🌱 シリーズ「ニュー方便時代」とはなにか?(第3回)

6月「ニュー方便時代」使用1

 立正佼成会では、2021年の教団布教方針を次のように発表しました。

ニュー方便時代
~一人ひとりの救い救われに向かって~
笑顔と涙によりそおう

 では、この方針に打ち出された《ニュー方便時代》とはどんな時代なのでしょうか?シリーズ第3回は「笑顔と涙によりそおう」という言葉にスポットをあてて、考えてみたいと思います。

第3回 笑顔と涙によりそえる私と教会をめざして

〇真のエリートとは?
 以前、といっても今から30年近く前、教団の幹部で大先輩の方が、こういわれていたのを覚えています。

「このままいくと、立正佼成会は“エリート集団”になってしまい、庶民や大衆から、遠く離れた教団になってしまいます」

 つまり、ここでいうエリートとは、ピラミッド形態の組織における上層部をさし、本部が教団組織の上層部の一部の職員によって支配され、権力が集中し、本来の教えから離れたところで会員の在り方や行動様式をコントロールしようとし始め、やがてそれに気づいた会員たちが教団から去っていくということを意味していました。
 と同時に驚くことに、当時、日鑛先生(現在の会長)は、安岡正篤師の言葉を引用され、《真のエリート》についての回答をくださっていたのです。

「あるがままの自分に満足できず、たとえ自分にそれだけの力がなくても、それならば、なおさらのこと自分を優れたものに鍛えあげようとして、自分自身に多くの要求を課し、敢て自ら困難な問題にあたり、義務を負うとする」(『人生の大則』安岡正篤著より)

 つまり、庭野会長は常に自らの成長に目を向け、昨日より今日、今日より明日への成長を願い、進歩向上していく人物こそ《真のエリート》として、そのことをご自身に課し、今もその心、姿勢は変わらぬものと拝察しています。

 数年前、仙台教会の発足60周年を迎えるための準備委員会の中で、青年婦人層や青年部層の信者さんから、

「私、自分の大切な友だちは、教会に連れて来たくない」

「佼成会の常識は、一般社会の非常識になることがあるんです」

という声を聴き、多くの会員さんが賛同している光景を目にしました。
 これも、教団や教会組織の、いわゆるエリート化の現われの一つなのでしょうか?

〇仏教における「救済」、そして「癒し」、「寄り添う」
 先日、テレビを見ていると京都市のあるお寺のお坊さまが次のような主旨のお話されていました。

「仏さんは私たちを一人残さず“救って”くださいます。そして、私たちは何をさせて頂くか?仏さんの手足となって人さまの救いのための“お済(たす)け”させて頂く。それが、“救済”なのです」

 そのお言葉を耳にしたとき、仙台教会ともご縁のある臨床宗教師であり、東北大学の教員をされていらっしゃる谷山洋三先生の次のお言葉が頭に浮かんできました。

「誰だって、大切な人が苦しむ姿、悲しむ姿は見たくないものです。しかし、人が人を救うことはできません。できるのは『癒(い)やす』ことです。それは、相手を思うからこそできるものでしょう」(『人は人を救えないが、「癒やす」ことはできる』谷山洋三著より)

「癒やす」とは、辞書などによると人さまの「苦しみ」や「悲しみ」などを和らげることといえましょう。
 さらに谷山先生は同著の最終章の中で、次のように結ばれていらっしゃいます。

「狙って癒やそうとするということは、誘導することになりかねません。それを本当に相手が望んでいるのかわからないから。基本的には寄り添っていくことなのです」

 では、「寄り添う」とは、どういうことでしょうか?
 本会の庭野日敬開祖は、次のように述べています。

「人をこう動かそう、ああ動かそうと思っても、人はこちらの思いどおりに動いてくれるものではありません。ところが、心の底から相手に幸せになってもらいたいという願いから出た言葉は、ただのひと言であっても、相手の琴線に触れて、人を動かすのです。そういうひと言は、いつも相手の心に寄り添っていてこそ出てくるのですね」(『開祖随感』より)

「人間関係の出発点は、相手も自分と同じ喜びや悲しみ、願いを持って生きているのを知ることです。法華経の常不軽菩薩の仏性礼拝行も、それを心に刻みつける行といえましょう」(『開祖随感』より)

開祖さまがおっしゃる
〈心の底から相手に幸せになってもらいたい〉
〈相手も同じ喜びや悲しみ、願いを持って生きている〉
 そんな、心をいつも自分が持てたなら、きっと笑顔と涙によりそえる私にならせてもらえることでしょう。

〇真の宗教は教団の中に無い⁉
 教育者であり、今もって多くの人に影響を与え続けていらっしゃる森信三先生は宗教の真精神について、

 真の宗教が教団の中に無いのは、真の哲学が大学に無いのと同様である。これ人間は組織化せられて集団になると、それを維持せんがために、真の精神は遠のくが故である。(『森信三一日一語』寺田一清=編より)

というお言葉を遺していらっしゃいます。
 例えば、立正佼成会も創立以来の歴史の中で、会員さんお一人お一人の救いが目的であったはずの教会の諸行事が、ともすると会員さんを集めること(=人数集め)を目的した行事となってきてはいなかったでしょうか?
 また、会員さんお一人お一人のためである教団・教会が、知らず知らずのうちに自らの組織・体制を維持・管理していくために、会員さんの大切な発意、善意、信仰心を利用してはいなかったでしょうか?

 今年、私たちが頂戴した、

~一人ひとりの救い救われに向かって~笑顔と涙によりそおう

という言葉をかみしめたとき、その実践の中にこそ教団、そして仙台教会が「法華経」の真精神をもって、会員・未会員といった《枠》をはるかに超えて、すべての人さまと共に歩んでいく、共生のための“鍵”が示されていると思えてなりません。

合 掌
仙台教会 壮年部 H.E
(次回へ続く)

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