🍆 新「こころの彩時記」(日々連載、11月編)📝

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十一面観世音菩薩

 先月からスタートしました《新「こころの彩時記」》。今月も徒然(つれづれ)なるままに、日々新たに連載して参ります。

【11月27日 持てるものを人さまに】
 仙台教会にて、近藤雅則教会長の提唱によって2017年5月から始まった「無料学習塾 仙台わかば塾」。さまざまな理由で一般の学習塾に通うことが難しい生徒さんに、毎週、ボランティアの講師さんが、真剣に勉強を教えてくださっています。
 そのような中、昨晩、あるボランティア講師さんから嬉しいお知らせ(ライン)を頂きました。
 個人のことなので内容の詳細は省きますが、さまざまな生活苦や病気の苦を抱えていながらも、

(自らの持てる知識、能力を少しでも塾生さんのために使わせてもらいたい)

との願いのもと、講師のお役を自ら願ってご奉仕されてくださってきました。
 例えば、交通費の節約のため歩いて何十分もかけて、真夏の炎天下の中をお越しくださったこともあります。また、コロナ禍の中、塾が開けなくなると自ら学習プリントを作成して、郵送による添削指導を行なってくださいました。
 そんなご奉仕、仏教でいう“人さまのためにわが身を使う”という「菩薩行」を実践してくださっていたのですが、今では体調も徐々に回復し、仕事も軌道に乗り始め、昨晩のラインでは、新たな資格の取得に向けての新たな勉強を始めたというのです。

 さまざまな苦を抱えながらも、自らの持てるものを最大限に活かして人さまのためにできることをさせて頂く。そして、それが自分も相手もすべての人が幸せになっていく大きな道である。

 そんな最も尊い菩薩さまの姿と菩薩行の素晴らしさを、改めて教えて頂きました。

 (仙台教会HP担当H.E)

【11月26日 生老病死】
 今年もあと1ヵ月ちょっととなった昨晩、家内と夕食を頂きながら、若い頃と比べて眼や腰といった身体の老化を語り合う中で、「生老病死」の話になりました。

 お釈迦さまは「生老病死は度(ど)し難(かた)し」と言われ、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病気になる苦しみ、そしてやがて死していく苦しみは、誰もが逃れることができないとされました。
 しかし、大乗仏教ではどうでしょうか?
 『般若心経』では、すべては“空”であり、そのことを悟ることで「生老病死」も一つ、ただ自分の身体が、変化と関係の真理の中で一瞬、一瞬移り変わっていくことだけだとしました。
 そして、『法華経』では生老病死など、さまざまな現象が起きても、それはすべて久遠本仏の慈悲であり、さらに私たちの命も不生不滅の永遠の生命であると説かれました。
 家内との話が進む中、いつしか次のような話になっていました。

 生まれたから生きる。ただ真剣に生きる。その生きる中に喜びを見いだし、仏さまに感謝を申し上げる。生きているからこそ、年齢を重ねていける。

 「老いる」とは生かされて、生きてこられた有り難い“証(あかし)”である。

 病気にはなりたくないけど、この世に生身の身体を頂戴したからこその、必然的な現象であり、自らを今までの生き方を振り返ることができるチャンスでもある。

 そして、「死」は恐いけれど、今ある「いのち」に感謝し、二度とない人生、たった一度きりの人生を一日一日、少しでも人さまのことを思い、役立たせてもらい、明るく、楽しく生かされ、生きていく。そして、「天」から頂いた寿命を全うさせて頂く。

 ふと気がつくと夜の7時から始めた話が、10時を過ぎていました。夫婦で人生を語り合える喜び、お陰さまをかみしめ、改めて教えに感謝させて頂きつつ、床につかせて頂きました。

(仙台教会HP担当H.E)

【11月15日 人間とAI(人工知能)】 
 私が子供の頃、「まわり将棋」が流行りました。ご存知の通り、金将の4枚の駒を使います。両手の中でその駒を振って、表の出た数で将棋盤の一番外の隅を時計回りで進んでいき、歩兵から香車、桂馬と出世し、一番先に王将になった人が勝ちというゲームです。
 当時、友だちの一人がやたら強く、結局、終わってみたら勝っていたということの連続で、今流の言葉で言えば“持っている”としか思えない、幼い友だち同士のヒーローでした。

 今月13日、将棋界の藤井聡太三冠が、史上最年少の19歳3ヵ月で棋界最高峰の「竜王位」を獲得、史上最年少4冠同時戴冠となりました。
 藤井新竜王の強さは、コンピューターのAI(人工知能)も、ベテラン棋士も、誰も示せなかった一手をわずか1分で打ってしまう凄さだと言われます。1秒で数千万手の打ち手を読み解くAIが、かなりの時間をかけたあとに、藤井新竜王の指し手を最善と判断した話は有名です。
 まさに、“持っている”、“持ち過ぎてる”としか思えない、今までの常識や次元をはるかに超えた能力、境地といえましょう。藤井新竜王に敗れた、豊島前竜王は、
「藤井さんは、AI研究だけでは得られない新しい価値観を示している」
と語ったといいます。

「松下政経塾」の元塾頭であられた上甲晃先生は、本ホームページで紹介させて頂いた「市民講演会」(10月10日開催)の中で、
「政治も経済も何も知らないあなただから、この松下政経塾で、今までしことのないことができる。今までにない人材を育てることができる」
という主旨の言葉を、創設者である松下幸之助さんから頂いたと紹介されていました。
 アニメ「ルパン三世」では、IQ(知能指数)300の主人公ルパン三世が、なかなかパソコンの予測に勝てずにいましたが、最後に勝ったのはルパン三世。その時の決めゼリフが、
「コンピューターの裏をかくには気まぐれが一番なのさ」
でした。
 お釈迦さまは35歳で「お悟り」を開き「成道」をされましたが、その時の「お悟り」と80歳でご入滅されるまでの間に、「お悟り」そのものは進化、あるいは深化していったのか?あるいは、同じであったのか?という議論をよく耳にします。ある学者さんの意見で、
「お悟りを開いてからご入滅されるまでの“お悟り”は一緒だが、さまざまな人をお救いしていく中で、《方便力》を増していった」
という言葉が私の胸に残っています。
 さらに、本会の庭野日鑛会長は、次のように述べていらっしゃいます。
「この世には、つみかさねゆえの美しさということのほかに、それがないゆえの美しさもある、と知ることも大切ではないかと思うのです。たとえば子供には、経験豊かな大人にはない純粋無垢の美しさがありますね。(中略)経験が深いとか浅いとかだけを問題にすることなく、無駄な事柄はどんどん捨て去るということも必要ではないかと思うのです」

 藤井新竜王の快挙にふれ、いろいろなことが頭に浮かびました。とにもかくにも、コンピューターやAIを超えるものを人間は持っている。
 それは、天から付与された「天性」なのでしょうか?「感性」なのでしょうか?「純粋さ」なのでしょうか?「選ばれし者」だけのなのでしょうか?
 それとも?

 思いは尽きませんが、年齢を重ねても自らの無限の能力を信じ、瑞々しい感性・純粋さ、そして何ものにも執らわれない心を持ち続けていきたい。贅沢ながら、そう思います。

(仙台教会HP担当H.E)

【11月14日 釈迦如来像】
 本会の本部・大聖堂(東京都杉並区)に安置されている、私たちの本尊である「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊像」をお彫りになられたのは、昭和の大仏師と言われた錦戸新観師です。
 かつて、その錦戸新観師に、庭野開祖からご本尊像の制作を依頼されたときの心境をお伺いしました。すると、新観師は次のようにおっしゃられました。

「それは、身震いがするほどのことでした。諸経の王といわれる『法華経』の本尊であり、何万人もいらっしゃる信者さんに拝まれる仏さまを、こんな私が彫らせて頂けるのか?ご依頼をお受けしましたが、拙い技術の私が彫らせて頂けるのだろうか?
 そう思案の末に、私はお手本させて頂く二体の仏像に思い当たりました。そこで、その仏さまがいらっしゃる京都の寺院に東京から何回も、何回も通い、その仏さまのお姿を心にしっかりと焼き付けることから始めました」

 錦戸新観師がお手本とされた仏像は、京都の神護寺さまの薬師如来像(国宝)、そして戒光寺さまの釈迦如来像(重文)でした。
 まだ戒光寺さまの釈迦如来像を参拝、拝観したことのない私は、先日急に思い立ち、京都への夜行バスに乗り、初めてお参りをさせて頂きました。
 戒光寺さまの釈迦如来像は、正式には「丈六(じょうろく)釈迦如来像」と称され、御身の丈が約5.4メートル、台座から光背部を含めると約10メートルにもなります。実際に身近で初めて仰ぎ見た釈迦如来像の堂々とした威厳と拝むものを優しく包み込むお顔、お姿に、私は感動し、身が震えました。
 御手の印相は、大聖堂のご本尊さまと同じく「与願印(よがんいん)」と「施無畏印(せむいいん)」。
(恐れるものは何もない、私が救ってあげますよ)
というお声が聴こえてくるようで、まばゆいばかりの“オーラ”の中で、私の身体をぎゅっと抱きしめてくださる思いがしました。
(錦戸新観師はどのような思いで仰ぎ見られたのだろうか?きっとこのお姿を心に焼き付け、お手本としつつ、本会・大聖堂のご本尊さまを命がけで彫られたのだろう)
 そう思いながら、得も言われぬ感動を胸に帰路に就かせて頂きました。

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戒光寺さま、ご門前にて

(仙台教会HP担当H.E)

【11月13日 パープル・ライトアップ】
 国の内閣府や内閣官房が主唱する「女性に対する暴力をなくす運動」が、今月12日から25日まで実施されます。この運動の趣旨として、男女共同参画推進本部は、以下のように述べています。

 夫・パートナーからの暴力、性犯罪、売買春、セクシュアル・ハラスメント、ストーカー行為等女性に対する暴力は、女性の人権を著しく侵害するものであり、男女共同参画社会を形成していく上で克服すべき重要な課題である。本来、暴力は、その対象の性別や加害者、被害者の間柄を問わず、決して許されるものではないが、暴力の現状や男女の置かれている我が国の社会構造の実態を直視するとき、特に女性に対する暴力について早急に対応する必要がある。(中略)
 また、女性に対する暴力の根底には、女性の人権の軽視があることから、女性の人権の尊重のための意識啓発や教育の充実を図ることとする。

 この期間中には、性暴力の根絶に向けての「パープル・ライトアップ(施設を紫色のライトで照らす)」が、迎賓館赤坂離宮(東京)、京都タワー(京都)、JR小倉駅(福岡)周辺など、全国約320か所で展開されます。私たちが住む宮城県でも、ミヤテレタワーや三井アウトレットパーク仙台港内観覧車ポートフラワー、白石城などで実施されます。

 今、世界では「ジェンダー・フリー」と呼ばれ、社会的・文化的に形成された性差別の克服を目指す考えや行動の大切さが叫ばれている今日。
 私たちの信ずる『法華経』でも、一貫したお釈迦さまの「平和主義」のもと、『法華経』の成立時においてはまさに画期的ともいえる女性への成仏の保証、あるいは成仏の姿が説かれ、《すべての人に仏性あり》の根本精神の基づく男女の平等、そして、すべての人間の平等が説かれています。
 私自身、幼少の頃、母親への父親の暴力を見ながら生活をした経験があります。(なんでお父さんは、お母さんをいじめるの、叩くの)、父親を恨みながら、その光景を見て育ちました。
 性の差別、そして女性への暴力は絶対に許されないものです。
 私もその思い出を忘れずに、女性に対する暴力の根絶をめざしてのアクションとして、なるべく「紫色」のものを身に付けていきたい、そう思います。

*内閣府では、「一人で悩まず、『性犯罪・性暴力被害者のためのワンストップ支援センター』に、まず電話で相談してほしい」と呼びかけています。
 〇全国共通番号 ♯8891(はやくワンストップ)
 〇宮城県「性暴力被害相談支援センター宮城」0120-556-460(こころ フォロー)

(仙台教会HP担当H.E)

【11月12日 目がさめてみたら】
 今日は、以前、庭野日鑛会長先生が、ご法話などでご紹介くださった教育者の東井義雄先生の詩を掲載いたします。

  目がさめてみたら 

 目がさめてみたら
 生きていた
 死なずに生きていた
 生きるための
 一切の努力をなげすてて眠りこけていたわたしであったのに
 目がさめてみたら
 生きていた
 劫初(ごうしょ)以来一度もなかった
 まっさらな朝のどまんなかに
 生きていた

 いや 生かされていた

(『東井義雄 一日一言』致知出版社刊より)

 会長先生は、この詩の内容について、次のように教えてくださいました。

 詩の中の劫初(ごうしょ)というのは、この世の初めという意味であり、いわば“天地開闢(てんちかいびゃく)”ということです。(中略)
 このような詩を通して、生かされているいのちの有り難さ、尊さを学び、自覚を深めていきたいものです。(『ほっしん』より)

 神仏から授けられた寿命である天寿は、自分ではわかりません。しかし、その頂いた天寿をいかに充実させ、この世での使命を果たしていくかは私たち一人ひとりにまかされているといえましょう。
 私も、このたった一度きりの人生を、悔いのないよう、この世に生まれ、生かされている喜び、尊さ、有り難さを心に刻み、日々新たに生かされ生きていきたいと思います。

(仙台教会HP担当H.E)

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【11月11日 老いる~炭火のごとくに】
 昨日は、家内に夕食の買い物を頼まれ、温かな陽気の中を気分良く近くのスーパーまで自転車に乗って出かけました。
 家内が作ってくれた買い物リストのメモを見ながら品定め、(これでよし、完璧!)とばかりに買い物カゴを持ってレジに並びました。買い物はしめて2千385円。いざ財布からお札と小銭を出そうとすると、指が思うように動かず、幾枚か重なった千円札がなかなかとれません。やっとお札を出したかと思うと今度は小銭がうまくとれず、5円玉、1円玉となると、小銭入れの隅で固まっているかのようです。私の後ろにはレジを待つ人の列が続き、やっとお会計を済ませました。
 今までは、(なんてお年寄りの方はレジで手間をとるんだろう。最初からお金を用意しておけばいいのに)などと思い、イライラとしながらレジを待っていた私が、還暦を越えて逆の立場になっているとは。今までの思いやりのなさをお詫びしながら家路につきました。ところが、まだ“オチ”があったのです。家内が帰宅し、私が買ってきた品物を見て、
「お父さん、このトマトジュース、無塩じゃないよ。あれ、このビールもいつものと違うよ」
「うそ?俺、ちゃんと確かめて買ったよ!」
と言って見たところ、確かめて買ったはずのトマトジュースは隣の陳列商品を買っていて、ビールは缶の色を思い込み、同色の違う種類のものを買っていたのでした。
 生活も、仕事も、お役も、“何事も早さが一番。速く、すぐに事を済ます”ということを一番の美徳に何十年も過ごしてきた私。速くできないと自分に苛立ち、他人さまを責めてきた私でした。
(今回のレジも、買い物も、急ぐ必要はないのに、とにかく速く済まそうと思ってのことだった)そう、私は思わせて頂きました。

 作家の五木寛之さんがかつて、「年齢をとるということは、人生の下り坂かもしれませんが、その下り坂だからこそ見えてくる景色があり、ゆっくりとその景色を楽しみながら生きていきましょう」といった主旨の言葉を述べていらっしゃいました。
 また、順天堂大学医学部教授の小林弘幸先生のご著書『「ゆっくり動く」と人生がすべてうまくいく』(発刊:PHP研究所)を拝読すると、早口や早く歩くこと、早食いなど、急ぐことをやめて、ゆっくり動くだけで、副交感神経の働きが高まり、逆に生活や仕事など、すべてのことがスムースに運ぶようになると、科学的、医学的な実例をもとに書かれていました。

 今まで信仰の精進についても、「勇猛精進」、「不自惜身命」、「昼夜を分かたず」、「精進にスピード違反なし」といった、まるで真っ赤に燃える炎を連想させる言葉をよく聞き、また教えられてきました。しかし、先日、近藤雅則教会長が道場に参集した会員さん方に、次のようにおしゃってくださったのです。
「燃え尽きる信仰ではなく、“炭火”のような信仰が大切なんです。炭火はいつも燃えています。そして、燃えてない炭火には火を与え、ふれる人には暖かさを与えています。私たちの信仰も炭火のように、いつも心に信仰の火を絶やさず灯し続け、慈悲の暖かさをご縁のある人にお伝えしていく。そんな私たちになりましょう」
 私はこのお言葉がストンと胸に落ちました。確かにスピード、速さが要求されること、場面もあるでしょう。しかし、
《日頃は灰に埋もれながらも、ゆっくり、泰然と信仰の火を燃やし、そして、惜しみなくその信仰の火、暖かさ=慈悲をお伝えさせて頂く》
 還暦を過ぎた私のこれからの人生の歩み方を教えて頂き、心ワクワクした次第です。

(仙台教会HP担当H.E)

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【11月10日 長沼妙佼脇祖のおことば】
 自分のような未熟な者のご供養ですが、どうぞ受けて頂きたいと、浄い気持ちでお経を上げさせて頂く ― 尊いお経の一文一句は、汚(よご)れた自分の心に聞かせるわけでございます。
 そして人の喜ぶようなことを一つでもやらせて頂きたいと、常にその気持ちで行じたなら、必ず仏様は守護して下さいます。(『脇祖さまご法話』より)

  長沼妙佼脇祖のおことばを拝読させて頂くとき、いつも思わせて頂くことは、仏さまにたいして“謙虚”に徹しられ、そして“簡素”に、“シンプル”に、“分かり易く”、私たちに教えてくださっていることです。
《浄い気持ちで朝夕のご供養をし、人さまの喜ぶことを一つでもさせて頂き、日々の生活を送る。このことが本当に実践できたなら、こんな私も仏になれる》
 そう思えてなりません。

(仙台教会HP担当H.E)

脇祖さま7

長沼妙佼脇祖さま

【11月9日 姓名・方位鑑定をさせて頂いて】
「私の名前を鑑定してください」
「今度、家族揃って転居したいのですが、いつがよろしいですか?」
「病院を探しています。どちらの方位がいいでしょうか?」
 そんな姓名鑑定、方位鑑定のご依頼を頂くたび、私は身が引き締まる思いがいたします。「このような勉強不足で、未熟な私ですが、どうぞお智慧をくださいますよう、仏さまの手足とならせて頂けますよう」と久遠のご本仏さま、庭野開祖を念じさせて頂き、また、ご依頼者が持つ尊い仏性を拝ませて頂き、そして末永いおしあわせを祈り、鑑定をさせて頂きます。
 庭野開祖は、

「親がつけてくださった名前に悪い名前はないんだよ。親の願いがこもった大切なお名前なんだよ」

とおっしゃられていたことを、かつて会の大先輩の方から教えて頂きまいた。
 また、「方位」に関しても、

「方位を見させて頂くときには、そのご家族、ご家庭が仲よく、本当に一つになっていけるような、そんな鑑方(みかた)が大切なんです」

と庭野開祖から、直接、教えて頂きました。
 その2つのことを、まず心の基本として鑑定をさせて頂き、
「自分の名前の持つ意味が分かりました。両親の願いが込められているのですね。この名前の通り生きていきます」
「お陰さまで、善い家も見つかり、一家揃って引っ越すことができました」
「行かせてもらった病院の先生も看護師さんもとても親切で、安心しました」
 そのような声を聞かせて頂くと喜びも格別ですが、方位でいうなら“八方塞がり”の方に、精一杯、心の持ち方等をお話させて頂いた後は、ひたすらご本仏さまを念じさせて頂くばかりです。
 私には、直接、鑑定を教えてくださった教団の4人の大先輩がいらっしゃいます。その4人の大先輩からそれぞれ教えて頂いたお言葉が、鑑定における心の支えです。 

1.姓名鑑定も、九星・方位鑑定も、中心は「法華経」であり、「一念三千」だぞ。すべて久遠のご本仏さまのおはたらき、お慈悲のなかだということを忘れてはいけないぞ。 

2.立正佼成会の鑑定は、いわゆる世間一般の鑑定じゃない。鑑定を通していかにその方に“菩薩行の実践”をして頂けるか。菩薩行実践に導けてこそ、本物の鑑定だぞ。 

3.鑑定を通して、相手の方の持つ「仏性」を拝ませて頂く。お名前を通しって、方位を通して、どこまで相手の「仏性」を拝みきらせて頂けるか。そこがこちらの修行なんです。 

4.立正佼成会の鑑定の基本は、庭野開祖が遺してくださった『明鑑』に尽きます。それ以上でも、それ以下でもない。『明鑑』をしっかりと学び、基本を身につけ、方便力として活用していくことが大切です。

 庭野開祖、そして4人の大先輩のお言葉を胸に、信者さんのお救われに向けて、近藤教会長のもと、これからも自らの実践行としてお役をさせて頂きたいと思います。

(仙台教会HP担当H.E)

【11月8日 ニュー方便時代に生きる】
 今年、本ホームページで、甚だ僭越、未熟ながら〈「ニュー方便時代」とは何か?〉について、数回にわたり考えてきました。
 常日頃より、近藤雅則教会長が説かれる、立正佼成会における「本尊観」「行法観」の大切さを思うとき、“久遠のご本仏さまを勧請させて頂くにあたり三つの覚悟が必要である”という、庭野日敬開祖のお言葉がございました。

1.必ず仏の境地に達しうるという自信。 

2.そこまで達しえないのは、自分に至らなさがあるのだという懺悔。 

3.みずからも仏の境地へ達し、世の人をも同じ道へ導くための、法門の徹底的な実践。 

(1)に関しては、私は久遠のご本仏さまの子どもであり、分身であり、まさに本体は仏性そのものであるということでありましょう。この自覚にたち、実践を重ねていけば、必ず仏の境地に達することができるはずです。
(2)に関しては、本年9月に1ヵ月間、長沼妙佼脇祖の「一日一言」を本ホームページに掲載させて頂き、妙佼脇祖のお言葉、お姿から改めて学ばせて頂きました。
 そして(3)の実践の大切さです。その実践こそが、常不軽菩薩品に説かれる「仏性礼拝行」でしょう。幸いなことに近藤教会長が、私たちに“認めて、ほめて、感謝する”という平易な言葉で示してくださいました。
 この久遠のご本仏さまに“生かされ、護られ、育てられている”ということへの徹底的な信心と感謝。そして、そのような有り難い身でありながらも、煩悩や貪欲、執着に時には振り回され、時には智慧や慈悲を見失ってしまう、至らない自分であることの自覚と懺悔させて頂く。
 この二つをしっかりと内省・自覚し、多くの人びととのご縁を作りながら、「仏性礼拝行」を一日、一日、今を大切に倦まず、弛まず実践をさせて頂く。
 このことこそ、私の「ニュー方便時代」の出発点であり、本質であり、めざす道であると思わせて頂きました。

 (仙台教会HP担当H.E)

【11月5日 虚空蔵菩薩さまご命日】
 今朝も「ご供養」をあげさせて頂き、「本日は虚空蔵菩薩さまご命日、おめでとうございます」とご宝前で言上させて頂きました。
 本会では、「ご命日」ごとに教会道場などで、合掌しあい、「ご命日、おめでとうございます」と挨拶が交わされています。
 (なぜ、ご命日が「おめでとう」なのだろう?)
 学生部の頃には、そう疑問に思っていた私でしたが、一説によると、「おめでとう」の語源は

〈愛(め)でる+甚(いた)し→愛(め)で甚(いた)し→めでたい〉

とあります。またある一説には、

〈芽が出た→めでた→めでたい〉

ということで、芽が出るのは、それだけ自らの精神や身体が成長したということで、「めでたい」となったともあります。5日でいえば、
“虚空蔵菩薩さまに愛でて頂き、ご守護を頂き、そして自らがこれだけ成長しました。おめでとうございます”
ということかもしれません。

 かつて、本会では「虚空蔵菩薩さまご命日」には、式典も行われていました。では、虚空蔵菩薩さまとはどのような菩薩さまなのでしょう?
  虚空蔵菩薩さまとは、広大無辺の智慧を無尽に蔵しているといわれ、「明けの明星」はその化身・象徴とされ、智慧の菩薩として、人々に仏法の智慧を授ける菩薩ともいわれています。堂などに籠(こも)り、虚空蔵菩薩さまのご真言を一日一万回×100日間(=百万回)お唱えし続ける行を「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」といい、成就した者には無限の記憶力が与えられ、見聞きしたことは忘れなくなるとされています。弘法大師空海さまや日蓮ご聖人さまも、ご成就されました。
 本会では、脇祖である長沼妙佼先生の長沼家の守護神であり、また全会員の守護神として勧請されています。

 本会の草創期より立正佼成会をお護り続けていらっしゃる虚空蔵菩薩さま。毎月5日には「おめでとうございます」と言上し、少しでも成長した自分をお見せし、虚空蔵菩薩さまに喜んで頂きたいと思います。

(仙台教会HP担当H.E)

【11月3日 仏さまの御手(みて)に倣(なら)いて】
 最近、以前とは比べ耳の不自由な方への「手話」が、まだまだ不十分とはいえ、だいぶ普及してきました。私の身近なところでは、娘が昔から学んでいます。
 先日、ご宝前でご供養をさせて頂いたあと、じっとお釈迦さまのお姿を拝しているとき、仏さまも「手話」をしてくださっていることに気づきました。
 それは、仏さまの「手印」です。「手印」とは仏さまの手や指の動き、仕草で、仏さまのこころ(意志・願い)を表わしたものと言われています。「手印」は大きく分けて、
1.救い
2.象徴
3.沈黙
の意味があるといわれています。
 たとえば、お釈迦さまの「手印」を見させて頂くと、1の「救い」としては、左手を下げ、手のひらを広げた〈与願印(よがんいん 私たちに望むものを与えてくださる)〉、右手をあげ、手のひらを広げた〈施無畏印(せむいいん 私たちの怖れを除いてくださる)〉があります。
 2の「象徴」としては、悪魔からの煩悩、誘惑を断ち切った証としての〈降魔印(ごうまいん 右手を下げ、人差し指を下に向けます)〉などがあります。

 庭野開祖は、昭和37年(1962年)に、「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊」をご尊像として本会の本尊として勧請されるとき、その「手印」はお釈迦さまの「救い」を表わす〈与願印〉、〈施無畏印〉としてくださいました。
 あらゆるすべての人の「望み」を叶え、また自分に降りかかるさまざまな怖れ、不安を取り除いてくださる「絶対的な主」として、「教えの大恩師」として、そして「慈しみ育てる親」として、庭野開祖は造立してくださったのです。
 私はここで大きな一つの真実に気がつかなければならないと思いました。
 それは、久遠の本仏であるお釈迦さまがお説きくださった『法華経』の根本の教えの一つとして、《私たち一人ひとりが久遠の本仏と一体となって、多くの人の救済に立ち上がらなければならない》ということです。私たち一人ひとりがすでに頂戴している久遠の本仏さまの大慈悲心に気づき、久遠の本仏さまと同じ「救い」のはたらき=菩薩行の実践をさせて頂くことこそが、真の救われであるという一大真実です。
 開祖さまは、次のように述べられています。

 自身の内側に脈々と息づいている本仏のいのちを認識し、仏さまの手足となって働く存在になっていく。
 言わば、各自の心に本仏が勧請されて、それで初めて、本会にご本尊像が勧請された真意をかなえることになるのです。(『立正佼成会 写真年鑑』より)

(自らの心に久遠の本仏であるお釈迦さまを勧請させて頂く。いつも、心の中で〈与願印〉、〈施無畏印〉を結び、示せる、そんな私になりたい)
 そんな思いを強くし、『経典』を閉じ、読経供養を終えさせて頂きました。

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〈与願施無畏印〉

(仙台教会HP担当H.E)

【11月2日 「破天荒」と「いっかど」の人間】
 先日、本来の意味とは違う意味で理解されている言葉がいくつか紹介されている新聞記事を見つけました。それは、文化庁が毎年行っている「国語」に関する調査の結果でした。
 例えば、「破天荒(はてんこう)」という言葉の意味を街の人に尋ねると、
「人の迷惑も考えないで、とんでないことをすること」
「豪快で大胆な様子」
「ぶっとんでいる非常識な人」
などなど。なかには、
「天気がひどく荒れていること」
といった意味と思っている人が、6割以上もいらしたとのことです。
 本来の意味を『広辞苑』で調べてみると、「今まで誰もしなかったことをすること」と出てきました。つまり、「破天荒な人」と使う時は、「それまで、誰もできなかったことを成し遂げる人」となるのです。
 語源を紐解くと、かつて中国の唐代において荊州(けいしゅう)という地方では、国家試験の合格者が一人も出ないので、その地を「天荒=不毛の地」と言われていました。しかし、やがてその荊州から一人の合格者が出て、その地の人びとは、《ついに「天荒」を破った》と言って喜んだとのことでした。
(自分も「とんでもないことをやる人」と思っていた。なるほど、なるほど)と納得していた矢先、テレビのドラマの中で「いっかどの人間」というセリフを耳にしました。
(「いっかどの人間」って、「どこか尖がっている人」のこと?)
 さっそく、また辞書で調べてみる、「一簾」あるいは「一角」という漢字をあて、その意味は「ひときわすぐれていること」と出てきました。つまり、「いっかどの人間」とは、《ひときわすぐれている人間》ということになるわけです。
 日本の教育者・哲学者であり、神戸大学などにおいて多くの学生を育てられた森信三先生は、「いっかどの人間」について次のように述べていらっしゃいます。

 上役の苦心が分りかけたら、たとえ年は若くても、他日いっかどの人間となると見てよい。(『森信三一日一語』寺田一清=編、致知出版社刊より)

 今、私ども仙台教会では、近藤雅則教会長がこのコロナ禍にあっても、『法華経』の旗を高く掲げ、(地域社会の皆さまに少しでもお役に立ちたい)との願いのものと、陣頭に立ち、まさに粉骨砕身の布教実践をされています。
「破天荒」な近藤教会長のもとでお役を頂く私自身、「いっかどの人間」となれますよう、たとえ一匙(ひとさじ)でも、その苦心をわが身とさせて頂きたいと思います。

(仙台教会HP担当H.E)

【11月1日 ほほえみ(その2)】
 今日は新しい月、11月のお朔日にあたり、今月の自らの実践目標を考えてみました。先月24日に「ほほえみ」という詩を本欄にて掲載しましたが、今月は《いつも“ほほえみ”を絶やさないこと》を私の実践目標としました。
 以前、本会の庭野日鑛会長からも「ほほえみ」という詩を教えて頂いたことがあります。

 ほほえみ
〇ほほえみは鏡のように いつも磨いておかねばならぬ
〇ほほえみはお湯のように いつも温めていなければならぬ
〇ほほえみは呼吸のように 絶えずつづけなければならぬ。

(狩野誠編『ほほえみ読本』― 寺田清一『一粒一滴』より)

 この詩を示してくださったあと、庭野会長は次のように述べてくださいました。

 とりわけ、この詩の三つ目に「ほほえみは呼吸のように絶えずつづけなければならぬ」とあります。生きる限り呼吸を止めるわけにはいかないように、ほほえみの大切なことを強く感じます。
 人間のやるべき一生の事業はいろいろとあるでしょうが、ほほえみの笑顔をつくることは、人生の一大事業と言えるのではないでしょうか。(『ほっしん』より)

 道を歩きながら、ふと目に入るショーウインドウに映っている自分の顔。満員電車に揺られ、押されている時に窓ガラスに映る自分の顔。お役や仕事で忙しい時に鏡に映る自分の顔。急いだり、焦っていたりする時に鏡に映る自分の顔。
 皆、マスク越しからでも自分の眼は、ほほえんでいないことが分かります。
 今月は会長先生が教えてくださったように、“ほほえみ”を絶やさないという《人生の一大事業》にチャレンジしたいと思います。

(仙台教会HP担当H.E)

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