姿であるこずが倚いのですね。『開祖随感』巻頁

【月日 どなたにも声をかける】
 お釈迊さたは「自分がいちばん倧事、そのこずを知ったならば、自分ず同じように人を決しお傷぀けおはならない」ず教えられおいたすが、「仏性瀌拝」を口すっぱくしお説くよりも、どなたにもひず声、声をかけおあげる実践のほうが倧事です。『開祖随感』巻頁

【月日 人を動かす人埳】
 人埳がなくおは、人を本圓にその気にさせるこずはできないのです。䌚瀟の発展、組織の発展の芁諊ようたいは、䞭心になる人がどれだけ謙虚でいられるかにあるずいわれたす。それが倧きく呜運を分けおしたうのです。謙虚さが欠けるず、聞く耳を持たなくなっおしたうのですね。盞手の求めおいるものを知らずに、自分を抌し぀けお平気でいるのです。それでは人を動かすこずはできたせん。『開祖随感』巻頁

【月日 「はい」、「ありがずう」】
 「はい」ずいう返事、「ありがずうございたす」ずいう蚀葉が、い぀でも、どこでも、スッず口から出おくるようになれば、信仰者ずしお合栌だず思うのです。
 どんなずきも笑顔を忘れず、倧きな声で明るい返事ができるず、心がガラリず倉わっおしたうのです。その心の持ち方が船の舵のような働きをしお、幞せなほうぞ幞せなほうぞお、人を運んでいっおくれるのです。『開祖随感』巻頁

【月日 信じお、埅぀】
「劂来の衣ずは柔和忍蟱の心是これなり」ず経兞にありたす。盞手がかたくなになればなるほど、それを柔らかく包み蟌み、埅っおあげるこずが倧事なのです。盞手を裁くのではなく、盞手の苊しさを分かっおあげお、信じお、埅぀。人に生たれ倉わっおもらうのは、こちらの修行でもあるのです。『開祖随感』巻頁

【月日 独りがっちの人に②】
 独りがっちで寒さに震えおいる人がいたら、その冷えきった䜓を抱いおあげ、枩めおあげなくおはなりたせん。その枩かさが涙が出るほどうれしいのですね。
 たず寄り添っお、その人の切ない気持ちをそのたた受け止めおあげるず、気持ちが少しず぀ほぐされおきお、人の蚀葉が耳に入っおくるようになりたす。かりに、いたがどんなに絶望的な状態であっおも、このトンネルを抜けさえすれば必ず垌望が芋えおくるこず、仏さたはい぀もそばに぀いおいおくださるこずを、私たちが自分の䜓枩を通しお知っおもらうのです。『開祖随感』巻頁

【月日 独りがっちの人に①】
 苊しみに萜ち蟌んでいる人の苊しみの倧もずは、この苊しみが果おしもなく続いお、もう抜けだすこずができないのではないか、ずいう絶望感、そしお、自分のこの苊しみを分かっおくれる人はだれひずりいないのだ、ずいう孀独感です。これが無間地獄むげんじごくです。果おしもなく続く苊しみに吹きさらされお、独りがっちの寂しさにさいなたれおいるのです。『開祖随感』巻頁

【月日 リヌダヌの倀打ち】
 どんなに力んでも䞀人の力は十人、癟人の力にかないたせん。ずりわけ、自分は正しいこずをしおいるのだず正矩感にかられるずきほど、心しなくおはなりたせん。正矩感にかられおいるずき、人はいちばん反省を忘れがちなのです。「私がこんなにがんばっおいるのに、なぜ人は぀いおこないのか」ず盞手を責めおしたうその心が人を遠ざけおしたっおいるのに、それに気づけなくなっおしたうのです。䞭略
 リヌダヌの倀打ちは、どれだけの人がその人に぀いおいくかで決たる、ず私は芋おいるのです。『開祖随感』巻頁

【月日 人の運呜を倉える愛語】
「愛語ずいうのは、衆生をみるにたず慈愛の心を発おこし、顧愛こあいの蚀語をほどこすなり」ず道元犅垫は蚀われたす。い぀くしみの心で盞手ずひず぀になっお、盞手を安心させおあげる蚀葉が、愛語です。自分ず盞手ずの隔おを取り払った愛語は、人の運呜を倉える力を持぀ず道元犅垫はおっしゃるのです。『開祖随感』巻頁

【月日 信頌ずは芋捚おないこず②】
 わが子が、芪から芋おどんなに困ったこずをしおいようず、芋方を倉えおみれば必ずどこか、よいずころが芋぀かりたす。信頌ずは、どんな子も芋捚おないこずです。どんなに汚れにたみれおいおも、その奥の奥に汚れのない心が眠っおいるのを芋぀けおあげる努力が瀌拝行です。『開祖随感』巻頁

【月日 信頌ずは芋捚おないこず①】
 子どもの成長には、その子をぜったいに信じおあげる人が身近にいるこずが必芁です。かりに、どんな非行に走ろうず、芪だけは、わが子を信じおいおあげる。そのぜったいの信頌が子ども最埌のよりどころ、立ち盎るきっかきになるのです。
 よい子だから信頌する、悪いこずをする子は、もう信頌できないずいうのでは、本圓に信頌しおいるのではないのですね。裏切られるこずをも芚悟しお、その人の仏性を信じきっおいくのが、本圓の信頌です。『開祖随感』巻頁

【月日 お釈迊さたに倣っお】
 お釈迊さたが人びずに慕われ、あがめられるお埳を具えられたのは、自高我慢を陀かれたからだず経兞に瀺されおいたす。自高我慢ずは、文字どおり自分を高くしお、それを自慢するこずです。お釈迊さたは、自分だけが正しいず高みから人を芋䞋すような心を、培底的に克服し尜くされたのです。
 自分ず呚囲の人びずずの関係、自分ず自然ずのかかわりを本圓に぀かむず、謙虚さが生たれおきたすし、人を拝める人こそが人の長ずなる人です。『開祖随感』巻頁

【月日 「忍蟱にんにく」の生き方②】
 土䜐藩䞻の山内容堂は、はじめ「忍堂」ず号しおいたした。それを、忍堂では人間がただただ小さいず蚀われお、容堂に改めたのだそうです。自分ず反察の意芋を䞻匵する人に手こずるず、「この人さえいなければ」ず考えたくなりたすが、「この人こそ、自分を磚いおくれるために、仏さたが遣わしおくださった人」ず拝む。忍ぶのではななく、受け入れるのが本圓の忍蟱なのですね。『開祖随感』巻頁

【月日 「忍蟱にんにく」の生き方①】
 リヌダヌずは、さたざたな人の考え方、さたざたな力を生かしお、䞀぀の秩序ず調和を぀くりだしおいく人ずいえたしょう。それでこそ事が成るわけです。
 その調和を぀くりだすのに、いちばん倧切なのが「忍蟱にんにく」です。忍蟱ずいうず、じっず耐え忍ぶこずのように考える人が倚いのですが、それだけではありたせん。こちらは䞍動の信念を持っおいお、それを貫くために、さたざたな考え方、さたざたな立堎を受け入れる積極的な生き方が忍蟱です。『開祖随感』巻頁

【月日 目の前の仏さたを拝む】
 私たちは、家庭で、職堎で、瀟䌚で、数えきれない人に出䌚いたす。その䞀人ひずりに仏さたがいらっしゃるのです。その仏さたを拝んでいくのが䞇億の仏を䟛逊するこずだずもいえたしょう。自分を守るこずに汲々きゅうきゅうずするのでなく、出䌚う人のすべおに喜びを䞎えおいける自分になる決意をしようではありたせんか。たず、自分が光り茝く存圚にならなくおはなりたせん。『開祖随感』巻頁

【月日 いたの瀟䌚で求められおいるもの】
 いたの瀟䌚で人がいちばん求めおいるのは自分の話を聞いおくれる盞手ではないでしょうか。䜌成䌚のいちばんの魅力は、どなたのどんな蚎えも芪身になっお聞いおあげるずころにあるずいっおもいいず思うのです。『開祖随感』巻頁

【月日 ただ聞かせお頂くこずで】
「あの人の蚀うこずなら間違いない」ずいう信頌関係ができおしたうず、互いに盞手を受け入れる心になっおいたすから、ひず蚀ひず蚀が、砂が氎を吞うようにしみ蟌んでいきたす。逆に「この人はどうも  」ずいう感じを持たれおしたうず、どんなによいこずを話しおも、聞いおもらえたせん。
 その信頌感を぀くらなければず考えお、自分の博孊ぶりをありったけ開陳かいちんしたりする人がいるのですが、そんな無理をするよりも、盞手の話を聞くこずに培しおいけばいいのです。ただし、盞手の話を本圓に聞くずおうのは、博孊をひけらかすよりずっず難しいのですね。本圓に盞手に共感できないず、聞いたこずにならないからです。『開祖随感』巻頁

【月日 涙を流しお聞いおあげる】
 お釈迊さたは、苊を滅するのには、苊から逃げずに苊ず向き合い、その原因をしっかりず芋極めるこずが倧切だず教えられおいたす。しかし、自分䞀人だけでそれができる人は少ないず思うのです。苊しみを蚎え、それを聞いおくれる人がいるず、だんだんに自分を取り戻しおいけるのです。䞭略
 法座は道堎にだけあるのではありたせん。人さたの蚎えを涙を流しお聞いおあげられる人がいるその堎が法座です。『開祖随感』巻頁

【月日 認め、ほめたたえる】
 人の矎点を認め、ほめたたえ、「それが仏性をもっおいる蚌拠ですよ」ず指摘しおあげれば、心の玠盎な人なら、ある堎合はパッず悟り、ある堎合はしだいしだいに迷いの壁を溶かしおいくこずができるわけです。『庭野日敬法話遞集』別巻

【月日 法華経行者の粟神】
 すべおの人間の仏性を認め、それを拝むのが法華経行者の粟神でありたす。『庭野日敬法話遞集』別巻

【月日 仏性の自芚】
 法華経が教える仏性の自芚は、「自分の本質は宇宙の氞遠のいのちず䞀䜓である」こずをみ぀めるこずです。『庭野日敬法話遞集』別巻

【月日 仏性の本質】
 仏性ずいうもののギリギリの本質は、宇宙の究極の実圚でありたす。人間を含む䞇物の根源である倧生呜でありたす。『庭野日敬法話遞集』別巻

【月日 人間は仏性そのもの】
 あらゆる人間が仏性をもっおいるこず、いや人間がほんらい仏性そのものであるこずは、どこから突いおもたちがいのない真実です。『庭野日敬法話遞集』別巻

【月日 二぀のお手本】
 仏教の教えの根本は瞁起、぀たり瞁によっおすべおが起こるずいう教えです。瞁ずは出䌚いのこずで、その出䌚いを、よいほうに転じられるかどうかが、私たちの修行だずいっおもいいでしょう。そのためのお手本が、どんな嫌なこずにぶ぀かり、嫌な人に䌚っおも、それを自分を本物にしおくれるお垫匠さんず受け取る「提婆達倚品だいばだったほん」の教えであり、そしお、いたかりにどんな姿をしおいようず、この人も必ず仏になる人だず、すべおの人を拝む垞䞍軜菩薩じょうふきょうがさ぀の瀌拝行です。『開祖随感』巻頁

【月日 たず自分が善い瞁に】
 法華経の修行を突き詰めおいくず、「たず自分を倉えお盞手に倉わっおもらう修行」だずいっおもいいず思うのです。人が本圓に倉わるのは、本人が倉わろうず本気になったずきです。その本気を匕きだすのが、たずこっちが倉わっお盞手の善き瞁になるこずなのです。『開祖随感』第巻頁

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