💎 庭野日敬開祖「一日一言」~毎日のことば~(令和5年8月)

2023.8月使用

庭野開祖の故郷、菅沼にて

 8月も『法華経』を所依(しょえ)の経典とする立正佼成会の中心的行法である「仏性礼拝行」について、庭野開祖のおことばを「一日一言」と題して1つずつご紹介していきます。

【8月31日 すべてが共に生きている】
 一切衆生は本来、生まれながらにして、仏の悟り、宇宙の法を認識する仏の智慧を持ち、誰もが仏になれる種子、つまり仏性を持っています。それ故に、すべてのいのちは、みな、等しく尊いものであり、かけがえのないものであり、永遠なる本仏のいのちと一体であると言えます。生きとし生けるものすべてが一仏乗という大きな救いの乗り物の中で、共に生きているのです。(平成13年9月「世界宗教者平和のための祈りの集い」スピーチから)

【8月30日 われの力にあらず】
 この時代に、この国に生を享(う)け、数かぎりない人びととの出会いによって頂戴できた力によって、今日の私があります。
 人ばかりではありません。まわりのあらゆるものに生かされて、こうして毎日を過ごせる自分を思うと、お会いする一人ひとりの人に、周囲の一つ一つの物に、心から合掌せずにはいられません。(『開祖随感』10巻292頁)

【8月29日 指導者の仕事】
 失敗の原因は自分がいちばんよく知っているわけです。しかし、その欠点を直すのは、そう簡単にはいきません。
 ですから、欠点のほうよりも、いいところを見つけて、そこを伸ばす助言をしてあげる。これだと、自分の得意なところを磨いてくのですから、能率が上がって、のっていけるわけです。長所が伸びると、短所も魅力に変わっていくものなのですね。人育てのうまい人は、そこをよくわきまえています。
 人は必ず、どこかに長所を具えています。それを見つけてあげるのが指導者の仕事です。(『開祖随感』10巻289頁)

【8月28日 心と心の共鳴②】
 難しいのは、話は聞けても相手の気持ちまで本当に聞き取れるかどうかです。それができたときに「心と心が通い合うというのは、こんなにすばらしいことだったのか」と、言葉に言い表わせないような感動がわき上がってくるのです。(『開祖随感』10巻267頁)

【8月27日 心と心の共鳴①】
 相手が本気でやる気になってくれてこそ、本当にわかってもらえた証拠なのですが、人が本気になるのは、心から納得したとき、つまり頭の中で理屈として分かっただけでなく、感情が納得したとき、心から共感し共鳴したときなのです。その共鳴の感動は、相手が心から求めているものと、こちらの心がピタリと一致したときにおこります。だからこそ理屈やお説教よりも、相手の思いを聞くほうが大事なわけなのです。(『開祖随感』10巻266頁)

【8月26日 一つでもよいところを】
 人の欠点は嫌でもすぐ目につきますが、人のよいところは努力しないと見えてきません。ほめ上手の人は、その努力を欠かさないのです。どこか一つでもいいところを見つけて、ほめてあげる。お辞儀の仕方一つでもいい、返事の大きさだけでもいいのです。そうして教会を楽しい修行の場にしていく努力が、自分を大きくする修行にもなっているのですね。(『開祖随感』10巻243頁)

【8月25日 「柔軟(にゅうなん)」と「素直」】
 人間として大きく成長できるかどうかの決め手は、心の柔らかさにあるといえないでしょうか。とりわけ大事なのは、自分と違う考えも受け入れられる柔軟さと、自分の間違いを認めることができる素直さです。
 素直さというと、人の言いなりになる生き方のように考える人がいますが、本当の勇気と自信を持たなくては、素直に他を受け入れ、自分を変えられるものではないのです。かたくなに自分を主張する人のほうが一見、信念を持っているように見えることがあるのですが、それは、周囲に対するメンツや、人の思惑を気にしてしばりつけられ、自分に正直になれないでいる姿であることが多いのですね。(『開祖随感』10巻200頁)

【8月24日 どなたにも声をかける】
 お釈迦さまは「自分がいちばん大事、そのことを知ったならば、自分と同じように人を決して傷つけてはならない」と教えられていますが、「仏性礼拝」を口すっぱくして説くよりも、どなたにもひと声、声をかけてあげる実践のほうが大事です。(『開祖随感』10巻199頁)

【8月23日 人を動かす人徳】
 人徳がなくては、人を本当にその気にさせることはできないのです。会社の発展、組織の発展の要諦(ようたい)は、中心になる人がどれだけ謙虚でいられるかにあるといわれます。それが大きく命運を分けてしまうのです。謙虚さが欠けると、聞く耳を持たなくなってしまうのですね。相手の求めているものを知らずに、自分を押しつけて平気でいるのです。それでは人を動かすことはできません。(『開祖随感』10巻197頁)

【8月22日 「はい」、「ありがとう」】
 「はい」という返事、「ありがとうございます」という言葉が、いつでも、どこでも、スッと口から出てくるようになれば、信仰者として合格だと思うのです。
 どんなときも笑顔を忘れず、大きな声で明るい返事ができると、心がガラリと変わってしまうのです。その心の持ち方が船の舵のような働きをして、幸せなほうへ幸せなほうへて、人を運んでいってくれるのです。(『開祖随感』10巻194頁)

【8月21日 信じて、待つ】
「如来の衣とは柔和忍辱の心是(こ)れなり」と経典にあります。相手がかたくなになればなるほど、それを柔らかく包み込み、待ってあげることが大事なのです。相手を裁くのではなく、相手の苦しさを分かってあげて、信じて、待つ。人に生まれ変わってもらうのは、こちらの修行でもあるのです。(『開祖随感』10巻173頁)

【8月20日 独りぼっちの人に②】
 独りぼっちで寒さに震えている人がいたら、その冷えきった体を抱いてあげ、温めてあげなくてはなりません。その温かさが涙が出るほどうれしいのですね。
 まず寄り添って、その人の切ない気持ちをそのまま受け止めてあげると、気持ちが少しずつほぐされてきて、人の言葉が耳に入ってくるようになります。かりに、いまがどんなに絶望的な状態であっても、このトンネルを抜けさえすれば必ず希望が見えてくること、仏さまはいつもそばについていてくださることを、私たちが自分の体温を通して知ってもらうのです。(『開祖随感』10巻166頁)

【8月19日 独りぼっちの人に①】
 苦しみに落ち込んでいる人の苦しみの大もとは、この苦しみが果てしもなく続いて、もう抜けだすことができないのではないか、という絶望感、そして、自分のこの苦しみを分かってくれる人はだれひとりいないのだ、という孤独感です。これが無間地獄(むげんじごく)です。果てしもなく続く苦しみに吹きさらされて、独りぼっちの寂しさにさいなまれているのです。(『開祖随感』10巻166頁)

【8月18日 リーダーの値打ち】
 どんなに力んでも一人の力は十人、百人の力にかないません。とりわけ、自分は正しいことをしているのだと正義感にかられるときほど、心しなくてはなりません。正義感にかられているとき、人はいちばん反省を忘れがちなのです。「私がこんなにがんばっているのに、なぜ人はついてこないのか」と相手を責めてしまうその心が人を遠ざけてしまっているのに、それに気づけなくなってしまうのです。(中略)
 リーダーの値打ちは、どれだけの人がその人についていくかで決まる、と私は見ているのです。(『開祖随感』10巻154頁)

【8月17日 人の運命を変える愛語】
「愛語というのは、衆生をみるにまず慈愛の心を発(おこ)し、顧愛(こあい)の言語をほどこすなり」と道元禅師は言われます。いつくしみの心で相手とひとつになって、相手を安心させてあげる言葉が、愛語です。自分と相手との隔てを取り払った愛語は、人の運命を変える力を持つと道元禅師はおっしゃるのです。(『開祖随感』10巻145頁)

【8月16日 信頼とは見捨てないこと②】
 わが子が、親から見てどんなに困ったことをしていようと、見方を変えてみれば必ずどこか、よいところが見つかります。信頼とは、どんな子も見捨てないことです。どんなに汚れにまみれていても、その奥の奥に汚れのない心が眠っているのを見つけてあげる努力が礼拝行です。(『開祖随感』10巻143頁)

【8月15日 信頼とは見捨てないこと①】
 子どもの成長には、その子をぜったいに信じてあげる人が身近にいることが必要です。かりに、どんな非行に走ろうと、親だけは、わが子を信じていてあげる。そのぜったいの信頼が子ども最後のよりどころ、立ち直るきっかきになるのです。
 よい子だから信頼する、悪いことをする子は、もう信頼できないというのでは、本当に信頼しているのではないのですね。裏切られることをも覚悟して、その人の仏性を信じきっていくのが、本当の信頼です。(『開祖随感』10巻142頁)

【8月14日 お釈迦さまに倣って】
 お釈迦さまが人びとに慕われ、あがめられるお徳を具えられたのは、自高我慢を除かれたからだと経典に示されています。自高我慢とは、文字どおり自分を高くして、それを自慢することです。お釈迦さまは、自分だけが正しいと高みから人を見下すような心を、徹底的に克服し尽くされたのです。
 自分と周囲の人びととの関係、自分と自然とのかかわりを本当につかむと、謙虚さが生まれてきますし、人を拝める人こそが人の長となる人です。(『開祖随感』10巻139頁)

【8月13日 「忍辱(にんにく)」の生き方②】
 土佐藩主の山内容堂は、はじめ「忍堂」と号していました。それを、忍堂では人間がまだまだ小さいと言われて、容堂に改めたのだそうです。自分と反対の意見を主張する人に手こずると、「この人さえいなければ」と考えたくなりますが、「この人こそ、自分を磨いてくれるために、仏さまが遣わしてくださった人」と拝む。忍ぶのではななく、受け入れるのが本当の忍辱なのですね。(『開祖随感』10巻133頁)

【8月12日 「忍辱(にんにく)」の生き方①】
 リーダーとは、さまざまな人の考え方、さまざまな力を生かして、一つの秩序と調和をつくりだしていく人といえましょう。それでこそ事が成るわけです。
 その調和をつくりだすのに、いちばん大切なのが「忍辱(にんにく)」です。忍辱というと、じっと耐え忍ぶことのように考える人が多いのですが、それだけではありません。こちらは不動の信念を持っていて、それを貫くために、さまざまな考え方、さまざまな立場を受け入れる積極的な生き方が忍辱です。(『開祖随感』10巻132頁)

【8月11日 目の前の仏さまを拝む】
 私たちは、家庭で、職場で、社会で、数えきれない人に出会います。その一人ひとりに仏さまがいらっしゃるのです。その仏さまを拝んでいくのが万億の仏を供養することだともいえましょう。自分を守ることに汲々(きゅうきゅう)とするのでなく、出会う人のすべてに喜びを与えていける自分になる決意をしようではありませんか。まず、自分が光り輝く存在にならなくてはなりません。(『開祖随感』10巻109頁)

【8月10日 いまの社会で求められているもの】
 いまの社会で人がいちばん求めているのは自分の話を聞いてくれる相手ではないでしょうか。佼成会のいちばんの魅力は、どなたのどんな訴えも親身になって聞いてあげるところにあるといってもいいと思うのです。(『開祖随感』10巻137頁)

【8月9日 ただ聞かせて頂くことで】
「あの人の言うことなら間違いない」という信頼関係ができてしまうと、互いに相手を受け入れる心になっていますから、ひと言ひと言が、砂が水を吸うようにしみ込んでいきます。逆に「この人はどうも……」という感じを持たれてしまうと、どんなによいことを話しても、聞いてもらえません。
 その信頼感をつくらなければと考えて、自分の博学ぶりをありったけ開陳(かいちん)したりする人がいるのですが、そんな無理をするよりも、相手の話を聞くことに徹していけばいいのです。ただし、相手の話を本当に聞くとおうのは、博学をひけらかすよりずっと難しいのですね。本当に相手に共感できないと、聞いたことにならないからです。(『開祖随感』10巻118頁)

【8月8日 涙を流して聞いてあげる】
 お釈迦さまは、苦を滅するのには、苦から逃げずに苦と向き合い、その原因をしっかりと見極めることが大切だと教えられています。しかし、自分一人だけでそれができる人は少ないと思うのです。苦しみを訴え、それを聞いてくれる人がいると、だんだんに自分を取り戻していけるのです。(中略)
 法座は道場にだけあるのではありません。人さまの訴えを涙を流して聞いてあげられる人がいるその場が法座です。(『開祖随感』10巻116頁)

【8月7日 認め、ほめたたえる】
 人の美点を認め、ほめたたえ、「それが仏性をもっている証拠ですよ」と指摘してあげれば、心の素直な人なら、ある場合はパッと悟り、ある場合はしだいしだいに迷いの壁を溶かしていくことができるわけです。(『庭野日敬法話選集』別巻)

【8月6日 法華経行者の精神】
 すべての人間の仏性を認め、それを拝むのが法華経行者の精神であります。(『庭野日敬法話選集』別巻)

【8月5日 仏性の自覚】
 法華経が教える仏性の自覚は、「自分の本質は宇宙の永遠のいのちと一体である」ことをみつめることです。(『庭野日敬法話選集』別巻)

【8月4日 仏性の本質】
 仏性というもののギリギリの本質は、宇宙の究極の実在であります。人間を含む万物の根源である大生命であります。(『庭野日敬法話選集』別巻)

【8月3日 人間は仏性そのもの】
 あらゆる人間が仏性をもっていること、いや人間がほんらい仏性そのものであることは、どこから突いてもまちがいのない真実です。(『庭野日敬法話選集』別巻)

【8月2日 二つのお手本】
 仏教の教えの根本は縁起、つまり縁によってすべてが起こるという教えです。縁とは出会いのことで、その出会いを、よいほうに転じられるかどうかが、私たちの修行だといってもいいでしょう。そのためのお手本が、どんな嫌なことにぶつかり、嫌な人に会っても、それを自分を本物にしてくれるお師匠さんと受け取る「提婆達多品(だいばだったほん)」の教えであり、そして、いまかりにどんな姿をしていようと、この人も必ず仏になる人だと、すべての人を拝む常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)の礼拝行です。(『開祖随感』10巻72頁)

【8月1日 まず自分が善い縁に】
 法華経の修行を突き詰めていくと、「まず自分を変えて相手に変わってもらう修行」だといってもいいと思うのです。人が本当に変わるのは、本人が変わろうと本気になったときです。その本気を引きだすのが、まずこっちが変わって相手の善き縁になることなのです。(『開祖随感』第10巻71頁)

2夏09

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